滝山病院事件はなぜ起きたのか NHK番組解説
滝山病院に関するNHKの番組を見て
驚いた方も多くおられると思いますが、
衝撃だけは感じても、
それが何なのか、
何故起こったのか、
背景にあるものは何か、
などはおそらく一般の方にはほとんどわからないと思います。
ですので、
真実はわからないまでも、
現場目線から想像がつく範囲をお示しすることで
ご理解の一助としたい、と思い書いてみます。
まず、入院患者に対して看護師が暴力をふるう映像が出てきます。
もちろん許されざる行為です。
ただ、看護師の口調は汚いながら何度説明しても、患者側も(食事の時間がまだであることなどの)状況が理解できていない様子も同時に写されています。
つまりそれなりに重症であり処遇困難な人が集まっているという事情も窺えます。
もちろんだからと言って暴力は許されません。
とはいえ、このような映像や音声が流出している、ということは内部にこれを問題視して告発した良心的な人がいる、ということです。
これは少し救われる気持ちです。
次に、退院希望のために弁護士を呼んだ入院患者の映像があります。
ここで重要なのは、
精神科病院では人権侵害を疑われるときに外部と連絡できるように、
行政職員や弁護士への通信・面会の自由確保が義務付けられている、ということです。
そして弁護士が撮った映像では、個室で面会しています。
つまり、暴力行為を行っていたと疑われる病院ですら
最低限のルールは守っていることがわかります。
これは意外にも思えますが重要です。
完全に外部と遮断するつもりではないということです。
一方で、患者から家族に当てた手紙は出されておらずカルテに挟まれていたこともわかりました。
精神科病院においては、通信の自由は極めて重要で、決して制限してはいけない権利です。
人権侵害があったときに外部と連絡する手段の確保のためです。
封筒に危険物が同封されていると思われる時ですら、勝手に廃棄せず患者と職員が一緒に確認する必要があるほどです。
つまり手紙が出されていなかったことはかなり大きな問題なのです。
一方で、破棄するのではなくカルテに挟んで残している、というところに、
そこまでの強い意図があるわけでもない、
という様子も垣間見えます。
そして弁護士と面会したこの方は
知的能力障害に統合失調症を合併し、腎不全で人工透析をしています。
これもかなり重要な点で、この方は最も対応の困難なタイプの人ということです。
まず、知的能力障害は基本的に治癒はしません。
統合失調症を合併しているということも重症感を醸し出します。
そしてこの事件の最大のポイントが人工透析です。
人工透析ができる精神科病院というのが極めて少ないがために
人工透析のできる滝山病院に他県からでも頼らざるをない、という状況が生まれています。
また、この方は弁護士に、
職員から暴力を受けていることを訴え、
「本当はお母さんのところに戻りたいのに」
と言います。
ここも重要です。
お母さんのところに戻りたい、のに弁護士に連絡しているのはどういうわけでしょうか。
お母さんに直接言えば退院できるはずです。
そうなっていないということは、残念ながら、母は退院を望んでいないのではないか、ということが想像されます。
ここもポイントで、この病院には、
家族も連絡を取りたくない、
と思ってしまうほどの状態の人が入院しているのです。
しかし、本人はそのことに気づいていなさそうです。
病気であるという認識(病識)が乏しい、というのは統合失調症の特徴でもありますが
それ以上に、知的能力障害によって状況が把握できておらず、素朴な欲求を訴えるのみしかできない状態である可能性も考えられます。
知的能力障害の方は、一見した印象よりも大きな社会生活上の困難が生じることが多いことにも留意が必要です。
そして、次に滝山病院が
50年以上にわたり地域の精神医療を担ってきた
と紹介されます。
実際、そうなのでしょう。
そして
入院患者の多くの家族が音信不通であることも紹介されます。
病院職員がインタビューに、
「家族が疲弊して入院させる、家族には社会的立場もある」
などと述べます。
つまり家族からも拒絶されている人が多いということです。
しかも、看護師から病状を連絡しても
「そのぐらいで連絡してこないでください」
と言われたり、
「遺骨も引き取らない」
という家族も多いようです。
これに関しては、滝山病院の問題ではありません。
家族の身勝手、と捉えることもできますが、
世間の偏見、差別は家族の責任ではありません。
それまでに家族は疲弊しきっていた、ということでもあり
そうなる前に、サポートする体制を作れなかった社会の問題とも言えるでしょう。
そして再度、
人工透析ができる精神科病院はごくわずか
ということが紹介されます。
滝山病院が
身寄りがない人の受け皿
であり、
他病院から紹介されることも多く、
受ける方も出す方もお互いのためになっている
との指摘も紹介されています。
家族だけでなく他病院でも処遇困難なケースを
滝山病院が引き受けている、ということがわかります。
この点も滝山病院に落ち度はありません。
次に、統合失調症で透析中の方が、
被害妄想のため透析クリニックへの通院を拒否したことがきっかけで滝山病院に入院したケースが紹介されます。
保健所の人5人が来て「保護する」と言われ、車に乗せられたそうです。
しかし、これはやむをえない面があります。
透析を拒否しているのを放置すれば命を失います。
無理矢理にでも透析ができるところ、
しかも統合失調症の治療もできるところ
に入院しなければ死んでしまうのですから背に腹は変えられません。
そして、結果的にこの方は今も生きています。
しかも退院して一人暮らしができています。
つまり、滝山病院で治療が出来たから生き延びられた、ということです。
ここに関しては、滝山病院は問題があるどころか、
処遇困難な方の最後の砦としての機能を果たした
と言わざるをえません。
次に、姉が音信不通であったため市長同意による入院になった例が紹介されます。
基本的に強制入院である医療保護入院は
精神保健指定医の診断と家族の同意がなければできません。
特別に、家族がいない、あるいは行方不明の場合のみ、
家族の代わりに市長の同意によって入院が許可されるという仕組みがあります。
しかしこのケースでは、翌日に行政職員から姉に、本人が入院した旨が連絡されています。
つまり音信不通ではなかったのです。
ではなぜ、市長同意になったのか。
これは想像ですが、かなり確信があります。
それは、病院に連れて行った行政職員は一刻も早く入院させたかったのです。
もしも家族がその日に病院に来れなかったら同意書にサインできないので入院はできません。
家族がすぐ来れるとは限りません。
来れなかったら連れて帰り、また後日来るしかありません。
しかし、それまでどこで過ごすのかも問題ですし、
何より患者を病院に連れてくる、というのは何度も容易にできることではないのです。
かなりの人手と労力が必要です。
なので、家族が来れないなら入院はまた後日で、
と言われると職員が困るのです。
だから、本当は間違っていると誰しも分かっていながら、
家族は音信不通であることにして市長同意で入院させてしまうのです。
で、入院させたらあとは家族にも責任を持ってもらうために、翌日に連絡するわけです。
事情も気持ちもある程度は理解できるとはいえ、かなり問題のあるやり方です。
その後も、院長の話が録音されており
福祉が「出さんでくれ」と言っている、
と述べていたことも紹介されます。
つまり、行政の側からも患者を入院させておきたいのです。
これも滝山病院自体の問題ではありません。
また、入院患者の54%が生活保護であるとも紹介されます。
生活保護があればそこから入院費が出るので病院も安定した収入が得られます。
生活保護費4兆円中4000億円が生活保護の精神科入院に費やされていると紹介されます。
このように、この事件において生活保護制度の果たした役割は非常に大きいのです。
次に過去にあった神戸の神出病院での虐待事件も紹介されます。
ここでは、神戸市、兵庫県ともに病院に何の指導も行っておらず、職務怠慢であった
ということが指摘されています。
つまり、行政ぐるみで精神科病院の虐待を放置していること、
そしてそれは滝山病院に限らないことが示されています。
滝山病院においても
東京都は虐待の事実は認められなかったと回答し
監査においても、拘束等について高い評価をつけ、指導していませんでした。
つまり、行政による監督は全く機能していない、
どころかむしろ進んで病院を利用していた節が見られます。
そして、朝倉病院事件も紹介されます。
これは数十人の患者に不必要に中心静脈栄養を行い、診療報酬を不正に得ていたという事件です。
この事件で院長は保険医の資格を取り消しになりましたが、
なんと、この院長が数年後に、今の滝山病院の院長になっていたのです。
保険医は5年で再申請可能ですが、再認可したのは厚生労働省です。
厚労省は個別事案については答えられないと回答していますが
厚労省も事情を分かった上で状況を黙認していたことは容易に想像がつきます。
さて、かなり長くなりましたが、まとめましょう。
滝山病院は、虐待行為を行っていた可能性が高く、
それが事実であればもちろん許されるはずもなく、大きな問題です。
しかし一方で、
全てのルールを無視しているわけでもなく、
実際にある程度の役割も果たしながら、
特に人工透析においては、それで命を救われている人も多数いる
など、完全に悪行ばかり、とも言えないのです。
また、
家族も福祉も保健所も行政も厚労省も
滝山病院のような不正が疑われる病院を黙認するどころか
むしろ積極的に利用していた
と見られる点が多々あります。
そういう社会全体の弱みの中で、
滝山病院の院長や職員は
必要悪である、と自認し、
どうせ何も言われない、と高をくくり、
不正行為を繰り返した、
という構造が可能性として浮き彫りになっています。
そもそもの問題の根幹を洗い出しましょう。
それは、処遇困難な人たち
例えば知的能力障害や人工透析が必要な精神科患者の社会的な受け皿が無い、ということです。
滝山病院や各地の同様の病院にしか受け入れ先が無いのです。
そういう弱みの中で、役割を押し付ける構造が
病院の不正の温床となっているわけです。
であれば、答えは簡単です。
受け皿を作れば良いのです。
それはもちろん行政の役割です。
つまりこの事件の最大の原因は、
『行政の怠慢』です。
もう何十年も繰り返されている同様の事件に
精神医療関係者のほとんどはうんざりしています。
本当は何が問題か
分かっているのかいないのか
延々と行政の責任放棄が続いています。
早急に
人工透析など身体合併症の治療ができ、
処遇困難な人にも最低限の人道的配慮ができ、
それをきちんと情報公開できる公的な病院を確保し、
十分な病床数を確保することです。
底の抜けたセーフティネットのために
精神医療全体の信用が失墜し、患者の大きな不利益となっています。
NHKの番組では、明言こそしないものの
その論点の列挙の仕方から、
問題の核心をかなり強く仄めかしているのです。
我々はそれをしっかりと受け止めなければいけません。
かなり長くややこしい解説になりましたが、
精神科医療従事者だけでなく一般の方にも
きちんと実情を把握した上で、
一緒に考えていただきたいと切に願います。