見出し画像

「タッチ」世代ではなかったが

80年代を代表する人気漫画「タッチ」で、上杉和也の死の場面の回を、編集長ら殆どの編集部員の反対を押し切り、作者あだち充と担当編集者の三上信一が校了直後に失踪し原稿を守り抜いたと知ったのはまだ数年前のことだ。当時はリアルタイムでサンデーを読んでいなかったが、そのくらい疎い者にも「主人公と思われていた方の双子の弟が死んだ」と伝わってくるくらい、その死は当時の世間に衝撃を持って受け止められていた。よく比較して取り上げられるが、『あしたのジョー』中盤の「力石徹の死」に匹敵する社会現象となったというのも大げさではないだろう。

ネットでみつけたいくつかの記事をご紹介したい。

ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春 第12回 『タッチ』①:『タッチ』はなにからのバトンを受け取ったのか? 碇本学

主人公の双子の弟の上杉和也が死んだ回「ウソみたいだろ…の巻」が掲載された「少年サンデー」’83新年1•2合併号が発売された日、編集部には非難轟々の電話が鳴り続けていた。その時、電話番として編集部に残されていたのは『タッチ』の二代目編集者の三上信一だった。
三上は一日中、「人殺し」「許さない」など罵詈雑言を浴びせ続けられることになった。罵られるよりも、受話器の向こう側で何も発さずに聞こえてきたすすり泣きを聞き続けた時に胸が張り裂けんばかりに締め付けられたという。

このくらいの衝撃を持って受け止められたことがわかる。あだち充がその先に何を描こうとしているのか本人も明らかにしていない状況で、編集部が下した判断は常識的なものであっただろう。作者と編集者にしてやられた編集長が、担当編集者を左遷などせずに読者からのサンドバッグにすることで責任を取らせたのは納得というか男気を感じる。


爆笑問題も衝撃!『タッチ』"和也の死"に隠された裏話がスゴすぎると話題に

「タッチ」というタイトルがバトンタッチの意味なのだというのは連載中から囁かれていた、というか暗黙の了解事項だと思っていたのだが、和也の死までのパートを楽しんでいた読者には衝撃だっただろう。何しろタイトルを決めた時点で誰かの死を受け継ぐ話なのだと作者は決めていたことを、これ以上に明確に表している証拠はないのだから。むしろ編集長らを出し抜くために密かに三上氏と策を練っていたということから、最初から反対されるのを承知の上での計画だった。そのために敢えて白を切っていた、と。


『タッチ』の南ちゃんは本当は何者だったのか

この記事、一見、南ちゃんの話かと思えるタイトルや書き出しでは有るが、実は後半には上記の編集者三上氏やあだち充が「生存バージョンを描かされないために」失踪した件も出てくる。

ここまでの大立ち回りを演じて主役の「バトンタッチ」を行ってまで、あだち充が描きたかったものはいったい何なのか。野球漫画としての最高峰を更新しながら、「最も親しい者の死にとりつかれた二人」がお互いに生者として向き合う(それも甲子園の開会式をすっぽかして)、という場面を描ききったあとは、結局(南の目標であったはずの)甲子園大会は一試合も描かれずに終わる。

その意味は人生のいろいろな体験を終えた年代の方が深く心に響いてくるのではないか。そこまでの意味、重みに到達できるという確信が編集者やあだち充本人にあったかどうかはわからない。しかし、有るかどうかもわからない到達点へ向けて、誰にも理解してもらえない「和也の死」を描いた原稿を守り抜いたエピソードは人々の記憶に残って良い重みのあるものだ。

この記事の著者CDB氏が言われる「ラブコメハードボイルド」というべきジャンルを、和也の死と残された二人を描ききることで、あだち充は生み出したのだと、今となっては理解できる。

これは自分のために生きることをためらってしまう優しすぎる天才児たちの物語なのだ。

まったくこの言葉に尽きる。

終盤、インターハイで優勝候補と囁かれる南が「なんで私、ここにいるんだろう」と虚脱感に囚われ、同時に達也も「どこを向いて歩いているのかわからない状態じゃ、とてもじゃないが試合にならない」と、目標を見失った二人は会って確かめることなしには身動きが取れなくなる。何のために頂点を目指すのか、頂点を取ることに意義が有るわけではなく、目指す意味を問わずに前に進むことのできなくなった二人、和也の夢を叶えてしまった二人、ほんとうに自分自身の叶えたいもの、見て欲しい人に捧げたいもの、それはお互いに同じなのだと確認する二人。

本当に完璧なストーリー、構成だ。ここにきて、「タッチ」は野球漫画であることすら投げ捨ててしまう。まさにラブコメハードボイルドなのだ。


ひょんなことから、漫画家島村和彦の自伝的作品「アオイホノオ」の中で、大芸大在学中の主人公ホノオモユルを見出し担当編集者となったのが、前出の三上信一氏であることを知った。その直後に読んだアオイホノオ22巻で、ホノオモユルが和也の死が描かれたサンデー'83新年1・2合併号を手にして、信じられない・受け止めきれないとあらぬ方向へ想像力を暴走させても覆らず、「あだち充やっちまった!」と狼狽するさまが描かれる。

続く23巻では自分の担当者である三上編集者があの伝説回の原稿を周囲の妨害をはねのけて(逃げ回り)発行にこぎつけた立役者であったことが明かされる。携帯電話のない時代であったからこそできた、現在では考えられない離れ業だったが、その後の「タッチ」の展開を世界中が知った現在、三上氏の功績はもっと知られて良いものだろうと思う。


その功績は、その後のストーリーを描ききったからこそ評価されるべきものだ。喪失を乗り越えるためには、それまで正面切って本音を明かさずに逃げ回っていた達也が南と向き合って思いを伝える場面を描ききる必要があった。作者のあだち充自身も

正直描きたくなかったけど、ここまで来ちゃったらしょうがねぇ
(「あだち充本」p.143)

と、主人公同様に追い詰められていたのが面白い。追い詰められたと言うよりも、自分で自分を追い込んでしまった(猛反対されながらも和也の死を描いた)わけだから、作者も腹をくくるしかないわけですな。

ちなみにこの「あだち充本」、責任編集が三上信一氏であるのも、彼らの絆を感じられて重みを感じる。歴代のあだち充担当編集者のコメントもたっぷりと掲載されていて、作家を支えるパートナーとしての彼ら編集者の生き様が伺えて読み応えがあった。

こういったエピソードを積み上げてきて見えてくるのは、「タッチ」のように時代を変えてきた、時代に影響を与えてきた作品やそれを作り出した人々の汗と涙の結果は、その作品にリアルタイムで触れてこなかった自分のような人間にも確実にその影響が及んでいるのだなあと思わされる、そういった重みを感じる何かがあるのだと気付かされる。それは自分の心の奥に、いつのまにかそこにあった、ささやかな宝物を見つけたようで心地よいものなのだ。

こういった作品を生み出してくれた作者と編集者たちに今更ながらの感謝を贈りたい!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集