自分のプロレス観戦のルーツを思い返したりする話
時の流れは早いもので、池袋でDDTプロレス開催してからもう1週間ちょっと経過した。無事に終わってお客さんの楽しそうな顔を見てる時はプロレス好きで良かったなぁって思ったし、また頑張ろうという気持ちになったね。
他人にプロレスが好きだって話すと、ルーツはどこから?って話になるんだけど、自分自身も整理しきれていない部分があるので、ちょっくら文章化して記憶を整理しておこう。ちなみに僕はマニアみたいに深く話せるわけではなく、基本的には浅瀬で楽しんでいるタイプです。これから書く事もかなり浅い話になるのでツッコミは不要でございますよ。
まず、プロレスとの出会いは祖父が全日本プロレスのファンで観戦に連れて行ってもらったことがきっかけ。僕が小学校6年生くらいの頃だったか。ちょうど三沢がタイガーマスクを脱いで三沢光晴として超世代軍を結成した頃。何の試合だったかとかは覚えていないけど、後楽園ホールで、さすがに知識ゼロでも名前は知っているジャイアント馬場を生で見てその大きさに驚き、永源遙のツバで悲鳴を上げ、スタン・ハンセンの入場シーンで盛り上がり、三沢光晴の試合に熱狂した。
まず、プロレス観戦デビューして三沢光晴を見て好きにならないわけがないよねっていう。もちろんジャンボ鶴田の圧倒的なデカさと強さに憧れる人も多いんだろうけど、やはり子供心には超世代軍の方が正義の味方に見えたし、魅了された。受け身の上手さ、多彩な投げ技、異常な威力のエルボー、どれをとっても未だに超えるレスラーはいないと思っている。あの頃に三沢がいなかったらプロレスとの縁は無かったかもしれないな。
そこからは毎週日曜の深夜、日テレの全日本プロレス中継を録画して、若林健治と福澤朗の特徴のある解説を楽しんだ。福澤朗がコーナーのひとつでプロレスニュースをやるときに選手のアフレコをするんだけど、馬場社長はさすがに真似しちゃマズいのか無言だったのが面白かった。あのコーナーは賛否両論らしいけど、僕は毎週楽しみだったなぁ。
ちなみに僕の姉も僕より前にやはり祖父の影響でプロレス観戦に行って、そこから今までずっとプロレス好きでいる。姉は今は米国在住なのだが、何故だかよく分からないが、いろいろなプロレスラーとの交流があり、先日も怪獣ビッグバトルというプロレスを日本へ連れてきていた。本当に何なんだうちの姉……。
そんなこんなで高校に上がる頃までは全日本プロレスを中心に、たまに新日本プロレスも見に行ったりしていた。三沢以外にはダイナマイトキッドが好きだった。残念ながら全日本プロレスでの試合はあまり数を見られていないけども、その少ない試合数だけでも十分に彼の魅力が伝わってきた。もう三沢の試合もキッドの試合も見ることは叶わないけど、今でもプロレスを見ていると彼らが戦っていた姿を思い出す。
さて、高校以降、ここでしばらくプロレス観戦から離れる事になる。漫画であったりゲームであったり友達付き合いであったり、他の趣味も充実してきて、また、日本のプロレス団体もいろいろと変化してきてついていけなくなってきた。自分にとってはプロレスにほぼ触れることのない空白期間となる。
この空白期間を経て、20代前半の頃にまたプロレスに触れることになるのだが、思ったよりも長くなってきたので、その辺りの話は次回にしておこう。
次回、海外プロレスとの出会いとDDTプロレスについて――