長編小説「Crisis Flower 夏美」 第6話
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※週1~3話更新 全18話の予定です。
SCENE 10 車内 鷹西と夏美
「アポがとれました」助手席の夏美がスマホ片手に言った。「彼女の方のマンションで、彼氏も一緒らしいです。あと20分もあれば着くと伝えておきました」
「わかった」ハンドルを握る鷹西が応える。「それにしても、平日の昼間にマンションにそろっているのか?」
「みなとみらいでの出来事を目撃してから、彼女の方が怖くなって仕事を休んでいるそうです。無理もないですね、殺人を目の当たりにしたんですから。だから、彼も一緒に」
「なるほど。仲の良いカップルだな」
そう言ってちらりと夏美を見る。
「そうですね」と彼女もこちらを見た。
視線が合うと、なぜかハッとなり、2人して慌ててあらぬ方を向く。
所轄で透明人間騒動の目撃者であるカップルについて詳細を聞き、車で移動中だった。
一応気を遣ったのか、後輩である夏美が運転すると言ったが、ことわって鷹西が自らハンドルを握った。運転が好きなのだ。
「あの……」と遠慮がちに夏美が声をかけてくる。「三ツ谷という人、思い出しました。私も噂を聞いたことがあります。優秀だけど独自の情報収集方法が時々問題になる、って。どんな感じの人なんですか?」
「うーん」と唸る鷹西。「そうだなぁ、まあ、変わったヤツだ。ただ、あいつなりの正義感を持っていて、それを貫くためにたまにまわりと衝突することもある」
「似ているんですね、鷹西さんと」
「俺と? いや、全然似てないよ。あいつは頭脳や技能で勝負するヤツだ。その独自の情報収集方法だって、主にネットを駆使しているし」
「脳筋の鷹西さんとは逆タイプなのか……」
「たたき出すぞ、おまえ」
「できるものならどうぞ」
言い合い、チラッと横目でにらみ合ってから、どちらからともなくフフッと笑った。そして、慌ててその笑みを隠す。
組むのは初めてだし、2人だけで移動するのも初めてだ。
意識しはじめてしまう鷹西。夏美を見ると、彼女も少し戸惑ったような表情をしている。
いがみ合ってばかりだったので、普通に接することに慣れていない。
しばし沈黙。狭い車内だ。長引けば居心地が悪くなる。鷹西は慌てて会話の端緒を探す。
「そういえば、おまえの……」
そこまで言ったところで、夏美が横目で睨んできた。
「いや……」と更に慌てる鷹西。「君……のお父さんも、刑事だったんだよな?」
「え? ええ、まあ、そうですけど……」
意外だったのだろう。目を見開き、次に下を向く夏美。どこか恥ずかしそうだ。そんなちょっとしたところも可愛らしく感じられてしまい、鷹西は気を引き締め直す。
「立派な刑事だったらしいな。噂は聞いたことがあるよ。優秀だったって、班長も言ってたな」
「そ、そうですか……」
まだ照れているのか、夏美は下を向いたままだ。
「お父さんのようになろうと思って、警察官に?」
「はい。私、子供の頃から、父のようになるって決めちゃっていて。だから、他のことなんか目に入らなくなっちゃってました」
顔を上げる夏美。穏やかで、少し淋しそうな横顔だった。
運転をやめてずっと見ていたい、などと考えてしまい鷹西は微かに首を振る。
「父が殉職したときは、もう、ずっと泣きっぱなしでした。で、一日中泣いた後、私が仇をとるんだって言い張ったそうです。もう犯人は逮捕されていたっていうのに」
「らしいなぁ……」
フッと笑う。隣で夏美も笑みを浮かべていた。
「鷹西さんは、どうして警察官に?」
夏美がこちらを見ながら訊いてきた。大きな瞳をまっすぐに向けられ、ドキリとする。
「お、俺?」ぎこちなくなる。わざとらしくハンドルを握り直し、気持ちを落ち着けた。「俺は単に、柔道をやっていて、先輩に引っ張られたっていう感じだよ。まあ、やりがいを感じられそうだ、って思いもしたけど」
つまらない理由かな、と横目で夏美を見る。彼女はまだ興味深そうにこちらを向いていた。照れくさいが、話を続けざるを得ない。
「迷ったことは迷ったんだ。警察官になるか、ジャーナリストになるか」
「ジャーナリスト、ですか?」
意外そうな顔をする夏美。
「そう。俺のおやじは、実はフリーのジャーナリストで、海外の紛争地帯なんかをよく取材してまわっていた。だから、家を留守にすることが多くてな。だけど、子供ながらに、淋しいけどかっこいいなぁ、と感じていた」
「今でもそうなんですか?」
「いや、俺が高校生の頃、中東の片隅で紛争による火災に巻き込まれて死んだ」
「そうですか……」
申し訳なさそうにする夏美。
「もう高校生だったから、俺は無理にも泣くのを堪えたけどな」と努めて明るく言う鷹西。「ただ、生前おやじが、真実を追い求めるような仕事をしたいんだ、って言っていたのは心に強く残っていた。そのために命をかけたんだな、って感じたよ」
「真実を追い求める、ですか……」
「考えてみると、刑事もそうだよな。ちょっと追い求める真実のタイプが違うけど」
「そうか。鷹西さんも、ある意味お父さんのような人を目指しているんですね」
夏美がどことなく嬉しそうに言った。鷹西も「そうかもな」と軽く笑みを見せる。
目指すマンションが見えてきた。少し残念に思う鷹西。もうちょっと話していたかったが……と考えてから、また首を振る。
ダメダメ。なんか親しみわいてきたけど、まだまだ、甘い顔はしないぞ……。
フッと息を漏らし、鷹西はアクセルを踏み込んだ。
SCENE 11 とある喫茶店
苦めのコーヒーを一口飲むと、三ツ谷は店の入り口を見つめた。
がっちりした体格の男が入ってくる。石内隆だ。
最近は少なくなったが、レトロな趣のある喫茶店だった。その奧の席に座り、石内が歩いてくるのを待つ三ツ谷。緊張感が表情に出てしまった。
「すまない。待ったか? つけられていたから、まいてきた」
石内が心底すまなそうに言う。
「つけられたんですか、石内さんが?」
「ああ。想像した以上に、上層部は今回の件の大枠を掴んでいる。あの時に関わった人間をマークしているよ。君は極秘とはいえ手配されている。充分気をつけた方がいい。事が済むまで、どこかに身を隠すんだ」
石内は県警の機動捜査隊に身を置く。県内の犯罪に関する状況は、かなり把握できる立場だ。
「事が済むって……。石内さん、やっぱりあなたの所にも、あの人からのメールが?」
「ああ。制裁を開始するっていうね。間違いない。あの人は、はじめてしまった」
店員がメニューを持ってきた。だが石内は、見もせずに「ホットコーヒーを」と頼む。
「石内さん、どうするつもりですか?」
「わからない。君はどうするつもりなんだ、三ツ谷君」
「僕は、止めたいです。あの人の行動は、もう逸脱しています。少しでも早く止めて、罪を最小限に……」
「それは、無理だと思う」
苦しそうに言う石内。
「難しいかもしれません。でも……」
「三ツ谷君、もし我々の想像通りなら、敵はとてつもない権力を持っている。真実を明らかにすることは、不可能に近い」
「でも、県警内にも不正をよしとしない人達はいる。真実を暴き、たとえ権力者であっても糾弾するという人達が、きっといます」
三ツ谷の脳裏に、何人かの顔がうかぶ。
荒っぽい正義感を持つ鷹西。そして、その上司である徳田も自らの正義に基づいて動く人だ。
「三ツ谷君」石内が更に苦しそうな表情で言う。「俺は、あの人に好きなようにさせてあげたいという気持ちが強いんだ」
「そんな……」
「あの事件を引き起こした者達に鉄槌を下す。それを許されるのは、あの人だけだ。俺はそう思う」
「それで、いいんですか?」
「いいか悪いかは、誰が決めるものでもない。今の世の中、真の意味で裁きを行えるのは、被害を受けた人達だけなのかもしれない。あの人は、哀しいほど被害を受けた。俺は、あの人に、たとえそれが復讐であるとしても、完遂してほしいと思っている」
「石内さん……」
哀しそうに彼を見つめる三ツ谷。
違う、と無碍に言うことはできなかった。気持ちはわかる。自分とてそんな思いは捨てきれない。
だけど、このままあの人に続けさせ、復讐が遂げられたとしても、それで救われることはない。
どうすればいいんだ?
三ツ谷は、胸に激しく揺れる思いをもちながら、また苦いコーヒーを飲んだ。
SCENE 12 神奈川県警科学捜査研究所
透明人間達の争いを目撃したカップルの話を聞いた夏美と鷹西は、その内容に気障男の証言との共通点を見つけ、戸惑っていた。
悲しそうだった……。
カップル達も、その大柄で恐ろしい戦闘能力を持つ男が背中に見せていた悲しみを感じとったという。
「なぜ、悲しそうだったんですかね?」
夏美が言った。
横浜の中華街の片隅にある、神奈川県警刑事部科学捜査研究所に来ていた。三ツ谷が自ら設えたラボの前だ。
「さあ、わからない」目を伏せながら鷹西が言う。「ただ、殺人という罪を犯す者は、何らかの悲しみを抱えているものなのかもしれない」
それは、夏美もある程度理解していた。快楽で殺人を犯す者は別として、いや、そういう者達さえも、過去にさかのぼれば辛い思いをしているのかもしれない。
だが、だからといって罪を許すわけにはいかない。辛い思いを乗り越え、正しく生きている人達もいる。
夏美は大きく息を吐き、顔を上げる。
靴音が聞こえてきて、待ち人が現れた。
「お待たせしました」
科学捜査研究所の研究員、長瀬雄一だった。細身の長身で、白衣を着ている姿からは、警察関係者というよりどこかの病院の研修医の様な趣がある。
「どうも。久しぶり」
鷹西が応える。三ツ谷の友人でもあるからか、面識があるらしい。
「鷹西さん、久しぶりです。相変わらず活躍しているみたいですねぇ。いろんな噂、聞いてますよ。それに加えて今日は……」
長瀬がどこか照れたように、夏美を見た。
「はじめまして。県警捜査一課強行犯係徳田班の月岡夏美です」
先に自ら頭を下げた。
「はじめまして。お目にかかれて光栄です。捜査一課の可憐な花、か。その異名が嘘じゃないってわかりましたよ」
嬉しそうに言う長瀬。
「過激なじゃじゃ馬、っていう方が相応しいかもな」
鷹西が口を挟む。
「余計なことは言わないで下さい」
横目で睨みつける夏美。移動中親しみを感じはじめていたが、やっぱり口は悪い。思わず溜息が出た。
そんな2人を見て微笑むと、長瀬は三ツ谷のラボのドアを開けた。
「失礼します」と2人、中へ入る。
夏美は思わず「すごい……」と声をもらしてしまった。
複数のパソコンがデスクの上に並んでいて、その向こうには書籍の山。更に向こう側には、何かわからない機器が無造作に置かれていた。特殊警棒やシュアファイアといった武器類が所々にあるが、どれも、通常の物ではなく、改造されているみたいだ。
三ツ谷という人は、ここでいったい何をしているんだろう?
適当な場所に座ることを勧めながら、長瀬が説明を始める。
「このラボ、彼が自由に使っているんですよ。大したものでしょう、あの若さで研究所内に自分専用スペースを許されちゃうんだから」
「俺も何度かここには来たことあるんだ。あいつの情報収集力を頼りにね」
鷹西が得意げに言う。
「もしかして、鷹西さんが検挙率高いのも、三ツ谷さんという人の協力があるからですか?」
夏美が相変わらず室内を見まわしながら訊く。
「まあ、それもある。俺とあいつ、2人の希有な才能が合わさって、幾多の難事件を解決してきたってワケだ」
「はいはい……」呆れ顔で受け流す夏美。ついでに「はぁ……」と溜息も……。
「態度悪いぞ」
「お互い様です」
そんな2人のやりとりを見て「なんか、仲いいですね」と、長瀬がうらやましそうに言う。
夏美と鷹西、2人同時に「とんでもない」と応えた。
キリがなくなるので、本題に入ることにした。最近の状況を訊く。
「このラボ、昨日、監察なのか公安なのかわからないけど、不気味な連中が入って調べていきましたよ。所長に訊いても訳わからないらしくて、三ツ谷のヤツ、何かやらかしたんじゃないかって頭抱えてました」
「君は、何か心当たりはないのか?」
鷹西が訊くと、長瀬は必要もないのに声を低くし「実は」と説明を始める。
本牧で起きた例の殺人事件の捜査に加わりたいと言っていた。3年前の爆破事故がその事件と関連があるのではないか、と疑いを持ち、合わせて調べ直したい、と主張したが、却下されたらしい。
「3年前の爆破事故、ですか?」夏美が記憶を辿る。「もしかして、山手の海を見下ろす高台にあった喫茶店が爆発して、複数の犠牲者が出たという……」
「さすが、よく覚えてますね」
「俺だって覚えてるよ」競うように言う鷹西。「あれは、確か厨房のガス機器の不具合から起こった事故だっていう話だったよな」
「ええ」と長瀬。だが、すぐに顔を顰める。「でも彼は、あれは事故じゃなくて事件だって言ってました。テロだ、とも」
「テロ?」と言って顔を見合わせる夏美と鷹西。
「詳細は話してはくれなかったんです。巻き込んじゃ悪いから、とか言って。でも、いずれ暴きたいとも言っていた。どうも、背後にかなりやばい事情があるみたいで」
「3年前、か……」と鷹西が険しい表情をする。
「どうかしましたか?」
「いや、確かその頃、あいつが何か悩んでいるようなことがあった。でも、俺もいくつか面倒な事案を抱えていたんで、なかなかじっくり話をする時間がとれなくてな。もしきちんと相談に乗っていたら……」
悔やんでいるようだった。真剣に友人を心配している表情を見て、夏美はドキリとする。
なんか、かっこいい……。いや、だめだめ。何考えてるのよ私……と思わず首を振った。
「これ」と長瀬がクリアファイルを差し出した。
「なんだ、これは?」鷹西が訊く。
「彼が書き殴っていたいくつかのメモです。多分、3年前の爆破事件に関してだと思う。なんか、やばい雰囲気になってきそうだったんで、僕がまとめて保管しておきました。昨日の得体の知れない連中の調べが入る直前で良かったです。もしかしたらとり上げられていたかも」
「お手柄だ、長瀬君」
受け取って、メモ用紙を見ていく鷹西。夏美ものぞき込んだ。
おそらく思案しながら書いたようで、時に判読不明な文字が脈絡なく並べられていた。だが、その中に「喫茶 そよ風の丘」という文字を見つけ、2人顔を見合わせる。
爆発があった喫茶店だ。
いくつかの人名も書かれていた。
瀬尾美咲 今村小夜 三好加世子 が一つの丸で括られている。そして、瀬尾美咲から線が引っ張られ、瀬尾俊之。
別の場所に、森田重雄。この名前は他のものより大きく記されていた。
更に別の場所に、持田香澄、富山充人。
また、大きく離れた場所に「極東エージェンシー 社長佐々木昌治」と書かれている。
「極東エージェンシーって、本牧で殺害された……」
目を見張る夏美。
「ああ」頷く鷹西。「被害者達の所属していた企業だ」
どちらともなく重い息を吐く。
別の箇所には、驚くべき記載もあった。
警察庁 S.Y 与党民事党 K.O
「これは、それぞれに所属する人物のイニシャルですかね?」
夏美が鷹西を見ながら言った。
「多分そうだろう。でかすぎる組織が出てきたな。だが、何を意味するんだ?」
首を傾げる鷹西。
「いずれにしろ、3年前のその事故? 事件? について調べた方がいいようですね」
「そうだな。ここに書かれた人物達の特定も急ごう。多分その爆破事件に何らかの理由で関わっているはずだ」
真剣な顔で頷き合う夏美と鷹西。そんな2人を心配そうに見る長瀬。
「気をつけて下さいね。これ、なんか、かなりやばいことが隠れていそうですよ。だから三ツ谷君も身を隠した。で、手配されちゃってる。妙な連中も動いているし」
「最も妙なのが透明人間だ。どう繋がっているんだ、いったい?」
鷹西が溜息混じりに言うと「透明人間?」と怪訝な顔をする長瀬。
「とりあえず」と長瀬の疑問はそのままに、鷹西がまとめる。「三ツ谷から何か連絡があったら、俺たちが動いていることを伝えてくれ。必要があれば協力し合おう、とも……」
「わかりました」と頷く長瀬。
彼に礼を言い、2人は科捜研を後にした。車に乗り込み、山下公園を車窓に見ながら走る。
「三ツ谷という人はまだどういう立ち位置にいるのかわかりません。安易に協力し合うとか言わない方がいいと思いますが?」
夏美は遠慮がちに言った。
ハンドルを握る鷹西がこちらを向く。そして「俺はあいつを信じている。何か極秘に、しかも個人的に動いているとしても、間違ったことはしていないはずだ」
へえ、と息を漏らす夏美。「男の友情、っていうやつですか?」
「そんな甘っちょろいものじゃないさ。俺もあいつも警察官だ。行動の根底には、真実を明らかにしなければならない、っていう意志があるはずだ。俺は、警察官としてのあいつの姿勢を見てきて、認めているんだ。あいつもたぶん俺を認めてくれているはずだ。何か暴かなければならないことがあるなら、協力するのは当たり前さ」
夏美はまたドキリとする。そして首を振る。
ダメだって、かっこいいとか思っちゃったら……。
「どうかしたのか?」
「な、なんでもありません」
あわてて窓の外に視線を向けた。午後の陽射しを海が反射していた。
真相に近づいて行く夏美に、危機がせまる! 第7話に続く↓