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#6 恐れていた転倒・骨折・入院

12月のとある雨の日でした。
母は、眼科に行くと言って家を出たそうです。
父は「雨だし明日連れて行くから」と言ったそうですが。

しかも、眼科までは、徒歩で30分はかかる距離。
その頃の母は、用がなくても決まった時間に出かけ、行動の抑制が効かなくなっていました。
当然、家族が阻止することは難しく、特に同居の父はいつもイライラさせられていました。

そんな時、恐れていたことが起きました。
転倒です。。

道のり半ばのところにあるスーパーの駐車場で転んだ母を、そこにいたお客さんがスーパーの方に伝えて介抱してくださったそうです。
スーパーの駐車場だったことが本当に不幸中の幸い!小さな路地だったら誰にも気づかれず雨の中で転倒したままの可能性もありました。

すぐに、救急車を呼びましょうと母を説得してくださったそうですが、頑なに断ったそうです。きっと、でかける度に家族に叱られているということは認識できていたのだと思います。

雨の中、スーパーから店長も出てきて、転倒して動けない母を雨が避けられるベンチに座らせると、母は家族を呼ぶからと言ったそうです。
スーパーの方たちは一度店内に戻ったそうですが、1時間以上たってもまだそのベンチで動けずにいる母を見て、なんと店長の車に乗せて自宅まで送ってくださいました。

ここまで書くだけで、その時のことを思い出して涙が出そうになります。

弟と妹は実家の近くに住んでおり、スーパーの店長が運転する車に乗って帰ってきたところを対応し、病院に連れて行きました。

結果は「大腿骨骨折」。
人工骨頭置換手術が必要とのことでした。

一週間後に手術をすることになったのですが、
その頃は、病院ではコロナ感染対策で、面会時間15分と制限されていました。
痛みで起きれず、ご飯も食べないということだったので、私は会社の理解を得て、昼食時間に合わせて面会に行き、食事の介助をしました。

無事に手術を終えたのですが、
経過を見てリハビリに入るという状況で、コロナ感染者増加の状況になり、面会禁止となってしまいました。

その時、転倒・骨折から約2週間が経過していましたが、
母は家族を認識するのに時間がかかるようになり、話さなくなり、時々意味不明なことを発するなど、明らかに「せん妄」の症状が出ていました。

母のことが気がかりなのは確か。
でも、面会禁止となれば何もできない。

ふと、気がラクになっている自分に気が付きました。

これまでの母の安全管理や周りの人たちにかけている迷惑など、今は何も心配しなくていいんだ!と、解放された気分でした。

私たち家族は、術後の経過と退院後の不安にかられながらも、母の入院している約3か月間、心休まる日を過ごすことができたのです。

実家で一人になった父の世話は、別の意味で大変でしたが。。

今日はココまで。


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