今朝、7年間一緒に暮らした愛鳥が亡くなった。人生で初めて飼ったペット。一緒に暮らしていた命が無くなる経験が初めてで、正直気持ちのインパクトが大きい。

向き合う準備をする時間なんて、当然のようになく。おじいちゃんが死んだ時も、そうだったな…なんて感傷に浸っている。命の終わりは、本当にあっけない。

数日前に、知人から譲り受けた鶏の命をいただいた。いただいた命は、剥製、骨格標本、そして食肉と、余すことなく使わしていただくことを前提としての屠殺。自分らの手で命を奪うことをした。僕らが食べている食肉は、こうやって命をいただいて食べているものなのだということを、改めて教えてくれる時間だった。

農家の人が、家畜に名前をつけないという話をきく。上に書いた二つの経験を踏まえて、「そりゃそうだ。」と全納得。名付け、家族のように育てて愛着のわいた生き物(もちろん、家畜だって愛情を受けて育っているけれども)を、自分の手で殺すこと、僕にはできない。

一緒に屠殺に関わった人たちも、「殺す前に名前をつけるのはやめよう。」と、言っていた。生きている時の鶏を抱っこしたりなでたりと、少しの時間だけだけれど関わった。命と向き合った時間。貴重な経験ができたと思う。

そんな出来事の中、同じ場に関わった人に紹介してもらった本。

「いのちをいただく」

ともに生きている命を大切にすること。いただいている命に感謝をすること。そんなことを考えた数日間。

そういえば先月から、ずっと、学校でも死んでしまっていた生き物と関わる中で、命について考え続けていたな。