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陰謀論ウィルス 第5話 危機(連載小説)
-1-
「え? 寧々さん、どうかしました……?」
職場の休憩室で、スマホをテーブルに投げた寧々を見て、一緒にいた田辺和人(たなべ かずと)は顔を引きつらせた。田辺は19歳のバイトで、メインはキッチンだが、状況に応じてホールもこなせるオールマイティで、寧々のことも慕っている。
「あ、ごめん、なんでもないよ」
笑顔を作って答えると、
「なんか、珍しいですね……何かあったんですか?」
田辺は乗り出すように言った。
「ありがとう。大丈夫よ。
それより、そろそろ戻らないとマズイんじゃない?」
姉が弟を諭すように言うと、田辺は立ち上がって、スマホをズボンのポケットに仕舞った。
「何かあるなら言ってくださいね。俺、いつでも相談乗りますんで」
真剣な顔で告げて、田辺は休憩室を出ていった。
一人になると、寧々は椅子にもたれて、ため息をついた。
夏希からのチャットを最後に受け取ったのは二日前。それ以降、寧々から連絡していないのもあるが、音沙汰はなかった。自分で対処しなければ……という思いからか、寧々はSNSで現状を確認してみたが、すぐに後悔した。
ワクチン推進派と、反ワクチン派の対立は、沈静化するどころか激しさを増している。病院襲撃のようなことは、もう起きないと思いたかったが、見ていると吐き気がしてきて、耐えきれなかった。
ようやく少し、早くなった心臓も落ち着いて、スマホを手に取ってSNSを閉じる代わりにニュースサイトを開くと、今度はまた別の”ネタ”が出てきて、立ち上がってトイレに向かった。
AIが仕事を奪う、AIが人を支配する……飲食店であっても、無人レジが増えてきたり、AIまでいかないまでも、これまで人がやっていた仕事がロボットやAIに置き換わっていくのは、反発したところで避けられるものではない。だったら受け入れて、それ以外を仕事にしていくしかない……営業職をしていた頃、新しく開発された商品を売ったり、客先で話を聞いていく中で、時代の流れというものには逆らえないものだと理解するようになった。
自分の仕事がなくなるかもしれない恐怖や不安は分かる。AIじゃなくても、他の有能な人が同じ職場に入ってくれば、自分のポジションを奪われ、別のことをさせられる可能性は常にある。AIが人を支配するというが、AIには支配したいなどという”欲望”はない。なのになんで……
「はぁ、はぁ……」
トイレの洗面台で、水を出しっぱなしにして呼吸を整える。
仕事に戻っても体が重く、テーブルを片付けているときに皿を割ってしまい、バイトのメンバーにも心配される状況に、寧々はさらに心を沈めた。
「夢丘さん、これ、食べない?」
店が閉店して、バイトも帰ったあと、成瀬が声を掛けてきた。右手には、チョコレートケーキが乗った白い皿を持っている。
「え? なんで……」
「あ、いやぁ、その……実はね、明日、甥っ子に会いに行くんで、何か手土産でもと思って作ったんだけど、張り切りすぎて作りすぎちゃってさ」
成瀬は笑った。
甥っ子がいるという話は、以前聞いたことがあったが、成瀬は明日、出勤になっている。
「遅い時間にこんなカロリー高そうなもの食べるのはダメかな……(笑) あ、食べないなら冷蔵庫に入れておくから、無理には……」
「いえ、いただきます。チョコレートケーキ、好きなので」
「あ、良かった。じゃあ、これ」
皿を受け取って、キッチンのワークトップにより掛かるようにして、口に運ぶ。
「おいしい……メニューにしちゃってもいい気がします」
「お、それは嬉しいお言葉」
成瀬はそう言ってから、
「夢丘さん、なんていうか、体調とか大丈夫? 今日の皿の件なんか全然気にしないで……って言ったら気にしちゃうか……でも本当に、気にしないでほしい。そんなことより、最近ちょっと、調子悪そうだなぁと思って」
と苦笑いを浮かべた。
「体調は大丈夫です。ただ少し、精神的な疲れがあって……」
「例の件? まだ荒れてるみたいだもんね……」
「それもあります。でも……」
「うん?」
「どうして、人はありもしないことに怯えるんですかね……そうじゃないって証拠があるのに、信じないだけじゃなく、悪気なく教えてくれる相手に対してさえ、おまえはおかしいって指を向ける……」
「理屈では、ないんだろうね。
僕の友人……といっても僕より10歳以上年上だけど……その友人の息子さん、陰謀論にハマって大学を辞めて家を出ていってしまったらしい。連絡しても反応がなくて、もう半年ぐらい、話もできてないと言ってた」
「大丈夫なんですか、それ……」
「警備の仕事をしながら他のメンバーと共同生活してると、一度連絡はあったらしい。シェアハウスというやつだね。一緒に住んでるメンバーは、反ワクチンやら、ダークステートやら、そういう共通点をもった人達なんだって。
なんでそんなふうになってしまったんだろうねって言ったら、息子がそんなふうになったのは、自分のせいかもしれないって言ってた」
「何か、変なことを言ってしまったとか……?」
「ううん、そうじゃない。むしろ逆というか、いろいろ言い過ぎたって。仕事で忙しくて、家にほとんどいないのに、たまに会うとあれこれと、まあ学校の成績のこととかで、厳しくしてたらしいんだ。息子さんにも言い分はあって、意見を言ってくることもあったけど、おまえは分かってないって態度で接してしまって、奥さんともうまくいってなくて、離婚。息子さんは一人で、精神的に追い詰められてたんじゃないかって言ってた」
「それが、陰謀論にハマってしまった理由、ですか……?」
「下地、かな。そんなふうに弱ってるときに、拠り所になるような人と出会ったら、その人が言ってることを信じてしまっても不思議じゃないと思わない?」
「そうかもしれませんね……」
「病院の事件ほどのことをする人間は、そんなにいないと思うけど、不安や不満が強くて、自分ではどうすることもできないと思ってる人にとっては、拠り所になり得るのかもしれないよ、そういう話は。で、それをおかしいと言ってくる人のことは、敵に見えてしまうじゃないかな」
「……」
「あ、だからって、暴力に訴えてもしょうがないということじゃないよ。ごめんね、なんか……」
「いえ、大丈夫です……」
「あ、それで、精神的な疲れっていうのは……」
「そっちも、大丈夫です。なんとかします。自分で対処しなきゃいけないことだし」
「そうか、分かった。無理に聞き出すつもりはないから。でも何かあれば、遠慮なく言ってほしい。休みが必要なら、調整もするからね」
「ありがとうございます。
ケーキも、ごちそうさまでした」
成瀬と話したことで、家に帰り着くまでの間は落ち着いていたが、荷物を置いて、仏壇が視界に入ると、涙が溢れてきた。
狂ってるの一言で片付けては、何も見えないことは分かっている。でも背景を知ったところで、奪われた者の気持ちは……
「……!」
スマホが鳴って、寧々はホワイトデニムのポケットから取り出した。
「夏希……!
え……?」
チャットを見たとき、一瞬プラスに跳ね上がった気持ちは、底に落ちた。
もう二度と、夏希に会えないのではないか……頭に浮かんだ最悪を消そうとしたすべての試みは失敗に終わり、寧々は再び、涙に沈んだ。
-2-
「国崎」
職場のデスクで、いつもように雑務をこなしていると、生駒に呼ばれた。
「言いにくいんだが、少しの間、休めないか?」
国崎は、数秒固まった後、視線を上下左右に動かして、
「どういう意味ですか……?」
と声を絞り出した。
「会社都合だから、休んでも給料は出る」
「いや、そういうことじゃなくて、なんで休みなんて」
「ワクチン騒ぎ、収まらないだろ? インフルの感染者は増えてるのに、反ワクチン派はずっとデモをしてる。例の事件で、医療関係者も不安なんだろう、接種推進とは言いづらい空気になってる。
うちは、政府がしっかり説明すべきだというスタンスではあるけど、反ワクチンを掲げてるわけじゃない。そんなこと書くはずもない。が、朝丸は”また”ワクチン接種に反対してるって、保守系の言論人を中心に批難されてる」
「それは……政府の説明は確かに重要だと思いますが、それでもワクチンは接種すべきで、感染拡大を防いでくれると書かないからじゃないですか?」
「そうだろう、そうだろうさ。でもうちとしては、どっちに肩入れしてるっていう形になるのも避けたいんだよ。夢丘寧々のインタビューが取れてれば、別の流れにもできたと思うんだけど」
「状況は分かりましたけど、私が休む理由が見えてこないですが……」
「上が気にしてるんだ」
「上? 幹部が私のことをですか?」
「そうだ」
「何を今更……あのとき対処してたらこんなことにはなってなかった……! それをさせなかったくせに、問題を蒸し返す気ですか!?」
「おいおい、言い方に気をつけろよ……社内だぞ」
生駒は宥めたが、国崎は収まらず、
「責任を取らせるようなポジションにもいないから、熱(ほとぼ)りが冷めるまで姿を消せってことですか。万が一でも対応が発生すると面倒ってことなんですね」
周囲の視線を集めたまま言った。
「国崎……」
「分かりました。では今日、これから、お休みをいただきます。一週間ですか? 二週間ですか?」
「期間は決まってない。状況次第ってところだ。俺としては、一ヶ月ぐらい休んでしまってもいいと思う。給与のことは心配ない。上もそこは了承してる」
「そこは了承してる……なるほど、揉め事が一つなくなるなら、末端社員の一ヶ月分の金なんて、気にすることじゃないわけですね」
国崎は荷物をまとめて、ノートパソコンをバッグに入れると、足早にオフィスを後にした。
「……」
会社を出てきたものの、行くところはない。家に帰ってもいいが、今はうまく説明できそうにない。国崎はなんとなく街を歩いて、漫画喫茶を選んだ。個室に入り、ドアを閉じると、考えたくないことが沸々と浮かんできた。
大きな仕事を終えて、報酬の一環としての休暇なら、開放感もあって楽しいだろう。終わればまた、次の仕事に向かえる。しかしこの一ヶ月が明けたとき、希望や期待がある可能性は低い。最悪の場合、そのまま……
「でかい仕事、か……」
ソファ型の椅子にもたれて、テーブルに置いたノートパソコンを開く。会社からの支給品ではなく、プライベートのほうで、メインアカウントとは別で作った、調査用アカウントで動画サイトを開くと、少し頭痛がした。
ブラウザのブックマークも、偏りが著しい。他人に見られたくないものを、人は誰でも持っているものだが、今の国崎にとって、調査用アカウントのすべてこそがそれだった。
「もっとコアに、入るしかないよな……」
呟いて、マウスを動かした。
反ワクチンの急先鋒、向田のコミュニティは、ワクチン接種を撤回させるために盛り上がっていた。コミュニティサイトの中でのやり取りは、一方的な意見で染まり、中和剤になるものは存在しない。勢い、過激が濃くなっていくだけで、外に放ったらどうなるのかと怖くなるほどだった。
だが、それはネット上での話。
コミュニティのメンバーが直接集まって話す場では、参加費10万円という高額のためか、さらにディープなメンバーが集うらしい。そして重要なのは、そのイベントには必ず向田自身も参加すること。しかしそのイベントは不定期で、もう少し規模の大きい、大人数が集まるイベントに参加しないと、申し込みできないらしい。
「……」
彼らの実情、何をしようとしているのかが分かれば、それは記事にできる。向田と直接話しができれば……しかし、恐怖もあった。濃度が濃い場所に行けば、自分も同じ色に染まる可能性がある。今はまだ、ネットの掲示板を見ているような感覚で距離を置けているが、イベントに参加するとなれば、そうはいかない。中で感じる熱量を直接浴びることになる。もし染まってしまった場合、家族は……
「くそ……!」
テーブルを思い切り叩きそうになって、振り上げた拳を下ろし、ゆっくりと息を吐き出した。
「やるしかない、やるしかないんだ……!」
国崎はブツブツと呟きながら、深淵への入口となるイベント参加の申込みを進めていき、確定ボタンを押す前にためらったものの、一瞬だけだった。
本当に良かったんだろうかという思いは、想定している成果が得られるまで消えることはないだろうが、他に手はない……
「でかい仕事……そうなるかどうかは、結果次第か」
30分ほど、情報収集していると、イベント申し込みの返信がきた。受付は完了、当日のスケジュールやキャンセルする場合などの情報を確認して、スケジュールに書き込むと、パソコンを閉じた。5日後の18時、場所は都内。参加者はどれぐらいになるのか分からないが、数十人が集まることは間違いない。今の状況を考えると、数百人の可能性もある。目的は、向田本人と話して情報を得ること……
「よし……」
国崎は漫画喫茶を出て、家に向かった。
-3-
寧々にチャットを送ったとき、夏希は実家の自分の部屋で、呆然としていた。立ったまま、動く気になれず、これからのことを考えようとしても、明るいものが見えなかった。
『俺にはもう無理だ。自分までおかしくなってしまいそうで、仕事にも支障が出てきてる。今は忙しいときだし、付き合ってる暇もない。おまえも最悪を想定しておけ』
父からのチャットを受け取ったとき、父はもう、家にいなかった。何も言わず、そんな素振りも見せずに、家を出ていった。もし実家に戻らないまま、その話を聞いたら、二人を見捨てる気かと感情的になったことだろう。チャットを見たときも、酷いという言葉は浮かんだ。だが、内側に入ってしまった今となっては、その決断を責めることはできなかった。
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