長編小説「Crisis Flower 夏美」 第5話
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※週1~3話更新 全18話の予定です。
SCENE 7 与党民事党本部 会議室
「R――リベンジャー――とは、ふざけた名前だな。不審なメールは、今のところ君と私、そして先生に送られてきた。解析中だが、誰がどこから送信したのかはつかめていない。どうも、我々の技術を駆使しても難しいらしい。それだけ見ても、只者ではない」
警察庁警備局警備企画課に所属する山下茂明が言った。「先生」の手前もあり、冷徹な表情で感情を隠している。ただ、目の奥を見れば、怒りを覚えているのは明らかだった。
「我々が想像しているヤツが犯人だとすれば、もちろん只者じゃあない。それどころか、とんでもない脅威だ。早いところ何とかしないと」
佐々木昌治が応える。極東エージェンシーの代表取締役だ。元警視庁機動捜査隊で要職に就き、その後、今目の前のイスに座っている「先生」の後押しもあり、警備会社を設立。表の事業だけでなく、裏の事業も精力的に行い、躍進してきた。3年前のあれも、裏の事業の一つだ。
「わかっている」と山下。「ジェロン社とも連絡を取り合い、協力を要請した。先方も怒ってる。あの男を処理するために、精鋭を複数名送り込んできた」
「しかし、安心はできない。あいつの戦闘能力は恐ろしいし、その上に執念を持っている。侮るわけにはいかない」
佐々木が言った。原木が殺害された今、次のターゲットが自分ではないか、と不安を感じている。部下を動かしRを探しているが、まったく足取りがつかめない状況だった。
「あんたの所の力で、なんとか探り出してもらわないと」
更に佐々木がそう言うと、山下は渋い顔をする。
「警察として正式にしている捜査と、隠しておかなければならない事実。そのバランスを考えると、大っぴらに動くわけにもいかないんだ。もちろん秘密裏に調べは続けているがね」
「警察の中に、おかしな動きはないのか? 3年前のあの件とつなげようとするような」
「捜査本部にはそうならないようにクギを刺してある。私の息のかかった管理官が指揮を執っているからな」山下が頷きながら言った。「ただ、個別に妙な動きをしそうなヤツはいる」
「誰だ?」
「3年前のあの件にも少しだけ関わった男で、神奈川県警科学捜査研究所の三ツ谷という者だ。昨日から休暇を取っている。独自に動いているのか、あるいはRに協力しているのか……」
「放っておくワケにはいかない」
佐々木の目がギラリと光る。
「うむ」と頷く山下。「そいつは我々の方で探す。だが、君の部下にも動いてもらうぞ。もし三ツ谷以外にもおかしな動きをするような捜査員がいたら、処理してもらいたい」
「ああ、そういうことなら協力する。だが、それより一刻も早くRを始末したい。ジェロン社の連中をせいぜい急かしてくれよ」
「とにかく」とはじめて先生と呼ばれた男――与党「民自党」幹部・奥田浩三――が声を出した。
山下も佐々木も姿勢を正す。
「早急な処理は当然だが、影響は些少に留めるように、よろしく頼む」
丁寧な言葉遣いだが、有無を言わさぬ重みと圧力があった。
「わかりました」
山下と佐々木は2人揃って頭を下げる。
奥田が立ち上がり、窓の外を見た。
東京・お台場地区の夜景が壮麗に輝いていた。
SCENE 8 みなとみらい 臨港パーク
バックに「みなとみらい」の名前を体現するような近未来的な建物群を置き、目の前に横浜港。ベイブリッジの夜景。空には月、数々の星……。
芝生に座っているのは、ほとんどが男女のカップルだ。
だが、一人だけ、異質な存在があった。
最も海寄りの場所で柵に手を乗せるようにしてしている、大柄な男。
それぞれが2人だけの世界に浸り、まわりを気にすることのないカップル達だが、一組だけ、その男の後ろ姿に目をとめた。
「あの人、どうしたんだろう?」
彼女が言う。
「え? ああ、なんか、哀愁を帯びているっていう感じだよね」
彼氏が応えた。
「すごく哀しそう……」
既に夜中と言って良い時刻だった。それを気にしているわけではないだろうが、海も静かで、波は小さい。
ふと、闇が歪んだ気がした。彼も彼女も「え?」と違和感を口から吐き出す。
大柄な男の背後の空間が、大きく揺れた。まるで異次元の一部が出現したかのようだ。
2人とも、一緒に見たファンタジー映画を思い出す。主人公が魔法を使って消えたり現れたりするシーンだ。
実際、異次元空間の様に見えたところから、急に人が出現した。まるでどこかから瞬間移動でもしてきたかのごとく――。
2人して息を呑む。声を出してはいけないような気がして、手を握り合いながら固まった。ジッと、突然現れた、おそらく男だと思われる人物を凝視する。
現れたのは一人だけではなかった。海を眺めている哀しそうな男の背後に、あと2人、突然現れる男達。
妙な格好をしていた。戦闘服とでもいうのだろうか? 特殊部隊が獲物を狙うかのように身構えている。
何かが始まる。それも、恐ろしいことが――。
2人が目を見張っていると、突然現れた3人が腰から大きなナイフを抜き、構えた。
だが、次の瞬間、海を眺めていた男がそのままの姿勢で、突然消えた。
ええっ? 思わず声をあげそうになり、お互いの口を塞ぐカップル。
戦闘服の3人の動きが止まる。その合間を縫って、すごい速さで何かが移動しているような気がした。空間が揺れているのだ。
3人のうち一番後ろにいた男の背後に、さっき消えた男性が突然現れた。流れるような動作でナイフをとり上げ、戦闘服の男の胸部を刺し貫く。
そして、また消えた。
カップルは目を見開き凍りつく。叫んでしまいそうなのを必死に堪えている。
残った2人の戦闘服は、ナイフを身構えたまま辺りの気配を探っている。
片方が突然動いた。闇に向かってナイフをくり出す。鋭い動きで、もしそこに人がいたとしたら避けられないほどの的確さと早さを伴っていた。明らかに、特殊な戦闘訓練を積んだ者だと思われる。
だが、消えた男は更にそれを上まわる技能を持っているようだ。ナイフをくり出した男のすぐ脇に現れ、その腕を掴むと同時に喉元を一閃で搔き斬った。
血飛沫が飛び散る。
彼女がたまらず「きゃあぁっ」と叫んだ。彼が慌ててその肩を抱き、顔を自分の胸に押しつける。
彼女の声に、最後の戦闘服がチラリと視線をよこした。男はその隙を見逃さなかった。至近距離ではあるが、手にしていたナイフを横なぎに投げる。
最後の戦闘服の心臓部分に深々と刺さるナイフ。
あっという間に、その場に3人の死体が転がった。
男が歩き出す。カップルには目もくれなかった。そのまま歩を早め、離れて行く。
彼女を抱いたまま、彼が目で男の姿を追う。
すると突然、男の姿が消えた。
え? ええっ?!
彼は驚愕し、自分の恐怖を抑えるためにも、更に強く彼女を抱きしめた。
SCENE 9 山手警察署 特別捜査本部
本牧ふ頭の事件発生から3日経ったが、未だに有力な手がかりは得られなかった。
夏美はどこか不全感を持ち続けながら、捜査本部の片隅に設えられた徳田班の島に戻ってきた。
既にその場に座っていた鷹西と一瞬視線を合わせる。どちらともなく「ふんっ」と顔をそらした。
「揃ってるな、1号、2号」
そう言いながら、徳田が現れた。
「その言い方、やめて下さい」
夏美が険しい顔で抗議する。
だが徳田は、ふっ、と笑って軽くいなす。
ムッとした夏美が更に咎めようとする前に、立木が後ろから「まあまあ」と宥めた。
その横で鷹西が憮然とした顔をしている。
昼間で、ほとんどの捜査員は外を駈けまわっている。なぜか夏美と鷹西だけ徳田に呼び戻されたところだ。
今、広い捜査本部には徳田班の4人の他に連絡係らしい者が3名ほどいるものの、離れたこちらのことなど気にもしていない。
「重要な話がある」
徳田が言った。立木も真剣な顔になり2人を見る。
なんだろう?
ただ事ではないようで、夏美は居住まいを正す。横目で鷹西と視線を交わした。彼も表情を硬くしている。
「昨日の夜中、みなとみらいで一騒動あった」と説明を始めたのは立木だった。「それが本当なら、3人が死んでいるはずだ」
「それが本当なら?」
怪訝な表情になり鷹西が訊いた。
「ああ」と頷いて立木が続ける。「臨港パークで、若いカップルが複数の男達が争うのを目撃した。何でも、男達は姿を消したり表したりしながら戦っていたという。そして、一人の方が3人を殺害した。その後、勝ち残った一人の男は消えた。まるで透明人間のようだった、という」
「透明人間……?」
溜息のように言いながら、目を見開く夏美。
「それは……」
鷹西が呟く。
2人とも、気障男の話を思い出していた。
「カップルは慌てて逃げて、その後警察に通報した。現場に急行した所轄の捜査員達は、だが、何も発見できなかった。そこに遺体はなかったんだ」
「え? じゃあ、どこに?」
夏美が訊く。カップルの悪戯とか勘違い、という可能性はまったく考えていなかった。であれば、立木がこんなふうに話をするはずはない。
「わからない。ただ、カップルの2人が逃げ出してから所轄が駆けつけるまでの間に、何者かが処理したんだろうな。鑑識が調べたところ、目に見えないが血液の反応が出た。そこで流血があったことは間違いない」
「じゃあ、3日前の本牧の事件との関連性が……」
鷹西が身を乗り出しながら言う。
「そう。その可能性は考えなければならない」と徳田が加わる。苦々しい表情だ。「だが、あのハゲは、血液反応があっただけではそこで人が死んだとは断定できないとぬかし、関連性については却下。もうしばらく様子を見る、とさ」
あのハゲとは霜鳥管理官のことだろう。
「なぜ? 透明人間っていう共通点もあるじゃないですか」
夏美もいつの間にか身を乗り出している。
「片方は酔っ払いのホームレス。もう片方は、イチャイチャしていてこちらも若干酒を飲んでいた。冷静な判断力を有していない可能性がある。話の荒唐無稽さもあり、深刻に採り上げる必要はない、ということだ」
立木が言う。彼も珍しく険しい表情だ。
「そんな馬鹿な……」
夏美と鷹西が同時に言った。思わず顔を見合わせるが、このときは反発せず、ただ同じように頷く。そこには、お互いに刑事として技量を認め合う2人がいた。
「実はな……」と徳田が今は誰もいない霜鳥や捜査本部長の席をチラリと見ながら言う。「ここ数日、別の場所でも、突然透明人間が複数現れ争っていた、という通報がいくつかあった。どれも、その痕跡がなく、悪戯や見間違え、ドラマや映画の撮影ではないか等と言われて処理されている。本牧の事件との関連性に言及する捜査員も何人かいたが、上の方はとり合わない」
「そんな出来事がいくつも? なのにこの捜査本部には何の情報もありません。おかしいです」
夏美が思わず言った。
「ああ。おかしい。どういうことですか? これで本牧の事件との関連性を考えないなんて」
鷹西も続く。2人が同調し、同じように徳田を見た。
そんな様子を見て、徳田が笑う。「やっぱりおまえら、似てるなぁ」
「え?」「な、何を……?」
夏美と鷹西がまた顔を見合わせた。だがやはり反発はせず、戸惑っている。
「まあいい」と続ける徳田。「それより、俺もおかしいと思うし、どうも、この事件の捜査をどっか妙な方向へ持って行こうとしているのか、それとも遅らせようとしているのか、そんな嫌な臭いを感じるんだ。上の方の動きが不自然すぎる。だからおまえ達を呼んだ」
「は?」
キョトンとする2人。
「我々の班も、捜査本部の一員として上の方針に従って動く……ふりをする」ニヤリと笑う徳田。「だが、きな臭いのは放っておけない。頻発している透明人間騒ぎを調べ、本牧の件との関連性を明らかにしたい。それに、それらの裏に何か隠れているなら確認したい。おまえ達2人でやってみろ」
「私達2人で、ですか?」
また戸惑って顔を見合わせる夏美と鷹西。
立木がどこか暖かい表情で2人を見た。そして声をかける。
「おまえ達なら、きっと食らいつくだろうと思ってね」
「おやっさんにそう言われたときは、俺は反対したんだ。跳ねっ返り2人を組ませたら、とんでもないことになるってな」
苦笑する徳田。おやっさんとは、もちろん立木のことだ。
「だがな、考えてみれば、お互いが反面教師になって、少しはましになるかもしれないな、と考え直した」
反面教師って……憮然とする夏美。隣で鷹西も仏頂面をしている。
そんな2人を見て、徳田も立木も笑った。
「とにかく、調べて随時報告しろ。ある程度疑惑の形が見えてきたら、場合によっては徳田班全体で動く」
「もし、警察上層部が何らかの関わりを持っていて、真実を湾曲しようとしているのが見えてきたら、どうするんですか?」
鷹西が訊いた。いつになく険しい表情になっている。
「誰がどんなふうに関わりを持っているのか、による」
「場合によっては目をつぶるっていうことですか?」
夏美も食ってかかるような表情になる。
「ほらほら、その目だ」と徳田が2人を順番に指さした。「それから、月岡、おまえのおやじもそうだ。いい目だった。だがな、ストレートに正義感をぶつけていくだけでは解決しないこともある。時には長いものに巻かれて様子を見るという判断も必要だ。覚悟はしておけ」
「それは……」
夏美が口ごもる。明らかに不満顔だ。
「勘違いするなよ」と立木が宥めるような声で言った。「班長は、長いものに巻かれっぱなしになるとは言っていない。タイミングの問題だ。ストレートにぶつけてつぶされてしまったら意味がない。時を待たなければならないこともある」
「俺もな」と徳田が溜息交じりに言う。「おまえらのようにまっすぐだった頃もある。そう、月岡、おまえのおやじと同じさ。だが、歳をとるとともに、ずる賢さも身につけてくるものなのさ。長いものに巻かれたふりをしている方がいいときもある。おまえ達にも考えさせてやる。だが、最終的に判断するのは俺だ」
徳田に見据えられ、夏美も鷹西も黙り込んだ。
「おまえ達を守る意味もあるんだよ」と立木。「おまえ達だけじゃない。他の徳田班の連中もな。上への噛みつき方を間違えると、全滅しちまうこともある。そうならないように、慎重にした方がいいんだ」
そう言われると、何も言い返せなかった。
しばしの沈黙。納得しきれていない夏美と鷹西だが、不審な点を暴くために自分たちが任命された、ということは素直に嬉しい。気持ちの高ぶりを感じる。
「それから、これは極秘情報だが」と徳田が鷹西を見た。「科学捜査研究所の三ツ谷徹が3日前から休暇をとり、なぜか身を隠している。上の方は、彼が本牧の事件について何か関与している可能性があるとして、行方を捜しているらしい」
「え? 三ツ谷が?」と驚く鷹西。
「知り合いなんですか?」
夏美が訊く。どこかで名前は聞いたことがあった。
「ああ」鷹西は頷いた。「警察学校の同期だ。事件に関与なんて、するヤツじゃない」
「俺もおまえほどじゃないが知っている。彼は、変わり者ではあるが信頼できる男だ。だが、関与していないとは思うが、何か知っている可能性がある」
徳田が言った。
「何か知っているから、身を隠したと?」
夏美が訊いた。もしそうなら、その三ツ谷という人が真相を明らかにする鍵を握っているのかもしれない。
「わからん。本人に聞くしかあるまい。とにかく、おまえ達2人で可能な限り調べてみろ。三ツ谷の行方や身を隠した理由も、できれば掴んでほしい。やれるか?」
「やります」「もちろん」
2人そろって応えた。対面では徳田と立木が目を合わせ、頷き合う。
「上の連中の妨害もあるかもしれない。あるいは得体の知れない連中が動く可能性もある。気をつけてな」
立木の言葉に頷くと、2人は勇んで捜査本部を出て行った。
2人での捜査開始! 第6話に続く↓
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