私のヘビメタ遍歴(バンド活動編)
1988年。私は21歳になっていた。作詞、作曲のストックも増えてきてバンド活動は円熟になっていた。ライブ活動もそれにともない多くなってきた。東京、大阪から小倉に来るバンドの前座などを務めるようになっていた。我々のバンドを常連的に観に来る「ファン」も一定数多くなってきた。そのころ出演にはチケットを裁かないといけない。いわゆる客寄せである。最初は自腹を切っていたが3か月ぐらいすると「ファン」が担当してくれるようになった。手元にいくらか残るようになってきた。
そんな折にギターの小島が脱退を示唆した。もともと小島はローリングストーンズなどブルース系ロックンロールが好きだった。バンドがガチガチのヘビメタ系に走っていくし、毎晩の練習、休日はライブ活動と忙しくなっていくのに違和感を感じていたと。このバンドを作るきっかけとなった人物であるし大好きなギタリストだったので残念だった。
大学の外部から「がちがち」のヘビメタギタリストの山村を迎え入れた。年齢は私より一つ上。生活も派手ないわゆるやんちゃなギタリストであった。
ライブ中に山村に恨みを持つ前のバンド仲間が襲撃に来たり警察沙汰になったこともあった。
私はどちらかと言えば地味で派手は嫌いだった。曲も何曲か山村の好き嫌いでボツになった。すこし私は不満であったがまあいいかと曲作りに励んだ。
その当時のラインナップが以下である。それらは2回目のレコーディングに収録した曲らである。
①WOMAN SCREAM FROM NEXT DOOR
これは映画「サイコ」を観ているとき当時暮らしていたマンションの隣の一室から女性の叫び声が聞こえたことを曲にした。結局私は小心者で警察に電話したが、どうやらカップルの痴話喧嘩だたらしいが、本当に怖かった。しかも映画の怖いシーンと重なっていたので。
②ENTRAPPED
映画「ローズマリーの赤ちゃん」という映画を見て思いついた。新婚の夫人が陥れられ得体の知らない子供を産むという、すごい心理的にきついストーリーを曲にした。なんとか緊迫感を表したかったがその頃は私も未熟だった。今はもっと未熟。メンバーの演奏に助けられた曲である。
③SUNSHINE
ヨーロッパの中世は暗黒の時代で、民衆は太陽の光を求めて新たな地を求める。平和を求めて立ち上がる。というような曲でなんかの小説を読んで作ったと思う。
④WAR AND PLANE
あまり政治的で社会的なことは歌にしたくなかった。衝撃的だったのは1983年9月1日、ニューヨーク発ソウル行き大韓航空ボーイング747が米アラスカ州のアンカレッジ経由後、旧ソ連領空を侵犯。サハリン沖で追跡していたスホイ15戦闘機にミサイルで撃墜される。犠牲者は269人、うち日本人は28人。冷戦の真っただ中でいわゆる「大韓航空機撃墜事件」だった。高校の先生の息子さんがそれに搭乗しており帰らぬ人となった。半分怒りに満ちた心情を未熟ながら曲にした。
⑤DEAD CHILD
私は「エクソシスト」に次いでホラー映画の傑作は「オーメン」だと思っている。心理的に訴える、しかも悲しいことはホラー映画の必須である。しかし曲風はさらっと短めにながすような感じにしてしまった。少し後悔がのこる曲であった。
⑥YOUNG GENERAL
ジュリアスシーザーを曲にした。
(https://www.businessinsider.jp/post-187118より)
紀元前44年3月15日は、ジュリアス・シーザーにとって最悪の1日となった。ローマの独裁官(ディクタートル)の職にあったシーザーはこの日、元老院会議でわなにはまり、仲間たちに刺殺されてしまった。
シーザーは「3月15日に気をつけよ」と警告されていた。もっと用心するべきだった。
その数年前、古代ローマの政治家であり軍人でもあったシーザーは、内戦に乗じて権力の座に就いた。シーザー暗殺後、再び内戦が起き、ローマの共和制は終わりを迎えた。その後ローマは帝政に移行し、シーザーの養子だったオクタビアヌスが初代ローマ皇帝の座に就いた。
今もシーザーは歴史上、最も偉大なリーダーの1人と見なされている。またシーザーという名前は、個人崇拝の対象や独裁的な人物の代名詞として用いられている。
アイアンメイデンのスティーブハリスみたいにベースでアルペジオがある曲を作ってみたかった。
以上が21歳の時のレパートリーである。私のプレイも曲も未熟であるがバンドのメンバーにフォローされていたと感謝している。
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