私の中の少女を殺すな
ZOCっていいよなぁ。巫まろさんが加入して、アツアツ(もちろん二つの意味で)の時期にZOC知ったから実際ミーハーと括られる類かもしれないが、ミーハーながらもZOCのアイドルとしての異質さは目を見張るものがあったし、大森靖子の手がけるZOCの楽曲はどれも素晴らしくて何年経っても色褪せなくて、俺のコロコロ入れ替えるプレイリストの中に今でも入ってるほど大事な曲になっている。曲としてのキャッチーさとしてもそうだし、A INNOCENCEとか、family nameとか、今聞いても泣いちゃうぐらい深い歌詞と力強い歌声。どんどんコンテンツが消費されていって、僕もZOC達も歳をとって、自分が見ていた一瞬のアイドルとしての期間はただの偶像で、刹那的な光でしか無かったけど、美しかったなぁ。
曲を聞くとどうしてもあの頃のZOCたちを心の中で追ってしまう。もうみんな散り散りで現iLife!で、hazeで、femme fataleとして元気にやっている。やっぱ元気ではないかも。
たくさんの情報で押しつぶされていく中で、少ない情報で頭で美化される過去の情報はどれも美しいなと思う。中学生のあの頃。好きだった彼。
高一にやってた先輩がうざい後輩の話のアニメ、全部美しかったよなぁ。たくさんの情報を見るのに疲れちゃって懐古に浸る人をよく見る。音楽もアニメも漫画もたくさんの情報に犯されてないものはどれも綺麗で美しかった。
高校生に戻りたいと思う。本当にいつも。自分が特異なゲイという属性に位置するに限らず、大学生の男女間はどれも薄汚くて嫌いだ。男女でつるんでいるグループは誰彼構わず、互いの頬に触れたり、授業中に構わず距離感が近い。夏休みが明けた翌日、出席番号が近い冴えない男子に有り得ないほど美人な彼女が居て驚いた。なぁ彼女。おいおい大学生になって誰彼構わずイチャつくのは良いけど、お前が手にしたモラトリアム期間の最中をそいつに預けてもいいのか?とすごく思う。大学にはもっとイケメンが居るだろ。まぁでもそういう美人は四年間の間に幾度となく出会いと別れを繰り返すから正直誰でも良いのかななんて卑屈な妄想をしてみる。当方、彼女も彼氏も居らず、友達もいない。今朝方教室に入ると、「イヤホン君」というあだ名を付けられていた。まだここから巻き返せる保険はあるだろうか。
高校生のような恋をしたい。ピュアで居たい。性欲と恋慕が同居するのは付き合い始めてからが良いし、性欲から恋が芽生えてしまうのは凄く気持ち悪いと思ってしまう。19だから早く大人になりなさい、と遠回しに告げられているような気がする。ゲイというコミュニティに属しているならば、性と恋を切り離すことなんて出来ないし、若さを武器にして性的に消費されることがゲイソーシャルを上手く生き抜く術だということも理解している。どうも僕はこれが嫌で、だから社会に上手く馴染めない。性的な投稿をすることでようやく大人の一員に認められるみたいないや村の慣習が強く根付いている。綺麗売りで生きていけるゲイ達はすごい。顔が飛びぬけて美人じゃないとそういう方向で生きれない。僕は飛びぬけて顔が良い訳じゃないし、身バレも怖いから進んで顔も出せない。1ヶ月ぐらい前からnoteを始めたけど、noteのスキはなんだか正しく満たされてるみたいで嬉しかった。
僕は少女みたいな感性で生きている。僕の考えはまだ幼くて女々しくて社会に馴染めないほど眩しくて青い。この青さに汚い絵の具が混じるのが嫌だ。ゲイを押し殺しても僕は少女で居たい。純情ぶりたい訳じゃない。僕だって人並みの性事情はある。ただ綺麗で生きたいのには理由があって、軽い性行為もせずにご飯だけ食べる出会いがあった。←(これはゲイ界隈では異常なことである。)このリアルがすごく楽しくて嬉しくて仕方がなかった。僕でもこんな出会いが出来るんだって光があるんだってキラキラした。こんな出会いを続けていたい。当たり前に会話出来ること、性のしがらみ抜きにただ友達みたいに居れることが凄く、凄くすごくすごく嬉しかった。
ZOCの「CUTTING EDGE」が好き。俺を奮い立たせてくれるのは正面を向く、大きな旗を掲げた少女達の姿で、社会そのものが嫌いなひねくれた僕でも前を向いていいんだって思えた。
心も体も男の子ですが、いつかフリルがついたスカートを履いて、ステージの上で踊ってみたい。正しく愛してね。ずっと。