愛情
わたしの名は愛情という。
姓が愛で名が情、愛・情だ。愛情深い子に育ってほしいという想いをこめて名づけたと両親はいうが、たぶんネーミングセンスはコンクリートに詰めて東京湾あたりに沈めてきたのだろう。
街中で見知らぬおじさんが、誰かの娘を「じょうちゃん」と呼ぶ。わたしは「情ちゃん」と自分の名を呼ばれているのか、一般的な「お嬢ちゃん」の「嬢ちゃん」なのか、判断がつかずに困る。
ただ、そういうおじさんの声かけには得てして立ち止まらず、さっさと素通りしてしまったほうがよいことが多いのだと学んだ。
「おい愛情」とフルネームで呼んでくる同級生たちは、ストレートに無視している。わたしをからかいたいという下心が透けてみえているのだから、わざわざ相手にするわけがない。
つまんねーヤツ。
今まさにつまらない人間が、なぜか上から目線で他人を罵っているので、わたしは一人で勝手に面白くなっている。こちらばかり楽しい思いをして申し訳ない。陰口というものは、本人に聴こえるように言ってこそ価値があるのだろうと学んだ。
結局「愛ちゃん」と呼んでもらうのが一番無難なのだが、とりあえず友人と呼んでおくべき友人たちは、わたしの名前を見なかったことにしている。だから、わたしは彼女たちを友人と呼ぶべきなのか判断しかねている。
愛とはなんだろう。
両親から勝手に継がされてしまったこの呼び名は、わたしをますますほんとうの愛情から遠ざけていくばかりに思うのだった。
テストには、自分の名前を正しく書ければ点がもらえるという。
わたしはたまに愛から心を抜いて受情さんになってみているが、意外と気づかれないものだ。
愛に心はなくてもいいのかもしれない。
受け取る側がそこに心を感じないなら、礼儀正しく愛情なんて呼んであげる必要はないのだ。