Werewolf Cop ~人狼の雄叫び~ 第16話
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○ 31
城島や岡谷と話をした翌日、池上は例によって偽会計事務所で大森の前に立っていた。
午前中のこの時間は、大森班の者達がチラホラと報告に戻っては、また出て行く。それぞれが受け持つ案件について大森は把握し、必要に応じてアドバイスや指示を出す。
たまに組んで捜査に当たることもあるが、1人で行動する方が多かった。久しぶりに会う他の班員達と軽く挨拶を交わすものの、基本的にそれぞれの抱えている事案についてあまり話はしない。
刑事警察と比べて冷たく感じられるのは、こういう関係性もあるのだろう。だが、決してチームワークが皆無というわけではない。大きく動く時には、当然皆が協力し合う。
今回の件は、誰かに協力を求めるというわけにはいかないだろうな、と改めて思い、池上は溜息をついた。そもそも個人的な思惑で動き始めたのだ。
「草加が所属していた班の責任者と接触できた。もちろん秘密裏にだが」
大森が池上の顔を見上げながら言う。
池上は色めき立った。現在は解散となり、それぞれの捜査官はバラバラに飛ばされたと聞く。皆、大きな力にねじ伏せられたことで忸怩たるものがあるだろう。草加だけでなく、彼等の無念も晴らしてやりたいところだが……。
実際は、池上自身の明日の姿かもしれない。いや、命さえどうなるかわからない状況だ。
「班長だった男だが……」大森が続ける。「今は県警の資料室で日がな一日書類整理だそうだ。十歳くらい老け込んだように見えたよ。明日は我が身かもしれんがな」
肩を竦め、苦笑する大森。
「草加が探っていた事案について、何か話は聞けたんですか?」
池上が訊く。草加が所属していた班の者達の動きは、おそらく未だに監視されている。日の出製薬に通じる政財界の権力者の影響力が、警察内にも及んでいるのは明らかだ。大森もその元班長もそんな事はわかっているだろうし、気をつけてもいるだろう。なので、充分な話ができたのか不安があった。
「ある程度は、な。元班長も、敵の大きさは思い知っているようなのでいろいろはぐらかしながらだったが、話してくれた。まず、日の出製薬が海外に不正な薬物を流していたというのは、本当らしい」
やはり、佐野が言っていたのは事実だった。草加はそれを調べていたのだ。
「そしてそれを後押ししていた政界の人物達についても、草加はかなり掴んでいたらしい。不正に関わる組織図も、取引先リストも作成し、証拠と一緒にデータ化してあるようだ。だが、草加の死とともに、そのデータの所在は不明となった」
思わず唸る池上。敵の手に落ちたのか? それとも、草加はどこかに隠してあるのか? それさえあれば、日の出製薬の不正の全容が明らかになる。どうにかならないだろうか?
「俺の想像では、そのデータはまだ敵の手に渡っていない。幹部や理事の暗殺に関して、連中の影響力の及ぶ派閥が取り仕切るのもそのためだ。事情を知らない者達で構成された捜査本部が調べを進めるうちに、そのデータに行き当たってしまったら困るからだ」
「なるほど。なら、先に手に入れれば、こちらにも打つ手はある」
池上が頷きながら言うが、なぜか大森は渋い顔だった。気になったが、話は別の方へ進んでいく。
「それから、草加が巻き込まれた火災についてだが、当日の沢の北峠分署の動きが記された報告書を手に入れた。ここに文書ファイルとして入っている。後で確かめろ」
そう言って、大森が小さなケースを差し出した。受け取ってみると、マイクロSDカードが入っている。
「特に不審な点は見られないが、通報を受けてから、どう処理しどの警察官がどうやって現地に向かったかが記されている。そして、その後の被害に至る状況も、だ」
最後の方で目を伏せていたのは、そこで草加が命を落としたことがわかっているからだろう。
「ありがとうございます」
改めて頭を下げる池上。
「これからどう動くつもりだ?」
大森が訊いてきた。やはり、どこか表情がさえない。何かあったのだろうか? 疑問を持ちながらも、普通に応えることにした。
「明日には、沢の北峠の辺りに行ってみようと思っています。しばらく滞在するかもしれません」
「沢の北峠へ? 分署の跡地でも確かめるつもりか? あるいは、猟奇連続殺人について現地で調べを?」
「それもあります」
まさか、エリカという名の暗殺者とともに動くとは言えない。池上は簡単に返事をした。
「あまり大っぴらに動くと目立つぞ」
「はい。充分気をつけます。それと、草加が子供の頃から世話になっていた神社があるんです。そこを訪れてもみたいです」
「神社?」と怪訝な顔をする大森。
佐野の話の中に出てきた、草加が学生の頃仕事を手伝ったという神社だ。調べてみて、それが「影狼神社」という所だと掴んでいた。名に狼がつくのに大いに興味を惹かれたが、まだ人狼に関係があるかどうかはわからない。
「神職の御厨鉢造という人物とは、かなり親しかったと聞いています。草加が沢の北峠分署に潜伏していた頃、接触があったかもしれません。あたってみたいと思います」
そこに何か特殊な薬があるらしく、それで草加が驚異的な回復力を見せた、というのは噂話のようなものであり、信憑性についてはまだわからない。この場では伏せておいた。
「そうか……」
大森がそう溜息のように漏らし、イスに大きく背を預けて反り返った。ここでそのような姿を見せるのは珍しい。やはり何かあったようだ。そして今、言いにくいことを言おうとしている。それがわかったので、池上は覚悟をして待った。
「実はな、今朝早く、ここに来客があった。俺一人の時だ」
非常に険しい表情になっている。よほど不快な人物だったのだろう。
「誰ですか?」
「羽黒、とだけ名乗った。その後探りを入れてみたが、警察庁警備局の警備企画課に、羽黒基樹という男がいる。細かいことはわからないし、どんな業務を受け持っているのかも見えてこない。おそらくだが、公安裏部隊だ。その、一つの部隊のリーダーか何かなんだろうな。只者じゃない雰囲気がプンプンしていた」
「えっ?!」
息を呑む池上。いよいよやって来たのか、と感じる。腹の奥に重い固まりでも送り込まれたような感覚に陥った。
「日の出製薬のまわりを嗅ぎまわることはやめろ、とはっきり言ってきた。何のことだ? と惚けたが、こちらの動きはある程度見られていたようだ。お前の名も出されたよ。草加がいた班のことを匂わせて、同じ事をできると脅しもかけていった」
「班長、どうするつもりですか?」
なるべく感情を表に出さずに訊く池上。
大森は池上を見上げる。視線が合う。珍しく、彼の目に迷いの色が見えた。
「もう、俺が何かその件に関して探りを入れることはできない」
溜息を漏らすように言う大森。
無念ではあるが、池上も仕方ないことだと思う。明らかな警告を受けて、それを無視した場合、公安裏部隊は強攻策に出るだろう。池上や大森だけではなく、他の班員達の人生をも大きく変えてしまう。
離脱、という言葉が頭に浮かんだ。池上は止まるつもりはない。この件については、どこまでも調べる。だが、そのためにはこの班にいては駄目だし、場合によっては警察を辞める羽目になるかもしれない。警察官でいられる間に事件の全容が判明する可能性は、かなり低いように思われてしまった。
「池上……」声を潜めながら大森が呼ぶ。「おまえはしばらく、休暇をとれ」
「え? 休暇、ですか?」
意外な提案に思わず怪訝な表情になる池上。。
「どうせ、どうなったとしてもおまえは続けるんだろう? 勤務中であれば、俺は放っておくワケにはいかない。だがな、休暇中におまえが何をするかなど、知ったことではない」
「班長……」
息を呑み、大森の目を見つめる。やはり、この上司は自分にとって最高だと思えた。
「それから、これは念のために持って行け。お守りだ」
小さな図他袋のような物をテーブルの上に置いた。池上はそっと手に取る。ズッシリと重い。少しだけ口を開けて中を確かめる。
これは……!
拳銃1丁と銃弾、弾倉が入っていた。
「公安裏部隊は荒っぽいこともする。いざというときは、迷わず使え。おまえは射撃も格闘術もそこそこできるが、連中も訓練を受けている。充分気をつけてな。そんなヘマをやるとは思わんが、もしそいつを持っていることを誰かに咎められたら、押収品を捜査の必要上一時預かっているだけだ、と言っておけ。俺の方でもそう口裏を合わせる」
「ありがとうございます」
深く頭を下げ礼を言うと、池上はドアへ向かう。
「待ってるぞ。無事に休暇を終えて、戻ってくるのをな」
後から大森がそう声をかけてきた。
もう一度頭を下げる池上。そして、大森班の拠点を後にする。
戻ってきたい。だが、できるだろうか……?
小さなビルを見上げ、池上は珍しく感慨を覚えた。
○ 32
今日は土曜日なので、高校は休みだ。とはいえ、友人と会う予定はない。前期期末試験を控えているうえに、3年生であるため受験勉強もしなければならない。皆、それぞれ忙しいのだろう。
卒業後は神職の養成所へ進むことにしている陽奈にも、それなりに覚えていかなければならないことはある。しかし、幼い頃からこの神社の社務を手伝ってきたので自然と身についてきたものは多かった。
今日も朝から、境内の掃除に勤しんでいる。
その姿は、同級生達から見ると神聖で清らかに感じられるのかもしれない。
これまで何度か男子からつき合って欲しいと言われたが、皆、どこか優等生タイプでおとなしそうな人が多かった。それぞれ丁重に断ったのだが……。
女子の友人も、陽奈に対しては精神面で何かを頼るように接してくることが多い。神社の娘として社務をこなし、その所作を自然と身につけているのが、厳かに見えるようだ。
どちらにしても、陽奈が精神的に高みにいるように感じているらしい。実際はそんな事はないのに……。
しかし、それでも良かった。陽奈にとっては、あまり近づきすぎてもらっても負担になることがあった。
なぜなら、陽奈には見えてしまうのだ。ある時はその人の思いが、そしてある時はその人の過去が、未来が、行いが、悩みが、悪意が、痛みが……。
ビジョンとして見えてくる。全てではない。その時々の状況で、心の目に映るものは違う。だから、相手の全てを見抜くことなどできない。
とはいえ、その人物の現状や、その時の本心が朧気ながら伝わってきてしまうと、普通に接することは難しい。
なので、友人や同級生達とも、これまで一定の距離をとってつき合ってきた。
この不思議な力は、物心ついた頃からあった。もしかしたら、と思う。父は何も言わないが、秘薬のせいなのかもしれない。
陽奈は幼い頃病弱だった。もしかしたら命に関わる病に罹ったこともあるのかもしれない。その時にあの秘薬を服用したのではないか?
瀕死の重傷を負った恭介さんのように……。
いずれ確かめてみたいと思う。本当は今すぐにでもそうしたい。何か不穏なことが連続しているように思われる現在、その根源が秘薬を使ってしまったことにあるという疑念もある。それ故、自分のことも含めて、この際全てを父に明らかにして欲しいと感じる。
だが……。
掃除をしながら、陽奈は拝殿の側で話をしている人達を見た。
父が2人の男性を相手にしている。1人は福沢だ。もう1人は始めて見る。確か、羽黒と名乗っていた。更に、その2人に付き従うようにして4人の大柄な男達もやって来た。今は境内を離れて見てまわっている。
福沢は以前から、この神社に伝わる秘薬を欲していた。不穏な状況になってから、その度合いが強まっているような気がする。そして、羽黒を初めとする得体の知れない不気味な男達がついてくるようになった。
あの男達からは、良くない気を感じる。彼等が頻繁に現れている時は、おとなしく密やかにしておいた方がいいと思っていた。父とじっくり話をするのは、落ち着いてからがいいだろう。
父達のいる場所は、自然と最後に掃除することになった。少し離れた所を何度もほうきで掃きながら、様子を窺う。
彼等の声も聞こえてくる。
「あなたの研究熱心さは認めるし、おっしゃるような古来からの秘薬もどこかに存在するのかもしれない。しかし、それはここではありませんよ」
父が福沢に向かって言った。これまで何度も繰り返された会話だ。
やれやれ、という感じで苦笑している福沢の顔が見える。その横で、羽黒という男は感情をまったく感じさせない様子で立っていた。まるで機械のようだ。
「私はね、御厨さん」懲りずに続ける福沢。「ここ最近妙な事件が続いていますが、それは、その秘薬の影響があるのではないか、と思っているんですよ。いや、その裏付けもないわけじゃない。警察の捜査状況をここで明かすわけにはいきませんが、私が伝え聞いたところによると、人外である何者かの仕業、という声もあがっている」
「人外、ですか? それはまた、荒唐無稽な……」
ほう、と驚いたような表情になる父、御厨鉢造。
「民間伝承の薬剤とはいえ、治験なしに大量投与するのは違法になる場合がありますよ。しかも、それが殺人事件の要因の一つになっているとしたら、問題だ」
福沢が咎めるような視線を向けながら言った。だが父は表情一つ変えない。
「その通りですね。誰かがそんな事をしたとしたら、しっかりとけじめをつけなければいけない。本来の目的とは違う使用方法だとわかっていながら薬品を海外へ流す、というようなことも重大な違法行為だと思いますが」
父のその言葉を聞き、福沢はグッと息を呑む。苦虫を噛みつぶしたような表情になっていた。
陽奈はハラハラした。福沢に対してだけでなく、明らかに圧力を感じさせる羽黒という男や、今はバラバラに散っているとは言え4人の屈強そうな男達を前にしても、父は泰然自若としている。
「御厨さん」羽黒が挨拶以降初めて口を開いた。低く響く声だ。「草加恭介という男性をご存じですね」
陽奈はハッとなる。離れた場所にいるので気取られなかったようだが、目を伏せた。
「もちろん。非常に惜しい若者を亡くしました」
父が一旦目を瞑りながら応えた。
「彼が、最近あなたの所に現れるようなことはありませんでしたか?」
羽黒が続けて訊く。とんでもない内容なのに、表情一つ変えていない。
「何をおっしゃっているんです? 彼は半年前、亡くなったんですよ? そちらの福沢さんが副所長を務める施設の火災に巻き込まれて」
一瞬だけ、父の口調が咎めるような感じになった。福沢は視線をそらす。
「確かにそのようになっています。ただ、彼の遺体が発見されたわけではない。あの事故では最終的に大きな爆発が起こった。運悪く可燃性の高い薬品に火がまわってしまったために。それに巻き込まれた人々の身体は、バラバラになってしまったんです。しかも黒焦げだ。外見から誰なのか判別はできない。その一部から、草加恭介さんのDNAが検出され、亡くなったことになっている。たとえば、火災や爆発により草加さんの身体の一部、指などが破損して落ちてしまったが本人は逃げ出すことができた、ということであっても、このような状況にはなり得る」
「それならば、本人がきちんと警察に戻るでしょう。私としても、彼がまだ生きているというならそんなに嬉しいことはない。でも、ありえない」
羽黒と視線をぶつけ合わせながら父が応える。
「警察に戻ることができるような状態ではないのかもしれない」
「どういう状態でしょう、それは? あまり想像でものを言うのはいただけませんな」
「どういう状態か、それは、あなたが一番ご存じではないですか、御厨さん?」
「おっしゃる意味がわかりませんが?」
対峙する2人。その横で、福沢が険しい表情をうかべている。
しばし沈黙があった。陽奈は息が詰まるような思いで見守った。抑えていても、ビジョンが見えてくる。羽黒という男の後で、多くの人が泣いていた。彼はこれまで、平気な顔で何人もの人を傷つけ、時にはその命も奪ってきた。それが、陽奈にはわかってしまった。
「陽奈、どうした? 気分でも悪いのか?」
父が気づいたようで、羽黒にチラリと目配せしてから近づいてくる。
「大丈夫です。何でもありません」
焦りながら、自然と早口で応える陽奈。あの男、羽黒に自分のことを気づかれたくなかった。
「また来ますよ」
そう言い残し、羽黒は歩き出す。福沢が続いた。そして、境内にいた男達4人が素早くその2人を守るように動き出す。
彼等の姿が見えなくなると、陽奈は父に駆け寄りその手を掴んで訴えかける。
「やっぱり、何とかしないと。止めないと、ますます大変なことに……」
「うむ。わかっている。だが、それは、私やおまえには難しい……」
止める、それは滅する、つまり、この夜から消すこと……。
確かに陽奈には無理かもしれない。しかし、ではどうすれば?
この世の理を外れてしまったことは、正さないと……。
父に優しく肩を抱かれながら、陽奈は神社の向こうに聳える山々を見上げた。
○ ↓第17話に続く