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死刑遊戯【一気読み!】(小説)

第1話 死刑制度の是非を問う

-1-

全国の都道府県にある警察の中で、異質ともいえるほど大きな組織、警視庁。東京というエリアを管轄する警察組織という意味では、神奈川県警とも、長野県警とも同じだが、その規模は桁違いで、5万人以上の職員を有する警視庁は、その役割も多岐にわたり、影響力も大きい。

そんな警視庁の捜査一課で、警部という管理職についたばかりの坂下昇(さかした のぼる)は、一週間前に起こった事件に、頭を悩ませていた。厳戒態勢のような緊張感に覆われ、刑事たちは苛立ちと疲労、焦りを、日に日に濃くしていく。坂下も同様だったが、立場を理由に平静を装っていた。

「坂下警部!!」

大部屋に設置された捜査本部から出たくてうずうずしている坂下のもとに、部下の片岡雅(かたおか まさし)が飛び込んできた。

「これ、見てください!!」

空調の効いた部屋の中だというのに、片岡は額から流れるほどの汗を滲ませている。少し薄くなったことを気にしていると話していた髪は乱れているが、気にかけることも忘れているらしい。

「なんだ? 手がかりが見つかったか?」

坂下が聞くと、片岡は大きく首を横に振った。

「違うんです、とにかく見てください……!」

片岡は、手に持っているスマホを、坂下に向けた。

「……」

片岡が再生ボタンを押すと、動画が流れ始めた。
少しノイズが入っている画面に映る、白い壁の部屋。場所を特定できるものは何もなく、映っているのは、木の椅子に座っている、五人の男と一人の女、横に立っている黒尽くめの人物。顔もマスクをしており、男か女かも分からない。椅子に座っている男女は、後ろ手に縛られているらしく、全員が同じ姿勢で座っている。

「行方不明の六人だよな、これ……」

画面を見ながら聞くと、片岡は「はい」と答えた。

2分ほどすると、カメラがズームアウトして、行方不明者たちを取り囲むように立っている四人が見えてきた。全員が手に拳銃のようなものを持っており、六人に向けている。

『突然このようなものが公開されて、警察は慌てている頃だろう』

椅子の横に立っている男が言った。
言葉は日本語だが、英語の字幕もついていて、坂下は眉をひそめた。

『この動画は、イントロダクションだ。明日以降、我々は彼らと、死刑制度の是非について討論をする』

そう言って、男は椅子に座った六人を見てから、またカメラを見た。

『こんな形での討論となることに、反発もあるだろう。銃で脅すようなことをして、討論になるのかと。その反応はもっともだが、なぜこういう形を取ったのかについても、明日以降をご覧いただければ、分かるようになっている。

私は死刑賛成派だが、反対派の意見を封殺するつもりはない。彼ら六人には、反対派の代表として、自らの主義主張を世界に向かって発信し、証明してもらう。当然、我々は賛成派の立場から、意見をぶつけていく。そこには、やらせや忖度はない。生の意見、その背景にある思いのぶつかり合いとなる。ぜひ、楽しみにしておいてほしい。

それと、六人の家族と警察に向けて伝えておく。
我々が、彼らに危害を加えることはない。無論、彼らが討論をつつがなくこなせばの話だ。逃げようとしたりすれば、そのときには残念な結果になるということは、付け加えておく』

約10分の動画が終わると、坂下は片岡を見た。

「公開されたのは今日か?」

「30分ほど前です」

「30分……午後9時ぐらいか」

「確認中ですけど、作り物ってことはないと思います。メディアも10時からのニュースで取り上げるはずです」

「出てしまってる以上、そうなるだろう。メディア対応は上にやらせとけ。それより、場所は特定できそうか?」

「今、動画の運営会社に問い合わせてます。どこかの建物だとは思いますけど、特徴的なものが何もないので、難航してます」

「急げ。行方不明の六人は無事みたいだけど、今は分からない」

「え? でも全員……」

「ライブじゃないんだ。取り終えた後に殺されてる可能性もある」

「あ、そっか……」

「動画の中で、主犯らしい男が言ってたことを信じるなら、討論とやらが終わるまでは殺しはしないだろうが……とにかく、配信元や撮影場所についての特定を急げ」

「はい、承知しました」

片岡が走っていくと、坂下はノートパソコンで同じ動画を確認した。

「全員が、同じ場所に集められてたわけか……」

一週間前に起こった失踪事件。
六人とも、それなりに知名度がある人間で、テロ組織や過激な陰謀論者による可能性も考えられたが、犯人からはなんの声明も要求もなく、死体が転がり出ることも考えていた。その六人が、今、モニターに映し出されている。

フリーライターの財津高徳(ざいつ たかのり)。
NPO法人、青少年育成コンサル代表の細田穣(ほそだ みのる)。
犯罪ジャーナリストの枝野勝俊(えだの かつとし)。
人権派弁護士として知られる、玉木明臣(たまき あきおみ)。
人権団体、自由と弱者を守る会の代表、石破喜英(いしば よしひで)。
テレビやネット番組のコメンテーターとして知られる、三谷深雪(みたに みゆき)。

六人は、プライベートでの交友はなく、職業もバラバラだが、共通点もある。全員が、死刑反対派であり、かつ、なにかにつけて声高に主張していること。

「過激な死刑肯定派……? 行方不明だった六人とグルってこともなさそうだし……」

討論をすると、主犯らしい男は言っていたが、どこまで本気なのだろうか。自分たちの主張を広く伝えるだけなら、六人を拉致するリスクを犯さなくても、別の選択肢があるはずで、わざわざ大きなリスクを取って動画を公開したのはなぜか。

「……」

考えてみたが、答えはすぐに、思考の壁にぶつかって止まった。
分かるはずもない、今はまだ。

坂下は立ち上がると、上に報告するために捜査本部を出た。
すでに動画のことは話がいってるかもしれないし、お咎めを受けることは間違いない。だが幸い、拉致された六人はまだ生きている。犯人が目的を達成する前に発見できれば、全員を助けられる……

坂下は、頭の中で情報を整理すると、上司の部屋のドアをノックした。


-2-

最初の動画が公開され、メディアが22時のニュースで騒ぎ始めた頃、北沢悠真(きたざわ ゆうま)は、立ち上がって部屋の中を歩き回った。

「まさか……いや、そんなわけないよ」

都内の端のエリアにある、築32年のワンルームマンションの一階。ソファベッドと、折りたたみ式のテーブル以外、テレビもなく、クローゼットの中の服も、約3日分。あとは洗濯して回すだけで、残りのスペースはすべて、壁際に積まれた本で埋め尽くされている。荷物のために部屋を借りていると言われる人もいるが、北沢の場合は、本のために部屋を借りているといえる。自分よりも本が優先するような部屋だ。

そんな部屋の中で、オレンジ色の炭酸ジュースを片手に、タブレットに映し出される動画を見て、視点が少し泳いでいた。座っていられず、歩き回って見るものの、微かに体が震えている。

「何かの間違いだ。顔だって見えてないし、声だって……」

友人から、面白い動画が上がっていると連絡がきて、確認したそれは、北沢を動揺させた。主犯と見られる男の声は、何か機械を使って変えているのか、クリアではあるものの、少し違和感を覚えるものだし、マスクの向こうからの声だからというのもあるかもしれない。

しかし、話し方や佇まいには、見覚えがあった。
記憶の中のそれと、完全に一致はしないが、重なるところはある。

「そんなわけない。こんなことする人じゃない……!」

立ったまま、否定と肯定を繰り返していると、SNSが騒がしくなった。どうやら、二本目の動画が公開されたらしい。友人からもチャットがきて、北沢は拡散されている動画のリンクをクリックした。

「……」

最初の動画と同じ画角。おそらくは、一度に撮ったものを編集したのだろう。
冒頭、主犯の男が、誘拐された人たちの紹介をして、自分たちとの立場をより明確にすると、「さて」と言って続けた。

『彼ら六人は、それぞれ違う立場から、死刑制度の反対を主張している。加害者にも人権がある、死刑制度は先進国の制度ではない……野蛮な後進国のやることだと言いたいのだろう。その他、人権を侵害する行為だといったもの、言い方は様々だが、人権を盾に、加害者を守ろうとしているという意味では同じだ。

私は、多様な意見があるのは良いことだと思う。弊害もあるが、言論封殺よりは遥かにマシだ。だが、彼らが自分たちの主張を理由に、死刑制度を廃止させようとする動きには、同意できない。無期懲役や終身刑では、何十年も税金で生活を賄うことになるし、刑務所内の”見た目”の態度次第では、仮釈放もある。そして彼らは、死刑制度に替わる刑罰も提案せずに、ただ廃止しようとする。それはなぜか?

私は、こう考える。
彼らは人間の善意を、性善説を信じているのだと。

たとえば外交において、抑止力があるからこそ平和であることや、外交交渉とは、軍事力を始めとする”力”を背景に置いた話し合いであること、そういった"現実"を無視した理想論を言うのと同じであると。だから、詐欺師だと分かっている相手を信じたり手を差し伸べたりと、信じ難いことをする。

面白いことに、死刑制度を廃止しようとする人たちと、話し合えば……たとえば、戦う意志を持たなければ攻撃を受けない、平和でいられるという平和教の信者は、同一人物であることが多い。

もちろん、外交に対する考え方がまともでも、死刑制度に反対の人もいるだろう。だが、傾向としてはそうで、今私の前にいる彼らは、死刑制度に反対で、外交についても、戦力を放棄すれば平和だと言う人たちだ。

大人がそんな陰謀論じみた物語を信じていることに驚きはあるが、何かしら信じる理由、あるいは、そう主張する理由があるのだろうし、信仰の自由でもある。

対して私は、人間の善意など信じていない。思いやりに溢れる人間がいる一方で、何の罪悪感も持たずに人を傷つける人間もいる。そういった人間に行動を思い留まらせるのは、話し合いではなく抑止力、やれば痛い目に遭うという現実だ。
 
ぶつかり男を例に取ろう。今でも存在するが、数年前に頻発し、ニュースでも取り上げられたものだ。ぶつかり男とは、駅の構内などで、女性にわざとぶつかってくる男のことだが、彼らがターゲットにするのは、一人で歩いている女性だ。二人以上の場合や、男と一緒に場合は避ける。

なぜか?

答えは難しくないだろう。女性二人以上、あるいは男が一緒の女性にぶつかれば、反撃を受けるか、騒がれて通報される可能性が高い。人生の不満を他人や社会のせいとしか考えない、ぶつかり男の主な目的は、日々のうっぷんを晴らすことだから、反撃はさらなるストレスになる。だから一人の女性を狙う。つまり、男や多人数という抑止力があるから、それがない女性一人を狙うということだ。

死刑制度においても、死刑になりたいから人を殺したという、一部の例外を除けば、捕まれば死刑になるというのは恐怖だろう。死刑制度が抑止力にならないという研究は承知しているが、もし殺人で逮捕され、死刑が確定し、独房に入れられ、ある日突然、君は今日死刑になると伝えられることを想像すれば、恐怖を感じると思う。

つまり、自分が死ぬときのことを具体的に想像させれば抑止力に繋がると、私は思っている。突然、今日死刑だと言われるのは人道に反するという人もいるが、死刑判決を受けるような犯罪者に、そんな気遣いは必要ない。未成年であっても、犯罪の内容によっては死刑になると分かっていれば、行動に歯止めはかかるだろう。少なくとも、未成年だから少年法が適応されるという、チープで幼稚な考えを抑制できる。もっと分かりやすく言うなら、こめかみに銃口を突きつけて、もし目の前の人を殺せば脳に穴が空くことになると言えば、大概は思い留まる。そういうことだ。

おおまかだが、私はそう考えている。そして、彼ら六人は私とは対極の考え方だが、それが悪いとは思わない。さっきも言ったように、意見は多様なほうがいいからだ。多すぎればまとまらなくなることもあるが、少なくとも対極の考え方を確認するのは必要なこと。

凶悪犯罪を抑止する代案を出さずに、死刑制度の反対だけを訴える彼らのそれは、信念なのか、別の何かなのか、そして、死刑制度の継続と廃止、どちらが妥当なのか。
ここで、その道筋をつけよう。

先に言っておくが、結果がどうなるにしろ、我々や彼らの言うことが100%正しいということはない。完璧な意見など存在しない。だが、ここで示されるだろう道筋をきっかけに、”現実”を理解し、議論が活性化することを望む。

以上だ。
我々と彼らの討論会は、日本時間の明日、9月30日、20時から開始する』

動画が終わると、北沢はもう一度、話している男を確認した。映像を拡大しても意味はなかったが、再生速度を下げてみたりして、身振りも観察した。

「……」

主張そのものは、相容れない。
そこだけを見れば、気の所為だったということになる。
そう、気の所為に決まっている。
しかし、身振りや声の雰囲気は、どこか懐かしさを感じる。

「青峰教授……」

青峰豪紀(あおみね ひでとし)。
悠真が大学生のとき、青峰は心理学の教授で、学業に熱心だった北沢は、青峰の家に呼んでもらったりして、個別に教えを受けたりもした。他にもそういう学生はいて、青峰は熱心な学生に対して、それが失われてしまわないようにと、自分の時間を削って教えていた。そんな青峰のことを、学生たちも慕っていた。

北沢が現在の職業……従業員のメンタルケアを行う社内カウンセラーをしているのも、仕事のストレスでおかしな方向に行かないように、話し合いを重ね、前向きにやっていけるように、働く人たちの手助けをしたいと思ったからで、それは、青峰からの指導の影響が大きい。

青峰は、いくつかの理由から死刑制度に反対だったし、犯罪者たちと向き合い、彼らが社会復帰する支援もしてきた。人を拉致するなんて、そんなことをする人間でもなければ、こんな暗く、恐ろしいことを言う人間でもなかった。

“あの事件”があってから、思い悩んではいても、信念は変わっていなかった。だから、この主犯の男が青峰であるはずはない……

北沢は、自分にそう言い聞かせ、納得させようとしたが、ある種の確信を拭うことはできなかった。

(違いますよね、先生……)

北沢は、何人かの友達にさりげなく、そういえば青峰教授ってどうしているかなとチャットしてみたが、大学を辞職してからのことは分からないと、誰もが言った。
チラリと時計を見る。23時近い。今日はどうにもできない……頭の中で、明日仕事を休むための理由を考え、スマホに書き残すと、ベッドに潜った。
確認するしかない。青峰の家に行って、本人に聞く……



第2話 前夜

-1-

「ここまでは順調だ。残すは明日だけ……」

公開された動画の反応を見ながら、主犯の男は言った。

「何が討論会だ……」

細田が睨む。

「おや、細田さん、何か不満でも?」

「不満も何も……我々を拉致しておいて、何が討論会だ!! 討論を望むなら、出るところに出てやればいいだろう!!」

「最初はそれも考えましたよ。しかし、あなた方は呼びかけても応じないでしょう? 凶悪な事件を起こしたテロリストの死刑が執行されたときも、覚悟を持って指示した法務大臣、政府、死刑制度を批判して、体制批判だけを正とするメディアにしか出なかった。
 
ただの罵声や批判なら、無視しても構わないと、私も思う。だが、あなた方はそれなりに発言力がある人達であるにもかかわらず、まっとうな議論の場にも出てこない。議論せず、自分の立場を絶対と正義として、相手を叩くという手段に出る。まるで芸能人の不倫を叩く人たちのようにね。だからやむを得ず、こうして来てもらったわけですよ」

「ふざけるな!! 私がいつ議論から逃げた!!」

「いつもですよ、細田さん」

「なにを……! だいたい、椅子に縛り付けられて銃を突きつけられた状態で、まともな議論などできるものか……!!」

「私はあなた方に危害を加えるつもりはない。明日の討論が終われば、家に帰ってもらって問題ないですよ。拘束も、あなた方が大人しく討論に応じるというなら、解いてもいい。殺す気があるなら、とっくに殺していますよ」

「そんな話が信用できるか!!」

「まあまあ細田さん、落ち着いて」

玉木は、丸い顔に少し汗をかいているが、落ち着いた口調で言った。

「玉木さん……何を悠長なことを言ってるんだ……!! 私達は殺されるのかもしれないんだぞ!!」

「いや、おそらく大丈夫でしょう。彼は、そんなことをするようには見えない」

「この男を知っているのか……?」

「いえ、知りません。顔も見えませんしね。ただ、彼は終始、落ち着いている。部下らしい人間たちは、確かに銃を持っていますが、本気で撃つ気があるようにも見えない。本気で殺す気がある人間は、それと分かる雰囲気をもっているものですよ」

「そういえば、あんたは以前にも同じような経験をしてるんだったな……」

「ええ、まあ……とにかく、ここは落ち着いて、彼らの要求に応じましょう。実際の犯罪現場にいたとなれば、話題性もあるし、弁護士として今後の仕事にプラスになりそうですからね」

「ふん、変態め……」

主犯の男は、彼らを見ながら、この勢いがどこまで続くか考えていた。テレビのようにCMもなく、討論から逃げられる状況にもない。そんな中で、彼らが質問に対して、どう対応するのか……

「さて、では今日はもう休むとしよう。明日が楽しみだ」

「待て貴様!! 私達を部屋に戻せ!!」

細田が叫んだ。

「ご心配なく。部下たちが対応しますよ。部屋に戻ったら夕食を用意させますので、食べたら、明日に備えてゆっくり休んでください。この一週間と同じようにね」


「いったい何を考えているんでしょうねぇ、あの男は」

主犯の男が部屋から出ていくと、枝野がいった。枝野は犯罪ジャーナリストで、主に死刑囚を取材し、普通はあまり見ることができない、死刑囚の背景や素顔を記事にすることを得意としている。

「あんたも落ち着いているな、枝野さん……」

「犯罪者に接する機会が多いですからねぇ、僕は。あの男が何者か知りませんが、死刑囚と接することに慣れてる僕からすると、あの男はまったく危ない気配がない。

さっき玉木弁護士も言ってたとおり、殺意のようなものは感じられないし、僕たちを騙そうとしているわけでも、何か要求があるわけでもなさそうです。本当に、純粋に討論をしたいのかも……」

「そんなバカな……!!」

「憶測ですよ。まあ、今は抵抗してもどうにもならないわけだし、落ち着いて対応しましょう。討論がしたいなら応じればいい」

「あんたたちには危機感がないのか……?」

「そういう細田さんは、ちょっと興奮しすぎじゃないかしら?」

三谷深雪は、鼻で笑った。
三谷は、女性の権利や人権について、よくテレビやネット番組で発言しているコメンテーターで、何が専門なのかよく分からず、偏りはあるものの、いろいろな番組に出てコメントをしている。年齢不詳で、見栄えはわりとよく、どんな話題についても口を挟みたがる。

しかし、よく喋るわりには中身がなく、自身の考えや信念など、実はないのだという噂もあり、本人はそれを、名誉毀損だなどと騒いでいるが、騒ぐだけで、まともな反論はしていない。

「犯人たちの要求は、討論に応じること。素直に応じてあげればいいじゃない?」

「ふん、ここはテレビ局じゃないんだぞ。台本なしで討論なんかできるのか? あんたに」

「失礼ね!! そんなものなくても話ぐらいできるわよ!!」

「どうだかな」

「なんですって!!」

「まぁまぁ二人とも、落ち着きましょう。僕たちは今、置かれている状況は同じ、仲間です。仲間内で言い争いせずに、明日に備えましょう」

「枝野さん……分かったわ。ここで細田さんと言い争ってもしょうがないしね」


六人が部屋に戻され、夕食を食べ終わり、眠りについたころ、主犯の男は、自分の部屋で一人、ワインを飲んでいた。

自分の部屋といっても、簡易なもので、私物は一つもない。5.5畳の洋室、白い壁に覆われた部屋にあるのは、折りたたみ式の丸テーブルと、一人掛けのソファ。テーブルの上に置かれた書類と、予備のノートパソコンに、ワイングラスと赤ワインのボトル。
窓のない部屋は窮屈で、一週間経っても慣れないが、それももう終わる。

これが人生最後のワインになるのか、それとも……

すべては明日、決まる。

自分が決めたことをやり終えたとき、何が起こるのか分からない。
何も起こらない可能性もある。
それならそれで構わない。
やらなければ、結果は出ない。
結果が出なければ、次に進めない。

「私に次を考える必要はないか……」

男は自嘲気味に呟くと、空になったグラスにワインを注いだ。

-2-

「いないか……」

動画を見た翌日の昼、北沢は、何度も通った青峰の家を訪ねた。
都心から電車で30分ほどの住宅地の中に佇む、黄土色の屋根と、白い外壁。家庭菜園でトマトやキュウリを育てている庭には、記憶の中には存在しない、雑草が生い茂っている。

ポストに溜まった郵便物と、定期便なのか、玄関前に置かれた段ボールは、先日の暴風雨の影響だろう、少し湿っている。

北沢は、段ボールを玄関の屋根の下に押し込むと、パタパタと手を払った。玄関ドアと道とを隔てる石畳と、インターホンを携えた門扉。昔と変わらないのは、門扉には鍵がかかっておらず、入ろうと思えば誰でも、玄関前までは行けるということ。

「……」

玄関横のインターホンを押す。
やはり、返事はない。
青峰本人がいないなら、この家には誰もいない。今はもう、誰も……

熱くなった目を拭って、もう一度インターホンを押してから、門扉を開けて外に出た。

「青峰さんなら、一ヶ月ぐらいかな、見てないね」

向かいの家から出てきた年配の男性に尋ねると、寂しそうに答えた。

「家族で住んでいた家に一人っていうのは、やっぱり辛いんだろうねぇ。俺も半年前にばあさんがいなくなってから、なんだかやる気がなくなってしまった。最近は、朝起きるのも面倒に感じるよ。いなくなった直後は、がんばろうとしたんだけどねぇ」

男性が寂しそうに言うと、北沢は礼を言って、駅の方へ歩き出した。

先生も、先程の男性と同じように感じたのだろうか。
家族のいなくなった家で、一人目覚める朝は、どんなものなのだろう……

「……」

想像すると、苦しくなった。
それでも、北沢は信じたくなかった。

どんな凶悪犯であっても、彼らの中に良心がないわけじゃなく、埋もれているだけ。だからそれを掘り返せば、分かってくれる、彼らは過ちに気づける……それは、綺麗事のように思えたが、本気で信じて実践する青峰の姿は、信念に従って生きる人の理想のようにすら思えた。その姿に、憧れていた。

もし、動画に映っている主犯らしい男が青峰ならば、止めなければならない……だけど、どうやって? 居場所も分からなければ、そもそも先生だという確証もない。

北沢は、駅に向かう足を止めて、俯いた。
どうする、どうすればいい? このまま家に帰っても……

「……」

もし主犯の男が青峰なら、止める必要があるが、居場所が分かったとしても自分だけではどうにもならない。あそこまでのことをする以上、相当の覚悟をもっているはず。それなら……

北沢は再び足を踏み出し、駅に向かった。
向かう先は家とは別方向、今まさに事件と対峙している組織。霞が関の警視庁へ。



-3-

昨日の夜、あまり話ができなかった坂下は、不満を抑えながら上司の部屋をノックした。昨日よりも感触は良かったものの、反応は予想通りで、部屋を出ると、思わずため息をついた。

「上に行くと、ああやってメンツばかり気にするようになるのか?」

うんざりと呟く。

初めてのことではない。今までも、そういうものは見てきたし、警察はそういう組織だと分かっているつもりではいる。そして、印象が大事なのも理解している。それでも捜査する身としては、拉致された六人の人命を、警察の印象のために助けろと”感じられる”上の言い分は、納得できるものではなかった。人命を救うことによって、結果として警察の面目は保たれるわけで、面目を保つために救うわけではない。

捜査本部に戻ってくると、坂下は固いパイプ椅子に座って、パソコンで再度動画を再生した。主犯の男が言った通りなら、今日の20時に”討論”が開始される。それまでに、最悪でも討論が終わる前までに踏み込めなければ、拉致された六人は全員……

「くそ……!」

主犯の男は、六人には危害を加えないと言った。動画で見る限り、この一週間は食事も与えられ、危害も加えられていないのは確かに思えた。精神的に疲れているのは確かだろうが、肌の状態もよく、外傷もない。

だがそれは、この後もそうだという確証にはならない。
そんなことを素直に信じられるほど、警視庁の刑事はナイーブではない。本当の凶悪犯というものがどういうものか、嫌と言うほど分かっている、頭がおかしくなるほど……

(主犯の男は、”開始する”と言った。今日の20時から開始する……この言葉を信じるなら、討論は編集された動画ではなく、ライブ……)

「坂下警部!」

長テーブルに肘をついて、このあとの対応を考えていると、片岡が走ってきた。

「場所が分かったか?」

「いえ、残念ながら……」

「本当に残念だよ。で、何があった?」

「それがその、手紙が届きまして……」

「手紙?」

片岡は、汗を拭いながら、右手に持った封筒を差し出した。
封筒の表には、「警視庁捜査一課 捜査責任者殿」と書かれており、裏面には何も書かれていない。

「……」

封がされたままということは、まだ誰も中身を確認していないらしい。坂下は、片岡に手袋とカッターを持ってくるように言って、片岡が戻ってくると、手袋をはめて、カッターを入れた。中に入っていたのは、A4の紙一枚で、どこにでもあるコピー用のもの。文字はパソコンで打ったもので、パッと見た限りでは、犯人を特定できそうなものは何もない。

『警視庁捜査一課 捜査責任者殿

今頃あなた方は、失踪した六人と、その犯人を必死に探していることでしょう。動画を見て、六人が無事なことに胸をなでおろしながらも、場所と犯人の目星もつかないため、焦りと苛立ちがあることとお察しします。

メンツを重んじるあなた、いえ、あなたの上司と警察組織そのものは、きっと六人の命よりも警察としてのメンツを優先していることでしょう。だが現場の人たちは違う。凶悪犯の実像を肌で感じているあなたやあなたの部下なら、私が主張することの意味が分かると思います。想像力の足りない裁判官や、無罪を勝ち取ることが正義だと思っている弁護士に、不快な思いをすることもあるでしょう。だからあなたとあなたの部下にも、ぜひ見ていただきたい。最後まで、止めることなく。そうすれば、あなた方が恐れているような結果には、決してならない』

読み終えると、坂下は手紙をスマホで撮って、封筒に戻した。

「たぶん出ないだろうが、指紋や犯人に繋がるものがないか、鑑識に回せ。おまえの指紋がついてることも伝えろよ」

「はい、すみません……」

「送り主は?」

「分かりません。郵便の人が置いていったらしいんですが、郵便局に問い合わせても、分からなくて……」

「手紙を置いてった郵便局員も、本物じゃないのかもな」

「え?」

「送り主の情報もない、ただの手紙が、動画が公開されたこのタイミングで届く。最初から仕込んであったと考えるのが妥当だ」

「でも、なんでわざわざこんな手紙を……」

「書かれてるとおりだと思う。現場で捜査にあたる俺たちなら、凶悪犯の実像を知ってる。なぜ死刑にしなければならないか……犯人の主張はともかく、その理由、分かる気がしないか?」

「凶悪犯を死刑にしなきゃいけない理由、ですか?」

「ああ」

「……そうですね、僕はあまり、死刑をいいとは思ってないんですが、それでも、言ってることは、分かります……」

「だから俺たち向けに手紙を送ってきた。犯行の邪魔をさせないためか、それとも……」

スマホが鳴って、坂下はテーブルに置いたまま通話を押した。

『坂下警部、お疲れ様です』

電話の向こうの声は、少し動揺しているように聞こえる。
番号は内線。

「おつかれ。どうした?」

『受付に人が来てまして、その……』

「ん?」

『犯人を知ってるかもしれないと、言ってます』

「六人失踪事件の犯人ってことか?」

『はい』

「分かった、すぐに行く」

坂下は、すぐに受付に向かった。
付いてこようとした片岡に、「おまえは手紙を鑑識に持っていけ」と伝えて、走った。

受付に着くと、若い男が立っているのが見えた。
おそらくはまだ、20代半ばから後半、少しダボッとしたシャツとパンツで身を包み、黒縁の丸メガネを掛けた顔は小さく、髪はセンター分けで、耳は綺麗に出ている。

「坂下さん」

受付の女性職員が手を上げた。
坂下は、軽く手を上げてから近寄り、立っている男に声をかけた。

「あなたが?」

「はい……」

悲痛さを浮かべた顔で、男は頷いた。

「私は坂下と言います。お名前を伺っても?」

「北沢です。北沢悠真」

「北沢さんですね」

坂下は、周囲をざっと見て、人がいないのを確認すると、

「犯人に心当たりがあるというのは、本当ですか?」

と聞いた。

「本当です」

「犯人は誰だと?」

「すみません、心当たりがあると言っても、確証があるわけじゃないんです。犯人の主張も、僕が知ってるその人とはまったく違うし、声も同じじゃないし……でも口調とか、そういうのは少し、似てるっていうか……いや、意図的に違うように話してるけど、所々に懐かしさを感じるみたいな」

「なるほど、自分が知っている人と、特徴が一致する……一致すると思われる癖みたいなものがあるわけですね」

「そんな感じです」

「で、その人の名前は?」

「青峰豪紀、です」

「青峰豪紀……どんな漢字ですか?」

坂下は、北沢から聞いた名前を、メモ帳に書き込んだ。
知らない名前だが、どこかで見たことがある気がした。重要ではないが、記憶をかすめているような、たまたま映り込んだ人物のような感覚……

「青峰先生は、慶長大学の教授でした。心理学の……犯罪心理学も専門で、僕は大学生のとき、講義を受けてました。先生の家にもお邪魔して……」

「慶長大学の青峰……思い出した、何年か前、犯罪心理学の講義を受けたとき、講師だった男だ。講義だったから、何か主張のような話はしてなかったはず……もししていたら、もう少し覚えていただろうし」

「青峰先生は、死刑制度に反対でした。加害者も人間、必ず良心はある、罪の意識に気づくように導いていくことが重要だと……」

「もしあなたの予想どおり、主犯の男が青峰だとしたら、ほとんど真逆のことを言ってることになりますね」

「はい。だから、確証は持てないんです。でも……」

「情報提供感謝します。調べてみますよ」

「よろしくお願いします。じゃあ、僕はこれで……」

「ああ、ちょっと待ってください」

「はい?」

「北沢さんが、最後に青峰と会ったのはいつですか?」

「四ヶ月前です」

「わりと最近ですね」

「偶然会ったんです。大学時代の友達に会いに、川崎に行ったんですけど、その帰りに」

「どこで会ったんですか?」

「住所は分かりません。目印になるような建物はなかったので。先生は、知り合いだっていう、同世代ぐらいの男の人と一緒で、その人が会社を辞めて飲食店を始めるから、店舗の候補を内見してきたんだと言ってました」

「何か、以前と比べて変わった様子はありましたか?」

「少し痩せた気はしましたけど、その前に会ったのは、大学を卒業したときで……6年ぐらい前だから、はっきりとは……」

「そうですか、分かりました」

「じゃあ、失礼します」

北沢は頭を下げると、外に出ていったが、坂下は少し、あっさりし過ぎている気がした。北沢にとって、おそらく青峰は恩師のような存在……その人物が、死刑肯定を訴え、六人の人間を拉致し、議論の活性化という理由を使って、自らの主張が正しいことを示そうとしている。もっと強い反応を示しそうなものだが、話しているときの表情も、悲痛さこそあったが、取り乱すような雰囲気はなかった。

(少し引っかかるが……犯行に関わっていることはないだろうし、そこまで気にすることもないか)

坂下は、受付の女性職員に礼を言って、捜査本部に足を向けた。
青峰を調べる必要がある。
死刑廃止を訴えていた人間が、肯定に変わり、こんな事件まで起こしたのだとしたら、相応の理由があるはず……


-4-

「時間だな」

部屋のノックとともに、主犯の男は立ち上がり、マスクを被った。
部屋を出ると、すでに六人は揃っており、椅子に座って腕を縛られている。周囲には、銃を持った、黒尽くめでマスクを被った数人が、遠巻きに六人を取り囲むようにして立っている。六人の正面にはカメラがあって、いつでも放送を始められるようになっている。

「さて」

腕時計を確認して、主犯の男は言った。

「始めましょう」

「どういうつもりだ?」

主犯の男が、放送を始めるように指示を出すと同時に、細田が言った。

「どういうつもりとは?」

「本気で討論するつもりなのか?」

「本気ですよ、そう言ったでしょう?
ただし、終わるまで逃げることはできません。縛ったままなのは申し訳ないですがね」

「私の言ったとおりだったわね、細田さん。やっぱり、あなたはビクビクしすぎなのよ」

三谷が言った。

「うるさい!! 厚化粧女め!!!」

「なんですって!!」

「まあ落ち着こう。彼がせっかく話し合いのしやすい場を作ってくれたんだから、みなさん、それぞれの意見を戦わせればいい。大事なのは話し合いだ」

枝野が言った。

「ではみなさん、始めますよ」

主犯の男の合図で、カメラの端が赤く光った。
その背後では、会議所にあるような長テーブルにノートパソコンが置かれ、犯人グループの一人が画面を見ながら何やら操作している。
主犯の男は、周囲を確認してから頷き、パソコンを操作している人物が、どうぞというように右手を出すと、話は始めた。

「昨日告知したとおり、これから彼ら六人と、死刑制度の是非について話し合いたいと思う。基本的な流れは、私から一人ひとりに質問し、それぞれの考えを語ってもらう。全員で話そうとすると、横道に逸れて話が滞ってしまうこともあるので、ご理解いただきたい。全員の意見が出揃ったところで、それらを総合して、結論を出す」

主犯の男は、そこで言葉を止めて、細田を見た。

「細田さん、あなたからいきましょうか」

「ふん、いいだろう」

「ではまず、彼がどんな人物か、最初に紹介しておきましょう。
細田さんは、NPO法人、青少年育成コンサルの代表をしていて、グレてしまったり、心に問題を抱えた子供たちの話を聞いて、子供自身はもちろん、親にも協力してもらい、学校や社会に復帰する支援をしている方です。
立派だと思うし、その取組を否定する気はありません。しかしやはり、そこは甘さがある」

「甘さだって?」

「細田さん、あなただけじゃない。他の五人の方も含めて、あなた方が言っていることがどれほど甘いことなのか、嫌でも理解することになるでしょう」

主犯の男が言った。

「本物の凶悪犯罪者が、どういう存在なのかも」

六人は、主犯の男が、一瞬笑ったように感じた。
それは、楽しげなものでもなく、馬鹿にするようなものでもなく、悪魔が獲物を前にして漏らしたものに思えて、六人は等しく、全身に悪寒を感じた。だが、逃げる術はなかった。逃げ道は、どこにもなかった。


第3話 環境の魔物

-1-

「細田さん」

主犯の男は、細田に顔を向けた。

「あなたは、未成年者と関わる機会が多いせいか、どんな凶悪犯罪であっても、未成年である以上、まだ心が未熟であることを考慮すべきで、しっかりと罪と向き合ってもらい、社会復帰して貢献してもらうほうがいいと、以前発言されていましたね」

「そのとおりだ。子供はまだ、理性にも大きく影響する前頭葉の発達が未熟。これは脳の成長がそういうものだから仕方がないことだ。だからときには、やりすぎてしまうこともある。しかし、そこまでになるのは少数、そしてその少数も、本人ではなく、環境に問題がある。環境さえ正せば、彼らは普通の子供になれる」

「環境が大事というのは、私も同意します。人の性格は、半分は遺伝、半分は環境によって作られるため、確かに影響は大きい。しかし、同じ環境にいても、全員が犯罪を犯すわけではない。そして、たとえ環境に問題があったとしても、未成年というのは、殺人や強姦などの凶悪犯罪の場合、言い訳にはならないと思いますが?」

「歯止めが聞きづらいところがあるんだよ、未成年には。さっきも言っただろう、前頭葉の発達も……」

「だからなんだと言うんです?」

「なに?」

「被害者や遺族にとって、犯人が未成年か成人かなんて、なんの関係もないんですよ。それに、凶悪犯罪で逮捕されても、未成年を理由に刑罰が軽くなるのは良くない。それを理由に一線を越える者もいる。しかし、もし捕まれば、顔も名前も公開され、死刑もありえるとなれば、思いとどまると思いませんか? 今の時代、ネットにいろいろ残りますしね」

「子供の将来を何だと思ってるんだ君は! 子供は国の未来だぞ、そんなことは許されない!」

「強姦やら殺人をする子供の将来が、そんなに大事ですか?」

「大きな過ちを犯したのはそのとおりだろうが、やり直すチャンスは与えられるべきだろう!」

「殺された被害者は、やり直しできませんよ、細田さん。なのに、殺した本人は未成年だから、将来があるからという理由で、チャンスを与えるべき、ですか? 強姦されたほうは、一生物の傷を負うことになります。なのに加害者は、希望を持って人生をやり直すべきだと、そういうことですか?」

「社会復帰させたほうが、世のためになる。それに彼らだって、やってしまったことに強い罪悪感を覚えるものだ。二度としない……そう言って涙する子もいる。君はその気持ちを踏み躙れと言うのか!!」

「窃盗ぐらいなら、それでもいいでしょう。でも殺人や強姦の罪に対して、二度としないと涙されても、まったく足りませんね。凶悪犯罪者の反省など、ネズミの餌にもならない」

「子供が自らを省みる気持ちをそんなふうに言うとは……君はおかしい。こんなことをするぐらいから正気ではないだろうが、人の心を持たない獣だ!!」

「私がまともかどうかは、好きに判断すればいいと思います。
ところで細田さん、あなたはさっきからずっと、社会復帰させたほうが世の中のためになる、とおっしゃってますね」

「反論があるのかね?」

「あなたは昔、ある凶悪犯罪を起こした主犯の少年四人に、少年法を適応するかどうかの議論があったとき、未成年なのだから適応するのが当然で、凶悪犯罪を起こしたからこそ、私たち大人はそれが起こった背景を知り、彼らを教育し、更生させ、社会貢献させるようにしなければいけない、そう言っていました。

結果はあなたの希望通り、四人は少年法が適応され、すでに釈放されている。しかし、その四人がその後どんな生き方をしたか、知っていますか?」

「なんの話だ……」

「未成年ばかりに気を取られてないで、しっかりと現実を見てくださいよ、細田さん。
拉致、監禁、強姦、暴行、殺人という、複数の凶悪犯罪を起こした四人は、悪いことをしたから、これからは社会貢献しようとは思わなかった。それだけのことをしても社会復帰できる、死刑にならない、そう思った。

大人になれば、未成年のときのようにはいかない。それでも死刑になることは滅多にない。そう考えた結果、彼らは今に至るまで、判明しているだけで、一人平均五件以上の傷害事件を起こしている。うち一人は、殺人未遂で警察に捕まった。

そして、それは予想外ではない。四人が起こした事件の残虐性を見れば、容易に想像できたことです。あなたは、それを未成年だからという理由だけで許し、その結果、起こらずに済んだ事件が起こってしまった」

「そんなこと……私が少年法の適応を決定づけたわけじゃない! 私は自分の意見を言っただけで、そうすべきとも言っていない!」

「そうですね。でも、あなたは先程の主張と同じように、加害者の少年たちは、きっと自分のしたことを後悔している、だからチャンスを与えるべきだと、そう言っていましたよね?」

「そうだが、それに問題があるのかね……!」

「ありますね。
まあ、あなたの言ってることがすべて間違っているわけじゃない。しかしそれは、どんな犯罪に手を染めたかによります。チャンスを与えるなどいうのは、凶悪犯に適応すべきものではない。それに、あなたの考え方は、被害者側の視点が欠落しています」

「……被害者は確かに気の毒だが……だからといって、加害者を死刑にすればいいというものではないだろう。罪を償うために生きるということも……」

「償うために生きる。よく聞く言葉ですが、いったい、誰に対して償うんですか?」

「被害者と、その罪に対して……」

「殺人の場合、償うべき被害者はいませんよ。強姦なら、償うと言われても、被害者からすれば近寄ってすらほしくないでしょう、どんなに誠実な態度だったとしても」

「だから罪に対してだと……」

「法的にはそうなるでしょうね。でも、被害者の立場はどうなります? 細田さん、正当防衛ならともかく、たとえば自分を拒絶した元配偶者のストーカーになって復縁を迫り、殺したとしましょう。加害者は被害者に、どう罪を償うんですか?」

「懲役を受けて、刑務所で自分のしたことと向き合うんだ。何十年も、あるいは一生をかけて……」

「それで罪が償えると?」

「死んだ者は生き返らないのだから、そうするしかないだろう!」

「人殺しが自分のやったことに対してできることは、償いではない。相応の裁きを受けることだけです。償うのではなく、裁かれる。罪を償う、償えると考えること自体が、おこがましい」

「おこがましい、だって……?」

「”償う”の先には、”やり直す”という未来がある。被害者はどうやってもやり直せないのに、加害者はやり直す未来がある。それが言うほど易くないことだとしても、希望があることに違いはない。それをナメていると言わずしてなんと言うのか」

「だったらどうすれば償えると……」

「言ったでしょう? 償えないと。できることは、死刑によって自分の命を差し出すことです。それで償えたことにはならないが、それ以上がないからしかたない」

「な……」

「再犯リスクが明らかな人殺しについては、刑期を終えたから釈放するなど、新たな犠牲者を出せと言っているようなものです。どうしても釈放したいなら、余命三ヶ月ぐらいの時期に出して、自分が知っている世界とはまったく違う世の現状を見て、誰にも手を差し伸べられず、差し伸べられたとしても感謝する間もないまま、絶望の中で死んでいくなら、いいかもしれません。

しかしそのためには、何十年も刑務所で過ごさなければならない。その費用は税金です。無駄な支出だと思いませんか? 犯罪者の心理を知るために、話を聞いたりして研究に役立てるのはいいですが、平均寿命まで生かす必要はない」

「加害者にも人権があるんだぞ! そんなこと許されるものか!!」

「理不尽な理由で、先に人権を侵害したのは誰ですか?」

「それは……」

「加害者ですね。被害者の人権を最大限侵害し、人生を破壊し、どんなに望んでもやり直しができないようにして、遺族に消えることのない傷を負わせた。その加害者が人権を主張するのは、滑稽だと思いませんか? 何様のつもりなのかと」

「だからって死刑すればいいというわけではないだろう……!」

「そうやって、加害者の人権を強調し、未成年だからという理由で罪を軽くした結果が、新たな傷害事件であり、殺人未遂なんですよ、細田さん。つまり、あなたのような人の甘さが、防げたはずの犯罪を許してしまった」

「じゃあ君は、加害者の人権をなくせと言うのか!? 未成年で、未来ある者の……」

「言ったでしょう? 被害者にとって、犯人が未成年かどうかなんて、どうでもいいんですよ。殺されたという結果は同じなんですから。

加害者の人権を無くせとまでは言いません。でも、しっかりと事件を調べ、言い逃れできない証拠があり、人殺しだと確定してもなお、人権を盾にして死刑を反対するのは、滑稽です。まして、あれだけの事件を起こしておきながら釈放を要求するのも、それを支持するのも、正気の沙汰ではない。現実を理解していないとしか思えませんね」

「しかし……再犯のリスクがあるかどうかなんて、その時点では分からないだろ……!!」

「もちろん、完璧には分かりません。しかし、殺人までの経緯や行動、心理を見ていけば、見抜くのはそれほど難しくはないですよ。

でもそれ以上の、そして根本的な間違いは、あなた方には、この世には良心など持ち合わせていない人間もいるという事実を理解していないことです。あえて無視しているのか、どんな人間にも一片の良心ぐらいあると、本気で信じているのか知りませんけどね。

良心がない人間に、良心に訴えかけるようなことをしても意味はありません。ないものには響かないし、麻痺した良心を治すことはできても、ない人間から生まれてくることはない。良心のない人間に、良心に訴えかけるようなことを言えば、反省したフリをしてそれを利用し、他人の良心を利用するだけです」

「それは違う」

細田が次の言葉を選んでいると、石破が口を挟んだ。


-2-

石破は、自由と弱者を守る会という市民団体の代表で、死刑反対、どんな凶悪犯でも更生は可能と主張しており、自分で主催するセミナーや講演会を定期的に行い、メディアに登場する機会も多く、テレビを見る世代の間では知られた顔で、ネットにも出るから、若い人でも顔は見たことあるぐらいの認知度はある。

「何が違うのですか? 石破さん」

「良心がないのではない。そう見えるのは、話し合いが足りないからだ」

「話し合い?」

「そうだ。どんな場合でも、強硬な手段はいい結果を生まない。たとえば立てこもり事件でも、犯人を射殺するより、粘り強く犯人と話し合いをして人質を解放させるほうが、うまくいく可能性は高いというデータもある」

「その話は、私も存じてますよ。話し合いをするなとは思いませんが、立てこもり事件が発生したなら、相手の話を聞いて説得を試みると同時に、いつでも突入できるように、そしていつでも射殺できるようにバックアップしておくのが普通です」

「そういう緊張が相手を刺激する。それが人質の命を危険に晒すことだと分からないのか?」

「バックアップが必要ないなら、必要ないことを示すのは犯人側ですよ。警察のほうは、犯人を追い詰めすぎて人質に危険がないように、温和な態度を見せ、話を聞き、凶器を降ろさせようしているのであって、危険がないことを証明すべきは、犯人のほうです。

それに、犯人が説得に応じなかったら? 要求内容が、とても飲めないようなものだったら? 人質を助けるためには、射殺もやむなしと考えなければなりません。話し合いは大切ですが、世の中には話し合いなどできない相手もいるという現実を無視して相手を信じるのは、崇高ではなく、愚かです」

「君が相手を信用しないから、相手も君を信用しないし、頑なになるのだ。たとえ相手がどんな人間でも、誠意を持って接すれば必ず通じる。犯罪者、極悪人……そんなふうに決めつけて接するから反発を招くのだ。一人の人間として接し、相手の心を解せば、そこから良心が顔を出すものなのだよ」

「どんな人間でも、ですか?」

「そうだよ」

「石破さん、あなたは、本物の凶悪犯というものに会ったことがありますか? どんなに人を傷つけても、人を殺しても笑っているような人間に」

「……死刑囚になら、取材のために会って話したことはある」

「そのときの感想は?」

「反省していたよ。自分のしたことを本気で悔いていた。やり直せないと分かっていながら、それでも自暴自棄にならずに……」

「何をもってして本気で悔いていると判断したのか、甚だ疑問ですが、やはりあなたは、知らないのですね」

「じゃあ君は知ってると言うのか? 言っておくが、どんな凶悪な人間であっても、それは精神に問題があるのだ。しっかりと、適切な治療を受ければ改善される」

「ふふ、なるほど」

「何がおかしい!!」

「7年前、ある事件が起こりました。殺人にはならなかったが、それは運が良かっただけ。被害者は今でも、恐怖と不安を抱え、消えない傷を負い、人生を取り戻せたとは言えない。
あなたも、いや、ここにいるみなさんは、ご存知のはずです。三陸山拉致監禁事件、別名、三陸山集団暴行事件」

「……!」

「ご存知ですよね? みなさん。犯人の男三人は、一人がナンパ役、一人がそれを助ける役、一人が見張り役という形で連携を組んで、被害者の女性に狙いを定めた。狙われたのは、三人の中で意見が一致したからです。獲物として最適だという、おぞましい理由で。

そして、まずはナンパ役の男が声をかけ、しつこく言い寄る。そこに助ける役が現れて、ナンパ役を追い払い、安全な場所まで送ると言って、女性と二人で歩く。その間、見張り役の男は周囲に問題がないか確認、ナンパ役の男は車に移動。助ける役の男がさりげなく車のあたりまで誘導し、中からドアが開けられ、押し込む。

見張り役の男が後から乗り込んできて、女性は三人に囲まれた。逃げ場はない。一人は見たことがなかったが、少なくとも、ナンパ役と助ける役がグルだったのは理解できた。しかし理解できたからといって、何かが変わるわけではない。

女性はそのまま拉致され、山中に移動して、三人から代わる代わる暴行を受けた。しかし、ことが終わっても解放されなかった。
三人が”根城”として用意していた古い山小屋に監禁され、被害者は連日暴行されたのです。手錠に繋がれ、衰弱し、慈悲を請い、誰にも言わないから解放してほしいと、顔を腫らして、弱々しく、涙しながら懇願する……もう抵抗する力もなく、相手の良心に縋るしかない女性を見て、三人の男はニヤニヤと笑い、さらなる暴行と屈辱を与えた。

拉致されてから10日後。
やせ細ったことで、手錠が外れそうなことに気づいた女性は、血を滲ませながら腕を引き抜き、裸のまま山小屋から逃げ出して、山中の道に出たところで、通りがかった車に保護された。

男三人は、翌日には逮捕されましたが、罪を認めようとしなかった。あれはそういう”プレイ”だったと言ってね。しかしその後、さすがに言い逃れできないと思ったのか、反省を口にしたが、それは刑罰を軽くするためのもので、弁護士の入れ知恵だった。そして、計画を立てた男が主犯とされて懲役6年、残りの二人は5年で外に出た。

だが被害者の女性は、7年経った今も、そのときの恐怖に悩まされている。必死に立ち向かおうとしても、完全に消えることはない。犯人が出所しているという恐怖もある。

これはほんの一例に過ぎません。もちろん、そんな人間は全体で見れば少数です。しかし、それが凶悪犯というものなんですよ。良心とやらはどこに隠れているんですか? 石破さん」

「その事件なら、私も知ってる……確かに痛ましい事件だし、やったことは許されることじゃない……しかし、刑期を終えた三人は、その後犯罪を犯していない」

「そうですが、それがなんだというんです?」

「なんだとって、何を……」

「再犯しないのは、あたりまえですよね? 再犯するリスクがあるなら、外に出るべきではないし、出てもらっては困ります。出所後に犯罪を起こしていないことは、評価の対象にすらなりません。それに、今後も起こさないとは限らない。また捕まって刑務所に行くのは嫌だという理由でやらないのであれば、それは良心とはなんの関係もない、刑罰に対する恐怖です」

「刑務所内でも、セラピーを受けたりすることはできる。犯罪に手を染めてしまった根本的な部分を改善するためのものだ。そうやって、隠れている良心が少しずつ見えてくるのだよ……!」

「隠れているだけで本当はもっているなら、泣いて慈悲を乞う女性を前にして、醜悪な笑みを浮かべたりはしませんよ。人間の本性が出るのは、追いつめられたとき、誰も見ていないとき、もっとも優位なときですからね」

「君は、もっと人間の善意を信じるべきだ。この世界は、善意のほうが勝っているからこそ成り立っている。よくあろうとする人間の善意が、平和を作っているんだ。もっと人を信用して……」

「善意を否定するつもりもありませんよ。しかし、善意を信用しきれないから、様々な決まりがあり、刑罰があります。それがなければ、世の中はもっと殺伐としているでしょう。

品性は、誰も見ていないと思ったときに現れると言いますが、たとえば性犯罪にしても、バレなければいいと思って開き直るような人間も珍しくありません。殺人であれば、死体の始末という手間もありますが、性犯罪は、被害者が様々な理由から泣き寝入りすることが多い。そこにつけ込み、開き直る人間は、反省などしないし、もう二度とこんなことはやめようとは考えない。

話しをすれば、その場は悪かったと言うかもしれませんが、それは表面上のことだけ。許されればまた繰り返す。そこにあるのは、善意を利用する悪意です」

「だったら君は、性犯罪者も死刑にすればいいというのかね?」

「内容にもよりますが、よほどでなければ死刑にはしなくていいと思います」

「当然だろう。だいたい……」

「その代わり」

「……?」

「強姦犯のような者は、去勢すればいいでしょう。二度と妙な気が起こせないようにね」

「な、そんなこと……そんなことが許されると思うのかね!!」

「やりすぎだと言いたいのですか? それともお得意の人権の侵害ですか?」

「一生に関わることだぞ!! そんな後進国のようなやり方……」

「さっきも言いましたが、先に人権を侵害したのは加害者です。性犯罪の被害者は、体だけではなく、心にもその後の人生を暗くする傷を負います。三陸山拉致監禁事件の被害者のようにね。ならば加害者も、相応の罰を受けるべきでしょう。去勢されたくなければ、性犯罪などしなければいいだけのことです」

「めちゃくちゃだ……過ちを犯した人間に更生の機会すら与えないなんて……」

「たとえば、一度の痴漢で去勢しろとは言いません。どんな場合でも、冤罪の可能性も考慮し、事件の真相解明は慎重にやらなければならないですからね。ですが、痴漢も繰り返すようならダメだし、強姦であれば、一回で十分です」

「君の意見は乱暴すぎる。ちゃんと話し合って、適切に治療し、反省、更生すれば、人は変われる。それに痴漢は、性的な欲求というより……」

「依存症に近い、ですよね?」

「……!」

「痴漢の49%は、非日常的なスリルを求めてやってしまう。そうであれば、依存症の治療が必要で、あなたの言う適切な治療だと思いますが、それは含まれていますか?」

「私は医者ではない。そんなこと……」

「そうでしょうね」

「……」

「痴漢を軽く見てるわけではないですが、一度、二度であれば、改善の余地はあると思います。世間に知られたら、人生崩壊の可能性もありますけどね。反省して二度としないのであれば、やり直すこともできるでしょう。

しかし、強姦は別です。一度やったら手遅れなんですよ。事実確認は厳密にされるべきですが、事実だった場合、反省や更生は意味をなさない。被害者は一生ものの傷を負い、その後の人生に大きなハンデを負うことになる。立ち直るには時間がかかるし、悪夢に魘されることもある。

反省してますといって、数年刑務所に入って出てくるぐらいでは、足りないのですよ。そして殺人ともなれば、被害者は傷を負うどころか、人生そのものを奪われる。加害者が人生をやり直すだの更生だのというのは、偽善者の詭弁ですよ、石破さん」

「私が偽善者だというのかね!!? 君はいったい何様のつもり……!!」

「石破さん、偽善者と言われて取り乱したら、そうだと言っているようなものよ?」

三谷が口を挟んだ。

「三谷さん、あなたも私が偽善者だと言うのかね!?」

「そうは言ってないわ。そう見えてしまうっていうことよ。私はあなたの信念を立派だと思ってるわ。裏表の激しい細田さんより、よっぽどね」

「私を引き合いに出すな!! 厚化粧女め!!」

「ほらね? あれも図星だからこその反応よ」

「なるほど……確かに、あなたの言うとおりかもしれない。お恥ずかしい限りだ」

「気にすることないわ。それと犯人さん」

「なんです?」

「あなたの性犯罪に対する考え方、私はアリだと思う」

「な……三谷さん、あんた何を……」

「石破さん、女性の立場からすれば、悪くないと思うわよ、私は」

「しかしだからといって……」

「女性が加害者側なら、話は少し違ってきますが、性犯罪の加害者は、大半が男ですからね」

「性犯罪は、男が女を見下して、支配できると思っているからやるのよ。精神科医なんかに言わせると、性欲だけの問題ではなく、そういう根源的なものがあると言うわ。私もそう思うわよ。だから、男に性犯罪に対しての反省を促しても無駄。だけど、死刑についてはどうかしらね」

三谷は言葉を止めた。

「どう、というのは?」

「聞きたい? 私の意見」

「ええ、ぜひ」

主犯の男が聞く姿勢を向けると、三谷は話し始めた。



第4話 文明人という詭弁

-1-

「犯人さん、あなたは殺人は死刑だというけど、そうね、たとえば女が身を守るために、結果として相手を殺してしまったら、それも死刑なの?」

「なぜ殺したか、という点については、十分に考慮されるべきだと思いますよ。たとえば強盗が入ってきて、自分や家族の身に危険がある場合、強盗を殺してしまっても、正当防衛でしょう。

殺しまでするのは過剰防衛だという人もいますが、生きるか死ぬか、目の前で家族が殺されるかもしれない状況で、手加減などできずはずもないですからね。そもそも、強盗に入るほうが悪いわけで、返り討ちで死んだところで自業自得。少し妙な言い方にかもしれませんが、強盗に入っておいて、反撃されて死ぬことも想定していなかったのか? という話です。だから、そういう状況での殺人なら、死刑にする必要はないと思います」

「なんでもかんでも死刑にってわけじゃないのね」

「もちろんですよ。私は、身勝手な理由で殺人を犯した人間を死刑にするべきと言っているだけで、殺人という結果だけを指して、死刑だと言っているわけではないので。

たとえば、モデルガンや刃物を持って交番に行き、モデルガンを警官に向け、警告したにも関わらずモデルガンを降ろさず、やむを得ず撃った警官については、罪がないのは当然、職務上の問題もありません。

モデルガンであっても、それを人に向け、警告されたにも関わらず従わないなら、撃たれて当然、撃たれた人間の認識が甘いだけの話です。その行為が冗談では済まないということが分かっていないことが問題ですからね。

あるいは、長年の介護によるノイローゼで殺してしまった、といった場合、殺人には違いないものの、そこに至るまでの苦悩を想像すると、果たして自分はこれを責められるだろうか、と思います」

「私が思ってたよりもまともな印象だけど、私は少し違う視点から見てるの」

「どのような視点ですか?」

「世界における日本の立場、世界から見たときの日本」

「なるほど、具体的には?」

「日本は先進国よ。中国に抜かれたとはいえ、今もまだ、経済3位の国。先進国では、死刑制度は人道的な視点から、廃止すべきという方向に向かってる。日本はその流れに逆らってる。本来、見本を見せるべき立場のはずよ」

「経済2位の中国は、先進国とは言い難い体制なので、三谷さんのいう先進国は、アメリカやヨーロッパということになりますか」

「ええ」

「確かにそれらの国々では、死刑制度を廃止するという声もありますが、全員がそう思っているわけではありません。死刑制度がなくても、大量殺人を起こすような人間は、状況にもよりますが、被害者を増やさないためにその場で射殺することも珍しくないですし、凶悪犯を追い詰めた場合も、銃口を向けるのが普通、そこで犯人が危険な行動を取れば、撃ち殺すことも選択肢として存在しています。

もし犯人が投降して裁判を行っても、精神が不安定になったら銃を乱射するような人間は野放しにできないし、何十人も殺しておいて社会復帰できるほうが、不適切だと思いますよ」

「それでも、話は聞くべきだわ。なぜその犯人が銃の乱射という凶行に及んだのか。徹底的に調べるべきでしょ。それが先進国だし、民主主義だと思う。話も聞かずに処刑なんて、中世の魔女狩りと同じじゃない」

「話を聞き、調べることについては、私も否定しません。しかし、調べ尽くした後はどうします? 調べ尽くしたから、刑務所に何十年もいたから、罪を償えるわけではありません。殺された人は戻ってきません。被害者の人生は、ある日突然、強制的に終わりにされてしまったんですからね」

「生きて罪を感じながら生きていくほうが辛いはずよ……死刑にしたらそれで……」

「そこが、三谷さんに限らず、あなた方全員に見られる甘さの一つなんですよ」

「甘さって、何が?」

「過ちを犯せば、犯罪になるほどのことをやれば、誰でも自分のしたことを後悔し、罪の意識を感じると思っていることです」

「犯罪者は後悔しないっていうの?」

「いえ、するでしょう。でもそれは、被害者を傷つけたり、命を奪ったことに対する後悔ではなく、ミスして捕まってしまい、自分の人生が傷物になってしまった、なぜあのときもっとうまくやれなかったのか、という後悔しか感じない者もいる、ということです。そういう後悔しかもっていないなら、罪の意識を感じての苦しみということ自体、彼らの中に芽生えません」

「殺人までして、そんなふうに思う人間なんて……」

「いないと、そう思いますか?」

「誰だって罪悪感ぐらいもつでしょ? 犯罪をしてしまったそのときは感じなかったとしても、捕まって冷静になれば……」

「三谷さん」

「なに?」

「あなたはこれまで、テレビにもネット番組にも数多く出演して、いろいろな事件を見てきたはずです。凶悪犯罪者の裁判がどんな様子だったかも見てきたと思います」

「ええ、見てきたし、コメントもしたわ」

「あなたのコメントが、あなた自身の言葉か、番組側が用意したものはともかく、見てきてなお、誰でも罪悪感を覚えると思っているなら、あなたはちゃんと現実を見てこなかったということになる」

「失礼ね! 私はちゃんと事件の資料も読んで……」

「自分の作品が勝手に使われたという、陰謀論のような妄想を脳内に描いたある男は、自分の作品を盗んだと決めつけた対象を皆殺しにしようと、彼らが働いている建物を放火した。しかしその男は、逮捕されたあと、自分のしたことの大きさは感じても、本当の意味で、過ちだった、とんでもないことをしたとは考えていません。自分のやったことは正当性がある、本当に悪いのは自分ではない……それが本人の帰結です。罪悪感など持ち合わせていない」

「そんなはずないわ! だって申し訳ないことをしたって……」

「本当にそう思ってるなら、死刑判決に対して控訴などしませんよ」

「でも……」

「もう一つ付け加えるなら」

「……?」

「仮に罪悪感を持っていたとしても、そこまでやってしまったら手遅れ、なんの意味もないということです。やむを得ない事情があったわけでもなく、客観的な正当性は何もない。あるのは本人の頭の中にある、チープな物語だけです。それによって、何十人もの、なんの関係もない人を殺害した。生きたまま焼かれるという苦痛を与えてね。死刑を執行するより、そんな人間に人生をやり直す権利を与えることのほうが狂気ですよ」

「加害者にだって人権はあるのよ!!」

「あなた方は本当に、人権という言葉が好きですね」

主犯の男は、六人に視線を流した。

「確かに人権は大事です。しかし、あなた方や、人権を掲げる団体は、いつでも生きている人間にだけ目を向ける。声を上げることができない被害者の人権には触れない。まるで、もう死んでしまったのだから、触れる必要はないとでもいうように」

「そんなことない!! 私は被害者の人権にだってちゃんと触れてる」

「本当にそうですか? あなただけじゃない。人権を標榜する団体は、すべての人権に対して平等なわけではありません。すべてに対して平等というのは実質不可能なので、しかたない部分もあります。しかし、死刑廃止という一点に限っていえば、あなた方は加害者の人権ばかりに目を向ける。私にはそれが、自分は文明的な人間だと言いたいだけのように見えます。人間には野蛮なところもあるのに、その現実を認めず、自分たちは一歩進んだ考え方をもっている人間だとでも言うように」

「だったらあなただって同じでしょ? 加害者には人権なんてないような言い方して」

「人権はありますよ、法的には。しかしそれを理由に、凶悪犯罪の刑罰が、本来受けるべきものから軽減されるのは違うと言っているだけです。あなた方と同じ目線で言うなら、先に人権侵害をした加害者が、人権を盾に死刑は良くないと口にするのは、たとえ法的には人権があっても、道徳的にどうなんですか、ということです」

「なによ、道徳的って……」

「死刑廃止の論点は、あなた方にとっては道徳的に良くないという部分だと言ってるんですよ、三谷さん。私は、殺人犯は人の命を奪ったのだから、自分の命を持って責任を取ればいい、つまり、人の人生を奪ったのだから、自分の人生で責任を取るべきだと言っているだけです。

被害者はやり直せない。ならば加害者もやり直せないのが平等ではないですか? 生きているという理由だけでやり直せるなんて、妙な話です。人生は、失敗してもいくらでもやり直せますが、殺人は別です。そして、私利私欲で殺人をするような人間は、外に出ればまた、いくつかの理由で殺人をする可能性があります。そんな人間が近く住んでいたらどう感じますか? 道徳的にも現実的にも、死刑にするのが妥当ということです」

「違う、間違ってる……あなたは間違ってる! 事件一つひとつ見れば、そんなふうに考えるのが正しいように見えても、文明的に考えることで変わっていくのよ……!」

「人間の本質が変わるとでも?」

「変わるわ。これまでだって……」

「人間の本質は、文明というものが生まれる前も、生まれたあとも、変わっていませんよ。変わったのはシステムです。進化したのはテクノロジー。人間は変わっていません。脳は古代のまま。システムやテクノロジー、文化的積み重ねによって価値観が変わっても、本質は変わらない。利益を求め、対立する。それが人間です。だからこそ、人間とはそういうものだという、受け入れがたい事実を受け入れて、そこから始めていかなければ詭弁になるだけなのですよ」

「それじゃあ希望も何もないじゃない!」

「希望がないのは、あなた方が現実を受け入れず、理想を求めるからです。人間という存在の、良さも悪さも受容してこそ、進むべき道が見える。死刑廃止という、一見すると文明国の見本のような主張は、人間の本質を受け入れようとしない、哀れな理想主義者の主張です。イジメをなくすと声高にいうのとも似ていますね。人間の本質を理解していれば、イジメはゼロにできないことは分かるはずなので」

「違う……そんなこと……」

「三谷さん、あなたがメディアで見せる論調は、私には理解しがたいものばかりです。今の話にしてもね。でもきっと、そういったことを別にして、個人的に、友達として付き合うのなら、あなたはいい人なのかもしれませんね」

「いい人? 私が……?」

「ご自分でどう思ってるのか分かりませんが、私はそんな印象を受けました。ですが、凶悪犯はそんなあなたの優しさを利用し、つけ込み、人を不幸にする」

「……!」

「犯人さん、あなたの意見を聞いてて思ったんですけど」

枝野が言った。

「どんなふうに思ったんですか?」

「一つ、大事な視点が抜けてるなぁって」

「それは興味深いですね」

「凶悪犯が、いや、犯罪を犯した人が、再犯してしまうことがあるのはなぜなのかってことですよ」

「理由を伺いましょうか」

主犯の男は言った。

「あなたの意見が、私の予想を越えてくれるといいのですが」



第5話 過ぎる期待

-1-

「犯罪という過ちを犯して、捕まって刑務所に入る。刑期を終えれば、前科からは逃れられないものの、もう犯罪者ではありません。そこから、過ちを悔いて生きていくんです、彼らは」

枝野が言うと、主犯の男は少し口元を緩めた。

「悔いて生きる、なるほど」

「何かおかしいですか?」

「いえ、続けてください」

「いいですか? 彼らがまた犯罪をやってしまう最大の問題は、彼らじゃなく周囲なんです。刑期を終えた者は、もう犯罪者ではありません。人生をやり直そうと、一生懸命な人たちです。なのに周囲は、犯罪者として彼らを見る。ネットでも噂を流され、法的には終わったことを蒸し返され、どこに行っても、自分の過去が蒸し返されるんじゃないかって怯えてる。

彼らだって人間ですよ? 犯罪者という別の生き物じゃない。なのに、ようやく外に出て、やり直そうと頑張っても、噂は広がり、白い目で見られる。もう一度言いますが、法的には罪を償ってるのにですよ?

あなたは人殺しは罪を償えないと言ったけど、刑期を終えたあとに待ってるのは、死んだほうがマシだと思うような人生……そこを考えれば、あなたみたいな考えの人にイジメられる被害者ともに言えるんじゃないですか?」

「なるほど、確かに周囲の反応は、影響はあるでしょうね」

「でしょう? だったらもう少し……」

「でもそれは、甘えですね」

「甘え……? 何が甘えだっていうんです?」

「真面目にやってやり直そうとしても、周囲が白い目で見るからやり直せない、その考え方がですよ」

「なぜそれが甘えなんです? 機会を奪っているのは事実でしょう!」

「白い目で見られるのなんて、当たり前なんですよ。法的に償いが終わっていても、人間の感情はそれで安心できるようにできていない。元犯罪者が同じ職場にいたら、怖いものです。

たとえば、あなたの娘さんが働く職場に、元強姦犯が入ってきたとしたら、あなたはどう思いますか? その男が、娘さんと一緒にペアを組んで仕事をすることになったら? 不安になりませんか? 娘さん自身も、男が真面目にやろうとしているのは分かっても、怖いという気持ちは消えないでしょう。そのことに対して、周囲が冷たいと拗ねるのは、ただの甘えです。信用を失くすのは一瞬、作るのは時間と忍耐が必要なのは、あなたもご存知のはずですよね。

それに耐えて、自分は変わったと、自分自身で証明しなければならない。長い時間がかかるでしょう。でもそれは当然の話で、周囲が冷たいなど言ってる時点で、何も分かっていないということです、自分が何をしたのかをね。

凶悪犯に関して言えば、そもそも外に出すこと自体がおかしな話で、被害者の命、あるいは人生を奪い、壊した人間が、人生をやり直すことができることそのものが不快であり、ふざけている、ということになります。死刑囚が、死刑は人権侵害だと言うのも、呆れを通り越して笑ってしまうほど愚かです。そんなことを口にすること自体が、自分が何をしたか分かっていない程度の人間だという証明、死刑になって当然だという証明です」

「あなたのいうシチュエーションを想像すると、確かに怖い気持ちにもなります。でも僕なら、娘にこう言いますね。彼は刑務所に何年もいて、刑期を終えても前科者という重いハンデを背負ってる。だから怖がらずに接してあげなさいと。

頑張って変わろうとしている人間のことを、白い目で見るようなことをするから、更生して、世の中に少しでも貢献しようとする思いが踏みにじられて、犯罪の道に引き戻されてしまうんですよ。変わろうという意志を汲み取って協力してあげれば、必ず変わります」

「それが甘えだと言ってるんですけどね。周りが協力したくなるぐらいの変化を証明するのが先で、協力が先にくることはありません。
そしてそもそもの話、凶悪犯が更生したからなんだというんですか? ごめんなさい、反省してます、それが心からの言葉だったとして、それがなんだというんです?

大量殺人犯が起こした犯行現場に、被害者がたまたま居合わせたことは、運が悪かったで済ませられることではない。理不尽そのものです。大量殺人犯の動機は、往々にしてくだらないものですしね。社会や、特定のカテゴリーに一方的な不満や憎しみを抱いて凶行に及ぶ。救いようのない連中です。

ストーカー殺人にしても、自分の思い通りにならないから殺すという、幼稚な発想が根底にあります。そもそもなぜ他人を自分の思い通りにできると思うのか、なぜそれが許されると思うのか。

そんな人間が、更生、反省、謝罪をしたところで、それで済むと思いますか? 死刑になっても被害者は生き返りませんが、だからといって加害者にやり直す権利があるということにはならないのですよ」

「自分の過ちに気づき、やり直そう、今度は人のために全力で生きようとする、そういう考えに至ったとしても、やり直す権利はないというのかい?」

「ありません」

主犯の男は、きっぱりと言った。

「加害者が身を削って努力すれば、被害者が生き返るというなら、やり直しにも意味がでてきます。しかし残念ながら、死んだ人間は生き返りません。だから、遺族の中には、できるなら自分の手で殺してやりたいと思う人もいるでしょう。それは何もおかしいことではありません。自分の大切な人を殺されたら、殺した相手を自分の手で……という怒りが生まれて当然です。

ですが、もしそれが許されても、感情としてどう思おうと、拷問したり、実際に殺すことには抵抗があるのが大半の人間です。たとえ相手が憎い相手であっても、実際に手にかけるとなれば、躊躇うものです、想像の中であったとしても。しかしだからといって、犯人が生きている、ましてややり直すなんてことは、許せるものではない。

だから、死刑があるとも言えます。
遺族の側からしたら、死刑は譲歩でもあるんですよ」

「譲歩、だって……? 法で人を殺すことが、譲歩だというのかい……?」

「大半の人は、人を殺すことに抵抗があると言いましたが、憎い相手、自分の大切な人を殺した人間なら、自分の手で殺す……本気でそう考え、実行できる人もいるでしょう。でも個人に復讐権を与えたら、世の中の秩序が乱れる可能性もあります。

そういった人間の感情を押さえ、納得させるためでもあるし、被害者が返ってこない以上、犯人も自身の人生を終わらせる以外に払える代償はありません。死刑以上がない、だからやむを得ず死刑、ということです。

そして、被害者は死ぬ時、恐怖と理不尽さと無念と痛みと……様々な感情の中で死んでいったはずです。そんな感情を被害者に強要しておいて、死刑は残酷だなどいう加害者がいることにも驚きですが、そこに共感する、あなた方のような人にも驚きです。加害者に対して、どの口が言ってるんだと切り捨てるならともかく、共感とは……死刑判決が出たあとに加害者が感じる恐怖など、不足はあっても同情に値しません」

「あんたは狂ってるよ……僕は、凶悪犯がなぜ恐ろしい事件を起こしたのか、徹底的に解明して、そういった事件を起こした人間が適切な環境の中に置かれた時どう変わるのか、それを調べることのほうが大事だと思う。

あんたの言う通り、再犯のリスクが0というわけではないから、監視員みたいな人が必要かもしれないけど、やり直す権利はある……」

「なるほど、あくまでも、凶悪犯であってもやり直す権利はある、とおっしゃるわけですね」

「そうだよ!」

「その言葉、覚えておきますよ」

主犯の男はそう言って、枝野を見ながら笑った。

「何が、おかしいんだい……?」

「さあ、なぜでしょうね。
ところで玉木さん」

「次は私かな?」

玉木の表情に焦りはなく、顎を少し上げて、主犯の男を見ている。

「ええ、あなたです。
人権派弁護士さんのお話を、聞かせていただければと思います」

主犯の男は、玉木に体の正面を向けた。

「無罪を勝ち取ることが正義だと思っている、あなたのような人間が、凶悪犯の実像をどう捉えているのかをね」


-2-

「……」

坂下は、捜査本部を出て、五人掛けの小さな会議室にこもり、動画を注視していた。ノートパソコンの横には、プリントアウトされたいくつかの資料がある。犯人を知っているかもしれないと、警視庁に尋ねてきた北沢が口にした男、青峰豪紀のものだ。

北沢が言っていたとおり、慶長大学の教授で、社会心理学と犯罪心理学を教えていた。中心は社会心理学だが、犯罪者の社会復帰を積極的に支援しており、大学でも外でも、評判のいい人格者で通っていた。死刑反対派で、専門書も二冊執筆しており、素人が読んでも眠くなる内容ではあるが、今、動画の中で語っている男の主張と相容れないことは分かる。

講演会の様子も、動画で上がっており、北沢の言っていた通り、主犯の男と仕草や話し方が似ているところがあると言えなくもない。だがそれは、北沢に言われたからそう見えているだけで、確証がもてるほどではない。声はおそらく、タートルネックのように、喉のあたりを覆っている部分に何か仕込んでいて、本来の声と変えているのだろう、同じではなかった。

ただ、気になることが二つあった。
一つは、青峰は一ヶ月ほど前から姿を消しており、今もどこにいるのか分からないこと。スマホも解約して、GPSで追うこともできず、自宅周辺や駅の周りの監視カメラを確認しても、見つからなかった。

そしてもう一つは、7年前、当時21歳の男に、10歳の娘を殺され、その半年後に妻を病気で亡くしていること。娘を殺した犯人は小児性愛者で、青峰は無期懲役を望んだが、結果は懲役五年。犯人の男は、子供の頃親から虐待を受けており、犯行当時も精神的に不安定な状態で、自分のやっていることをあまり分かっていなかったと判断され、実質”治療”のような5年で、今は刑務所を出て、日常生活に戻っている。

娘を殺されても死刑を望まなかったのは、死刑を反対してきた信念なのか、心では思っていても、これまでの自分の活動すべてを否定するような主張をすることはできなかったからなのか、その胸中は定かではない。

坂下からすれば、本気で死刑を望むかどうかはともかく、大切な人を殺されたら、誰でも心の中では犯人への殺意を強くし、死刑が頭に過るのは当然だった。動画の中で主犯の男が語っていることも、間違っていない。

凶悪犯という存在がどういうものか、この世には本当に、人の心など持っていない人間がいることを、普通に生活していたら感じることはほとんどない。ニュースで信じがたい事件を見て、恐ろしさや怒りを覚えても、その距離感は遠い。

「この男が青峰だとして、もし自分の信念が変わったとするなら、なぜそれを主張しない? 風当たりは強いだろうけど、娘を殺されて妻を失った人間の言葉なら説得力はあるはずだ。それに必ず、支持する人間もいる。なのに、なぜこんな方法を取る? 反対派の意見も聞きながら伝えることで、実態を強くアピールすることが目的なのか……?」

このまま討論だけで終わるはずはないと、坂下は思っていた。
どんなに議論をしても、今のままでは、主犯の男が最初に明言した、死刑制度の是非を問うという答えにはたどり着きそうにない。結局、100%正しい答えなどないし、人の信念を変えるのは容易ではない。たとえ信じているそれが、間違っていても。

「……」

動画の中で、主犯の男が再び話し始めたとき、資料の上に置いたスマホが鳴った。




第6話 動機の解明という名の延命措置

-1-

「玉木さん、あなたが所属する弁護士会は以前、日本の犯罪史上、最悪とも言える凶悪事件を起こしたテロリストが死刑になったとき、それに反対する声明を出してましたね?」

主犯の男が言うと、玉木は顔色を変えずに、

「それがどうかしたのかね?」

「あの声明については、弁護士会内部でも意見が割れて、賛成に投じたのは、弁護士としてやっていくためにしかたなくという人が多かったという話もあります。ところであなた自身は、そういった組織のしがらみがなくても、賛成なんですか?」

「賛成だよ。君のように、人を拉致して討論だなどと、野蛮なことしかできない人間と違って、我々弁護士は知性があるからね」

「組織的な圧をかけないと賛成票を多く取れないようなことを、組織の声明として発表するのは妙だと思いますが?」

「所属してる弁護士は五万人近い。いろいろな意見があって当然だろう。言論の自由が保証された国なんだからね。でも結局は、死刑に反対という意見が多かったから、組織の声明として出しただけだよ。圧力なんてありはしない。多数決だよ」

「多数決ですが、なるほど」

「なんだ、何か言いたそうじゃないか」

「いえ別に。
それはそうと、あなたはなぜ、テロリストの死刑に反対したんですか?」

「まずね、君のテロリストという言い方が問題なのだよ。やったことは確かに恐ろしいことだが、それをテロリストの一言で片付けてしまっては、何にもならんのだ。幹部だった人間には、エリートと呼ばれる人が多かった。そういった優秀な人達が、なぜあんな恐ろしいことをしたのか。マインドコントロールを解明するためにも、もっと調べなければいけなかったのだよ」

「マインドコントロールの手法なら、もう充分解明されていますし、たとえ30年調べても、目新しいものは出ませんよ。

エリートの彼らがなぜあんな恐ろしいことをしたか?
まず、頭がいいと言われる人ならカルトにハマらないという前提が間違っています。高学歴で陰謀論にのめり込む人も珍しくありません。なまじ頭が良く、自分は分かっていると思うからこそ、間違っているかもしれないという思考が抜け落ちてしまう。

頭がいい彼らは、社会に出てもうまくと考えたことでしょう。しかし社会はそんな単純ではない。自分より学歴がなくても遥かに稼いでいる人もいれば、問題が起こっても解決することができる、答えのないものに答えを出せる、本当の頭の良さをもった人もいる。敗北することも、うまくいかないのも普通のこと。自分が正しい方向に向かっていけているのかも分からない。そういった不確実性は、心に不安を生みます。

不安には、カルトやインチキ占い師、詐欺師が付け入る隙が生まれる。カルトは、最初は思いやりをもって近づき、ターゲットの信頼を得てから、徐々に外との関係を断ち切らせて取り込んでいく。そして気づいたときには、抜け出せなくなっています。

彼らはそうやって、隔離された世界に置かれ、カルトお得意の終末論から、世界を変えるためには自分たちが立ち上がるしかない、と思い込んだ」

「だから、そう思い込ませたやり方を解明する必要があるんじゃないか! 終末論なんて馬鹿げたものを信じてしまうのはなぜかと……」

「カルト教祖は、答えを与えているようで、与えてはいません。そこにこそ、のめり込ませる罠があります。カルト教祖がすることは答えを与えることではなく、世界を変えなければならないという強い問題意識と、自分たちは世界を変えられるという期待を芽生えさせることです。

強い問題意識と期待によって高まっていく感情は、今すぐ行動しなければという切迫感も生み出します。そして、世界を一気に変えようとするから、手段も短絡的で無茶なものになる」

「君のこれも、物事を一気に変えようとする、短絡的で無茶なことじゃないのかね?」

「これは議論を促すためのものです。急な変化は求めていないし、議論が活性化する、そのキッカケになればいいのです。変化はそのあと。急に変えようとすれば、人間は必ず反発します。良い変化でも、悪い変化でも。だからまず、今すぐ変化する必要がない、変化のためのキッカケが必要なのです」

「君の話が正しいなら、信者は心が弱っているところを突かれたということになる。なら、信者は悪くないということになるんじゃないのかね?」

「そうでしょうか? 心が弱っているところを突かれたのかもしれないし、燻っていた心を刺激されたのかもしれません。でもすべてが教祖のせいですか? 信じてしまったとしても、中に入ってみて実態を見れば、おかしいと思うところはあったはずです。気づけなかったとしても、あのテロ事件を起こすことが具体化したとき、おかしいと思うことはできたんじゃないでしょうか。

実行すればどうなるか、頭がいいなら想像できたはずです。でも実行した。ハッキリ言いますが、想像できなかったとしても、それは言い訳にはなりません。想像できてもやったのであれば、それはとんでもないことになると理解した上で実行したということになります。まあ、もし裏切るようなことがあれば、殺されるという恐怖もあったかもしれません。カルトでは珍しくない、粛清も行われていたわけですしね」

「だったらそれは、しかたなかったということになるじゃないか!」

「なりませんよ。粛清の恐怖と組織の圧力。それをもっていて、大量殺人が許されるとでも思ってるんですか? それに、それだけではありません。もし自分が間違っていたと気づいても、家族や仕事、財産など、犠牲にしたものが多すぎて、今更間違っていたと言えなかったのでしょう。自分たちはエリートだという”プライド”もある。自分を前に推し進めてくれるのが、本来のプライドですが、彼らのそれは、自分は特別だという歪んだものです。

どんな有能な人間でも、間違いや失敗はするものですが、そこに変なプライドを持っている彼らは、自分が間違っていたとは思いたくない。失敗を認められないのです。失敗は無能の証明だと、そういう考え方だからです。

そんな彼らだから、人を大量に殺してしまったあとで、間違っていたとは言えなかったんでしょう。そして、刑務所で環境が変わり、冷静になった後に過ちに気づいても、手遅れです。あれだけの事件を起こしておいて、ごめんなさい、間違っていましたと言われても、罪が軽くなる理由としては弱すぎます。それにあなたは、操っていた側の教祖の死刑にも反対してたじゃないですか、玉木さん」

「そんな単純な話ではない!! もっと複雑な理由があるんだ。心理的なこと、環境、あらゆる……」

「いや、単純な話ですよ。あなたのような人が複雑にして、そこにまだ何かあるように見せているだけです。

終末論を解き、日本の転覆を目論んだテロリストの親玉に心酔したエリートたち。彼らは自分たちが変えられるものと変えられないものを仕分けることができず、大量殺人という最悪の選択をもって日本を変えようとした。そんな方法で変わるはずがないということすら気づけずにね。そのテロリストを宗教団体と認識してるのは、あなたのような人ぐらいですよ、玉木さん」

「バカが!! 実際に複雑なんだ!!
どうやってあんな凶悪な事件を起こせるほどの洗脳をしたのか。指示した人間、実行した人間、彼らがなぜそんなことをしなければならなかったのか……それをすべて解明することこそ、これからの日本のためになるのに、死刑にしてしまっては何にもならんだろうが!!」

「だから、何も複雑なことなんてないんですよ。
第二次世界大戦のとき、ナチスによるホロコーストに関わり、後にアルゼンチンで捕まって裁判を受けたアドルフ・アイヒマンは、自分は命令に従っただけで無罪だと、最後まで主張しました。異常者とだと言う人もいるし、彼が異常者であったほうが分かりやすくもあります。

しかし彼は、テッド・バンディのような快楽殺人犯ではない。組織に従順な、真面目な人間でしょう、ハンナ・アーレントが言ったようにね。だからこそ、命令によってホロコーストに加担した。

後にミルグラム実験でも証明されたように、人間は環境によって残酷になれます。すべての人がそうだ、とは言いませんが、カルトの中にいれば、条件は揃っていると言えるでしょう」

「君の言う通りだとしたら、やはり環境の問題じゃないか! その環境がどう作られたのか解明しなければ……」

「どう環境が作られるかは、カルトの研究やマインドコントロールの研究を見れば分かります。それに私は、カルトを信じたからだとしても、許されることではないと言ってるんですよ、玉木さん。

なんの罪もない人たちを、ある日突然、理不尽に殺しておいて、環境のせいだった、マインドコントロールにかかっていたといって、じゃあしかたないとなると思いますか? 事件の全貌はすでに明らかにされているのに、まだ確認することがあるといい続けるのは、死刑囚の延命措置でしかありません。

死刑判決を受けた幹部が生きている限り、遺族は整理がつきません。死刑が執行されて、ようやく一区切りが生まれる。事件の解明が終わっていないのではなく、終わっていないと思いたいだけです、あなたのような人は。そしてそれを、死刑反対のカードとして使っているだけなんですよ」

「君は何も分かっていない……遺族もそうだ。死刑にして、自分の欲求を満たしているだけ……野蛮人め!!」

「討論している私だけならともかく、遺族にまでそんなことを言うとは……これは生放送です。今の発言、遺族にも聞かれることになるでしょう」

「ふん、構うものか!!」

「あなたは死刑を野蛮人の所業とおっしゃいますが、死刑には、同じ犯人による新たな犠牲者を出さないためということも含まれます。再犯リスクについては、どう考えますか?」

「刑務所内でしっかり教育すれば、二度と同じ犯罪を起こさないようにできる。私もそういった取り組みに、微力なら協力している。君のように、死刑死刑と騒ぐだけじゃなくてね」

「そういった取り組みを否定する気はありませんが、どんな状況に置かれても、あなたはその姿勢を貫けますか?」

「何? どういう意味かね?」

「あの~、ちょっといいですか?」

財津が、遠慮がちに手を上げた。

「どうぞ。あなたの意見も、ぜひ聞かせてください」

主犯の男が言うと、財津は手を下げながら、はにかむように笑った。

「いやその、もう一つ、大事なことがあるかなって思って。環境にも関係することで」

「なるほど、お聞かせいただけますか?」



第7話 責任能力有無という悪法

-1-

『犯人たちの居場所が分かったかもしれません』

片岡の言葉に、坂下は反射的に立ち上がった。

「間違いないのか?」

『まだ、確実とは。でもたぶん、そこで間違いないです。動画配信会社や通信会社に協力してもらって、配信はそこからされてる確認は取れたので』

「どこだ? 都内か?」

『神奈川との境です。というか、エリア的には神奈川県内ですね。一歩進めば都内ってぐらいの場所ですけど、一応管轄は、神奈川県警です……』

「いい。そのあたりのことは、あとで対応すればいい。とにかく今は、犯人を押さえるのが先だ」

坂下は動画のサイズを小さくして、地図を開いた。

「住所を教えてくれ」

『あ、はい。えっと……』

坂下は地図で場所を特定すると、建物を検索した。

「なんだこの建物。音楽スタジオ?」

『その情報、ちょっと古いんです。スタジオは一年前に潰れて、空き家だったんです。それを三ヶ月ほど前に、光永岳(みつなが たけし)という男が買ったんです』

「買った? 借りたんじゃなくか?」

『はい。他の店を作るにも、改装費が馬鹿にならないみたいで、不動産屋も困っていたところに、一度内見して、その場ですぐに買うと言ったそうで、3200万円の支払いもすでに終えてるそうです』

「光永って男は何者なんだ?」

『建築会社の社長でしたが、一年前に売却して、今は長期投資の利益で生活してるようです。奥さんとは二年前に離婚。現在52歳。それと』

「それと?」

『四年前に、22歳の一人娘を亡くしてます。当時交際していた相手の独占欲にうんざりして、別れ話をしたところ口論になりましたが、強引に別れたそうです。ところか相手の男は、彼女が知らない間に性的な写真を撮っていて、それをネットにバラ撒きました』

「リベンジポルノか……」

『ええ。彼女はすぐに消すように言いましたが、相手の男は聞かず、消してほしいなら復縁しろと迫り、それを断ると逆上して、持っていた果物ナイフで彼女を滅多刺しにして殺害。すぐに逮捕されましたが、自分で殺したくせに涙を流して彼女に謝罪していたそうです。半年前まで刑務所でしたが、今は出所してます。精神に問題があったと判断されたためです』

「犯人グループの中に、光永がいる可能性は高そうだな。家に行ってみたか?」

『行きましたが、留守でした。近所の人に聞いたら、一週間ぐらい前から見ていないと』

「こっちも一週間前か……」

『どうします?』

「行くしかない。武装してる相手だし、人質もいる……上にも伝えて、SAT(サット)も動けるように手配してもらう。俺達は先に現場に行く。おまえと、あと二人、まずは四人で行くぞ」

『分かりました。今、本庁に戻ってるので、着いたら連絡します』

「ああ」

坂下は、スマホで動画を流しながら会議室を出て、上に報告してSATの手配を頼むとすぐに、現場に向かう二人を選んで声を掛けた。

場所が間違っていた場合、おそらく正しい場所を特定して向かうだけの時間はない。”討論”がいつ終わるのか分からないが、そこまで長引くとも思えず、終わるそのとき、何が起こるか分からない。

「賭けだな……」

坂下は、すぐに車に乗れるよう、一階の受付まで来ると、事情を話して受付担当の休憩室で待機させてもらい、スマホを見た。


-2-

「お聞かせ願えますか、財津さん。環境の影響にも関係する大事なことというものが何か」

主犯の男が言った。

「ええ。
まあ、そんな大層な話じゃないですよ。でも重要なことで」

財津は、少し崩れた姿勢を正すと、続けた。

「あなたのいうテロリストの人たちは、もしかしたら、精神に問題があった可能性もあります。いや、彼らだけじゃなく、凶悪犯と呼ばれる人間には、子供の頃の環境に問題があったりして、精神に問題を抱えている例が少なくありません。」

「確かに、子供のころの環境に問題があったという話はよくありますが、死刑になったテロリストたちには、そんな問題はなかったはずですが?」

「ああ、言葉足らずだったかもしれませんね、申し訳ない……でもその、あなたはさっきから、凶悪犯罪を犯した人間は死刑にすべきだと言ってますが、精神に問題があって、自分の意志とは関係なくというか、コントロールできなくて、それでという場合もあります。つまり、いわゆる責任能力がないというやつです。そういう人は、そのあたりの背景も考慮してあげないといけないと思うんですよ。だって、自分ではどうしようもないことが原因なんだし。運がないっていうか、遺伝的なことだったらどうしようもないでしょう? だから責任能力って大事で……」

「責任能力の有無が、殺された人に何か関係があるんですか?」

「え……? いやその……」

「責任能力があろうがなかろうが、未成年だろうが酔っ払っていようが、被害者が人生を奪われたという事実には変わりはありません。もし責任能力がなく、人を殺してしまう危険があるなら、そこが解消されない限り、たとえ殺人未遂だったとしても、外に出てきてもらっては困るんですよ。それとも、殺された人は運が悪かった、しかたがないとでも言うつもりですか?」

「いや、そんなつもりは……しかし、精神に問題がある場合、それは本人のせいではない。それなのに、結果をすべて本人に背負わせるのは……」

「精神に問題があるから、誰でも犯罪を犯すわけでも、殺人をするわけでもありません。ダークトライアドに含まれるサイコパスやサディストと呼ばれる人間であっても、誰もが殺人鬼になるわけではありません。

もし仮に、殺人を犯した人間が責任能力無とされ、”適切な”治療することで二度とこんなことは起こらないといって無罪になったとして、もしまた人を殺したら? そのときは、一体誰が責任を取るんです?」

「もし二度目となれば、それは本人に……いやしかし、それでも死刑にするんじゃなく、なぜそうなったのか、それを明らかにしていくことが大切で……」

「あなた方は、なぜを明らかにするのが好きですね。それは確かに大切なことではあります。しかし、精神疾患を理由に罪を免れるだけでも、被害者にとっては許せないことなのに、それがもう一度人を殺したら、二重の意味で許せないだろうし、二度目の被害者は、偽善者の自己満足と甘さに殺された、ということになります」
 
「偽善ではない……いや、そういう人間もいるだろうけど……そうじゃなく、純粋に加害者と向き合い、彼らを助け、社会に貢献することの大切さを伝えたくて懸命にやっている人だっているんだ……!」

「身勝手な理由で人を殺した時点で、手遅れなんですよ、何度も言うようにね。凶悪犯罪にも関わらず、たとえば未成年を理由に大人と同じ責任を負わせないというなら、不足分は親に負ってもらうしかありません。未成年でまだ未熟だと言うなら、育てた親が責任を取る。それが嫌なら、本人の人生で責任をとってもらう他ありません」

「いや、それでは解決にならない……未成年はとくに、そのときの環境に問題があるなら、適切な環境に保護して教育すれば、変わっていくものなんだ。未成年を死刑にするなんて、絶対にあってはならないんだ……!」
 
「遺伝子が弾を込め、環境が引き金を引くと言われるように、遺伝子が影響することもあります。しかし、それが原因とは限らない。犯罪に限れば、関係があったとしても、複数の要因の一つです。そして、同じ環境にいても、誰もが同じようになるわけではない。

財津さん、あなたが性善説を信じるのは自由だし、そのことに対して何をということはありません。ただ、凶悪犯罪者にまで当てはめるのは、狂気です」

「違う! どんな人間にだって、善意の心はある。完全な悪なんていない!」

「定義が違うんですよ」

「定義……? いったいなんの話を……」

「一般の人にとって、殺人は許されないことで、もし許可されても躊躇するものです。正当性を保証されても、心が痛む。殺していいと言われても、本当にやるとなれば躊躇うものです。一方、凶悪犯罪者にとって殺人は、ただの障害物排除です。死体の処理などの手間とリスクが大きいものの、殺人そのものに対する痛みなどないのです。快楽殺人犯なら、殺しは性的快楽そのもの。そんな人間に、善意の心があると思いますか?」

「それは……しかしそれこそ精神的な問題があって……」

「それと、あなたは先程、未成年を死刑にしてはならないと言いましたね、財津さん」

「言った。何かおかしいですか?」

「私の隣に立っているこの男は、高校生の娘を六人の男子高校生に強姦された挙げ句、顔の形が分からなくなるまで暴行を受け、殺されました。あまりにも凶悪な事件であったにも関わらず、犯人たちは未成年を理由に死刑を免れた。成人なら、間違いなく死刑なっていたでしょう。
 
それから十年以上経ち、主犯だった男子生徒たちは再び犯罪を犯した。殺人こそないが、それに近いことはやってるし、強姦事件も起こしています。未成年を理由にせず、死刑にしておけば、その後の被害者はゼロで済んだ。分かりますか? ゼロです。ゼロで済んだんですよ。

彼の向こうにいる男も、21歳になったばかりの娘さんが拉致され、強姦され、ビデオに撮られ、何度も脅迫され、事件から三ヶ月後に自殺しました。犯人は捕まりましたが、余罪があったにも関わらず、懲役は10年にも満たない。裁判でも、まったく反省の色はなかったそうです」

「それは、その……」

「あなたは環境で変わると言いました。確かに、環境は人の行動や思考に影響します。しかし、自分から変わろうとしない人間は変わらないし、生粋の凶悪犯がそんなことで変わることはありません」

「やり方が、更生プログラムや、その後の環境が悪かったんですよ……人は変われます……いい方向に、変われるんです……」

「仮に変わったとしても、なんの意味もないんですよ。変わったところで、無残に殺された被害者、自殺に追い込まれた被害者、その遺族にはなんの関係もないし、何も変わらない。加害者が反省しようがしまいが、何も変わらないんですよ」

「それでも……私は犯人を恨むべきじゃないと思う。私は、そう思う……」

「なるほど、ご立派なことですね」

主犯の男は、軽く頷いてから、六人に視線を走らせた。

「さて、これでみなさんのお話は聞けました。三谷さんは少し、思うところがあるようですが、他のみなさんは、それぞれの理由か事情か、あくまでも死刑は反対、というスタンスは変わらないわけですね?」

「ふん、死刑など、野蛮な国のすることだ」

玉木が吐き捨てるように言うと、枝野と細田が頷いた。

「ところでみなさん、この放送は、ライブで世界中に流れています。つまり、生で自分たちの意見をぶつけあったわけです。台本もなく、メディアの意図も介入しない。スポンサーの意向もなければ、広告主の機嫌を気にする必要もない。これが本当の討論です」

「何が本当の討論だ!! 死刑を叫ぶ狂人の余興だ、こんなものは!!」

細田が唾を飛ばした。

「そうやって、あなた方は対立する意見をすぐに封殺しようとする」

主犯の男は、静かに言った。

「興味深いことに、多様性を声高に訴える人は、それは違うのでは? と言われると、差別だなんだとヒステリックに声を裏返らせる。多様性が大事だというなら、様々な意見を聞くことが前提にあるはずなのに、言論の自由を奪おうとする。マイノリティの権利を主張するのはともかく、多数派の意見は無視し、多数派はマイノリティの意見を尊重し、無条件で聞くべきだとでも言わんばかりに騒ぐ。陰謀論者が、自分たちの証拠は正しく、反証となる証拠は嘘だと切り捨てるようにね。

多様性を主張しながら、行動としては多様性を否定する。自分に合わない意見は徹底的に、差別主義者や極右、白人至上主義などのレッテルを貼り、まともに議論すらしようとしない。ポリコレを叫ぶ人々の一部は、過激になりすぎて自分自身が差別主義者になっていることにも気づかない、あるいは、気づいていても自分は正しいことをしているから許されると思っている、非常に興味深い思考を持っています。自分の意見をぶつけるのではなく、単純に相手を否定する。

細田さん、あなたが今、死刑肯定派である私の意見を全否定したようにね」

「私は全否定などしていない!!」

「そう言うんですよ、誰もが。自分は他人の意見も尊重する、話を聞くと。でもそれは、当たり前のことのようで、簡単ではありません。特に現代では、自分と異なる意見を聞いて受け止めるのは難しい。現代人に情報の大半を提供するネットは、自分が欲しい情報を提示してくれます。それは快感。自分は正しいと思える。そうやって、信念は深まっていきます。

そこに、違う意見という異物が入り込んでくる。すると脳は、まるで体内に入った病原菌を殺すように、存在を否定する勢いで攻撃を始める。それは多かれ少なかれ、誰でもあるものですが、異なる意見を聞くというのは、異物が入ってくる不快感を受け止めるということです。そして、それが本当に体に悪いものなのかどうか確かめるという、根気のいる作業になります。

しかし、自分は正しいことをしていると思いこんでいる人は、それができません。ポリコレ過激派のようにね。話し合いなどしない。したとしても、それは相手の話を聞いてみようではなく、相手を叩き潰して自分の正しさを証明しようとするものです。だから異なる意見をぶつけられるとヒステリックな反応を示す」

「黙れ貴様!!! この犯罪者め! もうおまえのいう討論は終わっただろう!! さっさと我々を解放しろ!!」

細田が叫んだ。

「生放送というからには、手荒な真似もできないでしょうしね」

玉木は薄ら笑いを浮かべて言った。

「何を言ってるんですか? これはテレビ番組の収録でも、普通の生討論番組でもない。本番は、これからなんですよ」

主犯の男が言うと、六人は顔を強張らせた。
男の声は、先程までのトーンとは明らかに違っていた。冷たく、無機質で、人を不安にさせるそれに、六人は等しく、危機を感じ取った。

「あなた方は、まるで信念のように死刑反対を口にする。だから、それが信念なのか、それとも口先だけなのか、確かめてみましょう」

「何をする気……?」

三谷の質問には答えず、主犯の男は、周囲に立っている男たちのほうを向いた。

「連れてきてください」

すると、一部を残して、遠巻きに六人を囲うように立っていた男たちが、部屋から出ていった。

「何をするつもりだ!!」

細田が叫ぶと、主犯の男は、

「すぐに分かりますよ」

と笑った。

「ふざけるな!! これ以上付き合ってられ……」

細田は、視界に入ってきたものに、言葉を失った。
細田だけではない。
他の五人も、自分たちの目に映っているものが夢であってほしいと思ったのか、何度も瞬きをして、言葉を失い、青ざめた。

「そんな、なんで……」

財津が呟いた。
彼らの前には、銃を突きつけられ、怯えている家族の姿があった。

主犯の男が言った通り、討論が進み、何事もなく終わり、六人はいつの間にか、これが終われば自分たちは帰れると思い込んでいた。

だが、思い出した。

自分たちが、銃を持った人間に拉致され、いつ殺されてもおかしくない状況にいる……討論に隠れていた現実が、突然目の前に現れた。

呆然とする彼らは、動けないように椅子に縛り付けられたが、自分の状況よりも、目の前に家族がいて、銃を突きつけられているという現実を前に、次に自分がどうするべきか、分からなくなっていた。

「なんで……」

「やめてくれ、娘の命だけは……」

「あんたら何を……いったい何をする気だ……?」

主犯の男は、個々の質問には答えず、

「さて、ではもう一度聞きましょう」

六人を見ながら言った。

「あなた方は、死刑に反対だと言いました。たとえどんな凶悪犯であっても死刑にせず、更生とやり直しの機会を与えるべきだと。そして、事件について徹底的に調べるべきだと。それは今も変わりませんか?」

「こんな状況で何を言ってるんだ……! おい貴様!! これを解け! 妻に銃を向けるな!!」

「こんなことが許されると思うのか! 言い逃れできなくなるぞ!!」

「質問に答えていただけますか? 信念は変わらないか」

「変わらない……変わらないよ、だから、こんなことは止めるんだ……」

「息子は私の生きがいなの……お願い、やめて……」

「今やめれば、私は君らに不利な裁判にはしない。だから……」

「どうも、質問に答えたくない人が多いようですね。答えたのは石破さんだけ……まあいいでしょう」

主犯の男は、落ち着いた声で言った。

数秒の沈黙。

一瞬俯いた後、主犯の男は、細田の妻に銃口を突きつけている男を見た。

「やれ」

一瞬のためらいもなく、乾いた音が響いた。
血しぶきが飛び、細田の妻は両手を上げたまま、うつ伏せに倒れた。

「慶子……慶子ぉぉぉ!!!!」

「さて」

主犯の男は、発狂したように叫ぶ細田を見た。

「じゃあもう一度、聞きましょうか」





第8話 現実投影

-1-

車で現場に向かっていた坂下は、それが現実なのかどうか、分からなくなった。血しぶきを上げて倒れた女は、当然のように動かない。わずか数センチの距離で頭を撃ち抜かれ、夫の前で息絶える……テロ組織の公開処刑ではない。現場は日本で、今自分たちが向かっている場所で起こっていること……

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