断食芸人
短編小説『断食芸人』の主人公は、世間に様々な娯楽が増えて自分の芸が見向きされなくなった時代になっても、今まで通り檻に入って断食を続けます。
でも、ほとんど誰にも注目されずに、結局は餓死してしまいます。
彼は最後に、雇い主にこんな告白をしました。
「実は、何も食べたいと思えるものが見つからなかったから、今までこんな芸をやっていたんだ」
作中の前半では、彼がいかに自分の芸に対して熱意と誇りを持っているかが描写されていて、「興行師は私に40日までしか断食させてくれない…自分の能力ならもっとやれるのに!」とさえ思っています。
なのに、時代が変わって誰にも注目されなくなると弱り果てて最後の最後で「今までの断食は惰性でやってたんだ」と、全てを否定してしまいます。
これを初めて読んだとき、「自分は絵を描くのが趣味だけど、もしかしたら勉強も運動も人との会話も何もできない人間だから(=何も食べたいものがないから)お絵描きが趣味になっただけなのかも…」と不安になりました。実際そうだと思う。でも他にできることもしたいこともないので気にしてもあまり意味ないですね。
この小説は主人公が死んだ後、もう少し続きます。
「彼の死後、空の檻には代わりに一匹の豹が入れられた。自由に飛び回り、肉を喰らい、口からは強い熱気を吐き出す。檻を取り囲む観客はそんな豹に魅了されて、一向に離れようとしなかった。」
誰の興味も引けなかった主人公とは対照的です。
主人公が入っていた檻は、無理して惰性で断食を続けて心身を蝕んでいく彼の自意識を象徴しているのに対して、豹を囲む檻は単なる物理的な障壁であって、本能のままに躍動する豹と観客との間を隔てるものはそれ以外に何もないのです。
きっとこういう風に活発で能動的で周りを魅了するような態度が熱意と呼ばれるものであって、食べたいものがないからと断食芸に縋った主人公の消極的な態度とはかなり違います。
(AIに取って代わられるまでもないカスが案ずるのもおかしいけど)これからAI絵画がどんどん発達して、もし人の描く絵の需要が激減する時代になったら、執着や惰性で絵を描くタイプの人間は檻の中で餓死しないようお絵描き以外の趣味を見つけて心の拠り所にする必要があるのかもしれません。