恋について24/10/22
こんばんは。最近は体調を崩してやることが無いので珍しく三日連続で日記を更新しております。誰に見られなくとも今日を良い日にすべく家でもできる行動を積み重ねるのはいい事ですよね。ええ。基本私は三日坊主で日々の積み重ねとかが苦手なら人種なので、よし向き合おうとnoteの作るボタンを立ち上げ文字を打ち込んでるのは中々に自分にとってすごいことだったりします。
別に今日なにかあった訳とかでは無いですが自分が日々考えてる恋愛観とか自身の恋バナをしようかなと思います。
度々書かせていただくこともあるのですが私、同性愛者という理由に限らず、生まれて19年間恋人という存在ができたことがありません。理由も特にありませんがノンケの方に割と長く想っていて、ほんの少しだけSNSを用いたり現地のに赴いたりといった積極的なゲイ社会に参加する方法を知らず大学デビューしたということでしょうか。
アピールとかではなく何度か異性の方から告白される場面もあったのですが、自分の経験のために恋人を踏み台にするのはなんだかよろしくないなぁと思って断った事があります。今思えば経験のために恋人を作ることを悪として思っていましたが中学の未熟な段階でなぁなぁで付き合っているカップルなんて割といたし、薄情ではありますが付き合ってみても良かったななんて思ってます。中学の頃モテたので高校でもモテるだろうから今作らんでもええやろ笑と思っていたら高校ではまず友達すらできず卒業してしまいましたし……。
話を変えまして最近になってちゃんとした好きな人というのが出来まして。今までノンケばかりに片思いしていた自分とは違い、しっかりと同じゲイの同世代の方に恋をしました。今まで接点のないノンケばかり好きになっていたので知らなかったのですが、好きな人とメッセージを交わせることってめっちゃ嬉しいことを最近ようやく知りまして、逆にこれを知らずに自分よく生きてこれたな、なんて思いました。ぴゅあっ子として生きてきたので経験してないことが多すぎるんですよね多分。今回好きになった方というのも中々に高嶺の花というかフォロワーを価値としてみるのは良くないけど中々に壁が大きいというか、俺とは住む世界が違うような方を好きになってしまいました。
彼はガッチリ鍛えた年上が好きで住む場所もエグい距離離れているので接点のないガキと付き合う事なんて微塵もないとも思っていますが、でも彼から発せられる言葉一つが愛おしくて迷惑にならないかな?なんて思いながらふとした時にトーク欄を眺めたりメッセージを飛ばしてしまいます。全くピュアすぎて困っちゃいますよね。自覚的に生きて自分を慰めるのもちょっと傍から見て気持ち悪いと思われそうなのでそろそろ辞めます。そんな生き方寂しいし……。
ゲイ社会で幸せに生きる道を常に考えています。
ゲイという人種はSNSで交流を増やすという性質上、おじさんになっても承認欲求と向き合わなければならないですし、まずゲイの方が使用されるSNSは視覚化される数字によってカースト化しやすい傾向にあると思います。男性が持つ優生学思想がSNSがもたらす数字の可視化によって明らかになったという所もあるかもしれません。
おじさんになるにつれ一般的な優生学思想から外れていき、承認欲求もマトモに得られない怪物と化していく。若者ゲイの9割いや、10割がこの思想を片隅に抱えながら生き続けてるように思います。
承認欲求と向き合わないようにするには、一生を添い遂げられるような安心できるパートナーを見つけることが必要だろうと思います。しかし実際問題、一般家庭の夫婦であっても一生を添い遂げたいという綺麗な理由で関係を続けられる方は中々にいらっしゃらないんだろうなぁと思う。
でも僕が思う幸せそうな形は互いに添い続けることだと思うし、そういう方を見ると理想的だなぁと思う一方自分には無理だろうなと卑屈になってしまう心もあります。経験不足故の自身の無さもあるのでしょうか。
前半と後半の落差が激しいな。
とりあえず彼氏が欲しいです。
好きピが一万を優に超える同世代フォロワーさんに言い寄られていてもう勝ち目ガチで無いジャーン。(ダンビラムーチョみたいに)と思ってしまいます。
咳が強くなってきたし今日も早く寝ます。
以上。ひがしでした。