21. 恋愛の価値観
デイビットとは、パーティーだけでなく、幾度となくロードトリップに出かけた。ビザを持っていない自分は、ツーリストビザでアメリカに来ているので、出国チケットを持っていなくては入れないし、3ヶ月間を超えて滞在することも出来ない。なので、東京とサンフランシスコを何度か往復しながらも、アメリカに戻る度に、私達はモニュメントバレー、セドナ、ジョシュアツリー、グランドキャニオン、デスバレーなどに出かけた。アメリカの大自然、大陸の景色は、今まで慣れ親しんで来た日本の風景とはまるで異なる。どこまでも続く乾いた広大な景色の中を、延々と車を走らせるのが、たまらなかった。もちろん、ドライブだけでなく、おいそれとは行けない様な場所にトレッキングして、キャンプすることに醍醐味を覚えていた。
2003〜4年のこの頃は、まだスマートフォンもなく、カーナビがスタンダードにあるわけでなく、地図とサインを頼りに目的地に向かうしかなかった。私は、日本での仕事の件もあったので、インターネットは途中の街などでダイアルアップのローミングサービスを使って連絡をとっていた。こういう風に世界のどこにいても連絡が取れるのはその当時は画期的だった。ダイアルアップとは、電話会社の回線を使ってインターネットに接続する方法で公衆電話から電話をかけてインターネットに接続する。と説明しても今となっては全く意味がわからない。具体的にどうするのだったかも覚えていない。とにかく今はWi-Fiが当たり前だから、恐ろしく不便だったのは確かだ。
デイビッドは、日本にも来てくれて、富士山や長野のワイルドな温泉地などを抜けて日本海側へ一緒にロードトリップをしたり、東京のハイテックなサウンドシステムのパーティーに出向いたりした。インドネシアのバリに移住し二人目のベイビーガールを産んだばかりの親友コージの家族を訪ねた時にも彼はそこに来てくれた。バリで二人で車であちらこちら北上したり山に登ったり、ダイビングをしたりして楽しんだ。
彼はとにかくアトラクション好きであったわけだけど、こういう冒険ごとだけでなく、ちょっといいレストランなどに行くことも好きで、そういう時は、きちんと車のドアを開けて、手を取ってエスコートしてくれる様なところもあった。まさに、私の理想としていた”無人島でもビバリーヒルズでも”な男性だったわけである。
ところが一つ問題があった。ある日、突然、彼の言葉の端から「え?ちょっと待って。あなた、他の女性とも寝てるってこと?」と聞かざるを得なくなったのである。一瞬、彼の表情は『しまった!』という感じで硬直したのだが、次の瞬間「それって何か問題?」と、開き直られてしまったのである。
「問題よ」と言いながらも、もう、どうしていいかわからなかった。彼の言い分はこうだった。「君は僕のガールフレンドなんだよ。それ以外は、ただのセックスの相手だから。それより、僕らがこうして出会えたことを祝福できないの?」
誰も誰かの所有物ではないと思っていた自分はいた。同時に男女は1対1であるべきだとも思っていた。自分だけを見て欲しい。それこそが所有欲なのかもしれないがこの頃は、自分の中に多くの矛盾があった。
最初にアメリカに戻る前にメールで確かめもした。「ガールフレンドがいるのか、いないのか」世の中には、色んな恋愛の価値観があるのだということを、それまでの男性遍歴で学んで来た私は、最初にクリアにしておきたかった。
ガールフレンドというのが一般的には真剣交際の相手。もっと深い相手がパートナー。ガールフレンド未満セックスフレンド以上の感じの’ラバー’。ガールフレンドがいても、他にも性的交渉を持つ相手を作りたい人、お互いがそれを了承している’オープンリレーションシップ’や、相手とその相手の他の相手まで全て含めて愛するという高等な”ポリーアモリー”という概念は、もっと後になって学んだけれど、実に様々なのだ。
確かにデイビットの場合、ガールフレンドはいなかったのだろう。だけど、ラバー達がいたということだ。すごくショックだった。
私は、男女は一対一の”モノガミー”でなくてはいけないという自分の価値観を押し付けているだけなのか、理想を押し付けてるのか。別れてしまった方がいいのだろうか?そのままを受け入れるのが愛なのか?かといって受け入れるのも葛藤だった。二人でいる時間はとても心地よくて幸せなのに、一緒にはいないとき彼が他の女性とも関係を持っていると思うと苦しかった。
色々な友人達からの忠告もあったりしたが、どちらにも足を踏み出せない自分がいた。最終的に、この葛藤は、数ヶ月後にもっと辛いシチュエーションに形を変えて、私の現実に現れることになったのだった。