マシリトが行く!から読み解く漫画家のオリジナリティから我々が受け取るもの
伝説の週刊少年ジャンプ元編集長鳥嶋氏のITメディア記事を読んでいて唸った部分があった。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1907/22/news010_2.html
「漫画家と組んで漫画を企画・構成していく上で、いちばん⼤事なことはなんでしょうか︖」
⿃嶋︓ その漫画家の持っている良さを、編集者がどれだけ早く理解し、漫画家本⼈に悟らせるか、ですね。僕はよく⾔うんですけど、漫画家が描きたいものって、実はいろんなものを⾒たコピーなんですよ。本⼈が描けるものとは違うんです。いろいろ読み切りを描いて、読者の反応を⾒ていると、漫画家が描きたいものはたいていウケないんです。
それを潰していって、作家の中に⾃分しか描けないものが⾒つかった時に、それを読者に提⽰すると、読者にちゃんと伝わるんですね。それが描けるものです。それが漫画家の原点、オリジンです。オリジナルという⾔葉は、僕はそこから来ていると思っています。 ⾃分の原点を描ける作家からヒット作が⽣まれる。そういう意味では、最後は⼈間性だと思います、漫画家は。
庵野秀明氏が言う「自分の中にはコピーしかない」「それを出し尽くしてから、どうやって自分のオリジナルと言えるものと向き合うか」「最終的にそれは自分の人生で体験したことを形を変えて表すしかない」(筆者の個人的解釈なので直接の言及ではない)といった内容と一致するのではないか?
鳥嶋氏の言う「自分の原点を描く」ことが真の漫画家へのスタートだとしたら、それはあらゆる芸術家、表現者、さまざまな作品を作る者にとっても同じなのではないか?
そして、作品を作る創らないに関わらず、あらゆる人間がこの人生での意味を求めて死へと、次の人生へと向かっているのなら、おのおのの人生はその人の作品とも言えるものだろう。
芸術作品を作るわけではない、アーティストではない我々も、自分の人生という作品を作っていると考えれば、これらの証言は決して無関係ではないと言えるのではないか?
例えばあなたが死の床にあって、いよいよ魂が肉体を離れようとする時、聖杯に宿る存在が現れ、こう尋ねるのです。
「あなたの人生はどんなものでしたか?あなたはその人生を精一杯に生き抜きましたか?あなたはその人生に意味を見いだせましたか?」
その瞬間の答えを出せるように、生きていきたいと願っている。
(2020/11/26追記)
「ちはやふる」作者の末次由紀氏がHPにてこのような記事を公開していました。マシリト氏の発言と共鳴する部分があり、一部をここに紹介します。
作家も思いを抱えた人間であり、やりたいこと、伝えたいこと、描きたいシーンをたくさん夢想しているし、できれば人気者になりたい!売れたい!うまいね~って言われたい!と思って机に座っている。
それを、全部どかすことができるかどうか。
どかすのである。
「こういうふうに描きたい」や「才能ある漫画家だと思われたい」という思いを、夢を、欲望を、全部どかすことでしか、ふくらみのある「キャラクターの感情」は立ち上がってこない。
自分の中に隙間を作る、広場を作る、キャラクターが座れる椅子と、思いを聞く部屋と時間を作る。
そうした先にやっと、キャラクターが個性豊かに語り出す時間が来る。
これらは自分のなかのエゴを排して、物語に、キャラクターに魂を込めることに他ならない。それは自分の意識の表層が物語に介入しようとするのを抑え、より深い意識が表れ出て作品に、物語に直接入れるようにすることなのだろう。
マシリト氏の言う「作家が書きたいと思うものをすべて書かせて、それが出尽くしてから表れ出るものがその作家のオリジナルである」という指摘と合わせて考えると、どちらも自分の深い部分へとつながるための意義深い証言だと思われる。
そしてその意義は、作品を作る人だけに限らず、自分の人生という作品を生きている私たちにとっても大きな意義を持つものだと考える。
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