道標、たぶんね
いつかの夕暮れ、灯りが灯っていく住宅街を坂の上から見下ろして、思った。『ここから見える灯りのもとで、一体どのくらいの子が、誰にも言えない秘密を抱えて今日も泣いているのだろう』。
そういう感覚持っているのは私一人ではないと知ることができた研修旅行だった。そのためにお金と時間を費やしたのだと、自覚した。ここまで来れたという道標。暴力被害の自覚から15年の時間をかけて、ありとあらものを賭して、…ここまで来た。
とはいえコレは続く。終わることはなくて、これからもありとあらゆるものを賭していく、そうせざるを得ないだろう。変わったことがあるとするなら、そういう見通しに対して、絶望以外のものも数えられるようになったこと。
世界は私を救わない。
けれど私は世界を繕える。
言葉で、針と糸で、ボンドとハサミで、呼吸と踊りで、紙と鉛筆で。
猫と、コーヒーと、本と、歌と。
それらは私を救うだろう、であるならばそれを私は世界と呼ぼう、世界と呼んでそれを愛そう、すべてなんて、いらないから。
これが私の言葉。これが私の世界です。そうしてやっと私は顔をあげる。
私を救わない世界に、愛想笑いで降り立って。
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