Murder's Brain File.1
Murder's Brain File.1:連続殺人犯 永山功平(ながやま こうへい)
「明日、面会がある。10時からだ」
捕まってから12日目の夕方。
取調室で何度も顔を合わせた、丸山という刑事が、そう伝えてきた。
面会? いったい誰が?
聞いてみたが、丸山は答えなかった。
明日になれば分かる。
それだけ。
取調べのときからそうだったけど、丸山は愛想がない。
俺の対面に座ってるからじゃない。あの男はそういう人間だ。
いったい誰が、何のために来る?
もう取調べは終わった。
俺に隠し事はない。
やったことはすべて話したし、今さら言い訳するつもりもない。
翌日は、いつもどおりに起きた。
朝飯も8時に食べたが、その後が違った。
面会者が来るまで何もせずに待たされ、9時50分になると部屋から出されて、取調室とは違う部屋に連れて行かれた。
「ここは?」
俺に質問に、警官は、
「面会室だ。面会者がいる場合、皆ここで会って話す」
と機械のように言った。
「へぇ。俺には面会者はいなかったから、来たことなかったわけか。俺はいつも、取調室と留置場の間を言って戻るだけだった」
警官はそれには答えず、チラリと視線を向けただけだった。
つまらないヤツだ。
馴れ合うつもりはないが、少しぐらい話をしてもいいだろうに。
まあ、慣れてはいる。俺の人生には、そんな奴らしかいなかった。
だから俺は、こんなふうになるしかなかった。
コンコンッ
ノックがして、ドアが内側に開いた。
入ってきたのは、スーツにネクタイの、生真面目そうな男だった。
髪はワックスか何かで固めたようなオールバックで、艶がある。顎はツルリとしていて、剃り残しの一本もない。黒縁メガネの向こうには、プライドが背伸びしているように見える。
嫌いなタイプだ。
「俺はあんたを知らない。誰だ?」
男は俺の言葉を受け止めて、
「知らなくて当然だよ。初めて会った」
爽やかな笑顔を見せた。
ますます気に入らない。
「私は尾澤。君の精神状態を確認するために来た」
尾澤は俺の目を見て言った。
恐れも、不安もない。
何も感じないし、興奮もしない。
コイツは俺にとって、用のない人間だ。
「取調べは終わった。無罪も訴えてない。今さら精神状態なんて確認する必要はないだろ。本当はなんの目的で来たんだよ、尾澤先生」
「先生なんて呼ばれる人間ではないよ、私は」
尾澤は笑った。
余裕ってわけだ。
面白い。
「座って話そう」
尾澤は右手を出して座るように促してから、自分も椅子を引いた。
テーブルを挟んで対面。
手錠は掛けられているが、できることはある。
そうだ、できることはある。
「二人にしてもらえますか?」
尾澤は、俺の右斜後ろに立っている警官を見た。
「問題ありません。何かあれば私が責任をもちますし」
そう言ってから、
「対処も可能ですし」
と、俺の目を見て付け加えた。
犯罪者には慣れてるのかもしれないが、四人を殺した人間を前にしても、まったく緊張が感じられない。
なんなんだコイツは。
「承知しました」
警官は会釈して、部屋を出ていった。
「さて」
二人になると、尾澤はテーブルに肘をついて顔を近づけた。
「君の精神状態について、確認させてもらおう」
「お手柔らかに頼みますよ」
俺も顔を近づける。
男と顔を近づけるのは趣味じゃないが、反応を確認するにはちょうどいい。
尾澤は、俺を見たまま、体だけを戻して、姿勢を正した。
俺についての資料でも出すかと思ったが、その気配はない。
そういえば、鞄すら持っていない。
「君は一人っ子だね」
尾澤は言った。
なるほど、家族構成から入るのか。
「ああ」
ここは無難に答えておこう。どういう方向にもっていくのか観察するんだ。
「経済的に不自由もなく、親の愛情を独り占めできるはずだった。でも、残念ながらそうはならなかった」
「そのとおりですよ、先生。
先生、でいいのか?」
「精神科医の免許も持っているから、それでもいい。好きなように呼んでくれていいよ」
「へぇ、丸山は口の聞き方の注意までしてきたけど、先生は気にしないんだな」
「先生といっても、学校の先生ではないからね」
尾澤は微笑んだ。
理解を示そうとするやり方か。
「君の……いや、私は功平くんと呼ばせてもらってもいいかな。一応、私のほうが年上でもあるし」
「好きにしたらいい。
永山でも功平でも人殺し野郎でも、なんでもいいさ」
「人殺し野郎は、ちょっと長いね。言いづらい」
「なるほど、そうかもな」
今まで見たことがないタイプだ。
俺の周りにいた人間とは毛色が違う。
「功平くんの両親は、近所や学校側に対してはいい夫婦を演じていたが、家庭内では冷めきっていた。そして功平くんは、それを感じ取っていた。親っていうのは、そういうことを隠そうとするものだけど、子供は気づくんだよね。大人が思っている以上に、子供はいろいろなことを感じ取ってる」
「そうだ。俺には全部分かってた。なのに連中ときたら、俺が部屋から出てくると、ぎこちない顔で普通を装う。俺も気づいてないフリして、当たり障りないこと話してた。今思えば、俺もだいぶぎこちなかったはずだが、連中はごまかせてると思ってたみたいだな」
「それは、覚えてる限りで、5歳ぐらいからのことで間違いない?」
「ああ。5歳の子供に気を使わえる親って、最悪だよな、先生」
「いろいろと事情がある場合もあるから、決めつけられないけど、残念ながらその通りだよ」
「理解が一致して嬉しいよ、先生。
親父の奴は、俺が小学2年になった頃には、ほとんど家に帰ってこなくなった。おふくろは、仕事が忙しんだと言ってたが、なんか違うってことは感じてた。ある程度年齢いった頃には、その頃から外に女作ってたんだなって分かったよ。帰ってきても、おふくろとも俺ともほとんど話をしなかったし」
「そのぐらいの年齢のときに父親がいない、あるいは、いても話すこともないという状況は、モデリングする対象がいないということになる」
モデリング? なんの話だ?
「モデリングって、どういう意味だ?」
「3歳から6歳ぐらいの子供は、自分の両親を真似て行動する。女の子の場合は母親を、男の子の場合は父親を真似る。男の子の場合は、母親の愛情を自分だけに向かせようと、父親の真似をする。そういった中で、愛情は自分だけが独り占めできるものじゃないということに気づいて、成長していく」
「ん? それは父親をライバルだと見てるってことか? なのになんでライバルを真似る?」
「たとえば、功平くんに好きな女性ができたとする。でもその女性には、意中の相手がいた。そうしたら、功平くんは彼女の意中の相手を観察して、持ち物や雰囲気を、ほとんど無意識に真似る。そうやって彼女の関心を引こうとする。キャバクラのような店では、珍しくない光景だよ。自分のお気に入りの女性が、自分より他のお客のほうに甘い声を出していたら、功平くんにとってその男性は、ライバルであると同時にモデリングの対象でもある、ということだよ」
「好きな女を振り向かせようとするってことか。なるほど」
「そう。でも功平くんには、モデリングする相手がいなかった。父親は家にほとんど帰らず、子供の目から見ても夫婦仲は悪かった。でも、母親の愛情を独り占めできたわけじゃなかった。もし独り占めできていたとしても、それはそれで問題を引き起こす可能性があるけど、そうはならなかったね?」
「おふくろは、まだ黎明期だった動画サイトばかり見てたよ。飯は食えたけど、それだけだ。俺は常に一人で遊んで、言葉を発することがほとんどなかった。学校に通うようになっても、周囲とどう話せばいいのか分からなくて、キモいとか暗いとか、散々言われたよ」
「食事を与えないのはもちろんダメで、それだけは守られていたのは救いとも見える。けど実は、子供の生育には、食事と同じかそれ以上に、親との触れ合いが重要になる。食事を十分に与えられても、触れ合いがない子供はその後、精神的に不安定になる可能性が高くなる」
「なるほど、そういうもんか」
心理学ってやつか。
丸山は俺の育った環境には興味を示さなかったが、先生は興味がある、なるほど。
「人に触れてもらえるというのは、安心できるものだよ。もちろん、親しい相手、信頼できる相手に限られるけどね」
「そういう意味じゃあ、俺は最悪だぜ、先生。小学校3年になる頃には、親父は家を出ていって、おふくろと二人暮らしになった。養育費もあったんだろう、空腹に耐えるなんてことはなかったけど、おふくろはさらに俺に無関心になった。学校はつまらないし、しんどいだけだった。
分かるか? 先生。家ならまだ、おふくろ一人だ。でも学校には、何十人って生徒がいる。その中で、俺は誰とも話せず、一人だった。周りに人間がいるのに一人。自分だけ違う世界にいるみたいにな」
「それで、君は空想を始めた」
そうだ、俺は一人ぼっちだった。
「それしかなかったんだよ、先生。
家にいるときも空想はしたけど、学校にいるときはもっと強くなった。そうしないと、一人っていう状況に耐えられなかったんだ」
「でもそんな功平くんに、優しく手を差し伸べる者はいなかった。イジメにもあって、それでも淡々としていた功平くんのことを、周囲は気味悪がって、そのうちイジメすらなくなった。無関心、無存在、功平くんは、クラスに存在しない幽霊にように扱われた」
「ああ。幽霊くんってやつだよ、先生。担任も無関心だった。まあ、面倒なことに首を突っ込みたくなかったんだろう。俺は助けも求めなかったしな。
その状況は何も変わらないまま、学年だけが上がっていった。
そのうち、気になる女も出てきた。けど、幽霊くんと話そうとする女はいない。遠くから見ていても、キモいって言われるだけで」
「それで、空想の中に登場させた」
よく分かってるじゃないか。
でも分かってるぞ。
理解を示して俺から何か引き出そうとしてるんだろ? 先生。
「そうさ。どんな顔してて、どんな声で喋るかは、同じ教室にいるから分かる。だから空想は容易だった。現実では挨拶すらできなくても、空想の中では話せた。滑らかに話して、笑ってもくれる。中学に入っても、同じようなことになって、相変わらず俺は空想の中にいた。空想の中ではセックスもできた。やり方は、クラスの奴らがひそひそ話してるのを聞いたり、漫画なんかで見て、それを空想に持ち込んだ」
「コミュニケーションを拒否しても、学生のうちはなんとかなったわけだね。功平くん自身が耐えきれるなら、空想の中にいればいい。セックスも、現実とのギャップを感じることもない。楽だよね、空想は」
楽? 俺は現実を分かってないってことか?
俺を揺さぶる気か? その手には乗らねぇ。
「ああ。あの頃は、幸せだったのかもしれない。社会に出る前に比べればだけどな。クソであることに変わりはない」
そうだ、クソだった。
でも冷静に、だ。
怒りに任せたら終わる。
「社会に出たら、コミュニケーションを取らざるを得ないからね。勉強だけしてればいいわけじゃない。功平くんが働いていた工場のような場所でも、コミュニケーションは必須だ」
「そうさ、そこからすべてが狂い出した」
そう、あのときから、俺はおかしくなったんだ。
俺を侮辱して、命令してくる奴らのせいで。
「それまで、空想の中に登場する人物は、すべて功平くんの思い通りだった。シチュエーションもすべて。でも、空想の中の彼らは、社会に出たことを境にして、思い通りに動かなくなったんだね」
これも心理学か?
そのことは丸山には話してない。
丸山から情報を聞いてたとしても、それだけで分かるもんなのか?
「俺の空想なのにだぞ? 先生。俺の空想、俺が支配者のはずの空間で、連中は勝手に動くし、俺にまで歯向かう。そんなこと許すわけにはいかない。言うことを聞かせるために、俺はなんでもやった」
「脅迫、暴力、強姦……現実ではできないことを何でもやった」
それが空想だ。俺が神になれる世界。俺がルールの世界だ。
歯向かうヤツは例外なく痛い目に遭わせる。
「ああ。いくらやっても、何をやっても、罪には問われないからな」
「快感だったろう?」
そう、快感だよ。
どんな薬より、セックスより。
「分かるか? 先生。反抗的だった奴らが、力を示すことで従順になるんだ。現実じゃ幽霊くんだった俺の力で、誰もがひれ伏す。こんな楽しいことはない」
「分かりはしないが、意味は分かるよ、功平くん。
だから、職場で気に入らない人間も空想の中に登場させて、ついには実行したわけだね、殺人を」
「ああ。俺を散々見下したり、馬鹿にしたりした連中が、泣きながら命乞いして、なんでもするから助けてくれって言うんだ。俺はそいつらの目を見ながら、それ用に買った大型のナイフで何度も刺して殺す。すると連中の目が、絶望の色に変わっていくんだ。支配してる、俺が神……そんなふうに思えた。快感に決まってる」
「そして、ついには会社の同僚や上司を、空想で殺した。彼らは殺されて当然だと思うかな?」
「ああ。ろくでもない連中だ。殺されたってしかたない。自分は真っ当な人間だって思ってるあたりも問題だ。俺はそれを正した。教えてやったんだ、おまえは間違ってるってな」
「でも現実では、彼らは同じように功平くんを叱りつける。だから、やるしかなかった」
「そうさ、やるしかなかったんだ」
俺が望んだわけじゃない。連中が俺に殺されるようなことを選んだんだ。
「でも、功平くんがターゲットにしたのは、通勤途中でいつも会う男性だったね。なぜかな?」
「深い意味はないよ、先生。そいつも、空想の中で殺したことがあった。いつも同じ電車で、音漏れがうるせぇだの、老人に席を譲れだの言ってくる。自分も席を譲るわけはないのにだ。それに、会社の人間をやったらすぐに特定されるかもしれないと思った。だからそいつを殺ることにした。
でもなぁ、違ったよ。空想と同じように、何度も刺して殺してやったのに、空想のときみたいな快感がなかった。いや、あった。でも足りなかった」
「その男性は、功平くん以外にもいろいろ言ってたみたいだね。
とにかく、それが最初の殺人になって、そのあと功平くんは、空想と同等の快感を得られるまで、合計四人を殺害した。で、欲求は満たせたのかな?」
「四人目を殺した瞬間は、満たせた。でもすぐに乾いた。これには終わりがないんだって」
「殺しの快感を得ることが、かな?」
「違う! 違うぜ、先生。俺が欲しいのは、支配だ。支配すること。
職場で、コミュニケーションの問題を上司に指摘されて、だからおまえはダメなんだって言われたとき、降って湧いたように気づいたんだよ。このどうしようもないストレスに対処するには、支配欲を満たすしかないって。
いくら空想をしても、満たされるもんじゃない。もう空想じゃ無理だったんだ。だから実行した。刑事や世間は、俺が頭のおかしい人間だと思ってるだろうけど、俺にとっては、そうしなければ自分が壊れてしまうほどの恐怖だったんだ。殺しは、生きるために必要なことだったんだよ。
究極の支配は殺人、相手の生殺与奪を握ることだ。殺した瞬間、空想と同等の快感がない代わりに、やりきったみたいな、恍惚感があった。俺は支配している……そう思えた。なんでもできるって思えた。だから俺は、自分を保つために殺しを続けたんだよ、先生」
「功平くんにとっては殺しは、生きるために他の生き物の命を奪うのと同じようなものだったと、そういうことかな?」
「そうさ。それに、こうなったのは俺のせいじゃない。丸山って刑事は、俺がやったことばかりに終始して、ろくに話も聞きやしなかったけど、先生は俺の話を聞いてくれた。俺がなんでこんなふうになったか、先生なら分かってくれるだろ?」
「確かに、功平くんの境遇には同情すべきところがある。しかし、殺人が肯定できるわけじゃないよ」
「殺人を肯定してくれなんて言わないさ。でも、丸山刑事も世間も、俺が殺しを楽しむ異常者だと思ってるだろ? 本当は違う。俺だって被害者なんだ。もっとまともな人生があったはずなのに、親や世間が俺を殺人者へ導いた。殺しって事実は否定しない。でも……」
「そこに至る道は、望んだものじゃない、と言いたいのかな?」
「そうだよ。実際そうだろ?」
「環境が及ぼす影響は大きい、確かにね」
尾澤は立ち上がった。
「話は終わりか? 先生」
「うん、いろいろと、聞けたからね。話せてよかったよ、功平くん」
「俺もだよ、先生。ちゃんと話を聞いてくれる人がいるんだって、意外だったけど、話してスッキリもした」
「ではね」
尾澤が部屋を出ていくと、俺は入れ替わりで入ってきた、あの無愛想な警官に連れられて、留置場に戻った。
『永山が人を殺した理由は、環境要因が大きかった』
そう結論づけてくれるだろ? 先生
「と、彼は考えるはずです。
今頃は、勝利したと笑いを堪えているでしょう」
丸山のいる捜査一課の部屋で、尾澤は言った。
「環境要因が大きいから、極刑は免れるって?」
丸山が聞くと、尾澤は頷いた。
「そう思ってるはずです。
彼は、私には心理学の知識があるので、事件を起こしたのは、彼の人格に問題があったとは言わないと思っているはずです。おそらくは私が、彼の殺人は環境要因が大きいと、大きな声でみなさんに伝えると考えている。そしてそのことが、自分に有利に働くと思っている。やはり、日本では珍しい連続殺人犯と直接話すのは有意義でした」
「で、先生の結論は?」
丸山は聞いた。
「死刑が妥当です。支配欲を満たすために殺人をする……そんな人間を外に出してはいけない」
尾澤は言った。
「絶対に、ダメです」
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