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疫病禍における憲法改正の意義

私論です。

日本国憲法の改正は、かなりパンチの効いた財政政策・産業政策になるかもしれません。保健政策や社会保障政策だけではなく、疫病禍に最も効く打ち手になり得ると思います。世界が変わることがほぼ確実になったこのタイミングで、急がば回れの精神で真摯に憲法改正を実行し、真に有益な財政、産業、社会保障、教育の抜本的改革を行う政策パッケージを打ち出せると思います。荒唐無稽に聞こえるかもしれませんが、10-30年を見た超長期の国民福祉の向上を考えると一番コストメリットが大きいような気がしています。

1-2年という短期的視点ではシャットインエコノミー(閉じこもり経済)とソーシャルディスタンシングストラテジー(社会的距離戦略)が社会課題として浮上してきます。

個人も組織も行動変容を半ば強制的に求められることになり、この環境激変が思想的転回の発火点になり得るんじゃないかと。まさにこれをきっかけとして利用し、日本人の重い腰を引き上げて、平時なら何十年かけてもできないことを実行して、社会変革に火をつけることができたらいいなと考えています。これらが本当に実現できたとしたら、人口構造問題、人口減少問題、環境問題、税制問題などの解決や、デジタル経済やグローバル経済、AI社会への新しい次元での対応もあわせて導きだせると思います。

例えば日本でも言及回数が急増しているユニバーサルベーシックインカム(UIB)。それ単独での是非は問い難く、日本においては上記諸問題を解決するための政策パッケージの一つの要素として議論されない限り、具体的な制度に落とし込めないと思います。この政策を実行するためには、各分野にまたがる法整備が事前に必要で、そしてその前にはこれまでの日本人にとって壁となって立ちはだかってきた日本国憲法を改正しておかなければならないねということになります。

今回のウイルス禍は、急拡散と収束を繰り返しながら18か月くらいでようやく終息の方向に向かうという専門家の意見が多いみたいです。

日本においても、悲惨な状況に陥らないよう、毎日の新規感染者数を見ながら、医療崩壊防止と行動制限の悪影響のバランスを取り続けるという難しいかじ取りが続くと思われます。非常に厳しい状況になりますが、しかし日本にとっては18か月の再起動の準備期間ができたという見方も可能です。思わずやって来た「焼け野原」という感じです。一旦世界全体が立ち止まるこの期間を使って、先頭集団から離脱しつつあった日本がまた先頭に立つために何ができるのか考えてみたいものです。もちろん、スパイラルアップしないといけないので今までとは違う観点でのトップランナーになるとは思います。

Twitterやヤフコメ、Facebookフィードに流れてくる投稿やコメントを眺めていると、我々国民は痛みには耐えられないし(自分や身近な人たちの被る損失には敏感にならざるを得ない)、短期視点でしか受け取れないし(今我慢すると将来の損失を減らせると言われても…)、総合的に物事を考えられない(個別事象から帰納的に全体像を類推するのは難しい)ということを痛感せざるを得ません。なんとなく普段はその反対のベクトルに意識や行動を持っていこうとしているはずなのに、、と思います。

とにかく今は、困っている飲食店や旅館を助けてほしい、国民全員に10万円配ってほしい。もちろんこの困難をしのぐために非常に重要な対策になるので一日でも早く実行すべきだと思います。しかし、普段我々国民の多くは、有事の際には政府が違憲行為や超法規措置を実行してほしいとは言っていなかったはずです。最新の世論調査で内閣支持率が4ポイント下がったのは、民意を忖度して強権行使に躊躇した結果ではないでしょうか。

結局、予め未来に起きる事象すべてを想定した行動規定は作れないので、未曽有の出来事が起きたら超法規的に強権発動せざるを得ないという現実にぶち当たります。日本には首都直下地震や南海トラフ地震のような巨大インパクトのリスクもあります。であれば、このウイルス禍を奇貨として、神聖にして侵されざる存在に祀り上げてしまった日本国憲法を、現実の世界に戻すことが合理的判断です。そうすると緊急事態に即応したリーダーシップのあり方や、セーフティネットとしてのUBIのような革命的(!)な政策についてもようやく具体論を詰めていける気がします。さらに、日本の抱える諸問題にメスを入れて、総合的に解消していこうという機運が生まれるのではないかとも思います。これが本当にうまくいけば、超高齢社会×AI社会に軟着陸した初めての国として世界のお手本になることもできるんじゃないでしょうか。

この75年間の保革両陣営の政治論争が吹き飛ぶくらい環境が急変している中で、自らの政治信条に縛られて議論をスタックさせている暇はありません。一方で、今世界で起きていることのすべて把握し、理解し、その上で判断や行動を行えているスーパーマンみたいな頼れる人はどこにもいないし、深い思索を必要とする哲学の視座からリアルタイムに同時代を語る難しさも強く感じます。でも、社会変革の波が来ていることはピリピリと肌で感じます。よりよい社会を作るにはどうすればよいか、自分には何ができるのか。取るに足らない小さな自分をこの大きなチャンスに賭けてみるのも悪くないと思っているところです。

最後は決意表明みたいになって申し訳ないです。

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