前夜

長い助走期間だった。ようやく開校。その前夜。

この学校づくりプロジェクトへ参加しようと思いたったことを、ふと、書き残したくなった。力強く歩き出すために、「なぜ今、この場にいるのか?」を再確認したくなった。

人とすごす場、学ぶ場として、僕が心地よさを感じた場の経験が、風越に紐づいているんだなー。

異年齢の人と、ともにたっぷりとすごす時間

小学生時代の、放課後学童保育。一年生から六年生までのいろんな人(もちろん大人とも)と、生活した場。何をするもほとんど決まっていなくて。

「陣取り行こうぜー!」と近くの広場まで子ども達だけで遊びに行ったり、スポンジボールで室内野球をやったり、泥団子作りをしたり、トランプをしたり。

夏休みには、1日中一緒に過ごした。お兄さん達と一緒に夏休みの宿題をして教えてもらったり、買い物に行って一緒に昼ごはんを作ったり(摘んできたつくしを卵とじで食べたりもしたな)。そして、みんなでキャンプに行って、虫取りや川遊びをしたり・・・。僕がだんだんと高学年になるに従って、だんだんと助けたり思いやる側になったり。

(申し訳ないことに)小学校での記憶って全然残ってなくって、振り返ってみると僕の中には、あの学童保育での体験が心地よく残っていた。

思えば、風越HPで書かれていた情景が、それに重なっていたんだよな。

学ぶ楽しさを感じた大学時代

高校生までは、勉強はこなすものだった。学校教育の中で、「学ぶ楽しさ」というものはあまり実感していなかった。与えられた課題をこなすとか、目指す大学に向けての必要な学力をつけるために勉強するだとか、そういう外からの要因が、僕が学ぶ意味だった。(ただ、これは先生の問題というよりも、僕の学習観がそうだったから。僕が出会ってきた先生たち、素敵な人ばかりなのです・・・スミマセンでした)。

教育学部の大学生として、教育系や理科系の専門的な講義に参加する。その中で僕がとても印象に残っているのは、1年次に講義を受けた矢崎教授という物理学担当の先生。学問をとことん愛している感じを僕は受けた。彼が講義するとき、本当に楽しそうに物理学について話してた。

「これはねぇ、美しいんだよぉ。」とニヤニヤしながら語る。(正直、その時の自分は、その内容がさっぱりわからず、「うー…。」と唸りながら、出される課題を夜な夜な学部仲間と仕上げていたのですが・・・。)

それから、教育について学び、その面白さにハマっていく。与えられた講義だけじゃ足りずに、他学部の授業に潜り込んだり、教授に頼み込んで中学校の授業を見学させてもらったり、仲良くさせてもらった現職教員の先生とたくさん話したり、大学図書館に入り浸ってたくさんの本を読んだり、外部の講師をお呼びして学んだり・・・・色々やったなー。なんか、どんどんのめり込んでいったんだよな。新しい何かに出会うことが楽しくて楽しくて。

僕はここに来て、「その子がやりたいことだけがやれるような学校」を作りに来たわけじゃないんだよな。それなら、学校じゃなくても、できてしまう場合が多いもの。(風越って「自由な学校」じゃなくて、「自由になるための学校」だしね。その違いは、ちゃんと自覚したいし伝えていきたい。)

育ってゆく人に関わる人として、その人がやりたいことができるように支えていく一方で、学ぶ楽しさを感じている一人として、その熱量はにじみ出していきたい。

「力強く踏み出すために」と始めに書いてみたけれど・・・

じゃあ、何しよう?ということは改めて特になく。書き終わった今は、「ま、楽しも!」となっている。(おいおい)

でも、書く前から、やりたいこと、やろうとしていることはわかってたんだよなーって書いてみてわかる。

育児という言い訳を使いながら、筆不精にっているここ数年。新しいブログにして(モチベーションをあげ!)、こまめに記録していきたいな、と思う前夜。・・・寝よ。(午前0時ジャスト!)