ドライバーのラジェシュ(ムンバイ)
(2018年8月、インド、ムンバイ、CM撮影)
出張の5日の間、送迎を担当してくれることになったドライバーのラジェシュは、襟が大きめの白いシャツが似合う、30才前後の中肉中背の好青年。インド人らしからぬと言っては失礼だが、遅れることなく指定の時間にぴったり現れ、CMの撮影スタジオへの送迎もちゃんと道を知っているからとってもスムーズ。“Yes Sir, Certainly Sir!と挨拶も快活で、普段ならやきもきしがちなインドでの移動を大変快適なものにしてくれていた。
ところが、サービス4日目。撮影も無事に終わり、日曜でお休みだったので、美味しいレストランにも行きたいし、市内観光に出ようよ!と同僚と示し合い、この日もラジェシュにお世話になることに。インドのモンサンミッシェルと呼ばれるハジアリ霊廟や、モダンなインドのフュージョン料理レストラン、インドに行ったらいつもワイフとムスメの服やアクセサリーを買いに行くアパレルブランドANOKHI(アノーキ)のお店などを回ってもらった。15時過ぎになり、ホテルに戻る道中、「夜に知り合いに会いに行くので、再び迎えに来てくれませんか?」とラジェシュにさらにお願いすると、これまでの“Yes Sir, Certainly Sir!の快活な返事の代わりに、彼はなんだか急に口ごもり始めた・・・
「あのぉ、あのですねぇ、犬を、黒い犬を飼ってるんですがね。そのぉ、私が連れて行かないといけないんです、獣医に。おなかが悪くてですねぇ。あなたをお知り合いのホテルにお送りはしたいんですが。あのぉ、私が連れて行かないといけないんです。ですので、犬を、私の黒い犬をですね、獣医に、あのぉ・・・」と、もじもじ言う。うーん、事情は分からなくもないのだが、最近ここムンバイに赴任になられた先輩と大学卒業以来の再会になるし、土地勘もない異国なので足はやはり確保しておきたい。だから、いちおう尋ねてみた。「そうですか、じゃあ送迎は難しいんですよね?」
ラジェシュはひと呼吸考え、答えた。「いや、No No いいんですがね。あなたを送って、待ってます。お知り合いとのディナーは何時に終わるのでしょう?問題ないです。でも獣医が何時までやっているか・・・いえ、はい。Yes Yes、迎えに来ます。お迎えは何時がいいですか・・・?」未練たっぷりな様子ながらも、まぁどうにかしてくれるつもりのようなので、申し訳ないなとは思いつつも、「じゃあ18時に迎えに来てください」とお願いした。“Yes Sir, Certainly Sir! ”といつもの快活な返事に戻るラジェシュ。
しばらくホテルで休み、時間になったので、ロビーに降りると、やはり彼はちゃんとしている!しっかり時間どおりに来てくれていた。車に乗り込み少し走ってから、ラジェシュは話し始めた。
「Sir、いま通った家、ご覧になりましたか?人がたくさんいたでしょう!出待ちなんです。ボリウッドスター、アミタブ・バッチャンの邸宅なんです。日曜の決まった時間に彼が家にいる時は、家から出てきて手を振ってくれるのです。だから人はみな彼を尊敬している・・・」
「・・・ところでSir・・・Dog。あの、私の黒い犬。やっぱり連れて行っていいですか?獣医に。Sorry・・・母も父も、私が連れて行くものと思い込んで外出してしまったのです。小さい時から飼っている犬です。おなかが悪いんです。ほら、この子です」・・・と、携帯の写真を笑顔で見せてくる。「僕もネコを飼ってるよ」と返すと、「いやぁ、やっぱり私は犬が好きです!犬はかわいいです。犬は賢いし。」と、ネコには1ミリも歩み寄ろうとしないラジェシュ。「Sorry Sir・・・今夜は母も父もいないんです。私しかいないんです。私しか・・・」絶対今夜は獣医に行くんだという決心を固めて来たのだろう。わかったよ、ラジェシュ。「いいよいいよ、わかったよ!帰りはいいから、獣医に行きなよ。」まぁ帰りはどうにかなるだろうと思い、情状酌量の「許可」を出してあげた。
すると、胸のつかえが取れたのか、そこから先輩のホテルに着くまでの数十分、ラジェシュときたらもう、しゃべるしゃべる!!!出身はムンバイではなくUP(ユーピーと読む。ウッタルプラデーシュ州のこと。)だとか、親父と家を買ったら地価が上がって嬉しいとか、自分の勤めている送迎会社のオーナーは44の都市でビジネスを展開していて自分もクリケット選手を乗せることがしょっちゅうあって自慢だとか、この車は自分で買ったので会社にはキックバックが3割で済むんだとか、毎朝6時半に起きて送迎に行くが渋滞を避けないといけないのでピックアップが8時であっても10時であっても自分はとにかく街に来るだけだとか、ホテルへの帰りはUBERにすると安いからそれにするといい、アプリは入れてるのか?入れてないならすぐに入れた方がいい!とか・・・。愛犬を獣医に連れて行ける安堵からか、頼むから前を向いて運転してくれよ!!と叫びたくなるぐらい、こっちを振り返り、振り返り、彼はとにかくしゃべりまくった・・・・・・
サービス5日目。ラジェシュはいつものように時間通りに迎えに現れ、僕のCM編集の仕事も案外とスムーズに終わったので、渋滞にハマる前にホテルに無事に送り届けてくれた。この5日間ありがとう!と別れを告げた。何事もなかったかのように、この日は、行きも帰りも、彼は運転に集中し、言葉少なげなままだった。