稀代の天才、上岡龍太郎氏を偲んで

現在お笑い界の頂点に立つ男である松本人志。彼が師と慕ったのが島田紳助であり、島田紳助が師と慕ったのが、先月亡くなった上岡龍太郎である。しかしそのような偉大な人物であるにも関わらず、調査をしたところ2004年度生まれの僕の同級生で彼の名を知っている人はほとんどいなかった。

それもそのはず、上岡は「俺の芸は21世紀には通用せえへん!」と言って2000年に芸能界を引退しており、それ以来公の場に姿を現したのは2007年の横山ノックのお別れ会の時のみなのである。島田紳助も引退してしまった今、彼の名をテレビで聞くことはほとんど無く、若い世代で彼を知らない人が多いのも無理はない。しかし中学・高校と演劇やお笑いをやっていた私は、当時喋りの参考にするべく彼の動画を見漁っており、私にとって彼は青春時代の一部と言っても過言ではないような存在だったのだ。彼の訃報に接して、尊敬する芸人上岡龍太郎について久しぶりに語りたくなったのでnoteを書くことにした。

ど素人の大学生の分際でこのようなことを申し述べるのは大変烏滸がましいのだが、上岡龍太郎の凄いところを挙げようと思う。まず、話し方にそこまで抑揚がないことだ。重要ではないところは素速く小さい声で読み、重要なところはゆっくりと大きな声で読む。これは喋りの基本事項であり、ほとんどの話が上手い人間はこれを実践している。しかし上岡の場合は、全く抑揚がないとは言わないが、基本的にワントーンで早口で喋る。素人がこれをやれば「何言うてるか分からん」と聞き手に一蹴されてしまうが、上岡の話はすっと頭に入ってくるのだ。

二つ目は、えも言われぬ説得力があるところである。実際彼の発言には矛盾が多かった。「ゴルフなんか絶対にしない」と言いながら、引退後にゴルフのシニアプロを目指して渡米してみたり、「東京は文化のレベルが低い」と言いなかなか東京には進出しなかったものの、1990年に東京進出を果たしてから在京各局でレギュラー番組を持つようになってみたり、息子の聖太郎氏が言うように矛盾の塊のような人物だったのだ。しかし彼が話すと、不思議と「なるほどぉ〜」と唸ってしまうのである。上手な話し方というのはコツがあり、なぜこの人の話は聞きやすいのかというのは大体説明できる。そのため上手な話し方は練習すれば会得できるものなのだ。しかし上岡龍太郎の話がなぜあれほど説得力があるのかはうまく説明できないのである。あれは稀代の天才上岡にしかできない芸当であろう。

最後三つ目。これは芸人としてではなく人間として凄いと思うところなのだが、引き際がかっこいいのである。彼ほど成功し世間からの脚光を浴びれば、普通はいつまでも芸能界に居座り続けたくなるものである。しかし彼は自分の賞味期限を客観的に分析した上で、時代に置いていかれ芸人として恥をかかないよう58歳という若さで綺麗に芸能界から引退したのだ。その後一度を除いて公の場に姿を現すことはなく、亡くなる時も「お別れの会は開かない」という意向を示し、最後まで世間の注目を浴びないよう努めた。矛盾の多い人物でありながら、芸人としてのあり方には筋が通っていたのかもしれない。

立板に水を流したような流暢で切れ味の鋭いトークで人々を魅了してきた上岡龍太郎だったが、本人が引退時に「俺の芸は21世紀には合わへん!」と言ったように、彼の話芸はもう時代に合わない古いものなのかもしれない。しかし、上岡イズムはまだ残っている。生前自身のことを「恵まれない天才です。」と称していた上岡に対し、「運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。」という粋なコメントで弔意を表した息子の聖太郎氏には間違いなく上岡イズムが受け継がれているだろう。上岡龍太郎の芸が時代の流れとともに忘却されることなく、いつまでも人々の心に残り続けることを心から願っている。


上岡龍太郎さんのご冥福をお祈り申し上げます。




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