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終わり

私が今ここに存在しているということは、以前どこかに私が存在し、いつかどこかに私が存在し得ることの揺るぎない証明である。因果の道理を私自身がこの身を以てありありと体現しているのだ。

どの視点から観るかによって、現在は過去にもなり、未来にもなる。現世はいつかの私にとっては来世であろうし、またいつかの私にとっては過去世であろう。そういうふうに永遠にぐるぐると廻っているだけなのだ。

現世の私だけがなぜか単独で存在し、命尽きれば存在そのものも消滅するという論理は全く因果を無視した暴論であり、完全に破綻していると言わざるを得まい。にも関わらず、多くの人はそう信じて疑わない。これは人間の大きな迷いであろう。

死が終わりと考えることほど非科学的で、ご都合主義なことはない。私たちがこの世に生を受け、今この命を生きていることも、いつか死を迎えることも、全てある通過点を通っていることに過ぎない。終わりというものはどう考えても存在し得ないのだ。もし誰かが明らかに「終わり」の実存を証明できたとしたら、人類史上最もセンセーショナルな出来事に違いないだろう。「始まり」も同じことだ。私たちが生きているこの世界には、始まりもなければ終わりもないのだ。この事実にぶち当たり、まともに受け止めるならば、ある意味正気では居れなくなるのではないだろうか。

多くの人は、そんなこと考えても仕方ないと言うだろう。他にもっと考えなければならないことがあるだろうとも。私にとって考えるということは、孤独な道を自ら選択し、歩んでいくのだという決意表明でもある。

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