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「ほんとう」の見分け方

ある人が言っていることが正しいか間違っているか、それは私にはわからない。ただ、その人がほんとうのこと・・・・・・を言っているか、そうじゃないかは、最近何となくわかるようになってきた。

物事の正誤なんてものは、受け手の立場や状況によってコロコロ変わる。ある視点からは「正」であっても、別の視点からは「誤」であるということはよくあることだ。むしろあらゆる事象は、それ自身に正誤を内包していると言っていいだろう。自分自身がそうであるように。よって、物事の正誤をとかく追及したところであまり意味がない。一方、その言葉がほんとうかそうでないかは、極めて重要な意味を持つ。

その人から発せられる言葉がほんとうなら、その人自身がその人の全歴史そのものの最も確かな体現者であり、実証者であるということが顕著に見て取れよう。それが不在ならば、その言葉はほんとうではない。これは直覚的な話なので、わかる人はわかるが、わからない人は何を言っているのかさっぱりわからないかもしれない。シンプルに言えば、ほんとうのことを語る人は、語らずともその人の全歴史を動員し、語っているということだ。反対に、本人はほんとうのことを語っているつもりでも、それが全くほんとうではないということもよくある。

昨今、あらゆる情報がフェイクである可能性が急速に高まっている。人は何を信じたらいいのかわからず、困惑している。このような時代に生まれおおせた我々にとって、何よりそういう直覚こそ、最も信じられるものでなければなるまい。また、それは日々鍛えられなければならない。自分の直覚を信じずして、いったい自己を何に明け渡そうというのだろうか。そのような虚ろな精神が、いたるところで健全と・・・徘徊している。


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