大曽根でシェアハウスをする住人たちに話を聞いてみた(1)かっきー編①ーなんちゃってシェアハウス「ひどこ」
名古屋市大曽根に、2021年3月、新たにシェアハウスが誕生しました。
その名も「なんちゃってシェアハウス ひどこ」。
立ち上げたのは、名古屋を中心に活動していた、当時大学生の三人。その三人を中心に、今では大学生、大学院生はもちろん、社会人、休学中のフリーターなどなど、個性豊かな若者たちが暮らしています。
「なんちゃってシェアハウス」の名前通り、みんな自由に出入りして、ご飯を食べにやってきたり、イベントを開催したり、ときに自分の課題意識や関心のあるトピックについての議論を夜な夜な仲間たちと繰り広げたり...。
若者たちのパワーが集まる場所としても賑わう、みんなの居場所。それが「ひどこ」です。
そんなひどこの雰囲気や、ひどこで暮らす住人たちについてもっと知ってもらいたい、という思いと、ひどこ住人の一人でもある私の、誰よりもひどこ住人についてもっと知りたいという強い気持ちのもとで、今回のインタビュー企画は始まりました。
第一回の今回は、「かっきー」こと貝原さん。冷静かつ論理的に物事を考える彼は、ひどこ住人の中でも独特な雰囲気を放つ一人です。しかしながら、個人でラジオ配信をしたり、「哲学カフェ」という対話を中心としたイベントを開催したりと、面白い企画の数々に携わっている彼。
シェアハウスの発起人である三人のなかに、四人目の住人として飛び込んでいった私ですが、その不思議なオーラに引き込まれ、一番始めに仲良くなったのもかっきー先輩でした。
そんな彼が、なぜシェアハウスの住人となったのか。発起人であるほか二人との出会いや、これまでの活動。ひどこに住むようになってからの変化や、ひどこをこれからどのような場所にしていきたいか、などなど。どこかミステリアスな雰囲気のかっきー先輩に、根掘り葉掘りいろいろなことを聞いてみました。
以下、
インタビュアー YU(以下、田中)
今回のゲスト かっきー(以下、貝原)
「ひどこ」で繋がる住人たち
田中:今ひどこっていう場所をどういう風に使ってますか?
貝原:僕はもう完全に住居として使っていますね。他のひどこ住人は、週に何回かこっちに来るっていうかたちをとっているというか、とらざるを得ないというか、そういう状況なので。ある種(他の二人にとってひどこは)"ファーストプレイス"寄りの"サードプレイス"なのかな、って思ってるんですけど、僕の場合はもはや、"サードプレイス"寄りの"ファーストプレイス"になってしまってるっていうか。一人でいるときは完全に僕の家なんですけど。本当にもう、ただの家。
田中:たしかに(笑)
貝原:(ひどこは)「いつもの場所」なんですけど、人が来るとやっぱりちょっと空気とか自分のあり方とか変わってくるので、そういう感じで場所の色が変わるっていうのはあると思います。
田中:もう二人いるじゃないですか。ニシカズさんと、蟹江さん。その二人とはどういう繋がりなんですか?
貝原:ニシカズくんは、大学の学部が一緒で、大学1年の後期くらいで授業が一緒になって、共通の友人を通して知り合って。それで、西山がサークルを立ち上げるっていうときに「名前貸してください」って言われたので、それぐらいならいいかなって思いつつ、ぶっちゃけ内心「面白そうだな」って思いながら、近くに居たり喋ったりしていたっていうのがあって。ちょっとワクワクしながらそのサークルに参加しました。
田中:サークルでの繋がりっていうのが一番大きいんですかね?
貝原:そうだね。
田中:蟹江さんとは?
貝原:カニちゃんとは、西山と、西山の高校時代の友人が一緒にキャンプを企画したっていうので、そのサークルのメンバーの多くが参加して。僕は「キャンプだよ」っていうので参加したんだけど…
田中:普通にテント張って、みんなでカレー作って、みたいなキャンプ?
貝原:だと思って参加したんですけど、実際はそうじゃなくて。そこで出会ったのがカニちゃんでして。自分でいうのもあれなんですけど、僕そのキャンプのときなぜか社交的になれて。
田中:おー。
貝原:自分のサークルに所属してないっていうか、元々顔見知りじゃない人たちとよく喋ったんですよ、そのキャンプのときは。特にバスの席が隣であったり、あとワークのペアが一緒だったり、っていうのが続いたのがカニちゃんで。まあ、なんていうんですかね、カニちゃんも割といろんな人と話が出来るというか、明るいとかそういうわけじゃないんですけど、外から来た人に寛容というか、そういう人間で割と話しやすいなと思ったので、それがきっかけで知り合いました。
「ひどこ」が生まれる瞬間
田中:最初にひどこっていう場所をつくることになって、「住まない?」みたいな話になったときって、どう思いました?
貝原:あー。最初に誘われたときが、結構頭がいってるときだったので…
田中:どういう意味(笑)
貝原:一日で780kmの距離をまわって、帰って来るっていう旅で。朝に出発して、名古屋から大府まで行って、そこからまた岐阜と三重の割と端っこの方まで行く旅だったんですけど。
その帰りが本当に夜の3時とか4時で、その時間にその(ひどこをつくる)話が出てきたんですけど、僕そのときノリで乗っかってしまって…だからどう思ったかっていうと、僕は割と自分の家以外の居場所が欲しいと思っていた人間で、元々大学に通い始めてから、大学にある図書館であったり作業スペースであったりに入り浸ったりしていたので。
あとサークルで活動する流れで、ユースクエアっていう施設にも通い始めましたし、僕は結構そういう居場所を求めていたんだなって思ったんですけど。
そういう、自分の家以外の居場所が欲しいっていう、っていうのもあったんですけど、でもそれだけじゃなくて、なんか自分の家に対する居心地の悪さっていうか、特段何かめっちゃ嫌なことがあるとかではないんですけど、自分の家にいると自分の人格が固定されちゃうっていうか、なんとなく将来こうなっていくんだろうなっていうのがわかっちゃうんですよ。自分のことだからどうせこうなるんだろうなあっていう。
田中:あー、めっちゃわかる。
貝原:そういうのもあって。あと、僕の家が仕切りを取っ払ってる家だったので、一軒家の人とか、一軒家じゃなくても自分の部屋持ってて、本棚とかあって、いろんなものがあってっていうのに憧れて。
一人暮らししてみたいなあ、とかなんとなく思ってたんですけど。
だから、サードプレイス的な意味で居場所が増えるっていうのもそれは魅力だったんですけど、住む場所であったり、自分のプライベートスペースみたいなもので、自分色に染めれる空間ができるっていうことに対しても結構自分は魅力を感じて。
本当はお金が無い状態だったので、(話に)乗るべきではなかったなと今でも思うんですけど、そのときの死んだ頭で、いいじゃん!ぜひ俺も住みたい」みたいな感じで乗っかってしまいました。
田中:一人暮らししたいなとか、自分の空間欲しいな、とかっていうのがある中で、でも何か背中を押すものが無かった、みたいなときに、旅行で疲れた頭もあり、みんなのそういうテンションの中で背中を押された、みたいな感じ?
貝原:そうだね。そういうのがなかったら、こういうふうにはなっていないと思うし。
今回はここまで。次回は、「なんちゃってシェアハウス ひどこ」が住人たちに与えた変化や、自分のやりたいを叶える場所としてのひどこについて、語ります。
次回をお楽しみに!
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