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【ヤッチャレ Day-17】 坂本龍馬

#yachallenge100days Day-17は、歴史上の人物から紹介したいと思います。
今回は近代日本の幕開けに大きな功績を残した英雄として、菅義偉首相やソフトバンクの孫正義会長兼社長など、著名なリーダーを魅了した土佐藩郷士の坂本龍馬氏です。
歴史の教科書だけでなく、文庫本や大河ドラマに必ず登場する人物のためご存知の方もいらっしゃるかと思います。

龍馬は、天保6年11月15日(1836年1月3日)に坂本家の次男として生まれました。質屋、酒造業、呉服商を営む豪商才谷屋の分家ということで裕福な幼少期を過ごしていたとされていますが、教育が厳しかったのか泣き虫だったという言い伝えもあります。
その後、1853年に江戸遊学に出るとアメリカからペリー提督が来航していたタイミングで、異邦人を見ることで海外に興味を持ったことから砲術やオランダ語といった外国語も学んだと言われています。

その後、一度は土佐藩に戻るものの「自分の考えで自由に行動したい」と考えた龍馬は、脱藩して江戸幕府のやくにんだった勝海舟に出会い、弟子入りします。
坂本龍馬といえば剣豪というイメージがありますが、現代の株式会社に類似した組織として営業活動に従事する「亀山社中(のちの海援隊)」を長崎に作るという商人としての側面もありました。

その後、ペルーの来航で危機感を感じていた龍馬は日本を守るためにも一期団結する必要があると考え、仲が悪かったとされた薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)で薩長同盟を成功させました。

その後、海援隊が保有する蒸気船が沈没する事件が発生し、ようやく落ち着いた1867年に藩船で長崎から兵庫に向かう途中、船中で書いたのが有名な「船中八策」です。

中には、 大政奉還、上下両院の設置による議会政治、有能な人材の政治への登用
、不平等条約の改定、憲法制定、海軍力の増強、御親兵の設置、金銀の交換レートの変更など画期的な条文が書かれていたとされ、のちに成立した維新政府の綱領の実質的な原本となったようです。

その後、江戸幕府が倒れて新しい世界が始まろうという矢先である1967年12月10日に暗殺者は龍馬たちのいる部屋に押し入り額をはじめ数か所を深く斬られて、ほとんど即死に近い形で殺害されてしまったとのこと。

数々の偉業の裏には知られざる挫折や失敗が幾度となくあったと思います。薩長同盟も海援隊も大政奉還も逆境にめげずに戦った龍馬の汗と涙の結晶だと思いますが、龍馬はあの時代、何のために、誰のために生きたのでしょう。
藩の決定は絶対という世の中にありながら日本という国を意識し、遺恨も利害もなく、その国民のことを考えて行動した坂本龍馬の行動力は素晴らしいと感じます。

【参考ページ】
高知県立坂本龍馬記念館 https://ryoma-kinenkan.jp/feat/
坂本龍馬人物伝 http://www.ryoma-den.com/ryoma.html

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