時間の重み。Time is life.
へぃ、らっしゃい!
ひがちゃんです!!
今回は、『いのち』についての詩画集である『絆シリーズ いのちのバトン 97歳のぼくから君たちへ』という本を読んで衝撃を受けたので、その衝撃が冷めないうちに言語化して残してみようと思います。
事の顛末は、僕のおばあちゃんがこの本が大好きみたいで、姉弟1人1人に1冊づつ買ってくれていたのですが、今までそれに興味を示すことなく、実家の本棚に置いてありました。
そんな中、本日、たまたまその本棚がある部屋で日向ぼっこをしており、「そ~いえばこの本読んだことなかったな」と思い読み始め、その後、読み終わって数時間たち、ゲームをしているときになんとなくその本の一節が僕の価値観と絡み合い。ビッグバンを発生させました。
その内容はどんなことかというと、『いのちは時間である』という衝撃です。
「人はお金を重んじて、時間を軽んじることがある」と、あるメンタリストの方から教えて頂いたことがあるのですが、この『いのちは時間である』ということを念頭に置き、「時間がもったいない」から「いのちがもったいない」という風に言葉を変えると、凄まじく重みが増し、時間の重要性が一瞬で腑に落ちて最上位まで跳ね上がりました。
そして、他者と関わるとき、または自分の活動、日頃の余計なスマホやパソコンいじりなどなど、今まで余計に『いのち』を使っていなかったか、またはもっと『いのち』を注いだ方がよかったのではないかと思い、あらゆることに思いをはせ、これから改善できることが物凄くあることに気づき、それがとてつもない衝撃の波となり、何度も何度も押し寄せ、今、まずはこの気持ちを腐食させないためにこうして言語化してみてます。
というわけで、さらに言語化を進めていくと、
まず思ったのは、僕が今主な活動として行っている『ゲーム実況』について。
この活動のメインは、僕が僕の力を把握するためや、幼少期にはあったが途中で抑え込んだ、しゃべる能力。さらには表現能力の強化など、主に自分を育てるために、そこに時間を注いできました。
その、『時間を注いできた』ということを、また『いのち』に置き換えると、「僕は僕自身の『いのちをゲーム実況に注いできた』のか!」という風になり、なんかこう、感動というか、ゲーム実況が誇りになったというか、感無量になり、さらに、僕が発信した情報を受け取ってくれた方々は、その『いのち』を使って受け取っているのだと、そう考えるとなんか物凄いなって。もっと全力で取り組みたいなという思いが溢れて、それがこうして記事の創作意欲として湧き上がっているわけです!!
そしてそして、そうなってくると、これから僕が何かをする時、誰かと接する時、それは時間をかければかけるほど、『いのち』を削り、それに『いのち』を注いでいくことになるのだと、さらに、僕のために誰かが動いてくれた暁には、その人はその『いのち』を僕の為に注いでくれているのだと、思うと、その感動たるや否や、こちらもそれに答えなくてはならないなと、感極まったわけです!!
そんな凄まじい感動を覚えるこの言葉に出会えたおかげで、きっと、これから僕は僕の人生の質をさらに高め、もっともっと豊かにしていけるという自信が湧いてきています。
そんな言葉に出会わせてくれた僕のおばあちゃんは、現在認知症が進み、老人ホームで暮らしています。なので、今度遊びに行った際には、全力で「ありがとう」と伝えようと思います。
少しでもあ~ちゃんの笑顔が見られたらいいなぁ・・・。
というわけで、
今回は『いのちとは時間である』という言葉に衝撃を受けた話でした!!
僕らの『いのち』には限りがある。
それを無駄にせず、注ぐべきものを見極め、全力で『いのちを燃やせ』。
それでは!!
ー参考文献ー
詩と文/日野原重明・絵/いわさきちひろ(2008)『絆シリーズ いのちのバトン 97歳のぼくから君たちへ』ダイヤモンド社