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自覚なき殺人(ショートストーリー)
-1-
昔々、あるところに、エトという小さな町があった。
人口500人ほど、豊かとは言えないが、町の人たちは助け合って、慎ましくも穏やかに暮らしていた。
そんな平和な町で、一週間ほど前に、サヤという女性が命を絶った。山で首を吊っているのが発見され、事件性はなく、数人の関係者によって葬儀が行われただけだったが、町の誰もが、彼女を知っていた。
(サヤ……)
葬儀から一週間後。
サクラは、サヤの墓の前で手を合わせた。
幼馴染だった二人は、小さな頃から一緒に遊び、一緒に大人になった。知らない人が見れば、仲の良い姉妹に見えるほど、二人の距離は近く、仕事でも恋愛でも、悩みを打ち明けて、お互いを支え合ってきた。そのサヤが、自ら命を絶つほど追いつめられていた状況に、何もできなかったことは、サクラの心を重くしていた。
「惜しい人を失くしたもんやなぁ」
「……?」
サクラは声に驚いて、目を開けて立ち上がった。
サヤの墓から数メートル離れた場所に、少し薄くなった白髪を後ろに撫でつけて、額にほんのり汗をかいている男と、付き従うように立っている二人の男がいた。
サクラは後退りしかけたが、足の指に力を込めた。
「ワシの提案に乗っておったら、こんなことにはならんかっただろうに」
白髪の男が言った。
「提案……?」
「お嬢さんは、サヤちゃんの知り合いなんか?」
「……友人です」
「そうか、べっぴんさんやな」
白髪の男は、サクラの体を下からなぞった。
「どや? うちにこんか?」
「は……?」
「うちは今、町で一番力がある。役人とも話ができるし、奴らもワシを頼っとる。うちに来たら、なんだってできるで?」
「お断りします……」
「そうか、まあ、気が変わったらいつでも来てな」
白髪の男が背を向けて歩き出すと、従者のような二人も歩いていった。
サクラは、サヤの墓に目を向け、拳に力を込めた。
従者はともかく、白髪の男のことを知らない人間は、この町にはいない。
二年ほど前に町にやってきた、マモリ教という宗教団体の教祖、カイシュウ。
最初こそ、町の人たちに友好的に接して、役人ともうまくやって、町の発展に尽力しているように見えたが、一年前に飢饉が起こったときから、様子が変わった。いや、本性を現したといったほうがいい。
今や、町の三分の一はマモリ教の信者で、潜在的には三分の二とも言われている。町のことで何かを決めるにも、カイシュウはいちいち口を出し、役人も無視できず、納得のいかないことであっても一部受け入れるという妥協を繰り返している。その現実に、カイシュウはさらに勢いづき、町を乗っ取ろうとしていると、一部では噂されているが、誰も止めることができないでいた。
『ワシの提案に乗っておったら、こんなことにはならんかっただろうに』
サクラは、カイシュウの言葉を思い出していた。
"提案"とは、なんのことだろうか。
サヤと何か話したのか……しかしその件について、何も聞いていない。
「……」
考えても分かるはずがないし、カイシュウに聞きに行くのは避けたい。
もう一度、墓前に座って手を合わせると、「また来るね」と呟いて、家に帰った。
「あ、ちょうどよかった」
家に着くと、郵便配達のアトが走ってきた。
「私宛の手紙?」
「うん、日付が指定されててね。まあ~、この日からこの日の間に届けてってことだったんだけど」
「ありがとう……」
「うん、じゃあこれで」
アトが去っていくと、サクラは家に入って、手紙を開けた。
封筒には、送り主の名前は書いていなかったが、手紙にはしっかりと、名前が書かれていた。
『サクラへ』
真似できるぐらい何度も見た、サヤの字……
「サヤ……」
サクラは、冷えた部屋を暖める、小さな暖炉に火を灯すと、椅子に座って手紙を読んだ。
-2-
『サクラへ
この手紙、本当は出しなくなかった。だってこれを出すってことは、私はもう、いなくなるってことだから……ごめんね、サクラに辛い思いをさせてしまうのは分かってる。でも、私もう、限界みたい……
カイシュウが町に来て、一年前の飢饉のときに町が割れて、アイノスケさんが町を出ていってしまってから、誰もカイシュウを止められなくなった。だから私、同じような危機感をもってる人と一緒に、町をみんなの手に取り戻そうって、がんばったんだけど、力が足りなかったみたい……昔のこと、後悔してることもあるけど、全部乗り越えて今の自分がいるんだって、サクラもいてくれるって思って、やってきたんだけど、私、そんなに強くなかったみたい。最近ね、突然涙が出たり、怖くなって大声出しちゃったり、おかしいの……サクラに話そうかと思ったんだけど、心配させたくなくて……話したらきっと、サクラは全部捨ててでも私を助けようとしちゃうから。
カイシュウは、私が町の政治に関わるようになってから、接触してきた。最初は穏便に話し合いをしたいってことだったから、私も応じた。でも話は一方的で、こっちの話は聞かない。そのうち、マモリ教に入って中から改革することだってできるとか、ワシと付き合えばいいことがある、なんでもできるとか、そんなことばかり言うようになって、こっちは真面目に話し合いに来てるのであって、そんなつもりはないって断ったの。カイシュウはそれが気に入らなかったのか、翌日からマモリ教の一部が、私の過去のことを引っ張り出して、誹謗中傷を始めた……私が殺人でもしたのかっていうぐらい、送り主の分からない手紙も何通も来て……
もう誰も、私を信じてくれない。町の人全員が誹謗中傷をぶつけてくるわけじゃない。でも助けてくれるわけでもない。全部話したら、サクラは私を助けようとする。でも私を助けたら、サクラもきっと、酷いこと言われる……ありもしないことを本当みたいに言われて、事実を歪めたり、誇張されたりして、私達の町は、カイシュウを拒否するだけで、生きることすら許されないようになってしまったの。そんな町を変えたかったけど、ダメだった。
何も言わずにいなくなってしまったら、それが一番、サクラを苦しめると思ったから、手紙を書くことにしたけど……マモリ教とカイシュウに関わらないで。町を出て。サクラが私と同じ目遭うのは絶対に嫌なの。お願い……
サヤ』
読み終えると、サクラは泣きながら、「うわぁぁぁ!!!」と家を揺らした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
奥歯が割れるほど力が入る。
サヤが死んだのは全部、あの男と、あのカルトが……
サクラは立ち上がると、涙を拭って役場に向かった。
「どうしてですか!? カイシュウとマモリ教の狂信者がサヤを殺したんです!! この手紙が嘘じゃないことは、町の様子を見てたならあなただって分かるでしょ!!」
サクラは、役場の受付でまくし立てた。
「落ち着いて……声が大きいですよ、信者はそこら中にいるんだし……」
担当者は怯えるように言った。
「あなたたちがそんなだから……!」
「どうしました?」
「あ、ソウエイさん……」
ソウエイと呼ばれた男が近づいてきて、受付のカウンター越しにサクラの前に立った。
生真面目な紳士といった雰囲気だが、口調は柔らかい。
「マモリ教をなんとかしてください……! このままじゃ町が……」
「落ち着いて。中で話しましょう」
応接室のような部屋に通されて、ドアが閉められると、サクラは手紙のことをソウエイに話した。
「なるほど……」
「これを放置していいんですか!? 役場が動かなきゃ、町の人たちだけじゃマモリ教を……」
「マモリ教、その教祖カイシュウ……彼らは今、町の一大勢力です。町長を始め、役人も彼らと協調関係を保つことが最善と考えている者が多い。手紙に書かれていることが事実でも、それを裏付ける証拠がありません」
「それはつまり、サヤがカイシュウに言い寄られて、拒否したから誹謗中傷された……その証拠ですか?」
「そうです」
「そんなの、ありませんよ……! カイシュウを問い詰めても知らないって言うに決まってます。サヤのお墓の前で口にした"提案"って言葉だって、それだけじゃ……」
「そのとおりです。どんな提案をしたのか、カイシュウが口を滑らせればいいですが、中々難しい」
「じゃあ、役場としては動けないってことですか……?」
「残念ですが……」
「もういいです!!!!」
サクラは役場を出ると、サヤの自殺について、カイシュウがしたこと、狂信者たちが事実を捻じ曲げて町にばら撒き、誹謗中傷してサヤを追いつめたことを訴えた。
我を忘れて大きな声で話し続けるサクラを、立ち止まって見る人、聞く人もいたが、ほとんどは通りすぎ、遠巻きに、マモリ教の信者と思しき人間が、ジッと様子を見ていた。
何人かが声をかけてくれて、応援すると言ってくれたが、10人にも満たず、やがて集まっていた数人もいなくなると、サクラは肩を落として、家に帰った。
-3-
家に戻ると、急に疲れが襲ってきて、倒れるように座り込んだ。
手紙を見ていると、ポタポタと水滴がこぼれる。
悔しいのに、力が入らない。
泣いていてもしかたない。
サヤに言われた通り町を出るのがいいのかもしれない。
ここに残るのは、あまりにも……
半ば衝動的に、荷物をまとめるために立ち上がろうとして、手紙が入っていた封筒を床に置いたままだったと気づき、手に取ると、微かに重みを感じた。
「……?」
封筒を逆にすると、ストンと、手のひらに何かが落ちてきた。
「これ、サヤの……」
封筒の重みの正体、それは、ネックレスだった。
シルバーの細いチェーンに、青い水晶が3つくっついて、逆三角形の形を作っているもので、サヤが20歳になったとき、サクラがプレゼントしたものを、サヤはどんなときも身につけていた。
「サヤ……」
新品ではない、使い古された、サヤの笑顔が見えるネックレス……
壊れないようにそっと、手の中に包むと、ほんのり暖かくなった気がした。
「ごめん、サヤ。私やっぱり……」
サクラはネックレスを身につけると、手紙を折りたたんで封筒に入れた。
その日は一日、どうやって対抗するかを考え、翌日もまた、町に出てマモリ教の問題を訴えた。事前に考えた成果か、昨日よりも人が集まってきて、話を聞いてくれる人が増えた。やり続ければ変化がある……手応えを感じた。
「君だったんか、おかしなことを騒いどる女っちゅうのは」
手紙を受け取ってから二日目。
昨日と同じように町に出て訴えていると、カイシュウが歩いてきた。
「困るで。根拠もないことあれこれと……」
「あなたがサヤのお墓の前で言った提案って、自分の女になれってことだったんですね。体を差し出せば不自由ないようにしてやるって……サヤはそれを断ったから、あなたは誹謗中傷を始めた」
「違ういうとるやろ!!」
カイシュウは怒鳴った。
「そんな手紙一つで何がわかんねん!! ワシはそんなことしとらんし、あの女の被害妄想やろ。この女もおかしいで。友達が死んでイカれてまったんやろが、だからって根も葉もないこと吹聴されたらかなわんで」
「サヤはそんな嘘つかない!!!」
サクラはカイシュウを睨みつけてから、周囲に集まっている町の人たちに目を向けた。
「事実がここにあります。私がおかしいのでしょうか? 無理やり迫られて、それを断ったら誹謗中傷して、信者にまでそれをやらせて、命を絶ってしまうほど人を追いつめて、誰も責任を取らない……! 相手が権力者だからって受け入れるべきものなんでしょうか!? 許されることなんでしょうか!!」
町の人たちの中にも、ざわざわと動揺が広がったが、誰も、表立って声を上げる者はなかった。同情的な目を向ける者もいたが、敵意剥き出しの者もいて、怒りと恐怖の中で、サクラは訴え続け、やがて周囲から人がいなくなると、家に帰った。
諦めるつもりはなかった。
だが翌日になると、サヤとサクラに対する誹謗中傷が、町を覆っていた。
マモリ教の信者たち、特に、教祖カイシュウに言われれば町の決まりすら破ることを厭わない狂信者たちは、サヤのほうがカイシュウに言い寄って取り入ろうとしたが、断られて自殺したとか、サクラは事実と妄想の区別もできない異常者といった、根拠のない、ただ攻撃して貶めることだけを目的としたレッテルを町中にバラ撒いて回った。
サクラの声はかき消され、事情をあまり分かっていない人たちは、声が大きく数も多いほうが事実だという空気に流され、サクラの訴えを聞かないどころが、嘘を言うな、町を混乱させるなといった言葉を浴びせられ、家に帰る途中に男二人に襲われて、暗がりに連れ込まれそうになるという事件まで起きた。
幸い、通りがかった人が大きな声を出したので、男二人は逃げていったが、以前カイシュウと対峙したときに周囲にいた顔と似ていたことから、襲ってきたのが狂信者の一部であることは、ほとんど疑いようがなかった。
一人ではどうにもならない……
家に帰ってくると、玄関と窓、すべての戸締まりを確認する冷静さは残っていたが、気力はほとんど尽きていた。外に出れば好奇と敵意を向けられ、また襲われるかもしれないと思うと、歩くのも怖い。突然、サヤの感情が入ってきたような気がした。サヤもこんなふうに追いつめられて……台所に置かれた包丁に目が向きかけたが、ネックレスに触れると、別の感情が湧いてきた。
サヤのことを、これ以上ないほど追い込んだ狂信者とカイシュウ……
もう反論することすらできない相手のことを、さらに貶めて、真実を隠蔽することすら、自分たちには許されると思っている……私は、そんなケダモノからサヤを救ってあげることができなかった。悔しい、でもどうすれば……
コンコンッ
玄関のドアが鳴った。
「……」
沈黙していると、もう一度。
サクラは立ち上がって、できるだけ音を立てないように近づき、「どなたですか」と尋ねた。
「役場のソウエイです。先日お話を伺った」
ソウエイ……
サクラは数秒考えてから、思い出した。この間役場に行った時に話した、客観的な証拠がなければ対処はできないと言った男。
「何か御用ですか?」
「お伝えしたいことがあります。というより、一つの案です」
「案って?」
「マモリ教、いえ、カイシュウに対抗するための案です」
「……」
サクラは半信半疑ながら、ドアを開けた。
「玄関先でいいです。中に入っても?」
ソウエイが言った。
「……どうぞ」
ソウエイは玄関に足を踏み入れると、ドアを閉めてサクラを見た。
「あまり外に聞かれたくないことなので」
「案って、なんですか?」
「以前、実質町のナンバー2だった、アイノスケさんを覚えてますか?」
「町長の補佐をしていた方ですよね。カイシュウと対立して、町を出ていった……」
「そうです。でも彼は、町を見捨てたわけでじゃありません。私とは連絡を取り合っていて、だから町の状況も把握しています」
「それで……?」
「マモリ教をなんとかしないと、町は連中に取り込まれて、カイシュウの独裁になってしまう。アイノスケさんは、自分一人なら町と関わらなくても問題なく生きていけます。関わる必要もない。追い出されたような形だし。でも彼はそれを良しとせず、私とのやり取りの中でいろいろと模索してきました。
カイシュウは定期的に町長と会食の場を設けて、自分を次期町長に推薦するよう働きかけています。それを阻止するために、私とアイノスケさんは連携して、役場内の根回しや防御策を講じていますが、状況は厳しい。
サヤさんのことは、本当に痛ましいことです……彼女は私達側について、一緒に町を取り戻そうと頑張っていました。彼女の死を利用するようで、少し気が引けるところもありますが、アイノスケさんに会っていただけませんか?」
「え、私がですか?」
「はい」
「会って、どうしろと……」
「あなたのやっていることが、マモリ教とカイシュウにとって、触れてほしくないところであるのは間違いないです。つまり、もっと深く掘れば、さらに何か出てくる可能性がある。連中のように、根も葉もないことを言いふらして人を貶めるのではなく、事実をもって連中の本質を暴き、町の人たちを動かす。そのためです」
「町の人を、動かす……」
「サヤさんは、それをしようとしました」
「……!」
「彼女は、関わらないようにしている町の人たちを動かせば、マモリ教の勢力を上回れると分かっていた。だから、マモリ教が孕んでいる問題を見つけ出して、町の人に知らせようとした。だからカイシュウは彼女を取り込もうとしたけど、失敗してああいう形に……だからお願いします、役人の中には、もう諦めてしまっている者もいます。でもこのまま町を奴らの手に渡してしまったら……」
「分かりました」
サクラは言った。
「アイノスケさんと会います。サヤがそこまで考えて行動してたことは、知らなかったけど……」
「きっと、あなたにまで危険が及ぶことを恐れたんでしょう」
「私もそう思います。サヤは優しいから……でもきっと、本当は私に話したかったはずです。サヤだって怖かったはず……」
サクラはネックレスに触れると、アイノスケが住んでいる場所を記した地図を受け取って、すぐに家を出た。
-4-
そこは、町から2キロほど離れた山の中腹だった。周囲は身長の高い木々で覆われ、場所を知らなければそこに家があるとは思わないようなところで、道も舗装されていない。
落ちた枝と、少し苔むした地面を踏みしめながら登っていくと、木の家が見えてきた。町にある平均的な家よりも一回り小さいが、庭の部分が広く、薪や、レンガで作られた暖炉、テーブルや椅子も見える。
「すみません」
サクラは玄関ドアの前に立つと、遠慮がちに言った。
「アイノスケさん」
「どちらさまですか?」
「……!」
背後から声をかけられて、サクラは驚いて横に飛び退いた。
「え? あの……」
「私に何か御用ですか?」
眼鏡をかけて、シャープな顔をしたその男に、サクラは見覚えがあった。
記憶の中のそれは、髭は生えていなかったが、今は無精髭が顎の周りを覆っていて、山の男といった雰囲気がある。
「ソウエイさんに、あなたに会ってほしいと言われて……」
「……! ソウエイに?」
「私は、サクラと言います。ご存知かどうか分かりませんけど、少し前に亡くなった、サヤの友達です」
「サヤさんのことは、存じています。一度お会いして、話したこともある」
「そうだったんですか?」
「ただ、私と接触していることが知れたら、カイシュウたちが動くと思い、黙っているように言ったんです」
「サヤは、何かを調べていたんですか?」
「カイシュウが隠している致命的な問題となる何かを、見つけようとしていました。しかしあんなことに……」
「私が、サヤのやろうとしたことを引き継ぎます」
「あなたが?」
「そのために来たんです。これ、ソウエイさんがあなたにと」
サクラは、家を出る時にソウエイから受け取った手紙を渡した。
「……なるほど。続きは、家の中で話しましょう。外は少し寒いし、お茶を淹れます」
アイノスケは玄関のドアを開けると、開けたままにして中に入った。サクラは少し警戒しながらも、「失礼します」と言って中に入り、ドアを閉めた。
「あなたの覚悟は、よく分かりました」
手紙のことや、町でのことについて話すと、アイノスケは言った。
「しかし、現時点ではやはり、カイシュウを追い詰めるには証拠が足りません」
「じゃあ、どうすればいいと思いますか?」
「ソウエイ以外に、町で肉屋をしている、マサヤという男がいます。彼は、妻がマモリ教に入信してしまって、カイシュウのこともよく思っていません。なんとか妻を取り戻したいと、密かにソウエイとも連携して、マモリ教の問題を探っています」
「はい」
「マサヤに、マモリ教に侵入して情報を取れないか、話してみます」
「危険じゃないですか、そんなことしたら……」
「妻のこともあって、ずっと勧誘されてるんです。だから、妻のためという名目で入信すれば、比較的怪しまれずに済むでしょう。でも、何か情報を見つけたとしても、それで終わりじゃありません。強固な証拠とするためには、いろいろな角度からの検証が必要です。それをするのは、あなたと私、ソウエイの三人」
「……分かりました」
「すぐにソウエイに連絡して、動きましょう」
その後の動きは、迅速だった。
サクラは町に戻り、様子を伺いながらも、できるだけ目立たないように過ごした。その間、アイノスケからソウエイ、ソウエイからマサヤという流れで指示がいき、マサヤはすぐに、妻のためという理由でマモリ教に入信。マサヤは、マモリ教に対する嫌悪を、あえてそのままにして入ったことで、マモリ教の信者は逆に彼を信頼した。
そして一週間後。
サクラへの誹謗中傷が少し収まってきたとき、ソウエイから役場に来るように連絡が届いた。理由は分からなかったが、役場に行くと、個室に通された。
「町の治安を乱したということで、マモリ教から苦情が来てまして」
ソウエイは言ったが、テーブルの上に置かれた手紙には、別のことが書かれていた。
「特に何か、あなたに罪を問うているわけではないし、役場としても、あなたを裁くつもりもなければ、その理由もありません。ただ、マモリ教とはうまくやっていくに越したことはないので、どうか行動には注意をお願いしたく……」
ソウエイが淡々と述べている間、サクラは手紙を読み進めた。
「分かりました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
サクラは言った。
「分かっていただければ、けっこうです」
ソウエイはさり気なく、手紙を仕舞うように促すと、サクラが手紙をスカートのポケットに入れるのを確認してから、個室のドアを開けた。
「ご足労おかけしました」
「いえ、こちらこそ、すみませんでした」
サクラは役場を出ると、家とは別の方向に向かった。
手紙に書かれていた場所、サヤがあそこまで追いつめられた本当の理由……
そこは、病院だった。
何十年も前からある病院で、今の院長は二代目。町の年配者の中には、世話になった人が大勢いる。しかし、五年前にスイコ病院という、町で一番大きな病院ができてから、通ってくる人は少なくなり、サクラが訪ねたときも、その日最後の患者が出ていって、院内はガランとしていた。
「急患ですか? そうじゃないならスイコ病院に……」
「病気じゃありません。お話があって来ました」
サクラは言った。
「ん? 話?」
「町を蝕む病原菌を排除するのに、協力してください」
-5-
病院に行った翌日。
サクラはソウエイに相談して、集会場に人を集めた。
表向きは、町の今後の運用に関わること、町の人たちの生活全般に関わることという名目だったが、突然の告知で、町長や他の役人も何も知らなかったため、役場内部は混乱していた。
「いったい何をやってる? 私は何も聞いてないぞ?」
集会場の舞台裏で、町長は声を荒げた。
「急を要することだったので、独断で進めました。処罰が必要なら、終わった後に受けます」
ソウエイは言った。
「いったい何を……ん? 君はサヤという女性の自殺の件で騒いでいた……」
町長はサクラを見て驚いたようだったが、サクラは反応せず、集会場の演壇に歩いていった。
「ソウエイ、君は彼女に何か言わせるつもりなのかね? 揉め事を起こされては……」
「彼女の話を聞いてから、判断してください」
ソウエイは言った。
「お願いします」
サクラは演壇に立ったが、集まった聴衆を前に、足が震えた。
町で訴えたことを覚えているのか、猜疑のこもった目を向けてくる者もいる。マモリ教の信者と思しき人間もいて、そっちは敵意剥き出しの視線を向けている。
「今日はみなさんに、マモリ教とその教祖、カイシュウについて、お伝えすることがあります」
サクラが言うと、早くも罵声が飛び始めたが、構わずに続けた。
「私の友人、サヤが、カイシュウに言い寄られて、断ったことで誹謗中傷を浴びて命を絶ったのは、以前お話したとおりです。サヤは10代のときに両親を病気で亡くして、それから一人で生きてきました。私に迷惑をかけまいとして、自分でなんとかしようと……その頃に、本来10代では就いてはいけない仕事をしたり、町から生活のための保護金を受け取っていたこともあります。それでもサヤは負けずに、勉強して、役場での仕事を得ました。
確かに、問題があった部分もあると思います。でもそれは、町中から誹謗中傷されて死を選ばなければならないほど追いつめられるほどのことでしょうか?」
集まった人たちの中に、ざわめきが広がったが、ここまでは、以前町で訴えたこととほとんど同じだった。そのせいか、またその話か、という顔をしている人もいる。
「私は、マモリ教の影響を排除して、町の改革を進めていたサヤを取り込もうとしたカイシュウが、下心も出して言い寄り、拒絶されたことで狂信者を使ってサヤを追い込んだ……そう思っていました。それも確かに、事実です。でも事実の一部でしかなかった……サヤは、マモリ教とカイシュウの影響が町の深部にまで及んでいることを見抜いていました。だから、逃れようがない、町全体が"NO"を突きつけるだけの理由を探そうとした。
そして見つけたんです。それを暴露しようとしたために、執拗に追いつめられ、自ら命を絶つことになったんです」
いつの間にか、聴衆はサクラの言葉を待つように、沈黙していた。マモリ教の信者が罵声を発しても、周囲にいる人たちが黙らせ、今や聴衆の目と耳は、すべてサクラに向いている。
「マモリ教において、カイシュウと信者は絶対的な主従関係にあります。信者の中には女性もいる。カイシュウは、ある女性信者に言い寄って、立場を利用して、女性の意志など無視して、行為に及びました。一度じゃなく、何度も……その結果、女性は妊娠。しかしそれを知ったカイシュウは、すぐに子供を堕ろすように命じたんです。
それだけじゃありません。手術の費用を出してやる代わりに、このことは誰にも言うなと脅しました。それでもためらう女性を、狂信者の一部を使って監視、暴力に訴えて、無理やり手術させてたんです……!」
「デタラメだ!!」
後ろのほうにいた聴衆の一人が言うと、「そうだそうだ」という声が上がった。
「カイシュウ様を貶めるために捏造された話だ! そんな女はいないし、あんたは自分を恥じて自殺した女の知り合いだから悔しくてそんなことを言ってるんだ!!」
サクラは怒りを言葉にする代わりに、罵声を浴びせてきた男を睨み、
「証拠ならあります」
静かに、強く言い放った。
「女性を手術した医師に聞いて、診断書、同意書、女性の証言、すべて揃っています。役場の然るべき人たちに見せれば、私の言っていることが事実だという証明になります」
「ふざけるな!!」
再び声が上がった。
「そんなものでっち上げることだってできる!! カイシュウ様がそんなことをするはずがない!! マモリ教の信者だってそんなことはしない! みんな、あの女の言う事を信じるな!! 大方、証拠だって言ってる書類を書いてもらうために、その医者に体でも差し出したに違いないんだ。その女はそういう女なんだよ」
「そう思うなら、証拠を見せてください……!!」
サクラは言った。
「私がそういうことをした証拠を!! そこまで断言するなら、出せますよね?」
「馬鹿な……おまえがやってないって示せばいいだけだ!!」
「それは……」
「それは悪魔の証明というのですよ」
サクラの言葉を遮って、男の声が響くと、聴衆の中にざわめきが起こった。
「アイノスケさん……?」
「アイノスケさんだ……」
アイノスケが演壇に上がり、サクラの隣に立った。
「遅くなりました」
アイノスケは言った。
「あなたがやろうとしていることを聞いて、私も山にこもっている場合じゃないと思って。もっと早く来るはずだったんですが、申し訳ない」
「いえ、まさか、来てくださるなんて……」
「町を出ていった詐欺師が何の用だ!!」
再び罵声が響く。
アイノスケは動じずに、
「詐欺師はマモリ教と、カイシュウですよ」
と言った。
「飢饉の原因を悪魔の仕業などと言って騒ぎ立て、次に飢饉が起こったときのための現実的な対策を蔑ろにした。あのとき飢饉が収まったのは偶然に過ぎない。しかしカイシュウは、私のことを詐欺師呼ばわりした。飢饉を口実にして、自分の私腹を肥やすために新しい作物の研究をすべきだと主張している、と言ってね」
「みんな騙されるな! その男は詐欺師だ! 隣町の連中と協力して、この町から搾取しようとしてるんだ!! そうに決まってる!!」
「またそれですか。先程も言いましたが、そこまで言い切るなら証拠を見せてください。サクラさんの件もそうです。あなた方の主張が正しいと証明する義務があるのは、あなた方です。冗談だったとか、そう感じるとか、そんなものは言い訳にも証拠にもならないんですよ」
アイノスケは切り捨てた。
「みなさん、本当に今のままでいいと思いますか?」
サクラが言葉を継いだ。
「ここで声を上げなければ、町はマモリ教に……乗っ取られてしまいます。カイシュウの意見に反対するようなことを言えば、ありもしないことを事実として町中に吹聴されて、誰も自由に話すこともできなくなる……大切な娘さんや恋人がカイシュウに"献上"されても、誰も何も言えない……そんな町になってもいいんですか!!?」
サクラの言葉が響き渡ると、聴衆のざわめきは大きくなったが、その外側で、マモリ教の狂信者と思しき人間が、木刀のようなものを持って騒ぎ始めたせいか、声を上げるのを躊躇っているように見える。
「アイノスケさん、これ……」
「もう一押し、何かがしないと……」
二人が一瞬、内側に意識を向けたとき、女性の声が響いた。
「サクラさんが言ったことは、本当です……!!!」
聴衆をかき分け、一人の小柄な女性が演壇の前に来た。
サクラとアイノスケは、女性が演壇に上がるのを手伝って、「あなたは?」と聞いた。
「私は……」
「……」
「私が、カイシュウに無理やり……サクラさんが話してくれた、妊娠させられた本人です……私のことなんです、それ……」
「あなたが……
あの、お名前は……?」
「ナギサです……」
医師から受け取った診断書などの書類には、確かにナギサと書かれている。聴衆の前で名前を出すことを躊躇って黙っていたが、本人が演壇に上がったことで、空気が変わり始めた。
「私は、カイシュウに無理やり押さえつけられて……信者は教祖の言うことを聞くものだって……そのときのこと、全部話せます、何度だって……だって、私が本当にされたことだから……」
「いいかげんにせんか!!」
騒ぎを聞きつけて飛んできたらしいカイシュウが、聴衆をかき分けて演壇の前まで来た。
「誰にそそのかされたのか知らんが、ワシはそんな女知らん。触ったこともない」
「嘘つかないで……!!」
ナギサは涙声で叫んだ。
「あなたはあの日、私をマモリ教の施設とは違う場所に、わざわざ呼んで、あなたに付き従う人に入口を見張らせてた。逃げられないように。逃げられないって、私に諦めさせるために……」
「ワシは知らん……!」
「私が嫌がったら、あなたは体を押し付けて、私を押し倒して……」
「違う! あれはおまえが……!」
カイシュウは言葉を止めたが、アイノスケは逃さず、
「あれはおまえが、とはどういう意味です? カイシュウさん」
「あ、いや……」
「ナギサさんの言ってることは本当だと、あなたも認めるということですね」
「知らん……! 今のは違う、ワシは何も……!」
聴衆はカイシュウから離れ、不潔なものを見るような視線を向けている。周囲に散っている信者や狂信者の一部が騒いでいるものの、それ以外の人たちは、誰もカイシュウの言葉に耳を傾ける気はないと、無言で訴えている。
「違う……こんなんデタラメや、こんな……」
やがて、再び聴衆の中にざわめきが起こった。
聴衆の視線を辿るように、サクラも視線を動かすと、女性が歩いてくるのが見えた。
「ミヤビ、なんでここに……」
カイシュウの顔が青ざめる。
「あれって、カイシュウの奥さん……?」
サクラが聞くと、アイノスケは頷いた。
「あまり表には出てこないけど、実質、マモリ教のナンバー2です」
「今の、そのナギサって小娘の話、本当なの?」
ミヤビはカイシュウの前まで来て、止まった。
「いや知らん、ワシは知らん。冤罪や。こいつら全員で、ワシをはめようとしとるんや。ちゃんとそこまでの全部を話せば分かるこっちゃ。あんな部分的に言われても、なんも本当のことは分からん」
「どうでしょうね」
アイノスケが言った。
「確かに全部を聞けば違う印象になる可能性もあります。でもあなたのことに関しては、全部聞いても同じか、今以上におかしいと感じるだけだと思いますね」
「この詐欺師、ふざけた口を……!」
「本当のことなの?」
ミヤビが詰め寄る。
「いや、違うんや。話せばわか……」
「私というものがありながら、あんな小娘を孕ませて……」
「まて、ワシは……」
「……!」
ミヤビは、上着の内側に隠していた刃物を取り出すと、カイシュウの首を突き刺した。
「が……おまえ、何を……」
「あなたは汚れよ。マモリ教は私が立て直す」
「馬鹿な、おまえ一人で何が……」
「だまりなさい……! 私が、この町の……
……!」
カイシュウは、ミヤビの腕を掴んで刃物を奪い取り、倒れ込むようにしてミヤビの腹に突き立てた。
「この……何を……」
「マモリ教はワシのもんじゃ、誰にも、わた、さん……」
二人が動かなくなってから数秒の間、サクラたちも聴衆も、マモリ教の信者たちでさえも、動くことも言葉を発することも忘れていたが、サクラとアイノスケが最初に動き、カイシュウとミヤビの遺体は病院に運ばれ、役場の人間が人払いをして、集会場は暫くの間、立入禁止になった。
それから一週間を過ぎた頃。
マモリ教の信者たちは、狂信者の一人をリーダーとして立て直そうとしたが、別の信者との争いが起こり、嫌気が差した信者のほとんどは一般人に戻り、これまでのことを少しずつ償いながら、町の人たちもそれを受け入れて、一部の狂信者は残っているものの、町はマモリ教が入ってくる以前の穏やかさを取り戻し、アイノスケも役場に復帰した。
「サヤ、終わったよ」
サクラは、サヤの墓の前で手を合わせてから、花を供えた。
「サヤが勇気を持って、手紙を書いてくれたおかげ。
ありがとう。
あ、私もね、サヤの後を継いでってわけじゃないんだけど、役場で働くことになったの。サヤみたいにうまくできるか分からないけど、町がもっと、正しい方向に発展できるようにがんばる。
また来るね」
サクラは、墓の前で小さく手を振ると、右手でそっとネックレスに触れて、歩き出した。
てっぺんに昇り始めた、太陽がある方へ向かって。