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対立が行き着く先を描いた名作……とは思えなかった「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を見て思ったこと

■内戦リスクを描いた映画……?

2024/10/4に公開された「シビル・ウォー アメリカ最後の日」、ご覧になりましたか?
アメリカで現実に起こり得ると言われる内戦を描いた映画で、米大統領選が近い時期での公開は、タイミングとしてはベストだったと思います。

では内容は?
僕は楽しみにしていたため、公開二日目に観に行ったんですが、「う~ん……」という感じでした。期待値が高かったので、ギャップが大きかったというのもあると思います。加えて、そもそも映画は、好みや考え方で評価も変わってくるので、イマイチか面白いかは人それぞれ。ただ僕としては、なんかなぁという印象だった、ということですね。

記事にするか悩んだんですが、その理由は以下の2つにあります。

1、薄味のストーリー
2、内戦に至った理由が分からない

今回は、上記2つについてと、良かったと思う3つ「怖さ」ついて、まとめてみます。
※以下、ネタバレ含みます。

■オススメできない理由① 薄味のストーリー

主人公は戦場カメラマンの女性で、内戦の現実を取材しています。で、14ヶ月取材を受け付けていない大統領から声明を取ろうと、仲間の男性と共にワシントンDCに向かうことになります。つまり、主人公たちの目的はワシントンに行って大統領に取材することです。

主な登場人物は以下の四人。
リー:ベテランの戦場カメラマン。女性。主人公。
ジョエル:記者。男性。
サミー:ベテラン記者。男性。
ジェシー:リーを慕う駆け出しの写真家。女性。

およそ1400キロの道のりを車で走っていくわけですが、物語の始まり時点で内戦は起こっており、後に分かることですが、政府軍は押し込まれています。追いつめているのは、カルフォルニア州とテキサス州を中心とした西部の一派。もう一つの勢力としてフロリダとオクラホマを中心とした南部の一派がいますが、南部のほうについては名前だけの登場で、最終的には西部の一派がホワイトハウスに攻め込むという流れになります。

リー、ジョエル、サミー、ジェシーの四人は、目的地に至るまでに戦闘を間近で目撃したり、各エリアを縄張りにするグループが自分たちルールの下、「侵入者」を私刑にするのを目撃したり、仲間が殺されたりと、恐怖と悲しみを乗り越えていくわけですが、あまり感情移入ができません。まったくないわけではないけど、キャラの葛藤はあまり感じられませんでした。

ワシントンに着くまでに、行き過ぎた対立が引き起こした狂気を目撃することになり、確かに一部、「コイツは狂ってるな」と思うキャラも登場します(赤いグラサンの人です)。でも、本人がサイコパスというより、環境が作り出した獣という要素のほうが大きいと思います。

殺伐とした雰囲気が続くものの、ハラハラするとか、キャラの一人に共感するとか、そういったこともなく、あまりストーリーが入ってきません。クライマックスは、一行がワシントンに到着して、ホワイトハウスを襲撃する西部の一派に同行して、戦場となったワシントンDCの現実をカメラに収めていきます。

政府軍も抵抗し、黒塗りの車で逃亡を図り、大統領が逃げたと思わせようとするも失敗。正面突破を囮にして本物が逃げるとかもなく、政府軍側の罠のようなものもない(一回ぐらい政府側の反撃が来るかと思ったらなかった)。

「反乱は成功するのか?」みたいなサスペンス感もないまま、ホワイトハウス内でのシークレットサービスとの銃撃戦に巻き込まれ、リーは駆け出しの女性を庇って銃弾に倒れ、西部の一派が大統領を執務室で追いつめて、射殺。遺体を前に、笑顔で記念撮影してエンドロールとなります。

主人公が対立の根本的理由を特定して、解決のために奔走するわけでもなく、ただ現場を写真に収めるだけ。戦場カメラマンだし、そこに対立から生じる生々しい現実があるとしても、映画の主人公の行動としては物足りないと感じてしまうというのもありました。

アメリカ人が見たら、もっとリアルに感じて、いろいろ思うのかもしれませんが、なんか薄味だったな、というのが感想でした。

■オススメできない理由② 内戦に至った理由が分からない

薄味に感じた理由の一つは、これにあると思います。
前述したように、映画が始まった時点ですでに内戦は始まっていて、政府軍は追いつめられている状況です。でも、最後まで内戦になった理由は明かされません。

もしかしたら、相手憎しでやりあってるから、理由なんてあまり関係ない、ということを言いたかったのかもしれませんが、物語としては、やはりそこは描いたほうがよかったのではないかなと。

確かに、なんで喧嘩になったのか分からなくなってしまうことは、個人間でもあります。他人から見たら「なんでそんなことで?」と思うことがキッカケで言い争いになって、いつの間にか相手を打ち負かすことが目的になってしまう、みたいなことです。

たとえば、夫が脱いだ靴下を洗濯機に入れないことを苦々しく思っていた妻が、ついに怒って「なんなの?」と言ったことがキッカケで、「そんなこというならおまえだって」と反撃が始まり、あれもこれもと相手を攻撃する理由を見つけて、いつの間にか自分の正しさ証明することが目的になって、最初のキッカケがなんだったか分からなくなってしまう、みたいな。

冷静に話し合えば解決策はあるはずですが、感情のぶつかり合いになると、気に入らないことばかりが目に付くようになって、相手の話なんて聞かなくなってしまうわけですね(経験ありません?)。

それでもまだ、個人なら本人が冷静になれば解決も見えてきますが、集団になると、個人よりも集団の意志が強くなって、流されてしまうことになります。

SNSでもよく見かけますよね。
罵詈雑言のぶつけ合いみたいなもの。

たとえば大統領選挙のような大きなイベントと絡むと、爆発して暴力沙汰になったりするわけで(2021年に実際にありましたね)、それがさらに大きくなれば、内戦にもなり得る、という話で、アメリカ人からすると、フィクションで済ませられない生々しい恐怖や不安があるのかな、と思ったりもします。

でもそうであれば、内戦のキッカケとなった対立を見せて、こんな些細なことで内戦までいってしまう愚かさ、虚しさ、恐怖を打ち出したほうが、内容が濃くなったんじゃないかなと。

なんで内戦になったのか分からないっていうのは、制作者の意図かもと思いつつも、物足りないなぁと思ったのでした。

ちなみに、ウィキペディアによると、内戦勃発の理由は下記のようです。
しかし結局、なぜそういうことになったのかが分からないので、う~ん……という感じですね。

憲法で禁じられているはずの3期目に突入し、FBIを解散させるなどの暴挙に及んだ大統領に反発し、19の州が分離独立を表明、内戦が勃発した近未来のアメリカ合衆国

Wikipedia

なぜ3期目に? なぜFBIを解散? そんなこと大統領の強権発動だけでできるのか? と考えてしまいますね。某国のような独裁者ではないわけで、謎は深まりますね。

■良かったと考えられる3つの「怖さ」

ここは良かったのでは、と思ったところを3つの「怖さ」を上げてみます。

①本来の目的を忘れて憎しみが暴走する怖さ
先程も少し触れましたが、対立が始まってしまうと、いつの間にか感情的になって本来の目的を忘れ、相手を打ち負かすことが目的になり、その狂気が内戦にまで発展してしまう、という「怖さ」を見せているという見方もできるかなと思います。

僕らは何か起こると、一つのことが原因だと考えがちですが、物事の原因は複数の要因が絡み合っています。要因のパーセンテージの差はあるでしょうけど、明確にこれが原因と言い切れるものは中々ないもの。そういう意味で、内戦のキッカケが分かっても、それだけが原因と言い切ることはできず、いつの間にか相手を負かすことがすべてを覆ってしまう怖さ、ということですね。

②物語の登場人物になってしまっていることに気づかない怖さ
戦争というのは目的じゃなく、何かしらの目的を達成するための手段の一つです。
内戦勃発の理由が、ウィキペディアにある通りだとすると、独裁者のように振る舞う大統領を倒すことが目的のように思えますが、実際は違います。目的は、独裁者に支配された国を解放して、平和と取り戻すといったところでしょう。大統領を倒すには、そのための手段の一つ。

手段の一つです。

この映画において、大統領はいわばラスボス(主人公たちにとってはちょっと違うでしょうけど、戦っている人たちにとってのラスボスはそれ)。
なので、物語であれば、映画でもゲームでも、正義が悪(ラスボス)を打倒し、これで世界は平和になるんだろうなぁ、というところで終わります。悪は倒れた、めでたしめでたし。

でももし、現実で同じことをしたら?
現実世界では、ラスボスを倒しても物語は続きます。この映画のエンディング後で予想されることは、南部の一派や政府軍の残党との内戦激化、外国勢力の介入による混乱、世界のパワーバランスが崩壊して国家間の戦争に発展など、暗い未来しか見えません。ラスボス倒して記念撮影してる場合ではないわけですね。

でもこれは映画だから、と思うかもしれませんが、2021年に起こった議会襲撃事件は、片鱗です。
しかもあのときは、選挙が不正だったと思い込んだ人たちが「正義」のために起こした行動であり、実際に独裁者のように振る舞う大統領を倒すほど大きな理由があったわけではありません。

彼らは、不正に立ち向かう元大統領と一緒に戦うヒーローの仲間、という物語の登場人物となって高揚感に包まれ、その行動が引き起こす深刻な未来を想像することなく、暴力に訴えてしまった。誰でも感情的になってしまうことはありますが、集団ということもあり、暴走状態になってしまったと考えられます。

映画の中で、大統領を倒して笑顔で記念撮影をしてしまう異様さは、現実にも起こりうるのでは、と感じさせるところは、怖いなとも思わせる部分だと思います。

③「私たちと奴ら」という分断の怖さ
対立が激化すると、「私たちと奴ら」というカテゴリー分けが進み、自分が属するカテゴリーは正義、敵のカテゴリーは悪という単純化が進みます。
プロパガンダの常套手段ですね。敵は悪魔、自分たちは正義、というあれです。

映画の中でもそういう異常さが見られるシーンがあり、敵を同じ人間と考えなくなる狂気、さらにそれが、同じ国の中で起きてしまうことの怖さを見せているのは、現実世界でも見られる、過激化する思想のぶつかり合いにおいて、一歩立ち止まって考えることの重要さに気づかせてくるかも、と思います。

■まとめ

良かったと考えられるほうが多いので、オススメなのか? と思うかもしれませんが、オススメはしません。理由は、僕が最初に受けた印象が、オススメできない理由の2つだからですね。

以上、シビル・ウォーの感想でした。
面白いから観て! とオススメは、個人的にはしませんが、自分の目で確かめることが大事とも思うので、対立がもたらす狂気を目撃したい方は映画館へどうぞ。

シビル・ウォー アメリカ最後の日 公式サイトのリンク

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