長編小説「Crisis Flower 夏美」第1話
○あらすじ
※週1~3話追加 全18話の予定です。
SCENE 1 廃校舎
つい最近廃校のためとり壊しが決まった中学の校舎は、夜の闇に染まると一際もの悲しい雰囲気を醸し出していた。
鷹西惣一郎は、一旦校舎の外に出て、中の気配に気をつけながらスマホを取り出す。
ひっそりとしているが、先ほど数名の男達が校舎内に入り込んでいったのを確認した。
ここ数日、横浜市内の貴金属店が襲われる事件が相次いでいた。数名のグループの犯行で、おそらく半グレと呼ばれる連中と見られている。
市内各地をまたいで頻発していたので、最初に犯行があった区の所轄に捜査本部が設置されているが、実質県警刑事部捜査一課の徳田班が中心となって捜査していた。
その一員である鷹西は、独自の情報網から、今夜この場所で盗品の取引が行われるという情報を掴んだ。
先ほど校舎に入っていったのは、犯行グループに間違いないだろう。
そして、強奪した貴金属を連中から買い取るために、最近暗躍し始めた東南アジア系の密輸グループがやってくるはずだ。
そろそろ、班長の徳田に伝えようと思った。
連中は今、職員室だった部屋にいる。まだ買い手側のグループは来ないが、待つ間に連絡しておいた方がいい。
校舎の陰に隠れながら、徳田の名前をタップする。
すぐに出た。小声で詳細を説明する。
「おまえというヤツは……」呆れたような徳田の声が聞こえてきた。「単独行動は慎め、と何度も言っているはずだぞ」
「すいません。でも、一人で動いた方が裏情報は集めやすいんで」
「同じ事を、1分ほど前に別のヤツから聞いた」
ため息混じりの徳田の声。
「え?」驚き、怪訝な表情になる鷹西。
「月岡が、今おまえと同じ場所にいる。どこかに潜んで買い手グループを待ち受けているはずだ。あいつも、一人で動いてそこまで突きとめていた」
月岡? え? 月岡夏美?
鷹西の脳裏に、一人の女性刑事の姿が浮かぶ。
「無鉄砲なヤツだ……」
思わず呟くが「お前が言うな」という徳田の言葉に肩を竦めた。
「とにかく」と続ける徳田。「月岡と合流して、俺たちの応援を待て。絶対に、2人で勝手に動くなよ」
怒りを押し殺したような声で言い、徳田は切った。
ふう、とため息をつく鷹西。
月岡夏美……。半年前に22歳の若さで捜査一課強行犯係徳田班に赴任してきた彼女は、数々の驚きを県警内にもたらした。
まずその容姿――。
赴任してきて程なく「捜査一課の可憐な花」とまで言われるようになった。美人というよりは可愛らしく、事件発生の際に時折見せる愁いを帯びた表情はまさに可憐で、男達を骨抜きにしかねない。
本来下っ端をビシバシしごくはずの先輩連中が、その大きな瞳に見つめられると優しい紳士に変ぼうする。彼女が来るまで一番下っ端だった鷹西は、扱いの不公平さに一時期ふて腐れた。
しかし、最初こそおとなしくしていた彼女だが、1ヶ月もするとその破天荒さを露わにした。まず、強すぎる正義感と、それを隠さずに主張するまっすぐさで、班長の徳田にさえ意見し、時に反発する。
正しいと思ったことは一人でもやる。その行動力は、それまで単独で動くことが多く荒くれ者と言われていた鷹西さえ、呆れさせるほどだ。
危険な捜査にも積極的に参加し、むしろ先陣を切る。
小柄で華奢な体、時に儚げにさえ見える淑やかな顔つきからは想像もできないが、あらゆる武道に精通していて、特に居合道は達人級。警棒を持った時の強さは、一人で特殊部隊に対抗できるのではないか、とさえ思えるほどだった。
容姿と行動のギャップで、現在は「可愛さの無駄遣い」と言われるようにもなっている。
すぐ下の後輩のため、これまで組んだことはない。どちらも問題行動が多いということで、離されることが多かった。
なので、あまり話をしたことはない。しかし、興味がないわけではない。むしろ気になる存在だ。鷹西とて若い男の端くれ。あれほど可愛い女性に目を奪われないはずがない。だが、それを表に出すのはしゃくだった。
現在、彼女に厳しく接しているのは班長の徳田くらいだ。他の先輩連中は、むしろ彼女に優しすぎる。徳田に怒鳴られてしょげているところを優しく慰めたりさえする。
俺の時は笑っていたくせに……。
鷹西は決めている。もし今後、月岡夏美と組むことがあったとしても、俺は絶対に、先輩達みたいに甘い顔はしない。可愛いからといって、特別扱いはしない、と。
あのじゃじゃ馬がいるのか?
もう一度ため息をつきながら、鷹西は校舎を振り返った。
SCENE1 廃校舎②
月岡夏美は裏門から入り、校舎の脇にある生物・化学実験室跡地の裏に身を隠していた。職員室とは渡り廊下でつながっている。
先ほど職員室を覗いたところ、反グレと思われる連中が7人ほどいた。あとは、密輸グループが来るのを待つのみだ。
班長達、間に合うかな……?
少し不安になった。非合法な取引は、手短に行われることが多い。終了前に来てくれないと、一人で何とかしなければならなくなる。
見込み捜査の段階だったので、拳銃の所持は当然していない。
夏美は、ジャケットに隠した警棒に手をやり、深呼吸をする
落ち着け、夏美。大丈夫。大丈夫……。
そうやって自分に言い聞かせていた時、突然、胸ポケットのスマホが震えた。
思わず「きゃっ」と叫びそうになり、両手で口をふさぐ。
取り出してみると、徳田からのメールだった。
『鷹西が同じ場所にいる。合流して、我々の到着を待て。絶対に2人で勝手に動くな』
あの鷹西さんが……?
読んでちょっとだけホッとした。頼りになる人が近くにいる。
だが、すぐに複雑な思いにもなった。鷹西という刑事はくせ者なのだ。アクが強いというか……。
夏美のすぐ上の先輩で強者揃いの徳田班の中では下っ端の方だが、なぜかあの人は、態度が大きい。
先輩達を蔑ろにするわけではない。きちんと敬ってはいる。ただ、単独行動が多く、自分の好きなように動きまわることが多かった。
そこは最近の夏美と同じなのだが、徳田や先輩刑事達から「この2人は……」と一緒くたにされるのが不満だった。
私はあんなに粗暴じゃないし。単独行動だって、あの人みたいに連絡や報告をいい加減にはしてないし……。
思い出して、つい頬を膨らませる。
その実力は認めている。検挙率の高さは夏美でもまだ適わない。
捜査における洞察力や情報収集力もかなりのものだ。優秀な刑事が多い徳田班の中にいても見劣りすることはない。むしろ際立つことさえある。
身体能力も抜群で、大学生の頃は柔道でオリンピック強化選手に選出されたらしい。数ヶ月前、ドラッグを所持していたプロの総合格闘技選手が職質に抵抗してきたために、逆に半殺しにしてしまった。
なにより、以前あのSAT(特殊急襲部隊)に推薦され、入隊直前にまでいったという。ただ、その頃発生した連続通り魔事件の犯人を追い詰め、怒りにまかせて病院送りにしてしまったことで入隊は取り消された。
感情をコントロールできないのが、マイナスと採られたようだ。
直情径行なのは、刑事として良いことではない。優秀なだけにもったいないと思う。
大人げないんだよなぁ、あの人は。
それに……。
すぐ上の先輩ということで、組んだことはない。なので、あまり会話も多くない。それなのに、たまに会うと馴れ馴れしく「おまえ」とか「夏美」と呼び捨てにしてくる。
体育会系の男性にはよくあることだが、いい気はしない。他の先輩方でさえ、せいぜい「月岡」か「夏美くん」だ。
以前徳田にその不満を言ったところ「あいつは不器用なんだ。照れ隠しだろう」と言って笑っていた。
また、その徳田からすると「おまえの父親に似たところがあるぞ」ということだった。
夏美の父も刑事だった。徳田とは同期で、組んだこともあるという。夏美が子供の頃に殉職してしまったが、立派な刑事だったとみんなから言われ、誇りに思っていた。
そんな父に似ているなんて……。
納得がいかない気持ちが九割。父はこんな感じだったのかなぁ、と不思議な気持ちが一割……。
なので、鷹西という先輩刑事にはどうしても様々な思いが交錯してしまい、素直に接することができないでいた。
それ、もしかして恋心の裏返しじゃない?
女子寮の同僚にそんなことを言われたことがある。
とんでもないっ!
思い出し、その時と同様に大きく首を振った。
ふと、背後に気配を感じる。
しまった! 考え事をしていて隙をつくってしまった。
素早く警棒を取り出し、振り返る。
「ちょっと待ってくれ」
小声でそう言いながら、両手をわざとらしく上げる鷹西がいた。
「た、鷹西さん……」
息を呑み、そしてフーッと吐く。鼓動が激しくなるのを抑える。
「さすが夏美。素早い動きだなぁ」
拍手のマネをする鷹西。
「呼び捨てにしないでください」
睨みつける夏美。
「悪い悪い」ちっとも悪いと思っていないような素振りで言う鷹西。「それにしても、ちょっと無鉄砲すぎるぞ、一人でこんな所にまで乗り込んできて」
「鷹西さんに言われたくありません。まず我が身を省みてください」
プイッとそっぽを向く。
ふうっと鷹西が溜息をつく。頭をかきながら「はねっ返りだなぁ。可愛くないぞ」
「どうせ……」振り返り、頬を膨らませる夏美「どうせ可愛くないですよ。鷹西さんこそ、もうちょっと刑事らしくしたらどうです?」
「それこそおまえに言われたくない」
上から鷹西が睨みつけてくる。
「おまえ、っていう言い方もやめてください」
負けずに下から睨み返す夏美。
そこで2人同時に、気配を感じてハッとなる。どちらともなく、素早く建物の陰に身を隠した。
おそらく買い手となる東南アジア系の密輸組織の連中だろう。2台の車が乗りつけ、ぞろぞろと男達が降りてきた。7人いる。
そして、校舎内へと入っていった。
「取引がはじまる」と鷹西。
「たぶんすぐ終わってしまいます。どうします、鷹西さん?」
さっきまでの睨み合いは置いておき、2人とも刑事の顔に戻っていた。
「とりあえず様子を見よう」
頷き合い、密輸組織らしい男達の後を追う。
元職員室に男達が集合した。ピリピリとした緊張感が漂っている。
廊下側で身を潜める夏美と鷹西。
密輸組織の者達は、イントネーションに多少難があるが一応日本語で喋っているようだ。
「うん、悪くない」
「じゃあ、金は約束したとおりの額をもらうぜ」
「わかった。わかった……」
そんな簡単な単語のやりとりがあった。あらかじめ物や金については決まっていたらしい。その確認をしているだけだ。
おそらく何度もこのような取引があったのだろう。手慣れている。このままでは、すぐに終了してしまう。
夏美は焦った。鷹西を見ると、彼も苦々しい表情をしている。
SCENE1 廃校舎②-2
「二手に分かれて、それぞれのグループの後をつけますか?」
夏美が提案する。
「それもいい手だが、たぶんあと数分すれば班長達が到着する。それまでここに連中を足止めしておく方が手っ取り早いな」
「どうやって?」
鷹西は、夏美を見て「そうだな……」と笑みを浮かべる。
「なんですか?」
「とりあえずおまえは……」
「おまえ、って言わないでください」
睨みつける。こんな時だが、きちんと言っておかないとこの人はいつまでも続ける。
やれやれ、と頭をかく鷹西。そして「とりあえずあなた様は、どこかに隠れてろ」
「はあ?」
「そこの、理科の部屋みたいなのがあるだろう。その辺でいいや」
「鷹西さんはどうするんですか?」
「俺は、あいつらとちょっと鬼ごっこしてくる」
「え?」と戸惑う夏美の腕を掴むと、鷹西は無理矢理渡り廊下へと押し出した。
「ちょっ、ちょっと何するんですかっ」
小声で抗議する夏美だが、小柄な彼女は鷹西の力強さに対抗できない。むしろ、あたりまえのように腕をとられて、思わずドキッとした。
鍵はかかっていなかった。引き戸を開け、夏美を部屋へ押し込む鷹西。
その動きで気配が伝わったらしく、職員室から「誰だ?」と剣呑な声が響いてくる。
鷹西はわざとらしく「わあ、何でもありません」と大声で叫び、走り出す。
とたんに職員室から男達が飛び出し、鷹西を追いかけた。
「待て、こらっ!」
隠れて見ていると、すごい勢いで男達が走って行く。銃を手にした者が1名、その他にナイフや警棒のような物を持った者が5~6名はいるだろう。
鷹西は慌てるような素振りをわざとらしく見せながら、階段を上っていく。
男達が慌ただしく追う。
何考えてるのよ、あの人……。
呆れる夏美。溜息をつき、ふと、横を見る。ガラス張りの棚があり、中に何かある。
目をこらすと、蛇が夏美を睨んでいた。
「ひっ!」と息を吐き、後退る。
だが、すぐ横にも棚。そして、ホルマリン漬けの蛇や蛙、ネズミ……。
思わず「いっ……、いやぁっ!」と叫んでしまった。
慌てて自分の口をふさぐが、もう遅い。
「何だ、ここにもいるぞ」
職員室に残っていた男達のうち一人が、懐中電灯で夏美を照らす。
後からまた数人渡り廊下までやってきた。
「ほう、ずいぶんいい女だな」
別の男がにやけながら言った。
「あ、あの……」オドオドとする夏美。「すいません。お邪魔でしたね。すぐ出て行きます」
ペコリ、と頭を下げ、別のドアに向かって歩き出す。しかし、その右腕を掴まれ、無理矢理引っ張られた。
「きゃあっ!」と声をあげるが、男はかまわず夏美を押さえ込む。
太い腕にギリギリと締めつけられ、華奢な夏美の体が軋む。
「い、痛い……」
「帰れると思ってんの?」
男が煙草臭い息を吹きかけてくる。
「そ、そうですよね」と愛想笑いする夏美だが、すぐにその表情を引き締めると、かかとで思いきり男の脛を蹴った。
ぐわっ、と呻き、男が夏美を離す。
振り向いた夏美は、素早く警棒を取り出し伸ばす。そして、怯んだ男に「えいっ」と面を打ち込んだ。
「こいつ」と叫んで横から殴りかかってきた男の腕をかいくぐり、屈みながらその膝を警棒で打ち抜く。そしてガクッと腰砕けになった男にまた面。
背後から襲いかかってきた男には、振り向きざま肘をその鳩尾に向かって打ち込んだ。
うぐっ、と前屈みになった男の首筋に手刀を落とす。
もう一人の男がその場にあった椅子を投げつけてくる。伏せて避けた夏美に、男は掴みかかってきた。
夏美は冷静に身を翻す。男の腕を軽く掴み、振り向いてきた勢いを利用して投げ飛ばした。
やぁっ!
夏美より二回りは大きな男の体が宙を舞った。そして、フロアに背中、後頭部と順番に打ちつけ、意識を失う。
あっという間に、4人の男が倒れ伏した。
ふう、と一息つく夏美。
渡り廊下に出ると、上の階から銃声が聞こえてきた。
さらに「ガシャーン」とか「ドゥッ!」という音が続く。鷹西が派手に動きまわっているようだ。
大丈夫だろうか?
心配になったが、それどころではなかった。
「動くな」と背後から声がかかる。
振り返ると、体格のいい男が銃を夏美に向けていた。
あっ! しまった……。
息を呑む夏美。男は銃の扱いに慣れているようだ。構えを見ればわかる。
「その武器、捨てる」
イントネーションが少しおかしい。東南アジア系の男なのだろう。ちょっと見では日本人と変わらないが、反グレの連中より逞しく、大きかった。
「捨てないと、撃つ」
男が急かす。
夏美はいったん無抵抗を示すようにガックリと肩を落とし隙を見る。警棒を捨てるふりをして、男に投げつけようと考えていた。古武道の覚えもある彼女は、手裏剣や小太刀での的あての技も持っている。
夏美の無念そうな表情を見て男がフッと笑った。
今だっ!
キッと男を見据え、腕を振り上げ……。
しかし、そこで夏美の動きは止められてしまった。ガシッと、後ろからもう一人の男が手首を掴んでくる。
グッと力を込めて捻られると、警棒は彼女の小さな手からこぼれ落ち、カランと虚しい音をたてながら床を転がった。
ああっ……。
絶望感を伴って、夏美の口から溜息が漏れる。
「気をつけた方がいい。この女、ただ者じゃない」
彼女の手首を掴んだ男が言う。彼も密輸組織の一員らしい。
くうっ!
夏美は呻き声をあげながら腕をふりほどこうとする。だが、男の握力には全く対抗できなかった。
それどころか、男は彼女の手首を掴んだまま、ぐいっと腕を差し上げていく。
夏美の体が軽々と持ち上がる。足がフロアから浮いてしまい、男と顔が同じ位置に来た。
「は、離して……」
必死に声を出す夏美。
銃の男が彼女の顎に手を当て、上を向かせた。そして、目の前に銃口を突きつけてくる。
「お、お願い、やめて……」
夏美がふるえる声で哀願する。
男はそんな彼女の頬を握り、力を入れた。無理矢理に口を開く。
あ、あぐぅ……。
怯えて目を見開く夏美。
男は銃口を彼女の開いた口に差し入れた。そして「ちっちゃくて可愛い顔だな」とニヤリと笑う。
いや、いや……。
夏美は何度も顔をふり、助けを求める。
その仕草を見て、男達は顔を見合わせ、嬉しそうに笑う。
た、たすけてっ!
口の中に冷たい鉄の味を感じながら、夏美は声にならない悲鳴をあげた。
第2話以降に続く↓