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19. フォース・ジュライ

 翌週は、私のサンフランシスコ滞在の最後の週末だった。その週末は、アメリカの独立記念日で、7月4日なので通称’フォース‧ジュライ’と言われ、アメリカでは多くの人々がホリデーに出かける。私達も、彼の仲間たちがオーガナイズするブラック・ロックへキャンプに出かけた。バーニングマンが開催される砂漠である。バーニングマンはいつもその砂漠の南側の一部で行われるのだが、私達は、そことは真逆の北側、その名前の由来でもある’ブラックロック’という大きな岩の側にグループでキャンプを張った。大きなサウンドシステムやDJブースもである。

 さながら、ミニバーニングマンだ。ただ、もっと自由だった。その美しい広い砂漠をハンドルを手放しで、目を閉じて運転しても事故の心配がなく、実際、デイビットはそうやって運転して見せるのだった。風に溶けてしまいそうになる。まるで自分が映画の一部の様に感じられ、彼になのか、シチュエーションになのか分からないけれど、恋に落ちていく、、、。

 車も入った事のなさそうな地帯を見つけた私達は車を降りて散策を始めた。そこは砂が光る様に美しく、小一時間ほど歩くと、もともと湖だった所が干上がった場所だということが如実にわかるように、貝殻などが散らばっていた。この一帯ブラックロック砂漠は標高が1200メートルあるということを教えてもらい、標高が1000メートルを超えると下界の人間の想念が渦巻くエネルギーから抜けるのだということをどこかで読んだことを思い出した。バーニングマンが気持ち良いのは、そういう事だったのかと妙に納得もした。

 もう一つ特筆すべきは、’ブラックロック’の麓近くに位置する温泉だ。温泉施設がある訳ではなく日本でも稀にある野湯のようなものだ。あくまでも自然の中だ。カリフォルニアには、そういう自然の中の野外の温泉がたくさんある。この温泉は草に囲まれて、直径10メートルくらいの大きさで深さは座ると胸のあたりにちょうどお湯がくるくらい、粘土質の泥の中だが、静かに入っていれば透き通る。お湯は41−2度ほどあるかのように熱く、湯気が上がっているので、それが神秘的な感じを醸し出す。夕方などに行くと湯面がピンク色になり、ロマンチック極まりない。

 デイビッドは、遊びの達人だ。行くべき所、行きたい場所、連れて行きたい所を、完全に押さえていた。私の放浪癖、冒険好きをここまで刺激してくれる人はかつていなかったし、その後も会えてはいない。私が本当に彼に恋に落ちるのに、このフォース‧ジュライのセッティングは完璧だった。

 当時、私は自分のパートナーになるべく人の希望リストを作っていた。多くの人と続かない恋愛をいくつか経た後、『もう恋愛ごっこじゃなくて、結婚して、子供を持って、幸せな家庭を築きたい』と切望していた私は、”理想のパートナー像”を描き、そのパートナーと幸せな家庭を築くことを目指していた。それこそが世界平和への道になると信じていてもいた。パートナーになりうる人の理想リスト作りを一つの”ワーク”として捉えていたし、今まで『こんな人がいいな』『こうなったらいいな』と漠然と思ったことが叶ってきていたので、なおさらだった。
 
 結果を言えば、彼は、この時点で、そのリストの大部分が叶っていたと思う。もはや、その大部分は忘れてしまったけれど『ビバリーヒルズな世界も、無人島でも生きれるような男』というのが、そのリストの大きな軸だった。頭が良くて、身体を鍛えていて、自然を大事にすることを日常的に出来て、野宿できる術を持っていて、一緒に旅が出来て、いくつかの言語が出来て、料理が上手で、音楽やパーティーが好きで、冒険好き。数えたらキリがないほどに、これらのリストは延々と続いた。でも、私の事細かなリストの中には、肝心なことが欠けていたのかもしれない。『お互いに心から愛し合える人、大事にしあえる人』という項目が、、。

 今はもう、そういうリストは書かなくなった。いつの間にかリストは絶対必要条件で、それ以外は愛したくない、それに沿っていなければ愛せない、というパラドックスを生み出してしまったし、それが純粋な愛を条件付きの愛に変換してしまった様に思ったからだ。

 加えてそのリストは、どこか”理想の自分像”を書いていたようにも思うのだ。そういう素敵な人に釣り合う自分になることを目指していたし、言うなれば私は、”そのままの自分”を愛していなかったのかもしれない。そういう人は、相手のそのままを愛せない。そして、理想とは違う相手にがっかりした時、そういう人を惹きつけた自分と”完璧でない自分”に対して、がっかりしてるようなものなのだ。理想というのは、時にその相手への多大なる期待となって、自分の期待通りではない行動をする相手に、大概何かでがっかりして、悲しくなったり怒りが湧いたりしてしまいかねない。それは相手の責任でもなんでもなく、相手のそのままを受け入れず、勝手に期待通りの行動を強いてしまっている自分の責任であるのにだ。

 ただ、そんなこと思いもよらなかった当時の私は、私の生涯の王子様を見つけた気分になっていたし、彼との恋愛が成就していく過程を素直に楽しんでいた。お互いに強く惹かれているのは明らかだったし、また、すぐに戻ってくる約束をしてアメリカを後にした。

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