手に入れたら満足してしまうのかもしれない
どうも。
東野京(ひがしのみやこ)です。
前回妹と火事のエピソードを記したのですが、後からもう一つ付随するエピソードを思い出しました。
今回はその件について記していきたいと思います。
↓前回の記事はこちら
着の身着のまま
前回の記事でも触れた通り、私の実家が全焼して生き残った妹を引き取って同居していた期間がありました。
私が大学3年〜卒業迄の約2年間、町田市の外れにあるボロボロのアパートでの二人暮らしです。
私はショックで一年くらい自炊(正確には火の使用)が出来なくなっていたのですが、妹は特に気にせず料理をしていたように思います。
妹が強いと見るか、私が繊細過ぎると見るかは人それぞれでしょう。
また、角度を変えてみると、妹にとって食事は数少ない楽しみだったのかもしれません。
着の身着のまま、全てを失った状態で見知らぬ土地で仲良くもない兄と二人暮らしなのですから、どこかにストレスの捌け口が必要だった可能性も否めないでしょう。
当時はそこまで考えられなかったのですが、今思えばそんな気がしてきました。
妹が欲しがったもの
ある日、妹はどうしても欲しいものがあると言い出しました。
必要なものであれば購入しようと私は思い、妹の話を聞きました。
その時に妹が欲しがったものは「no!no!HAIR (ノーノーヘア)」というもので、ヤーマンが手掛けるシェーバーの亜種みたいな物です。
刃で剃るのではなく熱線で焼き切るので肌へのダメージが少ないというのが売りだったように思います。
あの頃流行っていたなという懐かしさと、今もまだ存在していたのかという驚きと、ヤーマンの商品だったのかという驚きとが私の中で入り乱れています。
妹がムダ毛を処理するために必要だと言い出し、そう言われてしまうと深く突っ込めないので、購入することにしました。
それなりに値がするため、買ったら大切に使ってほしいという話をしたのを今でも覚えています。
ノーノーヘアを買ってみて
何となく察しがついた方もいらっしゃるかもしれませんが、ノーノーヘアは一度しか使われませんでした。
何がダメだったのかはよく分かりませんが、大事に使うと約束をしてもそうなるのが世の常なのです。
大きな子を育てているような気分でしたが、妹は自立をして一人暮らしが出来るまでになりました。
中々働きはじめてくれませんでしたが、妹が勤務先を決めてきた時には泣きそうになったのを思い出します。
いつの間にか転職をして転職先の倒産を2回連続で経験して、今も何かしらの仕事をしているようです。
勤務先が2回連続で倒産は中々凄いですよね。
かなり脱線してしまいましたが、放置されていたノーノーヘアは私が引き取りました。
期間は忘れましたが壊れるまで使っていたと思います。
壊れた後で新しいノーノーヘアを迎え入れる程の愛着はありませんでした。
すぐまた生えてくるという意味では結局剃るのと変わりません。
それならば脱毛機の方が処理頻度が少くて良いというのが私の持論です。
(剃る派の人を否定しているつもりはありません)
光脱毛器も気になりますが、価格の面から手が出せないというのが現状です。
またしても脱線してしまいましたね。
今思えば
当時はせっかく買ったのに使わないなんて酷い。
どうしても欲しいと言うし、ちゃんと使うと言ったから買ったのにという憤りを感じていました。
しかし、よくよく考えてみると、妹がノーノーヘアを欲しがったのはノーノーヘアが欲しかったからではないのかもしれません。
X(旧Twitter)で以下のポスト(旧Tweet)が話題になっていました。
「恋人が欲しいなあ」
— 良性腫瘍 (@Tsiolkovsky1961) January 15, 2024
「本当に欲しいのは恋人ですか?ホームセンターに来る人が本当に欲しいのはドリルではなく穴なんですよ」
「なるほど、つまり私が本当に欲しいのは恋人ではなく「精神の安定です、精神の安定ですよ」
上記の内容を見て、私は自身の思い違いに気付きました。
妹が欲していたのはノーノーヘアではなかったのであろうというのは当時から何となく察していました。
しかし、それはあくまでムダ毛処理において望むパフォーマンスではなかった等、目的が果たせないから放置に至ったのだろうと誤認していたのです。
今思えば、ムダ毛を処理することが目的だったのではないように思います。
本当の目的は火事で発生した喪失感の穴埋めだったのではないでしょうか。
全てを失ってしまった中で、何かに満たされたい、物質的な豊かさを心の何処かで求めていたのではないでしょうか。
たまたまその時のターゲットになったのが流行りの美容アイテムだったというだけの話のように思えてきたのです。
本人にはそんな意思はなかったかもしれませんが、無意識下に喪失感を穴埋めしようという働きかけがあった可能性は否定できないと思います。
そう思うと、当時怒ってしまった事は悪手だったように感じられます。
時が経ったり視点を変えてみないと見えてこないものもあるのだなという学びを得られました。
ありがとうX。ありがとうノーノーヘア。
おわりに
こうして過去のエピソードを記す度に当時の己の至らなさに赤面するばかりです。
きっと今の私も、将来の私にとってはそういう一面を孕んでいるに違いありません。
先の長い人生で、今後も成長し続けていければ良いなと思います。
生涯勉強ってやつですね。
最後までお目通し下さった方、ありがとうございます。
また何処かでお目にかかれたら幸いです。