エレファントカシマシのライブに行った
1.はじめに
せっかくnoteをはじめたのに、ゴミみたいな記事しか書いてないので楽しい話をします。2023年はエレファントカシマシの現場に2回行きました。
3月19日の『35th ANNIVERSARY TOUR 2023 YES.I.DO』生まれて初めて有明アリーナにいったんだけど、これがまあメチャクチャ楽しいライブであった。
この当時の私は(いつもの数億倍)いろいろと不安定で、陰と陽、躁と鬱が毎日5分周期で来るというジェットコースターのような精神状態だったため、この日も朝まで行こうか迷っていた。まあでも東京ガーデンシアターが入ってる複合施設(有明ガーデン)行ったことないから観光するか…(※東京ガーデンシアターには行ったことある)と行ってみたらまあまあメチャクチャ混んでいた。フードコートでなんか食べようと思ったら「休日に単独行動の女性は複合商業施設のフードコートに於いて完全に弱者」とゆうことを肌で思い知らされ、この性格なのにフードコートで〝敗北〟してしまい、一人で東雲運河沿いのベンチに腰掛けてビールを飲んだ。会場のすぐそばということもあり、周りはエレカシのファンばかりだったので、万が一当券買えんかったら私は完全に「有明までプレモルを飲みに来ただけの女」になるよなァ…と思った。
私が一人でビールを飲んでいると隣にエレカシ・ファンとおぼしき50代くらいの女性2人組がいらっしゃり、荷物の整理を始められた。失礼ながら会話内容を聞いていたのだが、
「私は『エレファントカシマシ』が好きだから、ミヤジのソロ活動が受け入れられなかったの」
「でもミヤジのソロライブに行ったらとてもたのしかったわ」
「でもやっぱりエレカシが好きだから、今日のライブがすごく楽しみなのよ」
みたいな話をされていて、よかったね…と思った。本当によかったなァとおもった。
この二人の女性はおそらく長年のエレカシのファンで、女性たちの人生の中に「エレファントカシマシ」は非常に大きくウェイトを占めており、うれしい時も悲しい時も常にエレカシがいたので、「宮本浩次のソロ活動」が受け入れられないときもあったんだと思う。でもこうして受け入れられなかった「宮本浩次のソロ」を受け入れ、なおかつ大好きな「エレファントカシマシのライブ」に久々に出会えたことが素敵だなあと思った。喜びを誰かと分かち合うのが人生だよね…(cf.サザンオールスターズ「栄光の男」)。あと「ミヤジって顔がいいわよね~」って言ってて、このくらいの年齢のファンの方も「顔がいい」とか言うんだ…って思ったし、私も50代になっても言ってそうだなァと思った。
私は基本的に「推し活は他人の人生消費最悪外道行為」だと思っているし、周りの友人たちも「心なんて持って生まれてくるんじゃなかった」と言いながらも「オタクやめたら幸せになれる気がするけどオタクやめたら幸せになれない気がする」と苦しみつつオタクをしてるタイプが多いので、基本的に世の「オタクって本当に楽しい!キャンメイクトーキョー!!」といった風潮にはゲボが出るほど否定的である。だが、他担の話聞きながらのむ酒マジでうますぎるし、なにより人を応援することって美しいんだな…という本質的な気持ちに気づかされた。なんでもいい、宮本でもエレカシでも、君が好きなものはいつでも、熱くなった心追いかけ続ける君、この世界で何より美しい…(cf. JO1「Run&Go」※太字:川尻蓮くんソロパート)と思いながら酒を飲んでいたら、女性2人組が帰る準備をしていたところで「ちいかわって知ってる?かわいいのよ~」とか言い出したので「なんで?!?!?!!?????????????」って思った。なぜいきなりちいかわの話をしたのか、エレカシと宮本とちいかわってなにも関係なくない?!と思ったが、女性二人組はちいかわの話をしながらその場を離れたので、なぜ突然ちいかわの話をし始めたのかは今後一生わからないままである。
2.35th ANNIVERSARY TOUR 2023 YES.I.DO
(1)私とエレカシ
とはいうものの、この有明の時点で、エレファントカシマシについて知っている曲は全然なかった。有名な曲とシャッフルしてて流れて「これめっちゃ好き~」って思っておきにいりプレイリストに放り込んでいる以下の曲くらいである。
①デーデ
②太陽の季節
③奴隷天国
④悲しみの果て
⑤ハロー人生!!
⑥今をかきならせ
⑦今宵の月のように
⑧俺たちの明日
⑨穴があったら入いりたい
⑩いつか見た夢を
⑪Yes.I,Do
私は「デーデ」が大好きである。
過去の話になるが、2019年8月12日ROCK IN JAPAN FES2019最終日、ポルノグラフィティを聞くために朝から友人らと3人でグラスステージにいた。
そもそもこの日のグラスは豪華で、MONGOL800→スキマスイッチ→東京スカパラダイスオーケストラ→エレファントカシマシ→ポルノグラフィティ→スピッツ→Dragon Ashというバカの大富豪が好き勝手に呼んできたような順番だったのだが、バンドとバンドの休憩時間(?)には、前方ブロックの客の入れ替えがある。ようは好きなバンドの順番になったら入って、順番が終わったら出ていき、また別のバンドの別のファンがそのブロックへ入る…という仕組みであった。つたわる??
なんか2023年に久々にロッキンに行ったら抽選入替チケット…みたいなやつがあったが、この当時は入れ替えチケット先行とかもなかったので(たぶん)、「エレファントカシマシの時点で前列ブロックにいればポルノグラフィティのときもそのまま居れるよね」という軽率な理由でエレカシ前列ブロックにいた。すみません。
そんなわけで私はこの時初めてエレファントカシマシを浴びたのだが、まあ凄かった。この時の私は『悲しみの果て』『今宵の月のように』『俺たちの明日』くらいしか知らなかったが、まあどれもいい曲なので楽しめるでしょう、くらいの気持ちであった。
宮本は白シャツを着ていたのだが、まあ汗をかいたら透けるので、「乳首が透けててスイマセンね」みたいなことを言い出したので、「そんなこと言わなくていいよ(聞いてないため)」と、なんだこの男…と思ったものの、終盤の「俺たちの明日」からの「今宵の月のように」を前列ブロックで浴びて友人と3人で超絶号泣したんだが、そのときに聞いた「デーデ」にいたく感動して「こんなことをメジャー・ロックバンドが歌っていいんや」と思い、「エレカシといえば今宵の月のように」という浅慮な思考が覆された記念すべき瞬間である。
そこからはそんな記憶があったなァ、程度で数年生きていたところ、たまたま異動してきた職場の後輩がエレファントカシマシと宮本浩次のファンで、誘ってもらって宮本のソロライブにも行き、今に至っている。
しかし私は上記の曲しか知らなかったため、35年の歴史があるエレファントカシマシのライブに行って果たして楽しめるのか?という懸念がなかったわけではなかった。
このときも有明ガーデンのフードコートにいながら尚「いや、これ言っていいのか?」「お金ないし」「来月はSixTONESのライブで大阪行くしな…」とグズグズしていたのだが、友人に「悩む理由が金の場合、払わなかった後悔のほうがデカい」(※座右の銘)と言われたことを思い出し、行こう…と決めたのであった。
(2)ライブ環境
ライブのための「前知識」として、私がエレカシについて知っていることは下記のとおりである。だいたいは職場の後輩から叩き込まれた知識である。
① 宮本浩次を含む4人で北区赤羽団地出身のおさななじみバンド
② 「今宵の月のように」「俺たちの明日」が有名
③ だが本質は「デーデ」や「奴隷天国(※アルバム)」に近い
④ 宮本はだいたいの作詞作曲をしているうえ、歌がうまい
⑤ 縦横無尽楽しかった。玉田豊夢はドラムがうまい
この程度なのにライブ行っていいのかなァと思ったが(しかもどうやらベースのセイチャン(※超絶イケメン)は赤羽ではなく月島らしいのだが)、まあでも私だったら「この程度の知識で行った他担の感想」聞きたいしなァ…と思ったので、いずれ感想文でも書こ~と思いながら「エレカシ35」と書いてあるバッジ(かわいい)を買い、1時間くらい自席でぼんやり時間をつぶしていた。入場後は有明アリーナをほぼ一周メチャクチャ歩かされたので(導線とはいえあんなに歩く必要はなかったと思っている)、靴擦れ女の足は限界だったが、トイレはきれいだった(特筆事項)
座席は当券なのもあり、4階席のほぼ一番上だったので、真ん中のスクリーンはデカいスピーカーに隠れて見づらかった。コンタクトレンズを着用しているが、目が悪いので、メンバーの顔もよく見えず、、気合でどうにかするしかないな…と思った。
コロナ対応のためか1席ずつ空けられており、年齢層は様々であったものの、周りにいたのはほぼ一人参加の女性だった。目が悪いのでほかのブロック(エリア)の客席のことは全然覚えてないんだが、一人参加の男性ファンのブロックなんかもあったんだろうか?
まわりの女性ファンはライブシャツやグッズのパーカー(かわいい)を着ていたのでみんな〝ガチ〟の方々じゃん…となり、「当券追加購入勢なのかなァ」と思うと同時に自分の着ているシャツの背中に「F○CK」と書いてあったことを思い出し、グッズTシャツくらい買えばよかったかも…と申し訳ない気持ちになった。まあでもバンドの〝カラー〟的にはフ○ック・シャツくらいのほうがロックでいいかもなァとド偏見で失礼なことも考えていた。
(3)曲の感想
上記の曲しか知らないので覚えている曲とか思ったことの話だけします。本物のセトリは各々検索してみて下さい。
①最初の方
たぶん私の座っている位置的な問題だと思うが、音響がこもり気味に聞こえて聞きづらいところがあったが、耳が慣れたら大丈夫だったので、耳が慣れてよかった。次の有明アリーナでの現場の参考にしたい。
②デーデ
前述のとおり大好きな曲なので聞けてうれしい。ライブにおいて「センターステージ」と「センターステージに向かう花道」が大好きなので、大好きな曲で「センターステージに向かう花道を『こんなにつまらん世の中も金が片づける』と言いながら歩き、センターステージに立ち、『金があればいいーーーーーーーッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!』と叫ぶ宮本」がすごくよかった。
川尻蓮くんはそんなことを絶対に言わないが、川尻蓮くんに「こんなにつまらん世の中も金が片づける」からのセンステで「金があればいい」と歌われたらメチャクチャ嬉しくて号泣してしまう気がする。金で買えない幸せはたくさんあるが、それはそれとして金でどうにかなる幸せが大体だと教えてくれる名曲。私だって今回の当券は金でどうにかしたし、今後も金でどうにかできそうな幸せはできるかぎり金でどうにかしていきたい。
③宮本
歌がうますぎる。肺活量がすごい。ビックリするほど歌がうまい。私はまあまあいろんなライブに行って、まあまあいろんなフェスに行って、まあまあいろんなボーカルをナマで聞いている自覚はあるし、その上で天は歌がうまい人間の上にも下にも歌がうまい人間を作らない、というのが持論であるが、それはそれとして宮本はメチャクチャ歌がうまい。あんなに「叫んでるのか何言ってるかわからん」と「歌」のギリギリのラインをバチガチの歌唱力と表現力で攻めてるのはメチャクチャすごい。
僭越ながらそんなに宮本を見ていないクソ・ニワカ・ワタシの印象としては、
・ソロシンガー宮本浩次
…純粋な技巧、技術、表現力
・エレファントカシマシの宮本
…魂を削りながらステージに立っているロックバンドのボーカル
という感じがする。先述の後輩が「宮本浩次は大衆芸能、エレファントカシマシは宗教」と言っていたが、ソロシンガー宮本浩次の振れ幅のデカさ、技巧を見ていると「宮本は大衆芸能」なのもわかる。宝塚ファンの先輩に「とりあえず最初はベルばら見とけ」と言われたことがあるが、たぶんそんな感じだと思う(が私は宝塚をみたことがありません)。
縦横無尽の山梨公演にも行ったが、「足の太さや体型が50代男性にしては健康的で生々しい」と思ってしまい少し集中できない部分があったが、目が悪いので(4階席)あまりその辺が気にならなくてちょうどよかった。
④他のメンバー
僭越ながら他のメンバーを全然知らない(北区赤羽以外知らない)のだが、みんな…職人‼️って感じで演奏に徹している感じが良かった。何がいいって、会場を見ない。いやオタクなんて見なくていいんですけど、“徹し”ていて、、、、、よかった。宮本の挙動がうるさい(なぜカーペットをはがすのか)分、“職人ぶり”で相殺されていた。とはいえ宮本の歌唱力に負けない、確立されたというか、「エレファントカシマシ」を「宮本浩次とその他」にしない技術のあるバンドメンバーですごいなぁと思った。あれだけ色んな意味でパワーのあるボーカルだったら絶対に下手な人がいたら負けるし、そもそも下手さが目立つと思うんだけど、一切そんなことがなかった。そりゃ〜35年もメジャーでやってるんだもんね…。失礼いたしました…。
これはメンドルにも地元のおさななじみバンドにも言えるのだが、どうしても「お互いが積み重ねた年月」はエモい(語彙の死)という気持ちがあり、それは“オーディション時代、下積み時代から切磋琢磨していたメンドル”にも“地元の幼なじみバンド”にも言える。地元のおさななじみバンドが過ぎた時間を重ねた上に乗ってやっと届く明日を目の前で見せられると「宮本浩次は大衆芸能」で「エレファントカシマシは宗教」という言葉を改めてかみしめるのみである。
④シンガーソングライター・宮本
また宮本が歌がうまい話をするのだが(なぜなら宮本はメチャクチャ歌がうまいため)、宮本は歌がうまいのに自分で歌詞も曲も書いててすごいし偉いなァ、と思った。教えてもらったところ、かの有名な『今宵の月のように』は、偉い人に「ドラマのタイアップだから、売れる曲を書け」と言われて反骨精神で作った曲らしいが、そもそも「売れる曲を書け」と言われてコレを作れる才能が強すぎる。
宮本がうまいなあと思うのは、「歌ってる時に歌詞を自分の中に落とし込んで歌う」の「落とし込みぢから」とゆうか「咀嚼力」がすごいところである。もちろん肺活量とか純粋な技巧もすごいんだけど、表現力がすごいっていうのは歌詞の読解力の高さに繋がっているかとだとおもう。まあシンガーソングライターなので自分の書いている言葉に咀嚼もクソもないと言われればそうなんだろうが、メチャクチャ読書量がある人なんだろうなと思った。
まず歌詞に出てくる語彙が「本を読む人」の語彙のだと思う。きれいな本を読んで、きれいな言葉を書く、インプットとアウトプットの積み重ねの結果という感じがある。
たとえば「夕暮れ過ぎてきらめく町の明かり」は、「きらめく」という言葉がすぐ出てくるか出てこないかは別として(アイシャドウの宣伝以外で使わねえ言葉)だれにでも簡単に想像つくものであるが、「悲しい色に染まって揺れた」という一節がつくことにより、簡単に想像つくけどどことなくエモい(語彙の死)フィルターがかかったように詩的な世界表現になる。あと「きらめく」の使い方と「きらりと光る」と「輝く」がうまい。「きらめく」と「きらりと光る」と「輝く」は似て非なるものであり、日本語のすごさがわかるんだけど、わかるんだけど、、わかる、なんでか知らねえんだけど、君のおもかげってさァ、きらりと光るんだけど、、、きらめかねえよな~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!まあ今宵の月の話をしてる曲なんで、歌詞にシャイニング系の単語と空が出てくるのはわかるんですが、空に対して「町」という単語の使い方もうまくて、「いつかの町」「見慣れてる町」の対比がすごい。曲を聞けばお分かりの通りどちらも【別物】で、そもそもいつかの町も見慣れてる町も存在しない“概念”なんだけど、聞いてる側に訴えかけてくる解像度が全然違う。いつかの町も見慣れてる町も存在しない概念なんだけど、なぜか私たちの中に共通している概念だし、「見慣れてる町」の「空に輝く月一つ」そ、そこを切り取って描写するんだ……(なぜならばタイトルが『今宵の月のように』だから)今宵の月は「きらめく月」でも「きらりと光る月」でもなく「輝く月」で、この部分を口ずさんでみるとわかるんですが、たぶんメロディ的には「きらめく月一つ」でも「きらりと光る月」でも合うんですけど、ここは絶対に「輝く月」じゃないとだめなわけです。こう、三本柱…というか、「きらめく」「きらりと光る」「輝く」で、三本柱というか「序」「破」「急」感を見せつけられ、歌詞の構成がうますぎてすげえな(語彙死)になるし、単語の使い方がメチャクチャ上手いので、“言霊”って、“在る”のかもしれないなァ…と思った。
歌詞解釈がしたいわけではないのでこのあたりで止めますが、ようは歌詞の中に伏線(誤用)の張り巡らせかたがうまくて、そこを彩る単語のチョイスにものすごく語彙と説得力がある。語彙があるというのは大量にある言葉の中からの取捨選択で、その「大量にある言葉」の出どころが文学作品だよな、という感じがする。たぶんこれは映画とかドラマとかまんがとかが出どころの語彙じゃない気がする。あとこれはあくまでも「歌詞」なので、いずれメロディーがつくとしたら、単語のチョイスも引っかかってくるわけだから、もちろん出どころとなる語彙が相当存在しないといけないはずである。私は歌を作ったことはないので、歌詞から作るのかとか曲から作るのかとかそういったことはよくわからないが、どっちにしてもすげえなァと思う。
そして宮本の場合、一番すごいのが「歌っているのは本人」なところである。咀嚼がすごい。歌手に限った話ではないが、表現の糧となるものは自分の経験が第一にあると思うけど、いわゆる二次情報による体験、つまり人から聞いた話、そして読書体験とかも比率としてはバカにならないのでは、とも思っている。人間の経験には限界があるので、それを補填できるものだと思うし、人間の想像力はそれほど素晴らしいものだと思っているし、ではその天性の「感情移入ぢから」に加えての想像力がどうして育まれるのか、というとやはり読書体験もその一つなのでは?というのが結論である。
よく「歌がうまい」というが、この「歌がうまい」を詳しく見ていくと、彼の声から出てくる歌全体がどことなく文学的で詩的な雰囲気に行きつくのも、たぶん本を読む人だからだろう、という気がする。ただ耳障りのいい綺麗な言葉、エモい言葉を羅列しただけではなく、どこまで読み込んで自分のモノとしていくかの〝技巧〟も含めた表現力で歌うということがシンガーソングライターの真髄だと思っていて、それであと…曲も書かないといけないんでしょ?!歌いやすいメロディーにするのかとか…そういうのあるのかとか…わからんけど…………わからんけどそれらを含めて最初の「咀嚼力」の話になるのだが、つまり今言ったことを全部ひっくるめて「売れ筋の曲を書け」と言われてコレを提出してくるのがメチャクチャすごいので、『今宵の月のように』、名曲だな…と思った。
私は『メンドルのギャルみたいなFCブログ』と『運営の日本語がおかしいトンチキお知らせ文』と『オタクのキショいお気持ち長文』しか読まないので(好きでそれしか読まないわけではないのだが)、結果としてこんなキショい感想文しか書けないし、ましてや一生綺麗なフレーズなんて書ける気がしない。書く予定もないからどうでもいいけど…
⑤風と共に
全然知らない曲だったし初めて聞いたんだけど「み、宮本、美しいな…」という〝限界〟みたいなことを思って泣いてしまった。
⑥ズレてる方がいい
「友達なんかいらないさ、金があればいい」って言ってた自担に「どうせ流す涙ならお前と流したい」と言われたら泣く。
⑦俺たちの明日
35周年記念の有明アリーナのステージで「そんな時間こそ俺たちの人生そのものだったな」「今はそれぞれの道を行く」って言っているのに35年間一緒に活動してきた4人の男がデカいスクリーンに同時に映し出されたらさすがにエレカシ無知の私でも泣いてしまったので、ファンの方々の感情はいかばかりかと思う。これが巷でよく言う「クソデカ感情」ってやつですか?おそらく私が、いやこの場にいたド新規ニワカ超絶ガチ勢すべて含めた〝我々〟が知らないだけで道を分かちそうになったことも、終わりを迎えそうになったこともたくさんあったんだろうし、もっと違う人生が、選択肢や可能性が4人にはあったんだろうけど、「俺たちの人生そのものだった」時間を経て「それぞれの道を行」った結果が35年間、この有明アリーナで見ている景色なのかよと思うと、すごい現場に立ち会ってしまったんだな…と思った。9,900円でこんなん見せてもらっていいの?申し訳ないのでもっと払わせてほしい。ずっと職人に徹していたギターのイシ君が宮本とセッションしたときはさすがにこう、さすがに過ぎたのだが…最後の「そうさ今も同じ星を見ている」で終わるのがあまりにもよくできすぎていて美しかった。星と書いて有明アリーナとルビがつくのかもしれない。あのちいかわマダム2人もこの景色を見て感動しているに違いないと思うと、ライブって素敵だなと思う。
⑧Yes.I,Do
「友達なんかいらないさ、金があればいい」でデビューして35周年で「流れる時に抗うわけじゃない、弱さに抗いたい」って言えるのがメチャクチャカッコいい。かっこよく年を重ねている人は本当にカッコいいと思った。カッコいい大人になりたい。「夢を追う人ならば知っている、いかば道は開けん」ってこれからも『行って』くれることが確約されていて良い。永遠はないことを肌身でしらされている人生なので、永遠の存在、これからも歩き続けてくれることが確約されているのはうれしいなァと思った。
⑨アンコール
アンコールのときに「有明アリーナこんなデカい箱なの?!」と、4階席の遠さと箱のデカさを感じないパフォーマンスとバンドぢからにびっくりした。
⑩待つ男
「ステディのエビバデに捧げます」って言ってこの曲が始まるのは頭がおかしい。
3.まとめ
ひとに自分の「推し」を、いわゆる「布教」するとき、以下の感情が邪魔をすることがある。
①なにもかも全部話したいという感情
②これは私がファンだから神話(サーガ)だと思っているだけで、他人からしたら神話(サーガ)じゃないのかもしれない…という感情
③そもそも神話(サーガ)を知っているからこんなに感情移入して狂っているけど、この神話(サーガ)が伝わらない場合、なんでこんな狂っているの?この人…ってならないかな…という感情
という邪魔な感情のせいで、「私は好きだけど、これをお勧めされた人は楽しめるかな…」と思うことがわりとある。一方で「自担に(良い意味で)なんの感情もない人の中立な感想が聞きたい」ということもある。どっちも邪魔して、なんかこう、キショいことを言ってしまったなあという後悔だけが残ることが多い。
そんなわけで私はいい意味でエレファントカシマシに「感情がない」のですが、トータルで行ってよかったな~~~!!!!!!!!!!!!と思いました。実際、なんも知らない人に「楽しいライブある?」って聞かれたら、「エレファントカシマシ」って答えてますので、明日から私に「なんか楽しいライブある?」って聞いてみてください。きっと「エレファントカシマシ」と答えてくれることでしょう。