プロフィール/自己紹介
人口88000人。
店舗から見える景色はキャベツ畑と無人駅。
都会ではない田舎町ですが、1ヶ月先まで予約が埋まる美容室を経営しながら
全国47店舗の美容室やネイルサロンエステサロンの経営サポートをしています。
サロンワークをしながら、コンサルティングやスクール事業を展開することで、美容師×サイドビジネスを実現し、収入の柱を増やすことができました。
そんな僕ですが、4年前までは明日の予約は入ってたり、入ってなかったり、売り上げは右肩下がり、昨年の収入を割らないようにするのがやっとの経営状態でした。
何よりウェブの知識ゼロ、SNSやブログ、何一つやっていない状態だったので、どこから取り掛かればいいのか全くわからない状態でした。
そんな状態から、がっつりウェブマーケを学んで、ターゲットのお客様の集客に成功し、リピーターを増やす特化システムを作って顧客を増やしていきました。
予約は少しづつ埋まり半年後に予約は満席、1年後に夫婦2人で月商300万のサロンになりました。
それからXで本格的に情報発信を開始し、1年でサイドビジネスの原型を構築、発信から1年後Xからの収益は1500万ほどになりました。
僕は天才ではないので、なんでも時間がかかってしまいます。
かなり紆余曲折してるので参考にはならないとお見ますが、結構ぶっ飛んだ生活していますw
でも、幼少期は父親の仕事の関係で引越しが続いたため、イジメに近いこともされたし、不器用なくせに美容師を目指したせいか人よりも練習しないとテストに合格しない人間でした。
そんな自分に嫌気がさし自信なくしてコンプレックスまみれになったりもしました。
SNSをやってこなかったのもそんな性格が根底にあったからなんです。
ただ、情報発信という世界では、20代で数十億を稼ぐような人もいるし、会社を何個も経営してファイヤーしてる人も沢山いて、別次元の世界の住人たちと共存してるって感じで、学ぶことばかりです。
そんな僕は、他人に人生握られたままで終わりたくないと始めた情報発信で
「自分の知識で他人の人生のサポートができるって最高だな」
ってコンサルティングやビジネスの虜になってしまいました。
現在46歳の田舎の美容師でも、夫婦で1店舗しかやってない経営者でも、コンサル顧問契約30社47店舗サポートできる様になって、そこそこ自由に生きることが出来ています。
このnoteでは僕の経験や体験から学んできたことや事業を作ったりマネタイズする方法などを書いていこうと思いますので、読みあさってくれたら嬉しいです。
このnoteのコンセプトは 「Gamify Work」です。
このnoteを見ていけば、店舗経営やサイドビジネスで稼げるようになるのはもちろんのこと、「仕事をゲーム化」する事で仕事が楽しくなり思うような成果が出てワクワクするような人生になります。
僕自身も、自分のコンテンツが人の人生の支えになることが目標なので、これを読んでるあなたがそうなるようにどんどん書いていきます。
人生を変えるためには「お金」と「時間」が必要
僕が学校や美容師になれたのは両親にお金を出してもらったからなんですよね。
別事業を立ち上げることができたのも、美容師とは別の収入があったからです。
例えば、月に100万円とか200万収入があったら、そのぶん学びに投資できるし、新たな挑戦もできるじゃないですか?
また好きなことも続けられるわけだから、それってやっぱり幸福ですよね?
明日の予約が入らない…今月の売り上げは大丈夫か?と不安になったり、
1人常連様がこなくなると、自分の何がいけなかったんだろうと考えたり、
値上げをするたびに失客し、そのぶ集客しなきゃとSNSや広告に時間やお金を使ってる。
サロンワークしながらだと自分の時間なんてまるでないんですよね。
土日が営業の業界だから。家族サービスもままならなかったり、大好きなアーティストのライブに行けなかったりする。
自分の店を持てたのに働き方が全然変わらず、心に余裕がなくなり疲弊するばかり…ストレスがたまって身体を壊したりもします。
でも、月150万円とか稼いでたらサロンワークも趣味になりプライベートも充実します。
美容室経営の利益プラス別事業の収入があると、お金は減らないし、貯まっっていくだけ。
美容師って意外と稼げなくてずっと貧乏性だったんですが、お金を使うことに躊躇がなくなってきたり妻や両親と旅行に行ったりもしました。
自己投資もバンバンできるようになって、30万円、60万円とか100万のコンサル受けたりとか学びに使いました。
そしたらビジネスも安定する様になってお金が稼げるようになってくんですよね。
美容師としても経営者としても全然ダメでなんとか毎日を生きてたあの頃。
過去の僕は自分が嫌いでした…
美容師としてのキャリアは
専門学校卒業後、地元のサロンから都内の大手美容室に入社、
その後、業界でちょっと有名な方のお店で働いた後
当時では珍しいフリーランスになったり、
1000円カットで1日70人カットしたりしていました。
当時の僕は、仕事が終わったら飲みに行って、
また仕事して飲みに行っての繰り返しで、
毎日どうしようもない生活を送っていました。
そんな生活をしていた時、自分の身に起こったことがあります。
それがパニック障害。
ある時、お客様から
「顔色悪いよ。何か悪いものでも取り憑かれてるみたい」
そんな言葉をかけられるようになりました。
それからしばらくして、
電車に乗ると過呼吸になったり、
人と話すと白目を向いて倒れてしまうようになりました。
そして、考えれば考えるほど闇の中を彷徨うようになり、
住んでいたマンションから飛び降りようと何度もするようになりました。
そして美容師を辞めました。
それが27歳。
記憶障害が起こり気がついたら病院のベッドの上。
僕は父親に引き取られました。記憶のない1年
実家に帰っても仕事は当然できなく病院と家の往復。
何錠も出される薬を1シート2シートいっき飲みしてまた入院。
そんな繰り返しでした。
記憶のない1年を過ごしたとき、
美容師をもう一度やりたいという気持ちになりました。
そんな時見つけたのが実家に置いてあった、大好きだった先輩が残した絵と歌。
一緒にギター弾いて、朝まで飲んで、髪の毛を切り合ったりするほど仲良かった先輩が、天国に行く前に残した言葉。
「美容師やりたいよ。お前は最後までやれよ」
このままくたばってたまるかと空を見たら、もう一度美容師をやる決意をしました。
美容師復帰
美容師復帰後、地元の美容室に就職しました。
ここから再起を図るために目標を立てた。
掲げた目標は3ヶ月で指名100人。売上100万。
休み返上で働いて達成した時は、死んだ気になればできるなということだった。
3月に入社して12月の売上は200万。
1年過ぎた頃は、250万ほどの売り上げを1人で上げられるようになっていた。
そして2008年12月16日に、hair space G.O.D(ヘアースペースゴッド)を妻と二人で立ち上げました。
開業と2店舗目
2008年12月16日に、hair space G.O.D(ヘアースペースゴッド)をオープン。
美容師と経営者としての道が始まりましたが、
当時の僕は経営の勉強をすることもなく開業したため、
経営の仕方なんてわかっていませんでした。
無知だった僕は開業からわずか1年半後に2店舗目を出店。
ノリと勢いで出店したためスタッフは見つからないし、
オープンしてもお客様がこない。
そして運転資金はどんどん無くなっていきました。
3ヶ月経った時、キャッシュアウトが目の前に迫ってくる恐怖を知り、銀行に追加融資の申請。
何とかキャッシュを作り最悪を回避したが、「このままだと同じことの繰り返しだ」「できることをやろう」と仕事が終わってから車で40分の2店舗目に向かい、夜中の12時まで手作りのチラシをポスティング。
定休日は2店舗目に出勤しお客様を担当させていただき、終わった後は近隣の店舗にチラシを置いてもらうため挨拶まわりをしていました。
当然プライベートの時間や休みはありません。
そんな日々が10ヶ月経ったとき、ようやく損益分岐点をこえ少しだけ利益が出るようになりました。
閉店からの再出発
それから9年。
2店舗目にもリピーターのお客様が増え、売上も上がり利益もぼちぼち、
このままいくのかなって思い込んでた矢先、スタッフ全員が突然退社。
「もう続けられない」
そして2店舗目は閉店しました。
未来を見据えて動いてたつもりだった。
幸せを掴むために仕事してたはずなのに…
店舗を経営すること
人をマネジメントする能力
僕は経営者として何もできてなかったと反省。
妻と2人、ここからまた始めようと心機一転、
高単価&高リピートの1ヶ月予約がとれないブランド店を作ろうと決意しました。
その時の状態は、お客様はいるけど、新規客は来ない、リピーターは少しづつ減っている状態。
メニュー単価を調整して前年対比と変わらないくらいの数字でした。
また繁忙期、閑散期があり、予約はお客様次第、常に安定して売上を確保できる状態ではありませんでした。
そこでまずは、これ以上顧客を減らさないように次回予約に取り組みました。
死刑宣告
その当時の僕は次回予約に対して知識がなく割引をすれば予約を取ってくれるだろうと思い、次回予約を取ってくれたお客様に1000円のクーポン券を渡していました。
当然、割引サービスだけでは次回予約を取ってくれるお客様は一向に増えません。
次回予約も取れないし、集客もできない…
そこでこれからはネット集客だと思い、自作でホームページを作りました。
高単価の最上級メニューで集客できたらと思い、自分なりに必死に作ってみました。
ところが何も起こらない。集客できないのです。
ホームページを作って次回予約に取り組めば、状況が変わるはずだった…
講習に行ったり、本を読んだり、YouTube見たり無料で学べそうなことはなんでもやったのに…
12年目の契約更新、僕をまっていたのは大家さんからの一言。
「テナントを閉めようと思ってる」
突然の退去勧告。
僕たち夫婦は40歳超えて失業宣言されたのです。
この時の感情は今でも鮮明に覚えています。
他人に人生を支配されている感覚。
今まで自分が店にかけてきた思いも、一瞬で吹き飛ばされる感覚。
「このままくたばってたまるか…」
大家と不動産屋に「どうしてもここで仕事したいのでいさせてください」と頭を下げ交渉した結果、4年の猶予期間を得ることができました。
しかし断崖絶壁に立たされ死刑宣告されたのには変わりありません。
そこで僕が考えたのはこの状況からブランドサロンを作って何とか失業しないようにしようということだけでした。
投資
パソコンもなし、SNSのアカウントもなし、オンラインサロンも入っていない、そんな僕は情報を得るために学びに投資しました。
情報商材を購入したり、オンラインサロンに入ったり、次回予約、物販、ブログのコンサルを受けたり、TikTokのコンサルを受けたりして、起きてる時間は事業を作ることに没頭しました。
その結果、サロン運営は予約数が少しづつ伸び、売り上げも過去最高の連続、予約も埋まってきました。
また、サイト制作、スライド資料作り、ロゴ制作、動画制作、画像編集など美容師以外の技術がたくさんできるようになりました。
ブランドマーケティング
学びに時間を費やした結果、1年で予約は満席になり別事業の基盤が少しづつ完成してきた頃、1本の動画を見ました。
それはユニバーサルスタジオジャパンを売上低迷から救った話。
ブランドマーケティングについての動画でした。
そこで気がついたのです。
僕が様々なスキルを学んでやっていたことはこれだと。
ブランドを構築して、それを届けるためのマーケティングを学んでるのだと。
もっと本質的なマーケティングについて学びたい…
そこで僕は本質のSNSマーケを学べるセンサーズに入った。
マーケティング、ブランディング、事業設計、仕組み化、広告運用などの専門知識を動画で学びフィードバックをもらった。
事業を作ることがこんなに面白いとは…
僕がコンサルを始める原点になったのはこの時の感情だ。
新たな事業
ブランディングやマーケティングを学んだ僕は、以前の自分と同じような人を少しでも多くサポートしたいと思いSNSで発信を始めた。
その当時の僕はX(旧Twitter)しかやっておらず、フォロワーも700人程度しかいなかった。
そんな状態でコンサル?できるわけないでしょ(笑)
知名度もなく、大した実績もないのにコンサルを始めるなんて無謀だと言われた。
しかしフォロワーが少なかろうが知名度がなかろうが、実績が大したことなかろうが、ウェブマーケを学べばエンドユーザーにきっと届くと信じた。
いい技術やいいサービスがあっても、伝える術がなければ店は潰れる。
真面目に過ごしていても、しんどい思いをしている人はたくさんいる。
そんな状況をウェブマーケを伝えることで少しでも変えられるならと思いウェブマーケ特化型コミュニティHMSを作った。
HMSは、美容師(hairdresser)、マーケティング(marketing)、技術(skill)の略語。
現在コンサル顧問契約30社、47店舗の美容師、ネイリスト、アイリスト、エステティシャン、フリーランスが参加している。
僕の夢は自分の店で働くことだ。
だからもうすでに叶ってる。
今はこの夢を守るために事業を拡大している。
成長を止めたら人は老いる。
だからこそ学ぶことをやめてはいけない。
僕はこれからも価値提供し続けられる人でいたい。
ここまでの長文お付き合いくださりありがとうございました。
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