見出し画像

「上には上がいる」という感情をどう活かすか

はじめに…


「上には上がいる」という考えにどう向き合っているか、という問いがあったので、そのANSWER noteを書いてみることにする。

生きていれば、私の上にいる人をたくさん見てきた。
どんな世界でも、少し目を凝らせば、常に自分よりも上にいる人たちが目に入ってくる。それは、別に悲観的なことでもネガティブなことでもない。
むしろ、そういうものが存在しているからこそ、世界は成り立っているような気もする。

昔、こういう話を聞いたら、私はきっとこう言ってたと思う。
「人と比較するな」
「昔の自分と今の自分を比べて、それだけで良いじゃないか」
確かに、今でもそう思う部分はある。

だが、今、私の答えは変わっていて、そういう返しにはならないと思う。

【上には上がいると思うことは悪いこと?】


そもそも「上には上がいる」と思うこと自体が悪いことなのか?
私はそうは思わない。むしろ、これはとても良い兆しだと感じる。

なぜなら「上には上がいる」と感じる時、それは、何かしらの自信を持ち、ある地点に到達している証拠でもあるからだ。

例えば、私は野球をしていたとする。
そこそこ上手いと言われるレベルであったとして、イチローや大谷翔平のような選手を見て、「上には上がいる」と思うだろうか。
彼らは、もはや「上には上がいる」という言葉で表現できるような存在ではない。あまりにも突出していて、普通の感覚では「上」という枠に収められないほどの雲のいや星の上のような存在だ。

「上には上がいる」と感じる時、それは単なる落胆や絶望を意味するものではない。むしろ、そう感じる相手がいる時、私たちは「もしかしたら追い付けるかもしれない」といった希望を抱くことができるからこそ、その感情が生まれるのではないだろうか。

その人が、「雲の上の存在」ではなくて、自分が頑張れば何とか追いつけるかもしれない、つまり「この人のようになれるかも」という希望を持てるからこそ、「上には上がいる」という感情が出てくる。
希望が持てる、そんな気がする。

だからこそ、あの感情は成長のエネルギーになる。

その意味では、「上には上がいる」という考えは、ただの挑戦を呼びかけるだけではなく、どこかで「自分にもできるかもしれない」という希望とつながっている。そして、その希望を持てるのは、既にそのレベルに達しているからこそ感じることが出来る。

私にとってこの言葉を聞いた時、全くネガティブなイメージはなく、むしろ次の一歩を踏み出すためのポジティブなエネルギーのように響いてきた。

【上だった人も下だった時がある】


また、上にいる人たちも、最初から上にいたわけではない。
誰でも、最初の一歩があり下の位置から始まっている。
もちろん、天才的にすごい人もいるけれど、そのような人は極めて少数派だ。
ほとんどの人は、経験を重ね、試行錯誤の末に今に至ったはず。

だから、私はとりあえずうまくいったこと、うまくいかなかったこと、どちらもたくさん経験するようにしている。失敗は確かに辛い。でも、それを「経験」として受け入れることができると、心のダメージは少なくなる。
成長のためには、ある程度の失敗も避けて通れない。

結局、下を抜け出すためには経験を重ねること
上にたどり着いたと思ったときでも、実はまだほんの一歩しか踏み出していないことに気づくことがある。それが現実だ。それしかないのだ。

継続は力なり」──シンプルだけれど、重みがあって、正しい言葉だ。

【上には上がいるという裏の気持ちは何だろう】


「上には上がいる」と感じる裏には、実は深い問いが潜んでいる。
なぜその感情を抱くのか。

その背後にあるのは、他人と自分を比べて、落ち込んでしまう気持ちだろうか。それとも、自分の成長を感じつつ、次のステップへ進んでいきたいという気持ちだろうか。

私自身は、あまり他人と自分を比べて落ち込むことは少ない。けれど、他の人が「上には上がいる」と感じてしまう気持ちは、決して否定しない。
その感情をしっかり受け入れることが、むしろ大事だと思う。
ネガティブに思えるその裏側には、もしかしたら自分を変える力が潜んでいるのかもしれない。

自分を変えようとするのは、もちろん簡単ではない。いや、変えようとしなくていいと思う。でも、その感情にどう向き合うかがきっと大事だ。
それが、最終的に「どう生きるか」に繋がっていくと思うから。

【最後に】


結局、私は自分軸で進んでいるタイプだから、あまり深く考えないことも多い。けれど、そう思う人がいることも十分理解できるし、むしろそれはネガティブなことではない。
大切なのは、他の人と自分を比べて「どうすべきか」を考えることではなく、自分が今、どう生きたいのかを考えることだと思う。

年齢を重ねてくると、もはや自分を変えようとは思わない。むしろ、どうすれば自分が快適でご機嫌でいられるかを考えることが重要になってくる。
それでも、答えが出ないときは、別のタイプの人に意見を聞いてみることもある。様々な視点を取り入れ、少しでも自分を整えようとする。

私のように、人生の折り返し地点を過ぎた年齢になると、こうした考え方を持っていた時期自体が、少し懐かしいというか、もうそんな風に思うことはなくなったなと感じてしまう。

ある種、若さゆえの特権かもしれないと眩しくさえ思った。まあ、これは余談だけれど。。。


いいなと思ったら応援しよう!