見出し画像

42. 未知なる路

 1週間という弾丸旅程でビザを受け取りに帰国。そして私はイビサの正規の住人になった。”シンクロニシティ”もここまで来ると、もはやフィクションのようだ。

 私はこのために何年もここに通っていたのか、、?それともいずれにせよ住むつもりだったのか?ビザの申請をしたのは「ヨーロッパに3ヶ月以上滞在したい」というもっと単純な理由からだった。それまで3ヶ月もしないうちに国を移動していたので気にならなかったのだが『それだと少し短すぎる』と初めて感じての申請だった。ヨーロッパ全土にいられるのがビザなしだと半年の間に3ヶ月までなのだ。

 住む場所もすんなりと決まった。「本当にあなたって島の女神に愛されてるわ」エバは私が半日で住む場所を決めてきたことに対してそう言った。この言葉は、イビサにいるとよく聞く。島に愛されてる人はスムーズに物事が進み、島が強力な磁力でその人を引きつけて離さない。そして島に受け入れられない人はまるで追い出されるかのように物事がうまくいかず出ていく。持っているエネルギーによって、その土地に合う合わないというのは、確かにあるのかもしれない。この島には音楽の神が宿ってるから、引き寄せられたんだろうか。

 とはいえ、しばらく音楽なんて聞けなかった。日本人みんながそういう気分に陥っていたと思う。ダンスミュージックなんて聞く気もしなければ、自分の奏でているような音楽なんて誰の力にも心の支えにもなれない、、そんな風に思った。

 日本人全員の集合意識的なショックから少しづつ立ち直りかけてきた頃、誰かが音楽をまた聴き始め、私にとってもまた音楽活動が始まっていった。6月からのシーズン中はライブのオファーに恵まれた。夏が終わる頃には本格的に自分一人で音楽制作を始めた。それはまるで震災への”祈り”かの様で7曲のアルバムの全要が1ヶ月で現れた。

 表現、そしてクリエイティブはどこまでいっても「これでいい」ということがない。成長し続けるしかない。作り続けるしかない。コンピュータで音を一つ一つ重ねていく作業は、幼い頃、幾度となく見ていた母が絵を一筆一筆仕上げていく過程と通じるものがあった。途方もないほどのその時間の中で、ただただ瞑想的になって淡々とインスピレーションに従い、これだと思う音色とメロディーを追って、全体を創り上げていく地道な作業。

 5分ほどの曲を仕上げるには、場合にもよるけれど20~30時間ほどはゆうにかかる。シンセサイザーやサンプラーで”音色そのもの”を最初から作る人ならもっと時間が必要だし、作り込む時はもっとかかる。

 その音の大海原で方向を見失い座礁してしまうこともあれば、もう一度根源と繋がり、正しい方向を見つけることもあるし、最初から最後までスムーズに出来上がることもある。曲という”甘美な時間”を成すまで、そして確かな光が見えて、”歓喜の涙”に酔いしれるまで、ただただコンピュータの画面に向かう。そしてその歓喜の涙が出ない曲は、ほぼ捨てる。

 今現在、時代はサブスクリプションが主流で、アーティストにとっては今まで通りのやり方ではいかない時代になった。200~300回ほど音楽プラットフォームで再生されてやっと百円がアーティストに入るか入らないかの世界。プログラムはどんどん簡単になって、ちょっと学べば誰でも曲が作れる時代だ。さっき言ったような時間をかけずとも出来る。びっくりするほど才能ある若者達で溢れかえっている。しかもAIが音楽を作り出した。AIはいずれもっと完成度の高い曲を作り出すだろう。そんな中いまだに音楽を作り続けているのは、なぜだろう?

『感動する音楽を作りたい』

『あちらとこちらを繋ぐため、、、』

『それが魂の役目だから』

 そんな大層なものではなくて、『音楽と共に生きよう』の”思い”が私をここまで連れてきただけかもしれない。エゴイスティックなまでに自分の欲求を満たすことだけを考えてきたかもしれない。

 何も自分で選んでこなかった。自分の進むべき運命を歩いている気はするものの、自分の意思ではないところで人生が進んできた感じもする。クラブのブッキングもプロデュースや歌もDJも。付き合ったボーイフレンド達も。向こうからやってきたものや望まれたもの、提案されたことなどを受け入れてきた。時には不満を抱えながらも。今これを書いてるのもそうだ。イビサに住んでいるのも経緯を書いたばかりだからわかるだろうけど、夢見てここに向かってきたつもりはないのだ。だがその時々で付き合い方が変わりつつも、確かに私は音楽と共に生きてきた。

 20歳を迎える頃だったと思う。よく当たるという"千里眼"の、今風に言うなら”クレアボヤンス”のおじいさんのところへ、訳もわからず連れて行かれたことがある。「おやおや、君は世界中を飛び回るねぇ。思う存分、自由に飛び回りなさい」当時は半信半疑だったし25年以上もそのまま忘れていたけれど、その記憶が突然蘇り、本当にそうなっている自分に驚き、あらかじめ決められた運命というものはあるのかもしれないと思うに至った。インスピレーションという未来から流れてくるその運命に向かって歩く時、どういう心構えで、どの道を辿るのか、どれだけ成長出来るかというのは、そこは自分次第なのだろう。

 音というのは見えないあちらの世界とこちらの世界を繋ぎ、あるいは内なるものと外なるものを繋ぐ。あるいは人をその内側へと繋ぐ、その逆も然り。そして人々を繋ぐ、人々と地球を繋ぐ。大いなるものに繋ぐ。

 ”声”はその人の”魂の波動”を表し、生まれ変わってもその波動は変わらないと言われている。だから自分の声にも人の声にも注意を向けている。どんな波動なのか。どんな思想を発するのか。どんな感情なのか。どんな歌を歌うのか。

 時々、”見えない力”が私を動かしたりするが、如実に自分は”それ”と繋がっていると思わされる事があった。この移住の1年前、隠れ家的な岩場の海で友人と寛いでいる時、海の水平線の向こうからエネルギーがやってくるのを感じた。私はそのエネルギーを手で受け止め、一緒にいた彼女のお腹に向けて流し始めた。その彼女は目を見開いて私を見た。「あなたも感じる?」彼女は驚きながらうなづいた。彼女はちょうど流産して退院してきたばかりだった。私はただの中継点に過ぎないが、中継点になるためには、そのエネルギーと自分の波動が同調しなくてはならない。音楽を”受け取る”こともそうだ。だから私は自分の在り方や波動を整えることに、ここまで時間を費やしてきたのだろうと思う。

 DJすることも、音楽を知ることも、コンピュータを扱うことも、瞑想することも、健康であることも、傷つくことも、許すことも、強くあることも、優しくあることも、癒すことも、コミュニケーションを学ぶことも、愛を放つことも、音が自由に出せるイビサという環境が与えられたのも、どういうスタイルの音楽を表現するのであれ、それはその時の”自分そのもの”を奏で記録する行為で、自分そのままを世の中にさらけ出して良いと思える状態であるために、用意された私の魂の道だったと思うと全て辻褄が合ったりもする。

 この先、どんな風に音楽と関わり続けるのかは不明だ。人の気持ちを救ってくれる音楽というものを人一倍理解している自分であるからこそ、どんな表現であれ、音楽と関わって、それを人々に届けていきたいことに変わりはない。未来はわからないし”未知なる路”を行こうとは思っているけれど、自分のその時々のやりたいことに忠実でありたいと思う。そこは常に自由でありたい。

 自由とは自分の心の声に従えること、心の声とは自分の本当の気持ちだ。何からも影響を受けていない真実の自分の声だ。

 はっきりと言えることは、人生から何かを差し出された時に、それに対してイエスかノーのどちらを選ぶにしろ、自分の状態が『恐れではなく愛であり、心が平和であれ』ということだ。それは”今ここ”にあるということだ。そしてその選んだことに責任を持ってやる。最後のその息をするまでチャレンジし続け、体験を糧に成長し続け、やりたいことをやれる人間であるつもりだ。誰かの為に、世の中の為に、とかいう意識なぞ持たなくとも、自分の魂から来る純粋なる欲求を満たした先に、そんなことは勝手についてくるものなのかもしれないのだから。

 私に辛い体験や難しい状況を与えてくれた全ての人や事象に感謝できる。「よく出会ってくれたね」「ありがとう」幼い頃の性的虐待で私を苦しめ続けた見知らぬ男にでさえもだ。「酷い役割をやってくれて感謝している」「愛を送る」ここまで一緒に生きてくれた自分に感謝できる。「頑張ってくれたね」「愛してる」と。そして少しでも私の人生に関わってくれている全ての人達に感謝している。これをたまたま目にしたあなたにもだ。

いいなと思ったら応援しよう!