
【短編】着ぐるみとハチ
着ぐるみを着る。
着る…というよりは飲み込まれていく、といった方がイメージしやすいだろうか。この着ぐるみは、大人二人に手伝ってもらってやっと着脱できるほどの大きさだ。背中のジッパーを絞めてもらい、頭部を被せてもらうことで私は私ではなくなる。
マスコットの役割は、園内の人々に夢と希望を与えて笑顔にすること、テーマパークにとって欠けてはならないピースである。最初は時給が高いから、という安易な理由で始めたアルバイトだったが、訪れる人たちが私の姿を見るだけで笑顔を零すのを見て、考え方は変わっていった。
頭部を被った私は、バランスを崩さないようにゆっくり立ち上がる。スイッチが切り替わる、今の私にしかできないことがあるんだ、ファイトだ。
一人では着脱できないこの着ぐるみの窮屈さと不便さは、考え方が変わっていくにつれて、途中でギブアップなんてしちゃいけない、最後までやり切るんだという思いにさせてくれるものとなった。
*****
このアルバイトは、想像以上にきついものでもあった。当たり前のことだが暑いのだ。内部には小型のファンが取り付けられているので、空気は循環するのだがそもそもの空気孔が小さい。なので、外の新鮮な空気がなかなか入ってこない。
しかし、空気孔を大きくすれば、中身が露出するリスクが高まる。もし汗だくの成人が覗けば、テーマパークで抱く夢は霧散してしまうだろう。
他にも視界が悪いことや、必ず一日に一回は乱暴な子どもの襲撃にあうことなど、苦労は絶えないがそれ以上のやりがいを感じている。
最近になって予備の着ぐるみがもう1セット用意された為、このマスコットを着ている私ともう一人のバイトの、それぞれ着ぐるみを自分専用として使うことができるようになった。
そのため、私はいつも汗臭い着ぐるみの中を少しでも快適なものにする為に、香水を一振りすることにした。ファンによって着ぐるみ内部を循環する空気は定期的に私の好きな香りを届けてくれた。これはいい。
*****
もうすぐ行われる野外ダンスショーを終えれば、今日のバイトは終わりだ。裏方で開園の合図を待っている私の耳に、ブゥーンという嫌な羽音が聞こえた。
ブゥーン、という音は私の周囲をグルグルと回っている様だった。頭部の可動域と視界が狭いことで状況が確認できない。
ブゥーン、ブゥーン、ブゥー…
ーブッ!
羽音が途切れると同時に、タオルを巻いた私の頭に何かが着陸した。汗が垂れた、妙に冷たく感じた。突然のことに付いていけなかったからか、頭は妙に冴えていた。
タオル越しに感じる確かな生き物の足の動きと力強さから、決してハエなんて生易しいものではないと感じていた。そういえば聞いたことがある、登山の時に香水をしているとスズメハチに襲われるとか…
もしかして、いま私の頭に付いてるのは…
~♪♪
愉快な音楽が流れると同時に、多数の拍手が聞こえてくる。ダンスショーが始まってしまったのだ。
考える前に、反射的に体が動いてしまった。ステージに上がると、拍手はより一層大きくなり歓声が上がる。観客たちの期待の眼差しに刺されて、私は覚悟を決めた。
音楽に合わせて、ステップを踏む。
私という存在がいないと、ショーは成立しないのだ。私はこの着ぐるみを着ている限り、人々に夢と希望与えて笑顔にするという使命から逃れていはいけないのだ。ショーの時間は長くないから…
きっと大丈夫、あと少しで終わる。
ズブッ
チクリだなんて生易しいものではない、大きな針が肉を突き破る。あまりの衝撃に顔が歪む、うめき声が自然と漏れる、しかし観客は誰も気づくことはない。刺された箇所はどんどんと熱を帯びていく、もはや熱した鉄を押し付けられているようだった。
もう少し、もう少しの我慢なの。
もう少しで終わる、もう…
*****
今日一番の歓声と拍手に、ハッとした。私は痛みで朦朧とする中、やり遂げたのだ。良かった、みんな笑っている。役目を果たしたんだ。もう終わるんだ、この着ぐるみを着ている間はちゃんとしないと…。
ステージを降りてすぐに
私は壁にもたれ掛かり、倒れるように座り込んで
動けなくなってしまった。
ダメだ…早く誰かに伝えて…頭部をとってもらわないと、また刺されてしまう…
その時、頭にとまっていた存在感が消え失せると同時に、ブゥーン…という羽音が聞こえたかと思うと、ブッと音を立てて頭部から抜けていったことがわかった。
良かった、良かった
私は痛みと疲労、熱気に呆けて、意識を手放した。
*****
スズメバチは敵との接近の際に、仲間にそれを知らせる「フェロモン」を吸気中に散布する。そのフェロモンによって、仲間を呼び、仲間に敵を知らせる。
着ぐるみの中ではファンが回っていた。
フェロモンと、
微かな香水の匂いをのせた空気が、
空気穴からとんでいく。
*****
ブブブッブブッブブブゥーン
少しでもいいと思っていただけたら
「スキ」や「フォロー」のほどよろしくお願いします。
私のパゥワーになります。