ダニエル・ミラー『消費は何を変えるのか: 環境主義と政治主義を越えて』のおすすめ
ダニエル・ミラー『消費は何を変えるのか: 環境主義と政治主義を越えて』
ダニエル・ミラー『消費は何を変えるのか: 環境主義と政治主義を越えて』を翻訳いたしました。訳のつたなさはおいておくとして、本書は初学者にも、専門家にもいい本だと考えておりますので、その宣伝です。
本書の第一のポイントは、消費の社会学的理論についてこれまでにない入門書になっていることだと思います。消費の社会学はボードリヤール以降、どれだけ新しいものが出たかは疑問が残るところですが、ミラーはその貴重な例外です。
ミラーの特徴は、消費をそれ自体分析に値する(positive)ものと捉えることでしょう。消費は他のなにかに還元されない独自の目的や意味を持っている。たとえばミラーはそれを消費活動が旺盛な(だが生産活動がそうでない)トリニダードにおける飲み物、自動車、家具などの消費に探ります。そこで消費はそれぞれ文化的な意味を持つのです。
それに並行し、ミラーは日常生活における消費の意味も探っています。たとえばミラーによれば、消費は日常的にはつまらない、でも家計の維持のためにどうにかやっていかなければならない作業で、多くの場合女性におもに担わされています。それゆえ消費は快楽のためというよりも、節約を念頭に置かれおこなわれ、何より失敗することが恐れられます。もちろんそれだけではなく、そうしたつまらない購買活動をおぎなう「ごほうび」のために行われる消費もあります。
そうした消費の諸相について詳細に分析してきたミラー自身が、自分の調査をまとめた本という意味で、個人的にはボードリヤール以降、消費について考えたいなら、まず読まれるべき本だと思います。
もう一点は、こうした消費と格差・環境の問題を論じているという意味で、かなり現代的な本にこの本はなっています。とはいえ本書は無邪気にSDGsを褒め称えるような本ではありません。消費はそれ自体固有の論理を持つ以上、容易には変えられないとミラーは主張します。誰かがエコな商品を説得しようとしたり、あるいは本人がそうした意識をもっていたとしても、それに反する行動ばかりみられるというのです。それは、消費に文化的な、また他者への愛情に基づいた独特の意味があるからで、それは本人がたとえ意識でどう綺麗事を考えていようと、変えられないことです。
その意味では「消費は何を変えるのか」という問いは実はかなり逆説的なものです。消費はなにも変わらず、それゆえ何も変えられず、だからいつか消費者がエシカルな消費に目覚めるといった夢に騙されてはいけないと本書はいうのです。しかしこうした現実を受け入れてこそ、環境保護の道に進めるのだとも本書はいいます。消費が変えることの難しい厄介な集団的活動であることを認めてこそ、どう何を規制していくかという問題が真剣に受け入れられると本書は結論しています。こうした議論に訳者は完全に同意しているわけではないのですが、ともあれ、消費と環境の問題について、聖域を設けず議論しているという意味では、本書の意義は大きいでしょう。少なくとも私はそうした類書を知りません。
最後に、とにかくこうした議論がわかりやすく書かれているのが本書の特徴です。とくに最初と最後の章は、様々な議論のいいところ、悪いところが対話態で書かれています。議論の余地をあえて残しているという意味で、大学の授業や読書会などにかなり使いやすいのではないでしょうか。
ダニエル・ミラーは文化人類学では著名人で、そうした文脈についての意義は、訳者は完全には追えません。むしろ今後どなたかが他の本を訳していただける試金石に本書がなれますと幸いです。