【log.02】「ネットがあれば新聞不要」は違う!と思った話
子どもの頃は、
自分と関連することが新聞に取り上げられること、
切り取ってスクラップして喜んでいましたが、
今や「ネットがあれば新聞不要」といわれる。
時代の流れとともに情報ツールが変化し、
確かにネット社会の時代においては、
新聞離れも仕方ないよな~と思っていました。
その反面で私自身は、
仕事の一環ということもありますが、
普段はデジタル版で、実家に行くと紙面を手に取って、
ほぼ毎日地方紙に目を通しています。
先日の広島原爆の日。
朝の身支度中に聞こえているテレビから、
広島県知事のスピーチが耳に入ってきました。
引き込まれるような語り口に加え、
「沖縄」というキーワードが出た瞬間、
更に引き込まれました。
そのスピーチで使われた引用が、
沖縄の教授の論考とのことで更に興味が沸いて、
あとで探して読んでみようと思ったままになっていて。
その週末、実家で地方紙をめくると、
広島県知事のスピーチが特集された記事が掲載されていました。
地方紙の特集には、
広島県側から知事あいさつで論考を引用したいと連絡があった時のエピソードが書かれていました。
琉球新報 2024年8月8日
広島県知事あいさつ、琉球大の上間教授の論考を引用「被爆者の痛み、自分に重ねる」 原爆の日の平和記念式典
琉球新報 2024年06月28日
慰霊の日 痛みを重ね合わせる ひとりひとりの名前に 上間陽子<論考2024>
最近何かで読みました。
「新聞の存在意義の1つは『取材』にある」
並行して甲子園シーズン。
テレビ番組「熱闘甲子園」を見ていて、
高校球児やそのご両親のストーリーにウルっとしながら思いました。
丁寧に、手間をかけて、もしかしたら長い時間をかけて
そんな『取材』があって番組や記事が出来上がる。
「ネットがある」便利さを利活用しない理由はない。
でも「ネットがあれば」って単純なことでもなく、
新聞やテレビの存在意義や価値を考えるきっかけになりました。
といっても、
「ネットがあれば」すぐにSNSにあがってくるよね~ ^^
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?