天国へとつながる画面
あらたな出会いのある4月。この季節になると、思い出す。
「シノハラです」
深々と下げた頭が元の位置に戻ったとき、おもわず、でか!と口走りそうになるのを必死で堪えた。
サイズの合っていない、大きめの作業着の上からでもわかる胸板、腕や太ももは、風船が入っているくらい膨らんでいた。それでいて、顔がちっちゃい。
このフォルムからは、想像できないくらい、ひときわ小さな声だった。
「どんなやつなの?」
「あぁ… シノ ですか?」
社内ではすでにシノの話題でいっぱいだった。
「おまえ、部活の先輩だろ? どういうやつなのか知りたいから教えてよ」
「あぁ別にフツーですよ」
「フツーなわけねぇだろ。レスリングで日本5位のやつが!」
「なんか、写真とかないの?」
「ぼくのですか?」
「違うよ。その… シノ だよ」
「アカウントは『 シノ。 』らしいです。
「その情報、いる?」
スマホに入っている写真を見せてもらうと、目鼻立ちがはっきりしていて、ジャニーズのようなイケメンであった。
「めちゃくちゃカッコイイじゃん! これでレスリング強いんだろ? そりゃモテるわ」
シノ はいつでも笑っていた。ぼくはそれが、…どこか似ているな…と感じていた。
歓迎会を近くの居酒屋を貸し切って行った。ぼくが着いたときには、座敷はいっぱいだったので、仕方なく カウンター に座った。
シノ は3つくっつけたテーブルの真ん中に座り、彼女のこと、レスリングのこと、有名大学からの推薦を断って入社したこと、などなど、四方八方から、質問攻めに合っていた。
盛り上がる会話が、途切れ途切れにぼくの耳にも入ってきた。シノはというと、相変わらず笑ってはいるが、どこか浮かない顔をしているようにも見えた。
「クォーターなの?」
「お母さんはどこの人?」
「いないです…」
「…」
シノは、続けた。
「お母さんは、フィリピンに帰っちゃって…」
お酒を注ぐ後輩。時計を確認する先輩。みんなごまかすように用事を探した。ブレーカーが落ちたかのように場がしーん…と静まり返る店内。
みんな、誰かの開口を待った。
「ブルーノマーズじゃん!」
ぼくは残りのビールを飲み干して、おかわりを注文した。
視線がぼくに向けられた。何かを察してくれた誰かが続けて言った。
「そういえば、似てるなぁー。よし、じゃあカラオケ行くかぁ」
2次会を断ったぼくは、酔いを覚ますついでに、歩いて帰ることにした。イヤホンを耳に装着して、ブルーノマーズのプレイリストをタップした。
ひとりぼっちで歩く路地に、彼のハスキーな歌声が唯一の光のようで、とても心地良かった。
急に誰もいない路地に長い影ができた。後ろを振り向くと、2つの白い光が近づいてくる。こんな狭い路地に入ってくるなよ、と悪態をついたのが聞こえたのか、近づいてきた車が、ゆっくりとぼくの横で止まった。
ウィンドウが開くと、 シノ だった。
「先輩、送ります。乗ってください」
「あれ? カラオケは? 主役がいないとダメだろぅ?」
「門限があるって言いました」
「おまえが女の子だったら、勝利の方程式だったのになぁ…」
自販機で缶コーヒーを買って、助手席に乗り込んだ。 相変わらず表面だけ、笑っている。
「あっすいません。あの…聞かないんですか? おかあさんのこと」
「ん? あぁ。別に。…アライ、アライ、ウマリスカ…」
「…なんすか?、それ…」
「タガログ語だよ。昨日、英語の授業で、フィリピン人の先生に教えてもらったんだ。棘が刺さっていたからなぁ。今日はお疲れさん」
「先輩もなんすか?」
やっぱり気づくよな。と心の中でつぶやいた。
「おれは会えないからなぁ」
「?」
「おれと引き換えに亡くなった」
シノの顔から、笑顔が無くなった。たぶん次の質問には、10,000回も答えてきたのだろう。
「正直、会いたい…か、わからないっす…」
「そっか。でも、わからないの選択肢があるだけ良いと思うよ。会うか、会わないか、会いたいか、わからないか…、これから シノ が決めたら良い。おれは…これ」
ポケットからスマホを取り出し、45°傾けた。暗い車内に ぼわーん と浮かび上がるセピア色の遺影写真を シノ の顔の前に突き出した。
「便利な世の中だよなぁ。傾けるだけで、天国へとつながっちゃうから」
「そんな大事なもの、ロッカーに忘れたらダメじゃないですか!」
「おかあさんみたいなこと言うなよ」
「おかあさん知らないのにね」
シノ は笑った。間違いなく心から笑っていた。
「おはようございます!」
「おーっす」
シノだった。満面の笑顔と大きな声で、みんなに挨拶していた。
「先輩!」
スマホをの画面を見せてきた。そこにはハリウッド女優のような女性が、小さな赤ちゃんを抱っこして、画面いっぱいに写っていた。
「わお、やっぱブルーノマーズだったな。天国よりは近いから、いつか会えるな」
スマホが瞼を閉じるように、スリープした。
リコさん、はじめまして(笑)一人っ子です。
この企画にとても共感して、実話のようで実話でない話。(ほぼ実話)を書かせていただきました。
一人っ子って生きづらいかもしれません。でもどこかには一人っ子を応援する人もいるよとちょっぴりのエールになれたらと思います。
素敵な企画ありがとうございました。