≪ムキムキにちか≫にぶっ飛ばされたので、ムキムキになって帰ってきます
《ムキムキにちか》とは、『アイドルマスターシャイニーカラーズ』に登場する、『七草にちか』というキャラのストーリーにおける造語だ。
それは、可憐な一人のアイドルが筋肉美を徹底的に追求した肉体改造を経て女性ボディビルダーに転身し、まだ見ぬ世界の強敵に挑戦する物語———。
などではなく、ありふれた一人の少女が一夏を経てただ成長する話である。
しかし、彼女の繰り出したパンチは確かに、強かに、私の胸を打った。
本記事では私が《ムキムキにちか》にぶっとばされた経緯を説明しつつ、七草にちかが持つ魅力を今一度探ってみたい。
これから七草にちかに触れんとする人間が一人でも増えるように、切に願っている。
そもそも
にちかのW.I.N.G.編が実装されたのは今年の4/5だった。
その内容がユーザーの間でかなり話題になったのも、まだ記憶に新しい。
彼女が抱く理想に対する現実との大きなギャップ。
憧憬を抱くアイドルの模倣とその苦悩。
既に実装されていた他キャラのW.I.N.G.編とは異なり、最終的に一筋の光明が見える前向きなエンドだったとは言え、終始に渡って底には重苦しい空気が流れていたように思う。
かく言う私もその空気に中てられ「何かを残しておかねばならない」という思いに駆られて、かつて彼女のW.I.N.G.編に対する文章を書いた。(これ)
が、今振り返ると、やはり全く上手く言語化出来ていなかった。
それもその筈で、都合の良い言葉を拾って並べてはみたものの、結局彼女の魅力の輪郭を自分でも明瞭に捉え切れていなかったように思う。
当時は「何となく好き」という感情だけで勢いでキーボードを叩いていたし、ここ数ヶ月は「もしかしたら自分は話題性に流されているだけなのでは?」という自問自答すらしていた。
その不安や疑念は、初登場時から今までに実装されてきた二枚のP-SSRカードで徐々に氷解していくことになる。
前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入ろう。
※注意※
以降の文章には七草にちかに関する既存コミュの全面的なネタバレが含まれます。福丸小糸のW.I.N.G.編にも少し触れてます。
『七草にちか』という少女のパーソナリティ
まず前提として、私がシャニマスに向き合う上でのポジションは〈プロデューサー〉でも〈ファン〉でもない。
何故なら私は〈プロデューサー〉も〈ファン〉も知り得ない、〈少女〉としての彼女の日常や心情を〈神視点〉で覗くことが出来るからである。
その上で最初に彼女の〈アイドル〉と〈少女〉の部分を切り分けて、特に後者に焦点を当てさせていただく。これは今回私が〈アイドル〉としての側面を見ているだけでは窺い知ることが難しい、彼女の内的な側面に惹かれたからである。
無論その二つのファクターはキャラを語る上で不可分である、という意見もあろうが、ご了承願いたい。
念のために先に言及しておくが、〈アイドル〉としての彼女の魅力は今まで随所で語られてきた。
直近のイベコミュ【OO-ct. ——ノー・カラット】では既にアイドル経験者である美琴と共に実力派ユニットとして名を売っていたし、終盤では高いトーク力をメディア各所から評価されている。
メタ的な話にもなるが、そもそも新人アイドルの祭典W.I.N.G.で10万人以上のファンを引っ提げて優勝している時点で一定水準以上の能力はあるだろう。W.I.N.G.編で自他ともに「普通」のレッテルが貼られていたとは言え、だ。
では、にちかの〈少女〉としての魅力とは。
結論から述べると、その一つには圧倒的な「共感力」があると考える。
より正確に言えば「共感させる力」だ。
人間が他人の気持ちや感じ方に同調する時は、意識的か無意識的かを問わず、相手の体験と自らの過去の経験をリンクさせることが多いだろう。
七草にちかの等身大な生き様はユーザー側にこうしたシンクロを迫る頻度が非常に高く、観測者の記憶を度々刺激してくる。
所謂「あ~俺も昔こういう事あったなぁ」というヤツだ。
ここからはその具体例を幾つか挙げつつ、にちかの内面に迫っていく。
まずは1枚目のP-SSR【まっクろはムウサぎ】にて。
超絶余談だが、筆者はこのカードを引くのに310連(93000石)かかった。
これはシャニマス新規ユーザーへのアドバイスですが、恒常ガシャは退き時が滅茶苦茶肝心です。無理だと思ったらセレチケで回収する選択肢も視野に入れましょう。
閑話休題。
アルバイトやダンスレッスンがスムーズにいかず苛立ちを抱えていたにちかは、それを隠そうともせずシャニP(作中の主要キャラ・プロデューサー)に八つ当たりする。これは【あたりますね】・【もっとあたりますね】というコミュ名でも示唆されている。
ここで留意したい点が2つ。
1点目は、にちかは決して礼儀を弁えていない子でなはいこと。
2点目は、にちかが幼少期に何らかの理由で父親を喪っていること。
創作物の中のキャラクターは往々にして「素直で聞き分けの良い子」であることが多い。
それはそれで可愛いがしかし、現実の10代を思い浮かべれば、にちかのように徒に大人に反発してしまう子供が大半だろう。
況してや彼女の家庭環境を踏まえて邪推すると、彼女は懐が深く優しいシャニPに父性を覚え、怒りの感情をぶつけられる程までに心を許していると考えられる。
加えて、にちかは「自分の立ち行かなさは誰かのせいではなく、自分の責任でしかない」という事を頭で十二分に理解している。
だからこそシャニPという良き理解者に当たってしまう自分が尚更悔しく、行き場のない憤りを感じているのだろう。
にちかがシャニPに向ける言葉の刃。それは全てにちか自身に翻りその身を傷つけていることが【あた】というコミュで説明される。このコミュ名も彼女の発言が巡り巡って、「あたっ!」と言わんばかりの痛みを彼女自身に与えてしまっていることの比喩のような気がする。
自己肯定感が低く、理想と現実のギャップに度々もがき苦しむにちか。
W.I.N.G.編では特に彼女の憧れるアイドル『八雲なみ』の模倣に拘泥し精神的に追い詰められていたが、シャニPの前で見せるこうした強がりの裏にはいつも、「所詮私は○○だから」という自虐的思考がある。
次に2枚目のP-SSR【ヴぇりベりいかシたサマー】を見ていこう。
このカードは最初ににちかが夏休みのスケジュールを考えるシーンから始まる。そう、様々な課題をこなして≪ムキムキにちか≫になるための壮大な計画だ。
ここで敢えて「壮大」と表現したのは、その内容が現実的に遂行できるとは少々言い難い、中々にハードなものだからだ。
現ににちかはその後、「レッスンが大変だった」や「気になる漫画の新刊がでた」という理由から、割と気軽にスケジュールの変更をして課題を後回しにしてしまっている。
シャニPに計画実行の脆弱性を心配されると、図星を突かれて動揺したにちかはいつものように怒る。シャニPの指摘が正論であると彼女は重々承知しているのだ。
恐らくしっかり者の人は縁がない体験だと思うが、私やにちかのような意志の弱い者ほど無茶な計画を立てる。
現実はそう上手くいく筈もないと頭では分かっているのに、だ。
そしてその計画が現在進行形で破綻していることを当の自分が一番肌で感じているからこそ、それを案じてくれる身近な人の優しさを拒み、見殺しにしてしまう。
別のシーン。イメージガールのオーディションを受けるにちか。
彼女なりに手応えがあったらしい。二次審査後には自己評価の低い彼女にしては珍しく三次審査に向けて目を輝かせており、「水着審査だったらやばいから、スナック菓子NGにしないと!」という発言が飛び出るほどに饒舌だった。
だが、現実は厳しい。彼女は残念ながら受からなかった。
捕らぬ狸の皮算用だった。
オーディション当日には自分へのご褒美として禁止していたポテトスナックも食べた。
早朝のレッスンが控えているにも関わらず、仕事の資料だからという言い訳をして夜更かしして好きなドラマを見た。
自分に厳しくあらなければいけないのに、人に見られていないところでは自分に甘くて。
自分に期待していないと嘯きつつ、でも実は少しだけ期待をして裏切られて。
何となく受かると勝手に思い込んでいたオーディションの不合格がシャニPから伝えられた時、にちかは泣きそうになりながら制止を振り切り事務所から飛び出す。
「どうしてあの時もっと真面目に頑張らなかったんだろう」という後悔を胸に、自分への罵倒を叫びながら無我夢中で自転車を漕ぐ。
こういう類の自責の念に駆られた人って、現実世界に大勢いるんじゃなかろうか。
ただ、ここからが七草にちかという少女の「共感力」とは違った素晴らしい魅力なのだが、少なくとも私とは違い、彼女はどんなに辛くても最終的に全てを投げ出して逃げることはない。
W.I.N.G.編の決勝だって、重圧で本番後に息が出来なくなって倒れるほどに精神的に追い詰められても、彼女は戦い抜いた。
拙いけれどそんな確かな強さを持つ彼女は、最終的にシャニPの待つ事務所に帰還してレッスンを再開する。
そうして時折辛酸を舐めさせられながらも、レッスンをして、バイトもして、仕事の勉強もして、宿題も終えて、家事もこなして———。
にちかは頑張った。
夏休みが始まる前は何かに焦って生き急いでいたけれど、紆余曲折を経て彼女が一歩ずつ着実に努力を重ねて前進してきた証は目に見えて現れ始める。
幾ばくかの時が経ち、にちかはシャニPから再度イメージガールのオーディションの打診をもらう。その時のにちかが即座に発した返事はこれ。
緊張しているかを問われた彼女は少しだけ不安そうに「当たり前だ」と返す。
けれども、一夏の峠を越えて≪ムキムキ≫になった少女は、間違いなく芽生えた小さな自信を胸に歩み続けることを選んだ。
ここまでが現状の七草にちかのストーリー展開だ。
飾り気のない、という表現がふさわしかろうか。フィクション的なキャラ付けに現実的な思考回路が程よく落とし込まれた、良い塩梅なデザインのキャラクターだと思う。
序盤で等身大の生を描写してユーザーの共感を誘導しておいて、ティーンエイジのこういう美しい成長を見せられては堪ったものではない。
ここまで上手く殴られたら応援せざるを得ないわね。
ふと、【まっクろはムウサぎ】にて家族に対する夢を笑顔で語っていた彼女のことを思い出した。
他の誰かの模倣品になりかけていた彼女の、他の誰のものでもない夢が叶うことが来る日を、私は楽しみにしている。
「共感」するということ
今回の記事を書いた原動力としてはP-SSR【ヴぇりベりいかシたサマー】が私のハートにぶっ刺さり過ぎたことが非常に大きいのだが、その中でも特にシャニPがにちかに向き合う上でのスタンスはとても印象に残った。
折角なのでそこにも言及したい。そのためにも再度「共感」について考えてみる。
まずはじめに言っておくと、ここまで散々繰り返し使用してきたにも関わらず唐突に掌を返して申し訳ないが、私は「共感」という単語を基本的に好ましく思わない。
例えば今現在東京オリンピックが開催されておりトップアスリートが鎬を削りあっているが、結果の如何に関わらず、我々一般人はメディアを通じて彼らの努力のほんの一端しか知ることが出来ない。映像の中の華々しい・苦々しい結果の裏には、本当は様々な苦悩と苦闘の歴史が存在しているはずなのである。
そうした彼らの体験及びそれに起因する感情は彼らだけのものであり、その聖域に安易に外野が踏み込むことは本来ならば許されることではない。
もっと身近な例でも良い。
恋人にフラれた。友人が亡くなった。そういった時に私は「その気持ち分かるな~」というポーズを安直に取りたくない。取られたくもない。相手は自分ではないし、自分は相手ではないのだから。
本当に苦しんでいるのは、どこまで行っても第三者ではなく当事者でしかないのだ。
では、大切な人間が苦境に立たされている時に我々は何も出来ないのか、と問われれば決してそうではない。
物質的・金銭的に支援する方法もあるし、黙って当たり前のように側に寄り添ってあげるだけでも良い。
【ヴぇりベりいかシたサマー】におけるシャニPの対応は、その最たる例といえよう。
レッスンを熟すのもにちか。
オーディションを受けるのもにちか。
ステージに立つのもにちか。
アイドルにとってのプロデューサーは大事な役割を担っているが、それでも最終的に最前線で戦うのはアイドル本人だ。
眼前の少女がどれほど辛い思いを抱えていても、その体験や感情を肩代わりする権利は無いし、実際問題そんなことは土台無理な話なわけだ。
(ここのシャニPの独白があまりにも好きすぎる。)
それでも彼女を心から信頼し、帰ってくるための居場所を作ってやることなら、進むための指針となる目的地を示してやることなら出来る。それがプロデューサーとしての最も大事な仕事である。
W.I.N.G.編でにちかをアイドル活動に従事させながら何も出来ずに右往左往して天に祈っていたシャニPには違和感があったが、【まっクろはムウサぎ】や【ヴぇりベりいかシたサマー】のシャニPには頼もしさすら覚える。
こうした時間経過に応じたシャニPの成長も、シャニマスというコンテンツの醍醐味の一つなのは間違いないだろう。
話を「共感」というワードの論に戻そう。
上記のような背景・価値観がありながら、何故私はにちかの魅力を「共感力」と表したのか。
当然ながら、対象があくまでシャニマスという創作物であるというのも論拠の一つではある。
にちかと私の間には次元の壁という絶対的な隔たりがあるので、良くも悪くも私がどのような表現を使用しようが彼女の世界に干渉しないという事実は大きい。
だがにちかが何故強烈に人を惹きつけるのかを改めて再考した際、悔しいと言うのもおかしいが、やはり「共感」という語は欠かせないと感じた。
今回私がたまたま〈神の視点〉でにちかの人生を垣間見た時に、自分と共通点の多い言動をする彼女に無意識の内に肩入れしていたと認めざるを得ない。だからこそ「応援したい」と思えてしまった。
無論この魅力は彼女自身が望んで得たものでもないし、〈アイドル〉として作中のファンに通用するものでもない。しかし、シャニマスという作品のキャラとしてはこの上ない個性であり、直接的に鑑賞者の心理に働きかけるという意味ではユーザーに対する強い訴求力となるだろう。
そういう意味もあり、また私のハートをぶっ飛ばしたというリスペクトも込めて、にちかの魅力に対しては敢えて「共感力」という呼称を使わせてもらった。
また、上述した【ヴぇりベりいかシたサマー】でのシャニPの心境にも強く「共感」させられたし、にちか担当のライターの力量の高さを改めて感じる。
十代の幼気な少女に過酷な世界に身を投じさせながら、苦境に立たされる彼女に直接的には手を差し伸べられないという諦観や無力感。そういった歯痒い側面をしっかり描写してくれた点は素晴らしいと思う。
とは言え畢竟上記の二枚のP-SSRを所有していないユーザーからすれば、W.I.N.G.編までの悲壮感漂うにちかしか知らない、つまりその後に展開された彼女なりの夢や成長のストーリーを今もなお知らない状態である。
そういった層に今後どのようにして『七草にちか』を認知してもらうか。
コミュに比重を置いているシャニマスに常に付き纏い続けてきた、そしてこれからも付き纏い続けていく問題だ。
本記事がその課題解決の一助になれば、私としてはこの上ない幸いである。
にちかに負けないように
にちかは夏を超えて「ムキムキ」になった。
それに対する敬意を最大限示すならば、私もこの夏で「ムキムキ」になるしかあるまい。
漢が「ムキムキ」になるために必要なもの。
そう、筋肉だ。
シャニマスの制作プロデューサーである高山祐介氏がかつては筋肉美を追求していた事からも、やはりシャニマスのプレイにおいて筋肉が極めてエッセンシャルなパーツであるという事実は、最早疑う余地がない。
本日は7/31。
うだるような暑さの8月を超え、弛んだ肉体と精神を引き締めて夏の終わりと共に帰ってこようと思う。
かつて運動部に所属していたころは体脂肪率も10%に近かったので、何とかなるでしょう。多分。きっと。恐らく。
その他雑記
【ヴぇりベりいかシたサマー】のガシャ演出。
奥にチラッと見える左の二の腕を含め、夏っぽい爽やかな私服からスラッと伸びる健康的な肢体が良of良。運営の拘りを感じる。
この企み顔好き。
これはにちかを貶す意図は全くないということを事前に強く主張しておくが、福丸小糸のW.I.N.G.編でシャニPの口から語られた「努力が出来るのも才能のひとつ」という言葉は、その場凌ぎの方便ではなく嘘偽りなく本心だったのだなと痛感した。
本能的に欲求を抱える人間としてはにちかのように多種多様な誘惑に後ろ髪を引かれる方が正常であり、寧ろ破滅的なほど愚直に努力を重ね続けられる小糸はどこか突き抜けている。
とは言えそういう差異はあれど、双方ともに自己肯定感が著しく低いにちかと小糸。
キャラクターが成長するために意図的に用意された悲劇や苦境をどこかで期待してしまうのは残酷で不健全なコンテンツ消費の仕方かもしれないが、それでも彼女達が時に躓きつつ立ち上がり、目標に向かって這い上がる姿を見るのが私は好きだ。
シャニマスの中でも特に私の好きなタイプの物語を有する二人が、今後どのような経験を経てどう変化をしていくのか。出来る限り見守っていきたい。
延期になったシャニマス投稿祭が楽しみです。
自分はもう書き上げてあるので、当日は熱意と快楽だけから生まれた謎の文字列を提出します。
了
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