離れてみることで見えるようになったこと
この記事は、自分が指導で関わっていたところを少し離れてみて気づいたことを書いています。離れてみて気づいた中で、先生によって態度を変える生徒について解決策を考えてみました。
・指導に入っていたら中々見えない
指導は、主観的な見方と客観的な見方のズレのすり合わせが必要だと思う。
指導をしているときは、子どもたちを主観的な目で見てしまうことが多いが今年度は、大学の講義や他の事で指導に入る機会が減っているので子どもたちを客観的に見ることができている。
子ども達を指導に入り主観的に見ると、話が聞くことができる集団である、頑張る集団であると自分で思っていた。
しかし、少し離れて客観的に見れるようになると、話が聞けていないことが多い事や人によって頑張り方や態度を変えているように見える。
自分では出来ているようと思っても他人から見ると全くできていないという現象があると思う。
この主観的に見る自分軸と、客観的に見る他人軸のずれを考えることが必要であると思う。
なぜ必要かというと、ズレがあることによって本質からそれてしまうからである。
評価で例えると、
自分では80%ぐらいできていると思っていても他人からの評価は20%ぐらいであるといったように自分では出来ていると思っても他人は同じように思っていないことがある。
本質である100%を目指していたはずなのに、自分では100%でも他人からは同じ評価を得られないといったことになる。
なので、指導に入っていると主観的な見方が多くなってしまわないように、客観的に見方を意識しながらしていきたい。
・指導者が原因なのか子どもが原因なのか,,,
先生や指導者によって舐めた態度をとる生徒は少なからずいる。その際に考えるのが、その原因は子どもなのか指導者なのか。
白黒はっきりさせたいタイプだが、最近ではグレーな考えも良いと思ってきた。
先ほどの例を言うと、先生や指導者によって舐めた態度をとる生徒はいけないという考えがある。
先生や指導者は年上に人であるから礼儀を尽くすことは常識であるといっても良いと思う。
ここは、生徒が考えるべき部分である。
もう一つの考えで自分は、舐めた態度を取られる先生や指導者もいけないと思う。
その先生や指導者の環境設定や雰囲気の作り方、口調、身振り、が原因で舐めた態度をとってくることがあると思う。
結果的にどちらにも原因があるというグレーな答えになるが、後者の先生や指導者の部分は改善することができると考えている。
先生や指導者は他人である生徒に影響を与える人物である。
「他人を変えるにはまずは、自分が変わらないといけない」とよく聞く。
なので、先生や指導者が学び続け変わっていくことが一つに策になると思う。
こんなことを言っている自分はまだまだ未熟なのでこれからも学んでいきたいと思った。