長編小説「Crisis Flower 夏美」 第11話
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※週1~3話更新 全18話の予定です。
SCENE 26 墓地
木々の合間から午後の陽差しがふりそそぎ、前を歩く夏美の後ろ姿を際立たせた。
バストからウエスト、ヒップへと流れる魅惑的なライン……逸らそうとしても、ついつい目を奪われてしまう。
鷹西は、そのシルエットを見ながら、彼女を抱きしめたときのことを思い出し慌てて振り払う。
い、いかん……。何を考えてるんだ、俺は?
「どうかしましたか?」
夏美が怪訝そうな顔をしながら振り返る。
「い、いや、何でもない。まぶしかっただけだ」
わざとらしく瞬きをして誤魔化す。
「良い天気ですからね」
気持ちよさそうに光を浴びる夏美。
城木なら「君がまぶしいんだ」とでも言うのだろうか?
あいにく鷹西はそんなスマートさを持ち合わせてはいない。
墓地だった。夏美にここに寄りたいと言われたときは戸惑ったが、今思うとその気持ちはわかる。
それに、もしかしたら瀬尾か、あるいは三ツ谷が立ち寄った形跡があるかもしれない。
来る途中で花を買った。水桶も持ち、目指すのは瀬尾美咲の墓だ。
静かだった。街の喧騒から離れている広い墓地の中には、ほとんど人はいない。
目指す墓はすぐに見つかった。木陰にひっそりと佇んでいるかのようで、どこかもの悲しさを感じさせる。
近づいていくと、真新しい花が供えられ、線香からまだ煙が立ちのぼっていくのに気づき、2人顔を見合わせる。
直前に、誰かがいた……。
素早く視線を巡らせる鷹西。夏美はジッと気配を感じとろうとしている。
風がそよぎ、揺れる木々のしらべ。遠くから微かに聞こえる幹線道路の交通音……。
それらを隠れ蓑にするかのように、ジッとこちらを窺う者が、確かにいる。だが、敵意は感じない。
もしかして……。
再び顔を見合わせる、鷹西と夏美。
姿は見えない。しかし、おそらく数メートル程度離れたところに何者かが……。
鷹西は身構え、臨戦態勢をとった。その肩に夏美がそっと手を添え、首を振る。
待って下さい、と目で言っている。そして、一歩前へ出た。
何をするつもりだ? 鷹西は彼女の横顔を見つめる。
「私は、神奈川県警捜査一課の月岡夏美です。瀬尾さん……瀬尾俊之さんですね?」
夏美は真剣な表情で話し始めた。緊張しているようで微かに震えているが、凛としてよく通る声だ。
鷹西は黙って見守ることにした。
「私達も、3年前の爆破については、事故ではなく、何らかの悪意が働いたものだと考えています。今調べ直しているところです。瀬尾さん、あなたは、私達の想像通りなら、その悪意の元を突き止め、復讐をしている――。そうなんですね?」
夏美が一旦口を噤むと、微かだが空気が揺れた気がした。どこかで瀬尾が身構えているのだろうか?
「もしそうなら……」夏美が再び話し出す。「お願いです。もう、単独での復讐はやめて下さい。無念な気持ちはわかります。あなたの奥さんや、罪もない人達の命を奪った者達を許すわけにはいきません。だから、一緒に暴きましょう。瀬尾さん一人で復讐することは、きっと亡くなった奥さんも望んでいないと思います」
真摯に訴えかける夏美。その瞳から一筋の涙が零れ落ちたのを見て、鷹西は息を呑む。
しんと静まりかえる霊園。だが間違いなく瀬尾はいる。鷹西は感じた。澄んだ空気の中に、怒り、悲しみ、戸惑い……そんな感情が染みだし、漂っている。
いったん俯いた夏美が、また顔を上げる。
「私の父も警察官でした。もう何年も前、私が子供の頃に殉職しました。犯罪者の凶弾から一般市民を守るために身を盾にしたんだという話を聞きました。そんな父を誇りに思っています。そして、犯罪を、心から憎んでいます。私利私欲や個人、組織の都合で人の命を無碍に扱う者がいたとしたら、許せない。絶対に許さない。でも、それを糾弾し、罰を与えるのは個人ではなく、社会がやるべきだと思います。そのために、私たち警察官はいるんだと思っています」
夏美は流れる涙を拭うこともなく、ただまっすぐに訴えかける。鷹西はその姿に思わず見とれた。
「瀬尾さん、あなたは優秀な警察官だったと聞いています。SATにまで身を置き、そして機動隊の班長として犯罪に立ち向かった。そんな瀬尾さんを尊敬します。どうか、その頃の瀬尾さんに立ち返って、もう、個人での復讐はやめて下さい。私たちに協力して下さい。お願いします」
深々と頭を下げる夏美。
鷹西は自然と彼女の横に立った。そして、大きく息を吸い込んでから口を開く。
「同じく神奈川県警の鷹西惣一郎と言います。俺は、過去のあなたや彼女のように真面目で優秀な刑事とは言えないかも知れないけど、気持ちは同じだ。瀬尾さん、あなたの無念を晴らすための力になりたい。でもそれは、復讐というかたちじゃない。悪の根源があるなら、それがどんなに強力な相手だとしても、全力で叩く。警察官としてです。どうぞ、俺からも、お願いします」
鷹西も深々と頭を下げた。
しばし、時が流れる。
カサッと音がして、空気が大きく動いた。
ハッとして体を起こす鷹西と夏美。そして辺りを見まわす。
だが、既に気配は消えていた。さっきまで確かにあった、何者かの感情の動き、息づかいが、なくなっている。
慌てて動く鷹西。気配が感じられたあたりに走ると、そこを中心に必死に探す。夏美も後に続く。
しかし、どこにも、何も感じられなくなった。
瀬尾は、立ち去った……。
がっくりとする夏美。鷹西はその肩に手をかけた。
「おまえの気持ちは、きっと通じているはずだ」
顔を伏せ、無言で頷く夏美。しばらくして小さな声で「……また、おまえ、って言った」
「ご、ごめん」慌てて手を離す鷹西。
「でも……」チラリと夏美が目を上げる。「ありがとうございます……」
「い、いや、別に、そんな……」
あたふたしている鷹西に、夏美が背を向ける。
「どうした?」
「泣き顔見られたくないんです。恥ずかしいから」
大きく息を吸い込んでから夏美がそう言った。
ドキリとする鷹西。だが、すぐに微笑ましく感じ、彼女の頭をぽんと叩く。
「恥じ入るような涙じゃない。それは、誇っていい涙だ。気にするな」
夏美が息を呑んだのがわかった。背中が震えている。
「俺、こっち見てるから。落ち着いたら教えてくれ」
そう言って、鷹西は夏美に背を向ける。
すると「ありがとうございます……」と微かな声が聞こえ、背中の真ん中辺りに何かが押しつけられた。それは、夏美の額だ。背中に、彼女の重みと暖かさを感じる。
夏美が、鷹西の背中に身体を預けている――。
え? 心臓が激しく高鳴った。
振り向いて、抱きしめたい……。
いや、だめだ。このままそっとしておいた方が……。
でも、こんなチャンスは……。
……って、何考えてんだ、俺?
激しい葛藤の中、鷹西は思い知っていた。
かなりヤバイ。俺は、夏美に惹かれている。好きになりかけている。いや、もしかして、もう……。
午後の陽射しが、2人の影を一つにしていた。
SCENE 27 爆発跡地
喫茶店の跡地に来て、だいぶ時間が経った。もう陽も暮れかけている。
三ツ谷はモニターから目を上げ、ふう、と一息ついた。
暗くなる前に、行くか……。
立ち上がり、伸びをした。
極秘裏とはいえ手配されている。身を隠す場所はいくつか確保していたが、移動する際には細心の注意を払わなければならない。それなりに時間もかかる。
ふと、空気が揺れた。
はっ、と身構え、視線を巡らせる三ツ谷。
誰もいない。いや、これは……。
「もしかして、瀬尾さん?」
海側の窓の前、ちょうど、瀬尾美咲の遺体が発見された辺りの空間が揺れた。そして、一瞬にして、屈強そうな男が姿を現す。
「ずいぶん印象が違うが、三ツ谷君だな?」
久しぶりに聞く瀬尾の声は、少しだけ掠れているような気がした。
「はは……」力なく笑う三ツ谷。「追われる身になったんで、一応変装をしてみました。瀬尾さんには見抜かれたけど……」
「すまないな、君も巻き込んでしまったようだ」
「そんなことはいいんです。それより、あなたは今……」
「詳細は聞かない方がいい。君はもうしばらく、身を隠していてくれ。俺が全てを終わらせるまで」
優しい表情の中で、目だけが威圧感を放っていた。反論を許さない、という気持ちが込められている。だが、今の三ツ谷は、それに対抗する覚悟を持っていた。
「僕は、今まで諦めていたわけじゃありません。時間をかけてでも、真相を暴きたいと思ってきました。必ず罪を罪として明らかにできると信じて」
「俺にはそんな気持ちの余裕はなかった。この3年間も、長く苦しく感じた。しかし、ようやく行動に移す時が来たんだ」
「復讐というかたちでですか?」
「そうとってもらって構わない」
2人、視線をぶつけ合う。染み入るように、沈黙が降りてきた。
先に目をそらしたのは三ツ谷だった。強く逞しいはずの瀬尾の姿だが、今は痛々しく感じられ、見ていられない。
「3年前の爆破の真相、そしてそれを行わせた黒幕の正体を、掴んだんですね?」
三ツ谷が問いかけると、瀬尾はゆっくりと頷いた。
「それは、何者ですか? 極東エージェンシーと、警察庁の山下警視長。更にその上に、誰かいるんですね? おそらく、大きな権力を持った者が」
再び頷く瀬尾。
「なぜ、無関係な人達まで巻き込んで爆発を起こしたのか……。それは、その誰かが保身をはかったため、ですね? おそらく、森田というジャーナリストが調べていたことが関係あるんでしょう? 米国にある軍事産業、ジェロン社と繋がっている」
そこまで言うと、瀬尾は「ほう」と言うように目を見開いた。三ツ谷がジェロン社まで行き着いたことに驚きを感じているようだ。
「それを全て明かして下さい、瀬尾さん。一緒に暴きましょう。社会的な制裁を加えるべきです。個人的な復讐ではなく、正当な罰を与えるんです」
必死に訴えかける三ツ谷。
しばし、静かな時が流れる。次第に陽が落ち、夕闇が徐々に辺りを染めていく。
フッと、瀬尾が遠くに視線を向けた。
「君と同じようなことを、さっき美咲の墓の前で言った刑事達がいた」
「え?」と驚く三ツ谷。
「神奈川県警の月岡夏美と鷹西惣一郎と名乗っていたな。2人とも、熱く、正義感が強そうだった」
「会ったんですか、2人と?」
「会ったという表現がふさわしいかどうかはわからないが、2人の訴えはしっかりと受けとった」
「鷹西は僕の友人です。いい奴です。刑事としても優秀です。月岡夏美さんも、優れた刑事だと評判です。信用できる人達です」
「それは、見ただけでよくわかったよ」
「なら、僕と一緒に、彼らの元へ」
だが、瀬尾は首を振った。
「もう、俺は始めてしまった。後へは戻れない」
「そんな。やり直しはいくらでも……」
「三ツ谷君」強く言い放ち三ツ谷の声を遮る瀬尾。「君や、さっきの2人のような者もいることがわかり、嬉しく思う。君達のように進めるべきだったのかもしれない。しかし、俺にはそれはできなかった。怒りと憎しみが、警察官としての意識を凌駕してしまった」
「それは……」
仕方ないと思う。
職務のさなかに最愛の妻の遺体を目の当たりにした瀬尾。それでも当初、彼は悲しみを胸に秘めながらも警察官として捜査を進めようとした。誰よりも真摯に。
だが、それを圧力で押しつぶした勢力があった――。
妻の死の理由を知り陰謀を暴くこと。それを警察官として正規の方法で目指していた瀬尾にとって、その出来事は大きなショックだったに違いない。
信じていた警察組織からの裏切り――どれほどの絶望に見舞われたことか。どれほどの怒りを感じたことか……。
それでも三ツ谷は、復讐をやめてほしいと思う。悲しみを癒やすことはどうやってもできないかもしれない。復讐することで、むしろ傷を深めてしまうのではないか?
正当な方法で真実を明らかにし、罪を犯した者に相応の罰を与える。それができて、初めて傷口をふさぐことができる。傷跡は残るかもしれないが、少しずつ薄れていく……。
三ツ谷はそう考えていた。しかしそれを、言葉に表すことができない。
「気持ちはわかるつもりだ。それをありがたいとも思う。だが、俺はもう完遂するまで走り続ける」
「瀬尾さん。どうしても?」
「もう、止まるつもりはない。ただ……」そう言って目を伏せる瀬尾。そして、懐から何かを取り出した。親指の爪程の小さなケースだ。「ターゲットが逮捕され、罪を認めたとしたら、襲うことはできない。まあ、どうやっても無理だと思うが」
三ツ谷に手を出すように促す瀬尾。従うと、ケースを手渡してきた。
「これは?」
どうやら、マイクロSDカードのような記録媒体が入っているらしい。
「森田重雄というジャーナリストが調べ上げた資料、そして、俺がこの3年の間に手に入れた、その資料を裏付ける証拠がデータとして入っている。ただし、特別な暗号化をしてある。暗号化を解除するためにはもう一つのカードが必要だが、争いの際に紛失してしまった。もしかしたら、連中が手に入れてしまったかもしれない」
「連中って、透明人間騒動で瀬尾さんが争っていた相手ですか?」
「そう。ジェロン社の特殊部隊だ」
「ジェロン社の? いったいどういう……?」
「説明する」
瀬尾は、彼のその過酷な3年間と成果について話し始めた。
SCENE 28 山手警察署 夏美
正規の捜査をしているように見せかけるため、夏美は一旦山手警察署の特別捜査本部に戻った。
鷹西は港西署へ行き、例の極東エージェンシーの男達に関する情報を、城木から聞くそうだ。
まだ夕方ということもあり、人はまばらだった。徳田や立木、その他の徳田班のメンバーの姿もない。
特に伝言もなさそうなので、極東エージェンシーの3年前の事業などについて調べてみようか、と考える。
とりあえず、缶コーヒーを買いにロビーに向かう。
戻る際、不意に大柄な男が立ちふさがった。
「あ、管理官……」
霜鳥だった。慌てて姿勢を正し、敬礼する夏美。
「月岡夏美君、だったね。ちょっと話がある」
「え? 私にですか?」
「そうだ」頷くと霜鳥は辺りを見まわす。「人目のないところがいい。悪いが、そこの取調室にしよう」
顎で先にある第3取調室を指した。
微かに不審に感じたが、内密な打ち合わせをする時に取調室を使うこともたまにあるので、夏美は「わかりました」と頷く。
「先に行っていてくれ。もう使えるようにしてある。私も飲み物を買ってから行く」
言われて、夏美は取調室へ向かう。
いったい何の話だろう? もしかして、徳田班の動きを探るつもりなのかな?
不安を感じながらドアを開け、中へ入る。
するとすでに一人男がいた。霜鳥のお気に入りと言われる班に所属する先輩刑事だ。たしか、辰本という名だったか?
「あ、あの、私は霜鳥管理官に言われて……」
慌てて説明しようとする夏美。
「知ってるよ。俺も呼ばれたんだ」
辰本が夏美の斜め前に立つ。霜鳥同様がっちりしていて、背が高い。夏美は見上げるようにした。
「それで、実はな……」
小声で話す辰本。身を屈めて夏美の顔を見下ろす。
夏美は「何ですか?」と耳をそばだたせる。
突然、ドスッという音が響き、夏美の体が浮き上がった。
「……?!」
目を見開く夏美。最初は訳がわからなかったが、すぐに腹部に激しい衝撃を感じ「あぐっ!」と呻き声をあげる。
辰本が夏美の鳩尾を膝で蹴り上げたのだ。
小柄で華奢な夏美の体が、浮き上がった後すぐに崩れ落ちる。
「あ、あうぅっ……」
夏美は鳩尾を両手で押さえ、体を丸める。全身が痛みで痙攣してしまった。
何を、するんですか……。
フロアにグッタリと倒れながら目で訴えかける。口を開けてもふるえてしまうだけで、声が出せない。
辰本はそんな夏美のジャケットの襟首を両手で掴み、軽々と引き上げた。首を締め上げられてしまう。
く、苦しい……。
何とか逃れようともがく夏美だが、辰本は彼女の体をそのまま持ち上げた。両足が浮き上がり、更に首が絞まる。苦しさが増す。
くる、し……い……。い、いき、が……でき……な……い……。
目が霞み、意識が遠のいていく。抵抗していた両手がだらりとしてしまい、ばたつかせていた足も力なく垂れ下がる。
もう……、だ……め……。
苦しみにゆがめられていた顔からも力が抜け、ガクリと前に倒れる。
だが、夏美が完全に気を失う前に、辰本はその体をおもちゃを捨てるように放り投げた。
そこにあったテーブルや椅子に体がぶち当たりながら、夏美は床を転がる。
ううっ、けほっ、けほっ……。
咽せながら体を起こそうとするが、ダメージが大きくできなかった。何とか床を這いずって辰本から逃げようとする。
だが、すぐに追いつかれ、襟首を再び掴まれ、体ごと持ち上げられてしまった。
「や、やめてくださいっ!」
何とか声を絞り出す。
だが、辰本はかまわず、夏美の体をそのまま壁に打ちつけた。
きゃぁぁっ!
叫ぶ夏美。首が絞められているので、掠れたような声だった。
辰本が手を離す。
夏美の体がズルズルと壁にそって落ちていく。ぺたり、と尻餅をつくような格好になった。そして、怯えながら辰本を見上げる。
「おまえ、いい気になるなよ」
冷たい声で言い放つ辰本。
そんな……。目を見開きながら、何度も首を振る夏美。状況が理解できず、パニックになりそうだ。
辰本はテーブルと椅子を並べ直すと、彼女の腕を掴んで無理矢理立たせる。
「い、痛いッ!」
抵抗することもできず、強引に椅子に座らされた。
気がつくと、いつの間にか霜鳥が室内に入ってきている。
「これは、どういうことですか?」
ふるえる声で、なんとか霜鳥に問いかける。
だが彼は応えない。あらぬ方を向いたままだった。
「おまえの相手は俺なんだよ」
夏美の髪の毛を掴み、その顔を無理矢理自分の方に向けさせる辰本。
「捜査方針に背いて、勝手に妙なことを調べまわっているようだな? それは、徳田の命令か?」
辰本が強い口調で詰問する。
「何のことだか、わかりません」
夏美が目をそらしながら応える。
「なめるなよっ」と辰本は夏美の髪を掴んだまま引っ張り、顔を上に向けさせる。
首が反ってしまい、夏美は「あぅ」と声をあげる。
「3年前の事故を調べているだろう? そんなことを、誰が指示した?」
「私が勝手に調べているんです。不審な点があったので」
「なめるなと言っているだろう?」
辰本は今度は、夏美の髪を掴んだまま、その顔をテーブルに押しつけるようにした。
あ、ああぁぁっ……。
彼女の小さな顔が押しつぶされそうになる。
さらに、辰本は藻掻く夏美の右腕を別の手で掴み捻り上げる。
「い、痛いっ! やめてくださいっ!」
関節を逆に極められ、右肩から手首まで傷みが迸る。
「あの事故の捜査は既に終わっている。3年前に、だ。なぜ掘り返す?」
「だから、不審な点があるからです」
痛みを堪えながら、必死に声を出す。
「徳田がそう言ったのか?」
「違います。私がそう思ったからです。私が勝手にやっているんです」
辰本はちっと舌打ちすると、夏美の右腕をさらに捻りあげた。
「いゃぁ! やめてください。お願いしますっ!」
「こんな細い腕、すぐにへし折れるぞ。いいか、よく聞け。お前が勝手にだろうが、徳田の命令だろうが、捜査方針から外れたマネはするな。お前はまだよく理解していないのかもしれないが、警察は、組織として捜査をしているんだ。今回の捜査の長は霜鳥管理官だ。その指示を無視するのは職務規程違反だ。即刻やめろ。徳田が指示しているなら、お前から進言すればいい。あの男はお前が可愛くて仕方ないんだろう? だったら、言うことも聞くだろう」
「で、でも。あの爆発には不審な点が多いんです。ということは、陰謀に巻き込まれて犠牲者が出たということかもしれない。そんなのは、許せません。その疑いがあるうちは、調べる必要があると思います」
必死に訴える夏美。
またしても舌打ちする辰本。夏美の右腕を捻りながらその手首を反らし、グリッと押し込むようにした。
「ああっ?! きゃあぁぁっ!」
あまりの痛みに叫び声が更に高まる。
い、痛い。痛いぃ……。腕が、壊れ、ちゃう……。
「何回なめるなと言わせる。偉そうなご託を並べている場合か? 組織には組織のルールがあるということを思い知れ」
わかりました、と言えば放してくれるのだろうか? だが夏美は、激しい痛みに襲われ、この状況に恐怖を感じながらも、そうする気になれなかった。
ここで脅しに屈しちゃいけない。負けちゃ駄目だ、夏美――。
そう自分に言い聞かせる。そして……。
「権力におもねって不審な点に目をつぶるのも、組織のルールですか?」
一瞬、その場に険しい気配が漂った。顔を机に押しつけられているから見えないが、辰本と霜鳥が視線を合わせたらしい。
「お前、誰に何を言っているのか、わかっているのか? ひよっこが言っていいことじゃないぞ」
辰本の剣呑な声が上から浴びせられる。ギリギリという軋みとともに、右腕が悲鳴をあげている。
恐い……。痛い……。でも……。
「ひよっこでも、おかしいと思うことはあります。許せないという気持ちもあります。それを押しつぶそうとするのは、間違ったルールだと思います」
「こいつ……」怒りで辰本の声が震えていた。「よく言った。今謝れば許してやる。だが、拒否するなら、この腕壊すぞ」
夏美の右腕に更に力が加えられた。
ううぅ……。
歯を食いしばり痛みに耐える夏美。もう、気持ちの箍は外れていた。
「お……折りたければ……折れば、いいじゃないですか。私は、それでもやめません。おかしい……という気持ち、許せないという気持ち……は、そんなことくらいでは……消せません」
「強がるなよ、おい」
辰本が掴んだ夏美の髪の毛をぐいと引き、彼女の顔を持ち上げる。
あうぅっ!
この状態では、辰本の思うままに体が壊されてしまう。悔しさと恐れで夏美は押しつぶされそうになった。だが、それでも、食い下がる。
「強がりじゃ……ありません。私……は、たとえボロボロに……されても、諦めません」
「そうか」辰本がフッと笑いながら言った。「じゃあ、そうさせてもらう。思い知れ」
グッと力が込められ、夏美の細い腕があらぬ方向にねじ曲げられる。痛みが頂点に達する。
あっ?! きゃぁぁぁっ!!
彼女の激しい叫び声が、取調室に響き渡った。
夏美はどうなってしまうのか? 第12話に続く↓