第13話 二度目【死生の天秤】小説
■第13話の見どころ
・残酷な提案
・亜梨沙の涙
・箕島の苦悩
-1-
旅行二日目も、優衣はほとんどを笑顔で過ごし、遊び疲れて、夕食の後には寝息を立て始めた。
「明日は帰る日だけど」
千夏は、空になった箕嶋のグラスに、日本酒を注いだ。
「答えは出そう?」
「……」
寝息を立てる優衣を見ていると、そばに行って、そっと髪を撫でたくなる。きっと、手を重ねたら、寝ぼけて握り返してくる……そんなふうに思うのに、こみ上げる思いが、頬を濡らした。
「一稀……」
千夏の手が重なる。
箕嶋は、「ごめん」と頭を振った。
「今日、ずっと優衣を見てた。あの子は俺の娘、他の誰かじゃないし、誰のものでもない。この子のためなら死んでもいいと思える存在……なのに、ズレるんだ」
「ズレる、って……?」
「そこにいる優衣は一人のはずなのに、時々違う顔をしてる優衣が見える。違う仕草や言葉……全部俺の、想像上のものかもしれないけど、ゼロから作られたものじゃない、記憶から作られたもので、本当に細かいことで、目をつぶればいいことかもしれないけど、やっぱり俺には……」
「どうしても、一致しないのね、あなたの中で……」
「もし、俺と亜梨沙が知ってる優衣のすべてを伝えて、再生させたとしても、それは優衣じゃない……ただ、再生させたい者の願望を詰め込んだ、別の存在なんだ。姿形をどんなに似せても、記憶をすべてインプットすることができたとしても、実際に辿った体験と時間は再現できないんだよ……優衣は、俺の娘は、あのとき”ありがとう”と言って目を閉じた、あの子一人だけなんだよ。優衣はもう、いないんだ……もういないんだよ……」
千夏の腕が、そっと背中を包んだ。
寝ている優衣に気づかれないようにという思いだけが、辛うじて残っていたが、それもやがて崩れ、千夏の腕の中で、箕嶋は泣き続けた。
「明日、笛木さんにどう伝える?」
数分して、少し落ち着いてくると、千夏は言った。
「分からない。分からないけど、俺がどうしたいかは、分かった」
「どうしたいの?」
「俺は、あの子が一番幸せになれる選択を選ぶ。今日とか、一ヶ月後とか、そんな話じゃない。あの子が大人になったとき、これが正解だったんだと思える、そんな選択。絶対的な答えなんてないけど、でも……」
「大丈夫よ、一稀」
千夏は言った。
「どんな選択をしても、そのことで、あなたが壊れそうになっても、私が支える」
「でも、俺が本当に壊れたときは……」
「その先は言うだけ無駄よ……あ、スマホ鳴ってる」
「バイブにしておくの忘れてた」
箕嶋は、テーブルに置いたスマホを取って、眉をひそめた。
「どうしたの?」
「亜梨沙の家に、警察が来たらしい。明後日、俺も一緒に話を聞かせてほしいと」
「明後日?」
「俺が旅行から戻るのは明後日だと、警察に伝えたらしい。咄嗟の機転だろう」
「明日中に答えを出さないといけない……ううん、明日っていう時間ができた、かな」
箕嶋は、明日連絡する、まずは笛木と話すと返して、スマホを置いた。
-2-
「あんたが箕嶋って男と話してから、今日で三日目。こっちでも同じなんだよな?」
笛木と寺崎は、無事にワームホールを抜け、笛木が泊まっていたホテルに向かっていた。抜けるときの感覚は、いつもどおりだったが、転送室で見たそれは、少し形が歪んでいた。内側に閉じようとする力を、強引に抑えつけているようで、笛木でなくても、「大丈夫なのか?」と不安になるもので、横にいた寺崎も、睨むような視線を崩さなかった。
「はい、同じです。ホテルの手続きを済ませたら、すぐに箕嶋さんに連絡します」
笛木は言った。
「しかし」
寺崎は、チラリと腕時計を見てから、空を見上げた。
「もう昼だってのに、随分と暗い空だな」
空は、真っ黒な雲が風に乗って流れている。ホテルに着く頃には、微かに見えていた太陽も完全に隠れ、ポツポツと降り始めた。
フロントで手続きを済ませると、笛木は寺崎と一緒に部屋に行き、椅子に座った。当然だが、部屋の中は出発前と何も変わっていない。清掃はしないでいいと言っておいたから、ベッドのシーツもそのままになっている。
「まずは連絡ですね」
言葉にして、スマホを取り出したが、いざかけようとすると、手が固まった。電話ではなく、直接会って話すことになるだろうが、そのときを想像すると、躊躇してしまう。電話したら、もう後には引けない。
「ここまできたら、やるしかないんじゃないか」
壁際に立っている寺崎が言った。
「最低だし、最悪の提案だ。けど、長い目で見れば最善でもある。腹をくくれ」
「……」
笛木は、スマホを持ったまま立ち上がり、箕嶋の番号を押した。
頭の中には、迷いも批難も、止めようとする声もある。
しかし、それらに構っている時間はない。
『笛木さんか?』
「はい、先程、こちらに戻ってきました」
『いったい何があったんだ?
いや、すまない、それよりも早急に話したいことがある』
「私もです。
会ってお話できますか?」
『ああ。
元妻も、一緒にいいか? 彼女も優衣と会ってるんだ。笛木さんのことも話してある』
「ええ、もちろんです。
一緒にいていただいたほうがいいですし」
『ん? どういう意味だ……?』
「とにかく、会って話しましょう。
場所は、もみじでいいでしょうか。あそこなら、周囲を気にせずに話せます」
『かまわないが、あの店は夜にならないと開かないんじゃないか? 俺たちは早く話したい。時間がないんだ』
「分かっています。こちらとしても、あまり時間はありません。だから、これから連絡して交渉します、すぐに開けてもらえるように。時間が決まったら連絡します」
笛木は電話を切ると、寺崎を見た。
「金なら、気にしなくていい。旦那から、事を完遂させるためなら気にせずに使えと言われてる」
寺崎は言った。
「話が早くて助かります」
笛木は、すぐに店に連絡して、緊急の会合があるから店を使わせてほしいと交渉し、一時間後であればという回答をもらって、すぐに箕嶋に連絡した。
「私たちも行きましょう」
一時間後。
店に着くと、女将が自ら出迎えてくれた。
「お待ちしておりました」
「急な要望に応えていただき、恐縮です」
「いえ、どうぞ、こちらへ」
部屋に案内され、黒い漆のテーブルの奥側に、笛木は座った。→※ここは最初のときに描写しておいて、イメージ湧くようにしておく。
「いい店だな。普通に食事を堪能したかった」
隣に座った寺崎が言った。
「食事は出してくれますよ。ランチメニューですけど。頼めばお酒も」
「いや、俺は下戸なんだ。それに、飲んで話す内容でもない」
「……そうですね」
「お連れ様がお見えになりました」
女将の声が聞こえて、襖が開いた。
箕嶋の後について、女性が一人、入ってきた。箕嶋はどこか、覚悟を決めたような顔をしているが、女性のほうは、唇をぎゅっとヘの字にして、非痛感が強い。
「お待たせしてすみませんでした」
笛木は頭を下げた。
「いろいろあったんだと、解釈してる。こっちは、元妻の笹部亜梨沙」
箕嶋が言うと、亜梨沙は黙ったまま会釈した。
「はじめまして、笛木です」
「まずはお互いの状況整理が必要だ」
「そうですね。
まずは箕嶋さんの状況から、聞かせていただけますか?」
笛木が言うと、箕嶋は警察の件を含めて、状況を説明した。
「じゃあ、優衣さんは今、箕嶋さんの……」
「ああ、旅行で仲良くなって、出かけるから一緒にって話したら、あっさりいいよって答えたよ。優衣としては、俺と亜梨沙が一緒に出かけることも歓迎してるみたいだった」
「そうですか……」
「あんたのほうはどうなんだ? 笛木さん。それに、隣の人は、ずっと黙ってるけど……」
「彼は寺崎と言います。私のほうで何があったか説明する中で、立ち位置はご理解いただけると思います」
「立ち位置……?」
「これからお話することは、私のほうで何があったかと、お互いに直面している問題を解消するための、提案です」
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