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心に耳を傾けて 第2章 常識の目(ショート連載/エッセイ風)
第2章 常識の目
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クランクアップ後も人生は続く・・・・・・
構成にもよるが、映画の主人公は、描かれる範囲で困難を乗り越え、新しい日常を手にして、幕を閉じる。希望に満ちた未来・・・・・・しかし、僕はそんな"主人公”ではなかった。僕だけではない。実際、ほとんどの人は映画のようにはいかない。
映画の主人公が困難を乗り越え、光が差す未来を得られるのは、脚本家がそういうシナリオにしているからで、現実には困難を乗り越えたからといって、ハッピーエンドが約束されているわけではない。
そして、自分の人生の脚本家であるはずの自分が、筋書きをどう描こうとしても、予想通りにも、予想外にも、不愉快なことは起こる。
「なんで辞めたの?」
兄弟が風邪をひいて、正月に集まれなかったため、日付をずらして集まった二月の後半。仕事はどうと、母に聞かれ、状況を説明すると、母は眉をひそめた。
「なんでって・・・・・・今話しただろ」
「そうだけど、そんなのどこでもあるでしょ」
「どこにでも変な奴はいるけど、我慢すればいいってもんじゃないだろ。限度ってものもあるし」
「だって、ずっとバイトとか派遣とか、不安定な仕事してて、やっと社員として働けるようになったっていうのに・・・・・・」
母はため息をついた。
「一つのことを続けられないっていうのは、問題だぞ。転職ばかりしてれば印象も悪くなる」
父が被せてきた。
「今は転職なんて珍しくないし、辞めた回数より、なんで辞めたかが重要なんだよ」
「どうしておまえはそうなんだ・・・・・・」
「まあいいじゃん、巧の人生だし」
兄が言った。
「実家に住んでるわけでもないし、二人に迷惑かけてないでしょ?」
「親戚と話すときに、必ず子供の話がでるでしょ。そのときになんて言えばいいのよ。みんな立派に仕事して、子供がいる子だっているのに・・・・・・」
「まあ結婚はそれぞれだとしても、確かに職を頻繁に変えるのは良くない。業種もバラバラだし。会社の選び方が間違ってるのかもしれないぞ。試しに俺が探してやるよ」
両親も兄も、僕の声など気にせずに話を進めていく。
初めてではない。
子供の頃から何度も見た光景だ。
おまえは間違っている、正しい判断ができない、だから私達の言うことを聞いておけばいい・・・・・・そうは言っていないが、家族は僕に、本質的にはそういう接し方をしてきた。
自分たちの価値観に基づいた一般常識や世間体を、絶対的な証拠だというふうに突きつけ、僕は間違っていて、私達は正しいというスタンスを崩さない。
自分たちの言う通りにすれば人生がうまくいくというような言い分だが、だったらなぜ、夕食のときに仕事の愚痴を言っているのか、生活が楽にならないのかといった疑問に答えることはない。
そもそも、彼らのいう一般常識が人生において正しいなら、多くの人はそれぞれの成功を得ているだろう。そうなっていないということは、何かが間違っていると考えるべきではないのか。
一度だけ、そんなようなことを口にしたことがあった。
まだ兄も僕も実家で暮らしている頃、兄は大学卒業後、まるで自分の道が見えているかのように就職した。僕はというと、高校を卒業して最初に入った会社を二年で辞めて、別の仕事を始めたときだった。
「石の上にも三年っていうだろ? せめてあと一年我慢できなかったのか・・・・・・」
父は不快感を隠さずに嘆いた。
僕は、自分に合わないと気づいたのに、世間の常識に従って我慢するのは時間の無駄だし、父さんの言うことが正しいなら、なんで朝の電車に乗ってる大人は暗い顔してるんだと聞いた。それを聞いた父は、一瞬黙った後、顔を真っ赤にして怒り出し、それが大人だ、大人は大変なんだ、みたいなことをまくし立てた。
母も加わって、だからあなたはダメなのよという主旨の言葉を浴びせてきて、兄は「次の仕事は続けろよ」と言った。
三人とも、なぜやめるのかは重視せず、やめることそのものを悪と考えているのだと、そのときに実感した。父は30年以上同じ会社だし、母も10年以上同じ仕事をしている。彼らにとって、別のことをやってみるという行為は、ただの遠回りでしかないのだろう。
その後は、兄の仕事の話や親戚の話、両親の愚痴など、退屈な時間が続き、ほとんど口を挟むことなく一時間が過ぎた頃、立ち上がった。
「ん? どうした?」
「帰るよ」
「もう帰るのか? 夕飯も用意してるのに」
「友達と約束があるから」
約束などなかったが、その場から去れるなら何でもよかった。
実家を出ると、無意識にため息が出た。
家族の言っていることが正しいとは思わないものの、自分の問題も認識していた。何がやりたいのか、自分が本当に得意なことは何か、何年も考えて、未だ答えは出ない。だから色々試してみてるわけだが、自分の能力が上がったのかと考え始めると、寝付きが悪くなる。
常識の同調圧力を弾いて生きるには、力がいる・・・・・・
荻野のような人間に、おまえはクビだと言われても、こっちから願い下げだと、目を見て言える力が。
-2-
独立してやっていく・・・・・・
不愉快なことに? 少しでも早く忘れたい、荻野に言われたことが、退職してから何ヶ月も経っているのに、頭の片隅に残っていた。
コールセンターの仕事は、入った当初は引っ切り無しに電話が鳴っていたが、三ヶ月経ってピークを過ぎたのか、落ち着いてきていた。幸いにも、職場の人たちはSV(スーパーバイザー)含め、感じの悪い人間はなく、職場環境的には悪くはない。一部メンヘラのような人間もいるが、隣にでも座らない限り、関わることはないので、問題までいかない。
仕事そのものはというと、四ヶ月経った頃から受信電話がほぼなくなり、発信業務のほうがメインになった。派遣契約としては、受信業務が終わるまでで、そのタイミングで辞めていった人もいた。しかし企業側としては、自社の業務に慣れてきた人にはそのまま残ってもらって、別の業務……今回で言えば発信業務……をしてもらいたいのが本音らしく、派遣会社側も、本人の意向があるならとのことで、先が決まっていなかった僕は、なんとなく残った。
一方で、気づいたことと、燻るものがあった。
ほぼ電話だけで一日を過ごすことは、自分には向いていないこと。
以前にもやったことはあったが、そのときは事務処理という、一人の静かな時間もあった。ここではそれはなく、受信にしろ発信にしろ、一日電話。つまり、誰かと話し続ける時間が続く。
一対一で電話越しとはいえ、はじめましての相手と話し続けることは、陰キャの僕には中々厳しく、仕事が始まる前にトイレに逃げ込みたくなる衝動と、終わって家に帰ったときの重力のような疲れと、ホッとする感覚の理由はそれだと気づいた。
燻っている理由は、今の状況に対する焦りからきていると考えられた。
給料がいいとは言えないが、人間関係は悪くなく、仕事もほどほどに忙しい程度。職場としては決して悪くなく、企業側と直接雇用を結んでいる人たちの中には、在籍数年の人もいるし、派遣契約が終わるタイミングで直接雇用に切り替える人もいる。
僕はというと、ありがたいことに直接雇用の話をもらっていたが、回答は保留していた。何も決まっていないなら、このままここに残ればいい……そう言っている自分もいる。
しかし、今はいいけど、そのうち限界がくる。電話だけで過ごす一日は向いていないと気づいたのだから、派遣契約が終わるタイミングで辞めるべきだ……そう言ってくる自分もいる。
どちらの言い分にも一理ある。
あと一ヶ月の間に決める必要があるが、"あの会社”を辞めてから半年近く経ってもまだ、方向性が見えずにいる。自分に向いていないことの一つがハッキリしたことは収穫だったが、では何がしたいのか、という部分は見えないまま。
しかしそもそも、自分に何が向いているか、本当に理解している人はどれぐらいいるのだろうか……夕方の10分休憩で、コーヒー片手に、ビルの外に見える海を見ながら、ふとそんな疑問が浮かんできた。
学校を卒業する前に自分の進路を決めて、決めたからにはそれを突き通す。それは一見、素晴らしいように思えるが、自分の10代の頃を振り返ると、社会の実情を知らないままに進路を決めてしまうことに、違和感を覚える。
とりあえずこれをやってみようというなら分かる。やってみて、違ったら別を試す。その繰り返しでいいはずだし、そうしなければ自分にフィットするものを見つけることも、見えていなかった自分の特性を知ることも難しい。
でも現実は、やってみて合わないと気づいても、やめることに躊躇いを覚える。間違っていたことを認める不快感と、早々にやめたら周囲から何を言われるか……という不安。
自分の気持ちではなく、周囲からの圧で留まってしまい、やがて考えることもなくなり、人生はそんなものだと自分を納得させる。周囲もそうだから自分もこれでいい、間違っていない、と。
違和感を覚えながらも続けていれば、それだけで一定の評価はされる。社内でも出世できるかもしれない。望む望まないに関わらず。
それも一つの生き方なのだろうと思う。
でも絶対的な答えではない。
人と同じことが、自分にとっても正しいとは限らない。
じゃあ僕はどうしたいのか?
コーヒーが冷めるまで考えていたわりには、その答えはまだ見えない。見えないが、ここの仕事が合わないのは確かだった。人間関係さえ良ければ仕事の内容は気にしないという人に会ったこともあるし、それも理解できるが、自分はそうではない。
(独立したい気持ちはある。でもその力はまだない。やっぱりまずは、他を試すことだ)
太陽が海の向こう側に沈んでいき、オレンジと青のコントラストに染まっていく景色とは対称的に、なんとも味気ない結論な気もしたが、僕は席を立って、オフィスに戻った。
「お電話ありがとうございます、STサービス受付センター、本庄です」
電話を受けながらも、頭の中ではずっと別のことを考えている自分がいる。仕事が終わって、帰り際に同僚と話していると、
「本当にここを辞めるのか?」
という声も聞こえる。
迷いはある。
でも、何かを得るには、何かは諦めないといけない。
どちらが正しいのか。
結果が先に分かれば楽だが、そんなものはない。
結果を知るには、試すしかない。
家に帰ると、今までの経験上、自分に向いていること、向いていないことを書き出して、壁に貼った。まずはこれを基準に、次の仕事を決める。
書き出したことが間違っている可能性もあるし、長い目で見れば変わる可能性もある。
でもそれでいい。
未来なんて、自分のことですら分からない。
それでも、心のどこかで希望を見ている自分がいる。
でもやはり、現実は優しくなかった。