24. ペニー・スリンガー
デイビットとの付き合いが始まっていた頃、時同じくして、友人を介してペニー·スリンガーというシュールレアリズム大御所の女性アーティストを紹介されることになり、その彼女の邸宅に招待された。
ボーダークリークという村の郊外でサンフランシスコからは車で1時間半ほどの山の中。数千坪だか1万坪だかの敷地は、ほとんどが森で1時間でも2時間でもウォーキング出来る。その森の中の広い一角には、居るだけでヒーリングされるように設計された住宅部分があり、音楽&映像スタジオ、屋外のジャグジーやエキゾチックなプール、ステージや蓮の池、東洋的なものと西洋的なものがうまくミックスされた豪華なヒッピー宅とでも表現したらいいのか、雑誌や写真などでも見たことのないような、カリフォルニア的オーガニックハイテクな世界が繰り広げられていた。
ペニースリンガー。1947年生まれ、イギリス人、チェルシー芸術大学を出てから数々のアート作品を世に送り出し、最近ではディオールの2019年秋冬コレクションのアートプロジェクト”ゴールデンドールハウス”の監修をして、どこぞの屋敷を一軒丸ごと使った、彼女のこれまでのアートが詰め込まれたような世界が展開された。
60年代、シュールレアリズムのコラージュから始まり、フィルム、タントラアート、絵画、そして出会った頃は、デジタルアート、コンピュータグラッフィクス、そしてエフェクトの存分にかかったビデオ作品を創っていた。
彼女の最初のパートナーは、フィルムメーカーのピーターホワイトヘッドで、二人が一緒にいた1969年から72年までのフィルム作品が、2017年に制作されたペニーのドキュメンタリー映画に一部使われている。ペニーの若かりし頃はまるでヘップバーンやアンディウォーホールのミューズ·イーディーをミックスしたような風貌で、超絶素敵だ。この最初のパートナーは、つい最近、亡くなったようだが、後にピンクフロイドやローリングストーンズのMVなどの監督を務めて有名になった。
彼女の2度目のパートナー、ニックダグラスは、タントラの学者だった。一緒に製作した『セクシャルシークレットー性の秘密』というタントラを扱った本は世界19ヶ国語に訳されベストセラーになった。そのパートナーとは、20年近く一緒にいたようで、アジアを旅し、その後カリブ海で15年以上生活していたらしい。そして、その後、スピルリナを発見したクリストファーヒルズという微生物学者と最終的に結婚したのだが、数年でその彼は亡くなって、彼女にこのゴッデステンプルと名付けられた莫大な土地と住宅、財産を残したのだった。
私が出会ったその頃の彼女は、28歳年下のボーイフレンドでパートナー、南インド人のディランと一緒にその邸宅に住んでいた。ディランは私より10歳ほど年下で、音楽制作から映像編集、グラフィック、Webデザインまで、コンピュータのアート作業はなんでもこなせた。
あれから20年近くの時が過ぎたが、二人はまだずっと一緒にいて、数々のアートを共に、あるいは個人で制作している。5年ほど前、ゴッデステンプルを引き払い、二人で新しい場所を探す旅に半年ほど出た後、結局ロサンゼルスに落ち着いた。その旅の途中、二人と2009年ぶりに再会し、時間を共に過ごしたが、彼女はシャンティクランティに続く私の二人目のメンターだ。今も精力的に斬新なアートを生み出し個展などがあちこちで開かれている。
彼女は、当時、64ダキニプロジェクトという世界中の女神アイコンを製作中で、私はその中の観音役のモデルをしたり、このお屋敷に時々滞在し、他の女神をモチーフにした映像作品に参加したりして、二人と親密になっていったのだった。
やがて3人で映像と音楽を同時進行で作り、ライブとVJを同時に行うグループを立ち上げることになった。女神というキーワードは今では普通に聞くけれど、その当時は全くと言っていいほど他で聞かなかったし、エフェクトのたくさんかかった映像と音楽のクリエイティブな作品は今ではインディペンデントなアーティスト達の中でも当たり前のようなことだけど、その時点では稀だった。とにかくすべてにおいてパイオニアなのだ。
そんな時期、私の39歳の誕生日が近づいていた。この誕生日が過ぎたすぐに、私は一度、アメリカを出なくてはいけない。ペルーとブラジルのニューイヤーフェスティバルに一人で行く事にして、恒例の誕生日キャンプに出ることにした。その矢先、デイビッドと愛し合った時、仙骨の方から頭上へ向かって登っていく微細なエネルギーが明らかに感じられ、頭上で細やかな花が開くかのような感覚になり、涙がすーっとこぼれ落ちた。後々それはクンダリーニエネルギーだったと理解するに至った。
私は、ハッとした、、、。『もしかしたら、今、命が宿ったかもしれない』
当時、全くもって、モーニングピルの事も何も、デイビッドにそれを告げる事も頭をかすめすらせず、あまり深く考えることなく、そのままデイビットと誕生日小旅行に出かけた。
あまりサンフランシスコから遠出はせず、ペニーとディランの所にも寄って祝ってもらい、’エッサレン’の温泉へ行ったり、キャンプしたりし3日ほど緩やかに過ごした後、私はすぐにペルーに飛んだ。女遊び常習なデイビッドだが、私を行かせたくないような素振りが見られ、名残惜しそうにしていて、心から私を愛している感じがしていた。この3ヶ月はほぼ遠出をせず、まるで新婚のような家庭的な生活を送ったからかもしれなかった。