19歳、肌と体以外の価値を教えて
社会の情報化が加速していく中、2024年に19歳として生存していることの幸福たるや…替えるものなどありゃせんなと感じる。
艶のある肌に、スマートな体、無数に広がる選択肢の数々が「若さ」という言葉に集約され、皆それを羨み尊んでいる。「若い」のはどうやらSSRの強武器らしいことを消費者も生産者もなんとなく理解して、アイドルやパパ活なんて言葉が生まれた。今は節度のある大人として生きることを目標にしているから若さを武器に大金を得ようなんて微塵も考えていないが、もし僕が道徳心を棄ててコスパ良く生きることを選択するのであれば、迷わず体なんぞくれてやっただろう。生産者も消費者も価値を知りすぎたのだ。「若い」ことに値踏みを付けられるのが当たり前になってしまった。
「若い」という価値を自覚してしまい、素直に生きることが出来ないと感じる瞬間がある。
年上の方と接する時に、相手が私の「若さという価値」に目をつけているのか、「私自身」を見てくれているのかがもう分からなくなってしまったのだ。答えはどちらともはい、でしかないのに「若さという価値」に目をつけられているなと感じてしまうと、相手が自分が所持している財宝に目をつけた盗っ人のようにしか見えなくなってしまう。若さという価値には目をかけて欲しいが、搾取はされたくない。我ながらめんどくさい性格に育ってしまったと思う。
ゲイというコミュニティに属している。出会いの場は、基本SNSかゲイが集まる地に赴いて初対面で顔を突き合わせるのが一般である。極狭なコミュニティで「若い」というルッキズムは当然の如く強烈な効果を発揮する。SNSでも初対面で会うことになろうとも、年齢を公開しただけで、無意識、無差別に「若い」という武器を行使したことになってしまう。19歳という付加価値にどうにか縋りつこうとするオジサン達(初対面でエロを目的としている方々に限る)、処女性(経験が無いこと)に価値を感じてしまう人にもう辟易してしまう。一人の男として見てなんて使う日が来るなんて思っていなかった。
とはいえ私自身も「若い」を行使してしまう。初対面で会う人に飯を奢ってもらうことも正直「めちゃくちゃありがたい…」と思ってしまうし、孤独すぎる時には「若い」を行使した出会いでもいいから心の隙間を埋めてくれ〜😭😭と思ってしまう。「若い」が故に自尊心・自己肯定感を安定させているし、若くなくなって25歳になって何者でも無かったら死んでやろうかななんて思ってしまう。19で生きる苦悩なんて戯言をボヤいてやろうなんて思ったが結局のところプラスもボチボチあって贅沢にケチを付けるのも満足に飯を食えてない人からしたら何様?なんて思われてしまう事案である。この頃言っている孤独が辛いザマス〜😭😭という悩みも、満足に飯も食わず過酷な労働環境に置かれている方々にとっては、大学のモラトリアム期間を上手く過ごせなかったやつの戯言なんて本当にどうでもいいなぁぐらいにしか思えない事だろう。贅沢な暮らしをしている奴のないものねだり程に腹立つものは無いという意見に関しては賛同しかないのだが、その贅沢な暮らしの渦中に今自分が存在しているのだ。
19だからなんでも出来るよ。周りの大人は贅沢に悩む僕にいつもそう声を掛けてくれた。希望する職種もある程度決まっていて、何事も無ければなりたい職業には就ける位置にいる。決まった道に進むために大学にあと3年間通い続けて、終身まで働くならば43年間決まった道を更に歩き続ける。なんでも出来る僕の道には地盤が安定した一つの輝かしい未来があって、他には暗くて見通しが無い道ポツポツと続いている。
今という「若さ」に甘えて老いるうちには何をしたらいいのかが分からないまま生きている。何も分からないのでただ実直な今を書き続けている。