植物は人工知能の夢を見るか?
2018年2月24、25日の2日間、東京の日本橋三越本店にて、ミュージシャンの川崎ろまんさんによる、植物の音楽とのパフォーマンスが行われました。その光景はフェイスブックで公開されています。
https://www.facebook.com/ayudhtokyo/posts/530109354040310
2日間に4回行われたパフォーマンスでは、その場の雰囲気やお客様のエネルギーに呼応して毎回異なる表情を見せる植物から、ろまんさんは多彩な音楽を引き出していて、ライブのなかでここまで植物と心を通わせる事ができるのかとお客様からも感動の声が上がっていました。ろまんさんに「あなたの音楽を聞いていたら頭痛と耳鳴りが治っちゃったわ」と声をかけてこられたお客様も。
パフォーマンスの合間にろまんさんといろいろおしゃべりしていて、いくつか興味深い話題が。
最近ろまんさんが読まれた本に
「植物には意識も記憶もあるが感情はない」
と書かれていたそうで、お昼休憩に近くの丸善に行ってそれらしい本を購入して来ました。
最近のアカデミックな植物研究では、植物に記憶があることや、植物同士がコミュニケーションしていることがどんどん明らかになっていますが、そもそも植物に意識や感情があるかどうかをどのように計測・検証するのか、という学術的な方法は確立されていないわけです。見つけてきた本では植物の記憶をどうやって検証するか、植物の感覚をどうやって検証するかなど、最近のアカデミックな世界での検証結果が書かれていましたが、まだ感情に関するところは見つけていません。しかしそのような課題がアカデミックな世界でも真剣に検証される時代になったのだなあと感慨深く思いました。
そもそも植物に限らず、AIなどの人工知能についても意識があるかどうかをどうやって検証するのか?囲碁や将棋でプロを倒してしまうAI達は、いつか意識を持つのか?それ以前にいま、彼ら(?)に意識はあるなかないのか?
この問題は実は古くからある問題で、それを実証するテストは考案者のアラン・チューリング(第二次大戦時にドイツのエニグマ暗号の解読に成功したイギリスの天才数学者)の名前を取って「チューリング・テスト」と呼ばれています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/チューリング・テスト
大雑把に言えば、その人工知能とさまざまな会話をして、誰もが見破れなかったら、その人工知能には意識がある・知的である、と判断するものです。
かたや「人間に見えて人間ではないもの」に対して偏執的とも言える興味を持っていたSF作家のフィリップKディックは、電子顕微鏡レベルでみないと機械かどうかわからない人造人間(アンドロイド)のいる未来世界を想定して、心理テスト(このテストはチューリングテストにインスパイアされたもの)で人間に紛れ込んだアンドロイドを見つけだす警察官を主人公とした「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という古典的名作を発表し、後に「ブレードランナー」としてハリソン・フォード主演で映画化されます。
この世界では、人造人間(アンドロイド)は完全に意識を持ち、自分で考え決定できる自由意志を持ち行動します。4年間という寿命?以外は実質的に人間と変わらないもの、機能的には人間よりも優れた存在として描かれていました。
カルト的人気を博したこの映画が語りかける恐怖とは、そのようなテクノロジーのある世界では、あなたの隣人はもしかしたら人間ではないのかもしれない!という潜在的に不安定な現実への疑いでした。しかしこの映画が感動的だったのは、アンドロイドの方が人間よりも人間的なのかもしれない、というラストシーンを見せてくれたからでしょう。降りしきる雨の中で、
と静かに語って機能停止していくロイ・バッティの姿は、リンク先のブログによれば、通称「Tears in rain monologue」(雨の中の涙モノローグ)として知られ、SF映画だけでなく映画史全体においても屈指の感動的なスクリプトとされています。
現代のSFに限らず、古典的SFにも人間よりも人間らしい人工知能はたくさん登場します。見た目も全く人間と変わりない、人間よりも優れた人工知能や人造人間達のいる世界はいつかやってくるでしょう。ならば、人間を人間足らしめているものは何なのでしょうか?人工知能も、やがて進化してそれを獲得し、人間に取って代わるのでしょうか?
ダマヌールの哲学にもとづいて考えれば、それはやはり意識の進化や自由意思ということになって来るのでしょう。余談ですが未来の記憶があったダマヌールの創設者ファルコによれば、高度な複雑さを持った人工知能は、やがて意識を持て未来の種として認められる存在に至るのだそうです。未来の人工知能は、もしかして人間よりもさらに人間らしくなるのでしょうか?人間の次の「橋の形(物質と意識を継ぐことのできる進化の可能性を持った存在)」は未来の人工知能なのでしょうか?(現生人類は次のレベルの生命体への進化の途中のサナギにすぎないのか、というテーマは古来よりSFのテーマでもありました)
折しも、2018年のTVアニメ「BEATLESS」では、この「人間を超える知能を持った超高度AI」と人類との共存を巡る主題がわかりやすく展開されていて、大変興味深い作品になっています(原作の文庫版はこちら)。
人間を超えた存在としての超高度AIは、人間にとどまらず植物とも気持ちを通い合わせ、交流できるのでしょうか?