愛を書けない/24/11/20
最近は幸せに生きていますと言ったがあれは嘘だ。直近で幸せの貯蓄が随分と増したからトータルで見たら幸せなだけで、直近で幸せなことが続いている訳では無い。最近少し嫌なことがあったので幸せ値が下がってきている。音楽と恋がなかったらやっていけなかったかもしれない。恋と言ってもなにか嬉しいアクションが起きた訳じゃなくて。君がSNSを更新して楽しそうにしている姿をふと眺めて勝手に幸せになっただけです。君と話して救われた、とか君の声で救われたなんてことは無い。質素で慎ましい恋である。こんなんで満たされるぐらい俺は単純で、愛を知らない未熟者である。俺は恋に生きてきた男という訳では無いし愛に生きてないのは間違いない。俺は愛が分からない。互いを愛し合う存在が傍に居て尽くし合い、互いを思いあい個を控えることがどんな事かの想像がつかない。のめり込む程の何かが俺にはなくて熱中するほどの何かや誰かに当てはまる固有名詞がどこにもなかった。そんなつもりは無いのだろうけど健気に別れ話や付き合っていた頃の話をできる人間はそれなりの経験があって羨ましい。
反対にずっと孤独な俺の日記は楽しくなさそうで陰鬱としている。書いている俺が不快な気持ちを率直に書いているのだから読んでいる人たちも不快に違いない。少なくとも楽しい気持ちになることなんて無いのは自明である。
愛を書きたい。自分が活字にする愛はなんか嘘っぽくて小っ恥ずかしくてすぐ消してしまったし、自分が書いた愛なんて見返したくもない。愛を書くことに真剣になれない俺が悪いのもあるが、その前に愛に至る経験が一つもない事が悪いに違いないと今でも信じ続けている。
だが勘違いされたくないのは俺は愛を知りたいと口にするが、実際に行動をしない人間ではなくて、俺だって愛を知ろうとしていたのだ。19になる前のことである。その頃の俺は誰でもいいから愛を知りたくて、相手の愛を通じた承認欲求を求めていて乱雑な生活を送っていた。19になってそれが正しく思えなくて勝手で気持ち悪い人間だと内省したのでやめた。今は塵ひとつ無いほど綺麗か?と問われればそんなことは無いが、堂々と前を向いて歩ける人生だと思っている。愛は個人が作ろうとして作るものではなくて、互いが求め合うタイミングで出来るものであったのだ。だからどうしようも無い。相手の愛に対して、愛のようなもので返す他無いのである。そんなことはもうしないけど。
ゲイ特有のイベントに参加して色々な優しい友達が出来た。イベントの時は互いに好きな音楽とか好きなタイプの話だとかをして良い関係だと思っていた。お互いにTwitterをフォローしてインスタをフォローした。仲良くなった子が過去にしっかり陰部をSNSにあげていて、R18絵をRTしていて気持ち悪くなった。それが悪いことかは俺に判断しかねるのだが、俺はそんな一面見たくなかった。ずっとただの友達でいたい。当たり前でいたいよ。俺は生きるのが下手だ。この世界でちゃんと生きていきたいのに社会に染まろうとする度に、世界を気持ち悪く感じて、いつか自分が社会に染まって人目を気にせず性にオープンな性格になってしまうんじゃないかと怖くなってしまう。ただ愛と恋を知りたい。こんなこと誰も分かってくれない。こんなことを書くと社会に居場所がなくなっちゃうから自分を押し殺さなきゃいけないのに、またこうやって文字に起こして気持ち悪い文を書き上げている。俺は普通に暮らす一般的な大学生よりも、普通に生きるゲイの人よりも気持ち悪い。
おれを君たちの正しいにしてほしい。俺の当たり前が当たり前じゃない世界なんてもう嫌だ。